ep.9 生き様
ここから車との距離は、約300メートルを切った。
少しずつ見え始めた勝利と静観の希望に、思わず口角が上がる。
しかし問題はここからだ。叔父さんと負幻想魔は、俺がただ逃げているわけだは無いと知れば、きっと向かっている場所に行かせないようにする。今でも進行方向に触手を伸ばし、逃げることを阻止しようとしている。
幸い叔父さんは『痛めつけるだけ痛めつけてから殺す』の思考だから、今は生死を掛けた鬼ごっこな感じだろう。怒号を飛ばし触手で怒りを表しているが、内心無様に逃げ惑う甥を見て、もっと踊るように逃げろと嘲笑してる。
何度も聞こえてくる『逃げるな』や『相応しい姿にしてやる』も、加虐からくる一種のパフォーマンスに近い、イカレ野郎の思考で来る言葉だ。
その声も徐々にテレビで聞こえてくる砂嵐のような、ノイズのような音に乗せて聞こえる。それは負幻想魔と濃密に融合している証拠だ。だから動きも早くなり、触手を使いこなしている。
一刻も早く祓わなければ、叔父さんは本当の意味で人間でなくなる。
正直叔父さんに対する好感度は、地底に等しいほど低い。だが人間を見殺しにする程、俺は非情ではない。殺そうとして来るが身内だから情けで、俺は人である叔父さんを救う。
そう決意をみなぎらせながら、目と鼻先にある車に駆け寄る。
流石に気がついたのだろう。負幻想魔は叔父さんを操って、全触手を俺ではなく車の方に伸ばす。意志の反する行動をとる触手に、叔父さんは戸惑いを見せながらも、獣のような呻き声を上げ命令に背こうとする。
車を狙っていた触手はUターンし、真っ直ぐ俺へと伸びてくる。触手の下に出来ている僅かなすき間を狙い、スライディングするように地面を滑り、触手の攻撃を躱す。触手の針が鼻先や頬を掠め、少量の血を垂らす。
負幻想魔は指示を無視した叔父さんに、すぅっと目を細めて、口から細長い針の様なモノを出す。まるで血を吸う蚊のように、叔父さんの首に針を刺して、何か液体の様なモノを流し込んでいる。
謎の液体を注がれて叔父さんは、苦痛を訴えるような叫び声をあげ、その場に蹲る。両腕で自信を抱きしめ、痙攣のように体を震わす。
時折聞こえてくる嗚咽に、叔父さんは一体負幻想魔に何されたのか、気になるが一旦無視して車の扉前に立つ。後部座席の扉のドアハンドルに、手を掛けたその瞬間だった。
『アァァァァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!!』
蹲っていた叔父さんは、勢いよく天を仰ぐ。
その声から感じる尋常じゃない様子に、ドアハンドルを握りしめたまま、叔父さんの方に体を向ける。想像を絶する光景に、驚愕した俺はこれでもかと目を見開く。
先程まで融合していると言っても過言でない程、憑りついていた負幻想魔は、蛹から羽化するかのように、背中と思われる所にアナが空く。そこから新たな触手と共に、ニッタリと口角と目尻を三日月のように歪め、こちらに目線をとらえている。
背筋を走る恐怖に汗が溢れ出し、一瞬呼吸が止まった気がした。本能から来る逃走心に従って、急いで車のドアを開けた。そのまま中に乗り込み、目的の物である鞄を手に取り、中身を漁る。ノートと筆箱を手に取り、反対側のドアから急いで飛び出した。
刹那、背後にあった車は無数の触手に押し潰され、プレスされたようにぺしゃんこだ。もしあのまま中にいたら、確実に人肉挽肉なっていた。
生まれたての小鹿のように震える足を奮い立たせ、車で来た道に向かって走る。走りながら筆箱を開け、芯の先が丸っこい鉛筆を手に取る。筆箱をそのまま放り投げ、走りながらノートを開き、真っ白なページを開く。
チャンスは一度きり。
