016
記録庫の静寂が、まるで深い湖の底のように重くのしかかっていた。
和真は懐中時計を握ったまま、じっと針の動きを見つめていた。それは今も淡い光を帯びており、まるでこの世界と何かを繋げているかのようだった。
「選択の時は、そう遠くない……」
黒鎧の男の言葉が脳裏にこびりついて離れない。
「……和真くん」
玲奈が静かに口を開く。その瞳には、迷いと決意が入り混じっていた。
「私たちは、本当に……選ばれるべきではなかったの?」
「……」
和真は言葉に詰まった。彼らがこの世界に来たのは偶然ではなく、何かしらの意図があった。その事実は、もう疑いようがない。
しかし、その一方で——
「俺たちがいることで、この世界が歪んでいる」
それもまた、揺るがぬ現実だった。
「くそっ……」
和真は拳を握りしめる。自分たちの存在が、この世界に何をもたらしているのか——それが、まだ分からない。
「……とにかく、ここを出よう」
蓮が冷静に提案する。
「このまま記録庫に長居するのは危険だ。俺たちがここにいたことが知られれば、宮廷内の連中も動き出す」
「……そうね」
玲奈も頷く。
彼らは散らばった書物を元に戻し、静かに記録庫を後にした。
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夜の宮廷を抜け、和真たちは再び廃寺へと戻った。
月明かりの下で、三人は肩で息をつきながら、改めて話し合うことにした。
「整理しよう」
玲奈が静かに言う。
「私たちは、何者かによってこの時代に召喚された。でも、それは本来、一人だけのはずだった……」
「それが、何かの理由で俺たち三人になった」
蓮が続ける。
「そして、それが歴史の歪みを生み、黒鎧の男が“修正”しようとしている」
「でも、俺たちの中の誰かが“本来の神子”で、あとの二人は間違いだったってことなのか?」
和真の問いに、玲奈は静かに首を振った。
「分からないわ。でも、仮にそうだとしても……」
玲奈はぎゅっと手を握る。
「私たちは、ここにいる。それだけは、確かなことよ」
「……」
和真は玲奈の横顔を見つめる。
彼女は強い決意を持っている。過去に何があったとしても、自分がこの世界で生きている事実を、否定するつもりはないのだろう。
「選ぶってことは、つまり……」
蓮が静かに呟く。
「俺たちの中の誰か一人が、この世界に残り、あとの二人は元の世界に戻るってことだ」
「……」
その言葉に、三人の間に沈黙が落ちた。
自分が選ばれなければ、この世界を去ることになる。
それは、果たして救いなのか、それとも……。
「……まだ時間はあるわ」
玲奈がゆっくりと口を開く。
「黒鎧の男は、“選択の時は遠くない”と言っていた。でも、今すぐじゃない」
「なら、どうする?」
和真が尋ねると、玲奈は迷いのない声で答えた。
「私たちがこの世界にいる意味を、もっと探すべきよ。なぜ、私たちがここに呼ばれたのか。なぜ、黒鎧の男は“神子は一人であるべき”だと考えているのか」
「つまり、まだ答えを出すには早いってことか」
「ええ。それに……」
玲奈の瞳が、静かに夜空を映す。
「この世界を変えるべきなのか、元に戻すべきなのか、それを決めるのは、私たち自身のはずよ」
和真は玲奈の言葉を噛み締める。
「……そうだな」
答えを急ぐべきではない。
自分たちが、この世界に来た理由を探すために——彼らは、再び動き出す。
その選択が、未来をどう変えるのかはまだ分からない。
けれど——
夜明けは、すぐそこまで来ていた。