003
和真の胸の奥に、得体の知れない不安が広がっていく。
「玲奈……お前、本気でここで生きていくつもりなのか?」
彼の問いに、玲奈は微かな苦笑を浮かべた。
「……正直に言うと、分からない。でもね、和真くん。私、ここで生きるしかなかったのよ」
「生きるしか……?」
「ここに来た時、私はすぐにこの世界の仕組みに気づいた。でも、言葉も満足に話せなかったし、頼れる人もいなかった。でも運良く、藤原家の姫として迎えられたの」
玲奈はそう言いながら、そっと自分の袖を撫でる。美しい十二単の布地が滑るように指先を流れていく。
「受け入れられるしかなかった……ってことか」
「ええ。でもね、それだけじゃないの」
玲奈の表情が少しだけ険しくなる。
「この世界には、私たち以外にも『異なる者』がいる可能性があるわ」
「異なる者……?」
「私がここに来るより前にも、別の『異邦人』が現れたって話があるの。それが誰なのかは分からない。でも、少なくとも私たちと同じように、現代から来た可能性がある」
和真は息を飲む。まさか、自分たちだけではないのか?
「それって、つまり……戻る方法を知ってる人がいるかもしれないってことか?」
玲奈は小さく頷く。
「ええ、でも、それが味方かどうかは分からない。だから、慎重に動く必要があるの」
和真の頭の中で、混乱と興奮が入り交じる。この時代に来た理由は分からないが、少なくとも帰る可能性があるなら、それを探す価値はある。
「……玲奈、お前は戻りたいのか?」
しばらくの沈黙の後、玲奈はそっと視線を落とした。
「……正直に言えば、和真くんが来るまでは、もう戻れないと思ってた。だから、ここで生きる覚悟を決めていたの。でも、あなたが来たことで……少しだけ、考えが揺らいでいる」
「……そっか」
和真は玲奈の言葉を噛み締める。
「じゃあ、一緒に探そうぜ。戻る方法を」
玲奈は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んだ。
「……ありがとう。でも、簡単にはいかないわよ」
そう言って玲奈が口元に指を当てた瞬間、屋敷の外から慌ただしい足音が響いてきた。
「……誰か来る」
玲奈がすぐに和真の袖を引く。
「和真くん、ここにいることを知られたらまずいわ。隠れて」
和真は急いで屏風の陰に身を潜めた。
しばらくすると、襖が開く音がし、男の声が響いた。
「姫様、お話がございます」
「何かしら?」
「先ほど、城門付近で不審な者が捕えられました。異様な言葉を話し、奇妙な衣服を身につけておりました」
和真の心臓が跳ねる。
「……まさか」
玲奈も鋭い視線を向ける。
「その者はどこに?」
「現在、地下牢にて拘束中でございます」
玲奈は数秒考えた後、静かに答えた。
「分かりました。後ほど私も確認しに行きます」
「かしこまりました」
足音が遠ざかる。和真は息を潜めて玲奈を見ると、彼女も何かを考えているようだった。
「……もう一人の転移者、かもしれない」
玲奈が小さく呟く。
和真の中に、さらに大きな疑問が生まれた。
「この世界には、まだ他にも俺たちのような人間がいるのか……?」