ぼんやりとした記憶だが印を描き、顔や体から流れ出ている血を使って、想魔を召喚させる。もし一回でもミスをすれば、突然変異し始めた負幻想魔に殺される。
いくつもある最悪のパターンが脳に過りながらも、その可能性を無いことを願いながら、走りながらノートに印を記す。
走っているせいだからか、少し歪な印を描きあがり、頬から流れる血を指で拭き取る。そのままノートに擦りつけ、腹の底から声を上げる。
「出てこい、想魔!」
これで俺は、助かる。
そう思って勝利を確信して、口角が少し上がる。
しかし、ノートに何かしらの変化はなかった。印が眩く光り出したり、魔人が出るみたいに煙も立たず、ただ歪な印に血をつけただけだ。何も起こらないことに、最悪なパターンの一つが出たと、焦燥感に駆られて何度もノートに叫び続ける。
「頼む、出て来てくれ! 想魔、召喚! なぁ、なぁ!!」
しかしノートからは、うんともすんとも言わない。唯一の助かる可能性がこの一瞬で打ち砕かれ、か細く情けない声を上げる。
その時、背中から異常な程の熱を感じ、口から血を吐き出しながら振り返る。
奴は容赦なくトドメを刺しに来たのだろう。背中に触手から映える無数の針が刺さっており、勢いのまま俺は薙ぎ飛ばされる。軽々と飛ばされた体は、近くの木に衝突する。その衝撃に体の穴という穴から鮮血が噴き出て、そのまま下に落下して、潰れた果実のようにその場に倒れ伏す。
頭から流れる血が目に入ったのだろうか、視界が真っ赤に染まっており、色の識別ができない。ノートは俺が流す血に赤く染まり、新しく印を描くことは出来なくなった。そもそも鉛筆が無いから、書く事さえできない。
迫りくる負幻想魔から逃げようと思ったが、先程気に衝突した拍子にか、両手足動く気配がない。それ以上に動かそうとすれば、激痛が走って呻き声を上げ、俺はそのまま地面に伏す。
流れ出す鮮血は少しずつ広がっていき、体は寒い筈なのにそれ以上に、負幻想魔に与えられた激痛が上回る。
成功すると思っていた想魔の召喚は、不発に終わってしまった。
一体何がダメだったのだろうか。
印を間違えたのだろうか?
知が足りなかったのだろうか。
それとも、俺では想魔を召喚できないのだろうか。
もしそうだとしたら、俺が助かる手立ては、何もない。
負幻想魔は触手を伸ばし、器用に服にひっかけて、ボロ雑巾のような俺を持ち上げる。
蛹らしきところから出てきた突然変異負幻想魔は、生気を失いつつ俺をまじまじと見て、嘲笑うかのように目尻を吊り上げる。
あぁ、俺はここで終わってしまうのか。なんか、あっという間だったな。
突然この世界に来たと思ったら、自分のオリジナルキャラクターの幼少期に魂が宿って、久々の家族……? とご飯を食べて。よくわかんないけど祖父祖母の所に出掛けると思ったら、とんでもなくヤバい叔父さんと会って、連れて行かれたと思えば襲われて。
そんで最後は、負幻想魔に殺されるか、喰われるか、新たな宿主として利用されるか。
まぁ、所詮モブの人生は、こんなもんだろう。
幻祓でも名前があってもモブは、容赦なく世界から排除された。俺に関しては、原作と何の関係もないモブですらない。だから、世界は不純物である俺を、殺して消すのだろう。
本当、呆気なく俺の人生幕切れだ。
……やば、意識が飛びそう。いや、死ぬんだ。
「死ぬんだったらせめて、飛ばされるなら、原作開始ぐらいが良かったな」
虚ろな瞳を浮かべる俺を見て、負幻想魔は興味を失くしたように目を細め、掴んでいる触手以外全てこちらに狙いが定められる。思っていたより早く、人肉挽肉にされるんだ。
抵抗する気力なんて、もうどこにもない。殺されるなら、さっさと……一息に。
