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第三話 カーナンバック自治騎士団三等騎士団員ジョセ・アールバンク

 カチカチと食器にフォークとナイフが当たる音がする。

 食卓に並べられた料理の数々は特段、豪奢と言うわけでは無いが、家政婦が用意してくれた料理の数々は不味いわけでは無かった。

 不味いのは沈黙の方だな。と、ジョセは感じる。

 暫くはその音が続く中、ジョセは食卓を唯一共にしている相手、兄のザック・アールバンクの声を聞く事になった。

「上手くは……やれているみたいだな」

 兄の話は何時もこうだ。幾つか会話の段階を飛ばして話を始める。

 こういう兄にも慣れているので、何のことを言っているのかを予想しつつ話を返す事にする。

「騎士団への入団への件なら……うん。最初は無茶なと思ったけど、けっこう良い感じに出来てる。新しく異動してきた人とはまああれだけどさ」

「ははっ。彼女も特異な才能を持っている。決して役立たずでは無いさ」

「能力の方については、不満は無いよ。本当に」

 それだけ話を交わし、また暫くの沈黙が続いた。ここ最近、兄とはそこまで長々と話をする関係では無い。ただ、こういう沈黙も慣れてしまえば不快では無い。

 ただ、和やかな会話は料理のスパイスになる事も知っているので、その部分だけは不味いと感じる。

 両親を早くから亡くして、歳の離れた兄に頼って生きて来た我が身。兄の事を嫌っても居ないし尊敬もしているが、今はどうにも気安くは出来ない。そんな空気が何時の間にか生まれてしまった。

「お前には苦労させているとは思っている」

「そうかな。大分、楽をさせてくれてるってこっちは思ってる」

 仕事を斡旋して貰って、自分の才能を活かす機会もあった。どこに文句を付けろと言うのだろうか。

「不満が無いなら、それでも良いんだ。ただ……ああ、そうだな。そう言えば、暫く、先生のところには行っていないんじゃないか? 顔を出してやれば喜ぶだろう」

「あー……うん。そうだね。明日は休日だし、行ってみる事にするよ」

「雨が降るという話も聞くし、傘を持って行くと良い」

 また、それだけの会話を交わして、沈黙した食事を続ける。世間には良好と言っている兄弟関係であるが、内から見ればジョセとザックの関係はこんなものであった。




 兄の言う通り、雨が降るカーナンバック。

 その道を、傘を差しながら歩き続けていると、その屋敷に辿り着く。

 石やレンガ造りの家が多いこの街で、珍しい木造の、少し変わった文化圏の意匠が混じる、そんな屋敷がジョセの目の前にあった。

 さて、言う程久しぶりでは無いこの屋敷の門を潜り、扉にノックでもと手を上げた段階で声を掛けられる。

「ジョセか。なんだこんな日まで来る事も無いだろうに」

 戸の内側からでは無く、庭の方から目当ての人物が顔を覗かせていた。

 顔が皺だらけで、白髪一色の翁。そんな老人に顔を向けて、ジョセが話しかける。

「いやぁ、先生。ほら、騎士団員になってからは……まだ三回くらいしか顔を見せて無いじゃないですか」

「四回だ。今回で五回目だな。一年も勤めていないのだから、どう考えたって多いだろうに。ほら、濡れるとなんだ。さっさと入りなさい」

 その老人、シンオウ・ライザンの言葉を聞いて辞儀をした後、ジョセは屋敷へと入る。

 扉の内側には、やはり普通の家とは違う、木造の落ち着いた雰囲気の空間が広がる。

 畳と言うらしいこれまた珍しいタイプの足場に、靴を脱いで上がらないと行けないのは少々面倒であったが、その感触は好ましいものだ。

 頻繁に来ているというのに、何度も懐かしさみたいなのを感じるのは、実に良い雰囲気を作り出せているのだとジョセは思う。

「先生の趣味については、良い趣味だと思いますよ、僕」

「ま、外国趣味というのはな、やっておいて損は無いが、出費もデカいぞ。お前の兄が定期的に仕送りなんぞ送ってくれなければ出来ない趣味だな」

 庭から屋敷の中へ戻って来たらしいシンオウがまた顔を見せて来る。この屋敷はあちこちに出入り出来る空間があり、そこは便利で良いと思う。不用心と言えばその通りではあるものの。

