009
竹林を抜けた先に広がるのは、夜の静寂に包まれた小さな廃寺だった。
崩れかけた屋根と、草むした境内。かつては人が住んでいたのだろうが、今はただの廃墟となっている。
「ここなら、しばらくは安全だ」
蓮が境内の奥へと進みながら言う。和真と玲奈も周囲を警戒しながら後を追った。
蓮は無造作に腰を下ろすと、肩の傷口を確認した。血は止まりかけているものの、痛みはまだ残っているようだった。
「手当てしなきゃ……」
玲奈が懐から小さな布を取り出し、水筒の水で湿らせながら傷口に当てる。
「お前、ずいぶん慣れてるな」
和真が思わず呟くと、玲奈は微笑んだ。
「ここで生きていくには、覚えなきゃいけないことが多かったから」
「……」
和真は玲奈が過ごした時間の長さを改めて感じた。
三年前に転移したという蓮。そして、和真よりも先にここで目覚めていた玲奈。二人の間には、自分の知らない時間が確かにあった。
「……お前、戻りたいって気持ちはあるのか?」
ぽつりと和真が尋ねる。
玲奈はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「戻りたいと思ってた。でも……今は分からない」
「……そっか」
和真は何も言えなくなった。玲奈がここで築いた時間と、戻ることへの迷い。それを簡単に否定できるはずがなかった。
一方、蓮はそんな二人のやり取りを静かに聞いていたが、やがて低く呟いた。
「俺は……戻れるなら、戻りたいと思ってる」
和真と玲奈が顔を上げる。
「この世界は、俺たちにとっては異邦だ。ここで生きることはできても、本当の意味で受け入れられるわけじゃない」
蓮はゆっくりと立ち上がり、月を仰いだ。
「だが……この世界に来た理由が分からない限り、戻る方法を見つけたとしても、それが正しい道なのかは分からない」
「……」
その言葉に、和真も玲奈も何も言えなかった。
ただ、彼らの前には、まだ解き明かされぬ謎が広がっている。
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その夜、和真はなかなか寝つけなかった。
蓮の言葉が頭を巡る。
——この世界に来た理由が分からない限り、戻る方法を見つけても、それが正しいのか分からない。
(本当に……俺たちはなぜここに来たんだ?)
懐中時計を手に取る。
光を放っていたはずの時計は、今はただの古びた遺品のように沈黙していた。
その時——
外から、微かに人の気配がした。
「……!」
和真は反射的に身を起こし、玲奈と蓮を揺さぶった。
「誰か来る……!」
二人もすぐに目を覚まし、身を潜める。
草を踏みしめる足音が近づいてくる。
そして——
「……やはり、ここにいたか」
静かな声が、夜の闇を切り裂いた。
和真は息を呑んだ。
そこに立っていたのは——黒鎧の男だった。
「なっ……!」
「逃げても無駄だ。お前たちは、ここで答えを出さねばならない」
剣を構える男。
その背後には、月光に照らされた紋章が刻まれていた。
それは、この時代のどの武士にもない——異世界の者だけが持つ紋章だった。
和真の背筋に、冷たい汗が伝った。
(こいつは……一体何者なんだ……?)
夜風が、静かに吹き抜ける。
次の瞬間、再び運命が動き出した——。