あぁ、嫌だ。
死にたくない。
俺が何よりも嫌な終わり方だ。
あの頃の自分は、どんな形で人生が閉幕しても、いいと思っていた。
でも、今は違うだろ。
好きなキャラクター、作品は全て大団円。ハッピーエンドじゃないと許せないと思った。
それは、俺が生み出したキャラクターも、例外ではない。
こんな形で桐生智也を、死なせたくない。
「ーー死に…たく、ない」
風が掻き消えてしまいそうな言葉が、口から零れる。
糸の切れた操り人形のような俺が、突然言葉を発したことに驚いたのだろう。負幻想魔は悠々と俺の動向を、観察し始める。
死にたくない。
死なせたくない。
生きたい。
生かしたい。
「『生き延びたい!』」
初めて俺と、体の持ち主の感情が一致した瞬間だった……気がする。正直、本物の桐生智也の精神が、何処に行ったのかわからない。だが確かに、互いの心の叫びが共鳴した。
流れる血は足先に垂れ流れ、ビチャビチャと地面に零れる。足元に視線を向けると、あるものが目に映って、思わず笑ってしまった。
俺がおかしくなったと勘違いした負幻想魔は、嬉々として改めて触手を俺に狙い定める。
千切れ落ちてしまうかもしれない右腕を、激痛に耐えながら触手に向ける。
今から此処で逆転するのは、誰から見てもほぼ不可能と思う。俺でもそう思う。
だがしかし、ここで桐生智也の生を閉幕させるつもりは、微塵もない。
終わらせたくない。
この世界に刻み付けたい。
桐生智也の生き様を!
「これが正真正銘、最後のチャンスだ」
足元には、べったりと俺の血が付いたノートがある。幸いにも開かれているページは、俺が描いた歪な印が記されている所だ。
……やけに、頭が冴えてきた気がする。
少し、あることを思い出した。
桐生智也を形作る時に、とある設定を加えていたことを。
あれは桐生智也という名の、俺の分身が誕生して暫くしてからの話だ。
ただ見た目がいいだけの器に、何か設定を加えてから、推しキャラとオリキャラの絵を描こうと思った。その時ふと、今思えば黒歴史に近いある設定を思いついた。
その設定をイラストと共にあげたら、一部相互さんから『いやいや、ダサイでWWW』と返されて、少し恥ずかしかった。でも、今この瞬間その設定を思い出せてよかったと同時に、今からすることに羞恥心が芽生える。
右手を負幻想魔に狙い定め、俺はガサガサになった声で唱えた。
『正と負、生と死、その全てが零に帰す。我が血と繋がれ、我が手足となり従属せよ。さすれば我が魂は契の鎖に縛られ、主として役目を果たすことを誓う。血盟を交わした今この時、我が言葉を聞き届け応召し、御姿を顕現させよ』
最後まで言い切れたかわからない程、中二病全開の長い演唱。だが、確かに言った……筈だ。
最後まで耐えられず、伸ばしていた手がぶらりと下がり、ついに俺は意識を失った。
突然何か唱えて気を失った智也に驚愕していたが、それ以上に智也の足元から放たれる眩い光に、負幻想魔は怯んで思わず智也を落としてしまった。
そのまま地面へと落下していく智也だが、地面に衝突することは無かった。その前に、四本の腕が虫の息の智也を受け止めた。
『これはこれは、我らを召喚したのは、まさか童とはな。なぁ、左の』
『そうね。正直こんな貧弱そうな子が私達を呼ぶなんて、大したことだと思わない、右の』
右と呼ばれたモノは、襟足を借り上げた前髪センター分けの、月のように美しい金髪。夜を切り取ったような黒の衣装をまとい、顔を覆い隠す『月』の紋が記された布面をつけている。
左と呼ばれたモノは、太陽のように美しく伸びた髪を、日の光で作ったかのような金の簪で束ねた橙色の髪。熱砂の国の踊り子が着ていそうな薄い衣装に、『太陽』の紋が記された布面をつけていた。