「っていうか、仕送りを兄さんが? やっぱりマメだな、あの人」

 ジョセと兄のザックは、この老人、シンオウの弟子に当たる。親が早くから死んでよりは、親代わりでもあり、そうして、剣の師でもあった。

「まぁ、自分がなかなか足を運べない代わりに弟の方に良く来る様に促して来る不義理を、それで帳消ししていると思えば、遠慮も無いな。で、今度は何でギクシャクして、私の話題を食卓で出したんだ、あの男は」

 師や親代わりであるだけあって、シンオウからはアールバンク家の動向についていろいろとお見通しらしい。

 故にジョセにしたって気安さがあった。

「ここ最近の理由は、いっつも僕が騎士団に入団した事ですよ。わざわざ僕を入団させておいて、どこか後ろめたさがあるんだ」

「お前の方はどうなんだ? ジョゼ」

「僕ですか? 僕の方は何時も通りです。特に思う事も無いし、むしろ生活していくための仕事を貰えたし、友人も出来た。職場には苦手だったり嫌な奴が居たりもするけど、そういうのも含めて、良い事だって思うものでしょう?」

「だろうな。しかしなら、どうしてお前までぎこちないんだ?」

「それは……」

 ジョセが言い淀んでいる内に、シンオウはこの畳の部屋に座布団というクッションを持ち出して来て、そこに座る。

 生まれも育ちもこのカーナンバックであるこの師であるが、その仕草が馴染んでいるのを見て、彼の趣味も極まって来ているなと思う。

「兄弟仲と言う奴は、結構気安いものだ。関係性が特殊であろうとも、どちらかが気兼ねしなければ、すぐに仲が戻る類のな。で、ジョセ。お前は最近、兄の何に苦手意識を持った?」

「本当、敵いませんよ。先生には」

 既に用意されたジョセのための座布団に座り、ジョセも長話を始める事にした。

「なんだろう。僕の剣の技能って、そこまで何ですかね」

「言わせて貰えば、私の教え子達の中では際立っているな。際立ち過ぎて、他が無い。危ういよお前は。何時も思う。時々、自分にはこれだけだと思う時があるだろう?」

「まあ……はい。剣しかないんだって、僕は思ってる。剣にすべて捧げたいとすら思う事もあります。そうして、兄さんがそれを頼ってくれた時、正直、嬉しかった」

 騎士団において、ジョセの剣の才能が必要だ。だから正規の方法で無くとも入団させる。そんな選択をしてくれた事は嬉しかった。嬉しかったのだが……。

「どこかで思うんですよ。本当に、実の兄弟ですら、僕の価値はそこなんだなって」

 別に実際はそうでも無いかもしれないが、頭を過ぎってしまって、兄弟仲がギクシャクいる。

 そんなジョセの様子を見て、シンオウは笑って来た。

「諦めろ。人間、そんなもんだ。自分の全部を認めて貰おうなんて上手い話は無いし、自分の全部が他人に好かれる部分で出来てるわけでも無いだろう」

「言いますよね、先生って。そりゃあ、自分が鈍くさい部分なんて、自分でも嫌になるから……そうか。そりゃあ仕方ないか。とりあえず、剣の腕だけは鈍らない様にしないと」

「ああそうだな、ジョセ。お前の剣の腕だけは、一級品だ。ザックなんぞは騎士団長としては器用に出来ているが、うちの教え子としては半人前も半人前だ。お前くらいだよ。私の剣を受け継いでくれているのは」

 兄があまりここへ足を運ばない理由の一つだ。兄の方は、ここで剣の技能を修め切る前に、自治騎士団員として出世していく事に全力を注ぐ様になった。

 それが兄なりの後ろめたさ。他者に対する劣等感になっている。そんなところだろうか。

「先生と話していると、悩んでた部分が馬鹿らしい話に思えて来るから、結構便利ですよね」

「なんだ老い先短い爺さんを差して便利とは、まったく。で、どうする。今日も剣の稽古をしていくか」

「はい。そりゃあ勿論」

 別に親代わりだった老人の顔をただ見に来たわけでは無い。この老人はジョセにとっての剣の師なのだ。

 ここに来るというのは、すなわち剣の訓練をするという事でもあった。

「良いぞ。ジョセ。剣に対しては、お前は素直だし率直だ。向き合っている限り、お前の心配なんぞ些細なもんだろう。若人よ、剣を振るえという奴だな」

「なんですか、それ」

「世界は広くなったし、老いぼれから教わる剣の技能は経歴書のネタにしたかならんかもしれんが……だからこそ、剣を振るう事に価値はある。余計な価値がそぎ落とされたからこそ、見えて来る物がある。そうは思わんか?」

