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ep.0 絶望の淵に光を握りしめて

 足元に広がる鮮やかな紅色の液体。

 温もりの感じない重たい肉塊。

 周囲に広がる鼻が曲がりそうな、血生臭さと腐敗臭。

 そして己の手や服には、べたりと着いた赤茶色の血痕。

 何度新品の石鹸で綺麗に洗い流しても、こびり付いたその匂いと感触は、決して消えることは無かった。

 以前の平和で色鮮やかな明媚な世界は、今では真っ赤に染まった苛烈な世界へと変貌した。

 笑いの絶えることのなかった青春を謳歌した訓練生の頃と比べると、今では世界中に氾濫した負の感情を鎮静させる為に、休む暇もなく戦場に駆り出される。

 何度も祓っても絶えることなく負の化身体・負幻想魔(ネガファンム)は襲い掛かってくる。祓い終わって流れ込む負の感情が、嫌でも脳裏に流れ込んでくる。その全てが恐怖や憎悪、焦燥感に絶望。他者に対する思いやりの欠片もない。ただ自分さえよければいいと、人間の浅ましい感情が知りたくなくても良くわかる。

 受け止めてしまった誰かの感情を、誰かに吐き出すことは、決して許されないことだった。ただひたすら飲み込み、噛みしめて次の戦いの糧にするしかなかった。

 今まで世の為に人々の安寧な日々を守る為に、汗滲む辛い訓練を仲間達と共に、強くなる為に能力向上の特訓の日々。だがそこに苦は感じることはなく、ボロボロになりながらもそれが楽しかった。

 共に高め合ったり欠点を補ったり、長所を更に向上させたりと、強くなっていく実感に歓喜した。強くなったら、困っている人を助けるような英雄になるんだ。そんな話を仲間達とした日々が、太陽の朝日のように眩しく感じる。

 だがそんな淡く優しかった世界は、もうどこにも存在しない。

 思い返してみれば、あの頃が幸せの最高潮だったのだろう。

 こうなると知らなかった頃の能天気な自分に、腹が立って仕方がなくて、今の自分にどうしようもなく虚しく感じた。


『お前の手で、一人でも多く助けを求めている人に手を差し伸べて、助けてやってくれ』


 己の手で殺してしまったかつての同期であり、掛け替えのない親友の言葉。その時の声音と握り締めていた手の体温は、今でも鮮明に思い出せる。残して逝った友人の遺言を守る為に戦い続け、ひたすら負幻想魔を祓い、負召士をこの手で何人も始末してきた。いつからか『冷徹の処刑人』という異名を持った。

 齢二十二歳にして最年少『最高位負祓士』という、全負祓士の誰もが羨ましがるだろう名誉ある肩書きを与えられた。だがその肩書きは自身の首を絞め、世界から縛り付けられた《呪縛》だった。

 昔から憧れていた強さは、何よりも守りたい大切なモノを救えなければ、あってないような無能な力だ。

 失って気がついたときには遅いんだ。

 いつ自分は道を間違えた? 

 判断を誤った? 

 何がいけなかったんだ? 

 どうするのが正解だったのだろう。

 答えを間違うことが無ければ、こんなにも残酷で悲痛な結末を、迎えることは無かったのだろう。

 背中を任せ共に切磋琢磨し合った親友は、謀反を起こし俺の手によって処刑された。

 心配しながらも支えてくれた妹は、大量発生した負幻想獣に喰い殺された。

 共に戦場を駆け抜け命を張って戦った仲間達は、あっけなく目の前で次々に死ぬ。

 最強とは一体なんなのだろうか。だが確かなのは自分に与えられた最強とは、多くの人達の死が積み重なって形作られたモノだ。

 最強なんて格好つけているが、真実を知ればきっと誰もが死神と言うだろう。自分でもそう思うのだからそうだ。そうに違いない。

 本来あるべき最強とは、多くの人達から信用・信頼・尊敬されていて、誰もが気にしない小さなことから大きな所まで救済する。それはかつて最強という称号を背負い、戦い死んだ恩師がそうだった。