布面を被っているせいで、二体の表情はわからない。が、何故だろう。二体とも面白そうに笑っていると、布越しからわかってしまう。
何処からともなく現れた存在に、負幻想魔は怯んでみせる。しかし獲物が他者の手に渡っていることに、その怒りを表すように全ての触手が、容赦なく智也と呼び出された二体に襲い掛かる。
一本の触手が智也に届きそうになったその時、赤き炎が触手を襲った。
突然燃え出した触手に、負幻想魔は苦痛の鳴き声を上げる。消そうと触手を振り回すが、消えるどころか炎はどんどん大きくなり、負幻想魔の体を燃やす。
『ギャアアァァァァァアアアアアアアアアアア!!!』
負幻想魔に憑かれていた昭英も、炎の熱と肌の焼ける痛みに、その場で暴れながら絶叫する。ジタバタと暴れまわる負幻想魔と昭英に、左の者はクスクスと口元に手を当てて笑う。
『まぁ、随分と弱いですわね。この程度の炎に耐えられないなんて、所詮下級。私達に遠く及ばないわ』
消える事のない炎に苦しめられながらも、戦意損失しつつある負幻想魔と違い、昭英は火達磨になりながらも智也へと手を伸ばす。
『トオオォォォモオオォォォナアアァァァリイイィィィ!!!!』
往生際の悪い昭英の智也に対する執着心は、炎に身を包まれながらも、消えること無い。逆により一層智也をこの手で壊そうと、ゾンビのような呻き声を上げながら、智也達へと突進する。その姿に右の者は、智也を左の者へ預け、昭英に向けて片腕を伸ばす。
その瞬間、昭英の足元に光り輝く円陣が浮かび上がる。六芒星に三日月の模様、円の周りに読むことが不可能な文字が書かれている。そこから無数の光の腕が伸び、理性を失い狂人と化した昭英に纏わり掴み、昭英の動きを封じ込める。
突然現れた謎の手に、昭英は更に憤り、何度も耳鳴りのような声で智也の名を呼ぶ。
あまりにも滑稽な姿に見えたのだろう。右の者は笑い声を溢し、ニヒルな笑顔を浮かべる。
『我らを召喚し者に大層御執心の様だが、もう人の皮を被った穢れ者には、触れ指すことは出来ない。せめての救いだ。人の形のまま葬ってやろう』
その言葉と共に、昭英は光の腕に引っ張られ、円陣の中へと飲み込まれていく。
流石に状況を察したのだろう、最後のその時まで絶望に歪めた顔で、嫌だと泣き喚きながら足掻いていた。しかし空しいことに叶わず、昭英は智也に手を伸ばしながら消えて行った。
憑いていた昭英がいなくなり、瀕死状態の負幻想魔は最後の抵抗なのか、液状化している触手を左の者へ投げる。視界の端でそれを確認し、ひらりと触手を交わし、無言で指を鳴らす。瞬間、負幻想魔は爆散し散って消えた。
先程までいた昭英と負幻想魔は、跡形もなく消された。残された右の者と左の者は、近くの木に寄り掛かり、いつ死んでもおかしくない智也を見つめる。そしてお互いの顔を見合う。
『こやつ如何すべきだろうか、左の』
『そうね。このまま放置したら近くに獣の餌になるし、治療して人里近くに置く?』
『そうだな。それにこの童に聞きたいことがあるからな。何故人の子が我ら零級の負幻想魔を呼べたのか』
右の者は智也に手を翳し、ベールような光の膜が智也を包む。みるみるうちに掠り傷から致命傷に近しい傷、すべての怪我が跡形もなく塞がる。更に変な方向に曲がっていた手足も、骨が治ったおかげで正常な向きになる。
全ての傷が消えたからなのか、眠る智也の表情はどこか穏やかだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
誤字脱字等ございましたら、ご報告して下さると大変ありがたいです。
コメント大歓迎ですが、誹謗中傷はお控えください。