「先生って、時々、妙な哲学語り始める事がありますよね。歳重ねてる証拠ですよ」

「言っておけ」

 シンオウと話をしながら、壁に掛けられている木刀を互いに手に取る。

 畳が敷かれたこの部屋は、この屋敷の稽古場である。ただひたすらに、剣を振るうためだけに用意された、そんな部屋で、これまで数え切れないくらいに行って来た、剣の稽古を今日も始める事にする。




 雨が降り続いている。

 それほど激しい雨では無く、ほぼ霧雨程度になる時もあるが、一週間程、こんな天気が続くらしい。

 ただ、屋根のある場所に居ればそんな雨の日々も悪くは無い。雨の音だって心地良いとすら感じる。

 まあ、それは、本来濡れる様な日に、自分が安全圏に居る事を確認出来る事への安堵かもしれな———

「ジョセ・あーーーーーるばんくーーーー。何を余所見しているーーー?」

「ちょっと心の中に思った事を訂正してたところです。はい」

 ここは全然安全圏では無いとジョセは思い直す。

 上司のオットーが居るこの特殊犯罪対策室は、ジョセにとって胃がちょっとだけ痛くなる様な場所であった。

「心のお中では、ちゃんと反省をしているのかー? 報告書もまともに書けんのは諦めつつあるが、なんだこの請求書はー?」

「えっと……ペンのインクが不足しているって話を聞いて、補充用のインクを発注してみたんですが……」

「補充用のインクが……十本分もかぁ?」

「いえ、違うんですよ。注文する会話の最中に、注文したのはインクだったけ? ペンの方だったっけ? と急に不安になり、いっそ、ああそうだペンの方だったっけと十本程頼んだら、何故かインクが十本分届いたというか……これってかなりアクロバティックな間違い方だと思いませんか? 数字を間違えたわけじゃないんですよ」

「そんなアクロバティックな失敗を見せつけられる私の立場を考えた事があるのか! どうするんだこのインク! 特殊犯罪対策室が十年は続かなければ使い切れんぞ!」

「が、頑張ります!」

「頑張るな! お前はこれ以上頑張るんじゃない! むしろじっとして、石像の如く突っ立っているだけで良い!」

「は、はぁ……」

 それはそれでとても辛い事があるため、今度はまた別の仕事で貢献して行こうと心に決めるジョセ。

 そんなオットーとジョセのやり取りをじっと見ている視線に気が付き、そちらに目を向ける。

 分かり切った事であるが、胃が痛くなる原因の一人、アレクシアスがこちらを見つめて居た。

「あれだねぇ、ジョセ君。本当に君は剣の腕以外は駄目駄目なのだねぇ」

「いや、剣以外にも得意な物はあるはずだし。きっと、まだ見つけられてないけど、何かあるんだよ。書類整理の仕事とか」

「整理かい?」

 と、アレクシアスはジョセのデスクの上を覗き込んで来る。

 別に汚しているわけでは無いが、オットーからは、もう少し書類や物品の配置について法則性を見出してみろと言われるカオスがそこにあるらしい。ジョセにはさっぱり分からないものの。

「あーはいはい。僕はね、何やっても不器用なんでね。あーあー。ここで事件でも起きないかなー!」

「一騎士団員として、その発言は受け入れられんぞジョセ・アールバンク。もっとも、ここ最近は平穏が続いているので、嫌な予感がするがな」

「おや、オットー室長は平穏平和が嫌いかい?」

 アレクシアスの興味はオットーの方に向かったらしい。アレクシアスがこちらをじろじろ見て来るのを一旦止めてくれたので有難い限りだ。

「別に、我々の仕事が無いというのは、とても良い事だと思うがね。ただ、世の中が変わったわけでは無い以上、どこかで事件は起きるのだろうと思えてしまう。帳尻合わせの様に……ほら来た」