 それに比べて今の自分は、その称号に見合う存在であると言えるだろうか。もし自分に問われた時、その問いの答えは『否』だ。

 かつての仲間や恩師が現代最強を見たら、今の自分を見たら幻滅するだろう。

 人望なんて無ければ、慕われてなどいない。ただ淡々と世界を守り動くだけの存在に、使命や希望なんて綺麗事すらない。何も背負っていない小さな背を、誰が追いかけたいと思う。

 誰がそんな変哲のない歯車人間を、慕ってくれるのだろうか。

 自分の周りにいたと思っていた守るべき人達でさえ、指の隙間から零れる水のように、消えて無くなった。

 自分のことで既に手一杯なのだから、他者を思いやる余裕などない。護れないのは必然といってもおかしくない――と、何度も言い訳をして切り捨ててきた。

 あの人が皆を安心させる『希望の光』のような最強であるなら、全てを切り捨て『死臭を放つ処刑人』のような孤独の最強なのだろう。一体誰がそんな奴を“最強”と呼ぶのだろうか。

 背後から聞こえてくる耳障りな悲鳴。いったい、何十、何百回聞いたのだろう。誰かに助けを求める甲高い声。きっと英雄なら……最強ならなんの躊躇いもなく懸命に腕を伸ばしていただろう。届くのかもわからない人を、赤の他人さえも助けるだろう。

「お願い、誰か助けてください!」

「誰でもいい、手を貸してくれないか?」

「死にたくない! 死にたくない!」

「ああぁぁぁあああああああああ」

 聖徳太子は確か、十人の言葉を聞き分けていた耳の良い偉人。その能力は凄いと、子供の頃無邪気にそう思っていた。いざ自分も似たような耳の良さを持ったが、頭が割れそうになる。ノイズが頭の中を搔き乱し、酷く眩暈に襲われる。

 疲れた。息が苦しい。助けに行かなくちゃ。

 面倒くさい。息が詰まりそう。今なら間に合う。

 頭が痛い。息が出来ない。早く行かなくちゃ。

 眩暈がする。息が出来ない。守らなければ。

 頭の中で駆け巡る様々な思考と感情で混濁し、分厚い雲に覆われた灰色の空が霞んで見える。

 覚束ない足取りで一体、何処に向かっているのだろう。足が勝手に動き、歪んだ視界でどこに何があるのかすらわからない。

そんな状態だから、足元にあったただの小石に躓いて、そのまま地面に倒れそうになる。

 瞬間、自分は何処かもわからない水の中に沈んでいた。底が全く見えない、ただ真っ暗な空間だけが広がっていた。口の端からコポコポと空気が漏れ、肺にある僅かな酸素が徐々になくなっていく。けど、そんなこと等もうどうでもよかった。

 大切な人達を失ったその代償に、孤独という名の最強という名を与えられた。自分はそんなものの為に、今まで何もかも耐えて耐えて耐えて、我慢を繰り返してきた訳じゃない。

「最強なんていらない。ただ、願うなら……あの頃に帰りたい」

 孤独は寂しい。

 一人は嫌だ。

 眩しかったあの頃に戻りたい。

 暖かかった陽だまりの下で、友人達と共に笑顔を交わしたい。

 その為なら、最強を捨てても構わない。

 今は懐かしい学生の頃の記憶が、走馬灯のように流れてくる。いや、実際に走馬灯だろう。そこには懐かしい友人達の姿が映っていて、皆が笑顔を浮かべていた。

 最愛の人達と過ごした愛しい日々、それに縋るように手を伸ばした。


「もし、またやり直せるのなら……俺は、おれ、は……」


 そこで、意識が途絶えた。



 拳の中に淡く輝く小さな光を握り締めながら。

読んでいただき、ありがとうございます。

誤字脱字等ございましたら、ご報告して下さると大変ありがたいです。

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