 オットーの言葉と共に、特殊犯罪対策室の扉が勢い良く開いた。

 こういう風に扉を開いてくるのは、構成員の中ではミリアくらいだろう。

 彼女は挨拶すらも省略して、オットーの方へ詰め寄って行く。

「室長! 事件が起きました。至急、私達対策室も捜査に参加できる様に根回ししていただけませんか!」

「おいおい随分と威勢が良いなミリア君。君がそうまで言う以上、何か理由があるんだろうが、それより前に事情を話して欲しいと私は思うぞ」

「殺人事件です。しかもかなり特異な状況の。私達の仕事になりそうな理由を幾つか、メモ用紙ですみませんでしたが羅列してみました。これを見て判断してください。私の方はまたすぐに現場に戻るつもりですので」

「ほう。それは……ふむ。刃傷沙汰か。最近では珍しいが……傷口がおかしい?」

「詳しく説明してると長くなりそうで。ジョセも連れて行って良いですか?」

 瞬く間に話が進んでいる。ジョセなんかはそんな風にしか思えなかったのであるが、何時の間にかミリアと同行する事になりそうである。

「簡易な捜査協力なら後からでも調整は出来る。行って来ると良い。それ以上ともなると、私も詳しく知る必要があるから、現時点ではあまり踏み込まない様にな」

 渡されたメモ用紙を指に挟みつつ、オットーが捜査の許可を出している。となると、ジョセにとっても急ぎの用事になってきた。デスクから立ち上がり、オットーのお叱りから逃げ出すチャンスだ。

「場所は? 街のどこあたり?」

「飛空艇場の近くよ。ここからだとちょっと時間が掛かるから、馬車を待たせてる」

「なるほどー。そういう事ならワタシも同行しよう。歩きじゃ疲れるから遠慮したいところだったけどねぇ」

 と、意外な事にアレクシアスも自分のデスクから立って付いてくると言って来た。正直、こっちは朗報でも何でもない。そもそも事件の報告自体が朗報では無いのであるが。

「アレクシアスさんが必要な事件……かどうかはまだ分かってませんけれど」

「ミリア君や、そこのジョセ君だってする仕事だろう? なら、ワタシが居たら役立つ可能性は高いと思うよ」

「自信満々で何でそういう事言えるかなぁ……」

 事件の捜査に関しても、なんだかんだ面倒になりそうだ。

 憂鬱な雨の日が続く中、ジョセはどうにもそんな予感を覚えていた。




 カーナンバック飛空艇場はカーナンバックの街の外縁部にある広大な土地を使って作られている。

 飛行石と呼ばれる特殊な鉱物を用いて航空する飛空艇は、その鉱石の量や質、種類に寄って性能が決まり、飛行石自体も小さいものでは無いため、必然的に巨大な物になる。

 そんな大きな飛空艇が日に幾つも往来する場所である以上、その土地の範囲は大規模な物となる。

 飛空艇場近隣で事件が起こったとの事であるが、その近隣の範囲が広いため、馬車での移動は有難い物であった。

「あの空を飛ぶ飛空艇こそ、魔法の技術の結晶だとは思わないかい? 構造材の補強に飛行石の性質を推進力へと変えるシステム。それらは魔法に寄って実現している。これから、そんな魔法を用いた時代がさらに加速するだろう。時代は変わって行く。そう感じさせるのがあの飛空艇だとワタシは考えて居てね」

 馬車での移動は有難い物であるのだが、同行しているアレクシアスの話を聞き流し続けなければならないというのは問題だなとジョセは思っている。

「そもそも、あれだけの物体を何故空へ飛ばそうとしたのか。それは飛行石の発見も勿論あるが、魔法技術の発展も絡んで来る。それがどういう変遷を辿るか、君は知っているかな?」

「あ、話、終わりました?」

「終わっていないよ! まだまだ佳境と言うところさ!」

 なるほど。じゃあさらに外の景色を眺めてぼーっとする時間が続くというわけだ。

 どうせ理解出来ぬ話であるし、意識の外に置く事が大切だというのが、ジョセが導き出した結論である。むしろ断じて聞いてなるものかという強い意志だってあるわけだし。

「はいはい、二人とも。楽しい会話の最中に申し訳ないけれど、目当ての場所に着いたわよ」

「全然楽しくは無かったけど、漸くかぁ」

 伸びをしながら、馬車の扉を開ける。アレクシアスの方は何やら持ってきた荷物をごそごそと探っているが、ジョセとミリアは早々に現場へと向かう。

 騎士団員達が事件現場を一般人から隔離するために敷かれたロープを跨ぎ、何名かの騎士団員の視線に対して、自分達も騎士団員である旨の腕章を見せつつ、そこへ辿り着く。

「うっ……まだ死体が残ったままじゃないか」

「あら、あなた、こういうの苦手?」

「好ましいって人も少ないんじゃあ……せめて布を被せるとかさぁ」

 飛空艇場の周囲をぐるりと囲む道。そこの脇に、その死体は存在していた。

 死後それほど経ってはいないからだろうが、それを抜きにしても、意外に綺麗な死体と言える。

 ただ、顔の色と驚愕した表情のまま固まっている顔。そうして、胸元に深々と残る切り傷を見れば、それが間違いなく死体である事は分かる。壮年の男の死体だ。

「まだ発見されたばかりでバタバタしてるんでしょうね。それとここだと人通りも少ないし、そもそもこの死体についてを捜査するなら、見える形にしておかなきゃでしょ? 切り傷の方を」

 確かに、それを見れば、この事件は特殊犯罪対策室の仕事になりそうな、そんな予感がしてくる。

「傷が……切り傷ではあるけどちぐはぐだね」

「そう。こう……鋭い刃物でばっさりって感じだけれど、傷口が途中で無くなって、ほら、またさっきの続きみたいに傷口が開いてる。何かしらこれ? どういう武器を使ったらこうなるの?」

「使ったのは、剣かそれくらいの長さのある刃物だよ。ただちゃんと研がれて切れ味を落としてないのは確か」

 ジョセはミリアの疑問にそう答えて、やはり苦手であるが死体の傷口を見つめる。

「ジョセ、あなた、やっぱりこの傷口が何なのか分かってるのね?」

「うん? あ……そうだね。なんとなくは分かるよ。予想通りかって言われると、途端に不安になるけど、多分、そうだと思う」

「そうだと思うって、どういう事か詳しく聞かせてくれる?」

 ミリアに言われて、ジョセが彼女に呼ばれた理由が分かった。この傷口についての検分をさせたかったのだ。

 だからジョセは少し現場を離れる様に促す。他の騎士団員に余計な心配を与えないためだ。

 そうしてジョセは腰に下げた騎士剣を抜いた。

「こっちも手入れを欠かしてないから、出来ると思う」

「出来るって……何を?」

「そうだなぁ、ここに丁度、一本の細木があるだろう?」

「景観用のでしょう? え、ちょっとやだ。何する気?」

「いっぱいあるから、一本くらいはこういう風に試したって良いかな……って」

 道の端に何本か植えられていた細木の内一本に、ジョセは手に持った剣を振るった。

 剣はするりと木の生える軌道を通り過ぎ、木はそのまま切り裂かれた上半分がズレ落ちて……来なかった。

「ちょっとちょっと、こういう公共物を傷つけるなんて騎士団員がやって良いと思ってるの?」

「傷、付いてるかな?」

「そりゃあ、斬った部分は落ちてないけど、実際に剣は……あら? 無いわね、傷口」

「だろう? そういう風に斬ったから、無事のはずだ」

 実際、剣が通り過ぎたはずの木は無事のままそこに立っている。傷口だって残っていない。つまり誰かがばらさなければ公共物を騎士団員が破壊しようとしたなどという風聞は立たないはずだ。

「物ってさ、破壊されるから壊れるんだよ」

「急に何当たり前の事言ってるの? 剣を振った時ってそうなりがち?」

「いや、違うから。ちゃんと今、起こった現象への説明だから。つまりだね、こう、斬ったり溶かしたりっていうのも、元の形から崩す事を言うわけだろう? 元と離れるから傷だって出来るし、深いと致命傷になる。なら逆に、あまりにも鋭い斬撃で、元の形を保つ様に剣を振るえばどうなるか?」

 答えは目の前の木であり、さっきの死体だ。

「剣の斬撃による破壊を逃れた部分は、元のままになるって事?」

「その通り。ただ人体の場合は柔らかくて、そもそも動くから、そう上手くは行かないんだ」

「なるほど……だからあの死体には傷口がちぐはぐなのね。この木みたいに元に戻った部分と戻らなかった部分がある」

「もっと重要な情報があるよ」

 言いつつ、ジョセは自分が斬ったはずの木の幹に触れてなぞる。

「これが出来るっていうのは、相当な腕がなきゃ無理だ。あの男性を殺害した犯人は、間違いなく剣の達人だろう」

「あなたみたいな?」

「んー……まあ、そうだね。そうなるか」

 ただ、ジョセにあんな男性を斬った憶えは無いため、別人であろう事が濃厚だ。疑われたらどう言い訳しようか困るものの。

「それだけではないよ諸君!」

 煩い声が聞こえて来た。言動だって煩いアレクシアスの声だ。煩いなこいつという視線を向けてみるものの、彼女はうんうん分かってる分かってるという風に頷きながら、ずけずけとジョセへ近づいて来た。

「アレクシアスさん! アレクシアスさんも何か、分かった事があるんでしょうか?」

 彼女の様子を歓迎しているらしいミリアであるが、いったい何の部分で相性が良いのかジョセはつくづく疑問を覚えている。

「ふっ。さっきまでの話に関わる物さ! ジョセ君。君は鋭い斬撃なら斬った場所に傷口を残さない斬り方が出来ると言っていたが、馬鹿も休み休み言いたまえ! そんなの普通、出来るわけないだろう! 馬鹿なのかね!?」

「馬鹿なって言われても実際出来てるし」

「その通り、出来てる! そんな馬鹿な! こんな事があるものか! つまりこれは……通常の法則とは違う現象が起きているという事さ! つまり……君の剣は魔法を使った。そういう事になる」

 アレクシアスはジョセが剣を振るった細木に近づき、本来そこに傷が付くべき、無事のままの部分を手でなぞる。

「ジョセ、魔法使える?」

 ミリアの当たり前の疑問に対して、ジョセは首を横に振る事で答える。

「そんな訳無いだろう。そんな器用な事出来るなら、もっとこう……違う生き方が出来てる」

「無論、一般的な用法における、魔法を使うとは違う意味さ。こういう風なのとはね」

 アレクシアスが木の幹をなぞると、それに合わせ、ひっかき傷がそこに生まれる。爪で傷付けたわけでは無いだろう。彼女が発生させた魔法だ。

「魔法とは、以前にも言ったが一般法則とは違う結果をもたらす異質な法則の事だ。それを解き明かし、一般にも使える様にした物も魔法と呼ぶためややこしい話になるが、君が使っているのは、そもそも前者の魔法だと言えるね」

「ただ剣を鋭く振る事が、異質な結果をもたらしてるって?」

「それだけじゃあ無いさ。ジョセ君。君を見ていて分かって来た事だが、君はあれだね。剣とそれを扱う技能に対して、並々ならぬ思いを抱いているだろう?」

「まあ……多少は?」

 自分にとって剣は何かと自分に問えば、人生そのものであるとは答えられるだろう。自分にはこれしかない。これっきりだ。以前、師にもそれを受け入れろとまで言われたばかりである。

「そこだよ。剣に掛ける思い。そうして実際に引き起こす、常人では不可能な速度の斬撃。それらが混ざり合う事で、まさに魔法と呼べる現象が起こる。それが、傷口の残らぬ斬撃の正体だと、ワタシは考察している」

「そんな熱意が形になるみたいな話……」

「どうして無いと思うのかな? これは歴とした事実なのだよ? 魔法の、その本質は思いだ。こうしよう。ああしたいという思い事が、世界に変化をもたらす力になる。変化の方向性は、そのまま、魔法の力、魔力となる」

 アレクシアスにそう言われても、はいそうですかと納得出来るものでは無かった。だいたいアレクシアスが何を語ったとしても怪しい詐欺紛いの言葉に決まっているのだ。ジョセはそう思う事にしている。

 ミリアの方は……そうでは無さそうだったが。

「話を戻しますけど、問題はあの死体の傷口についてですよね? ジョセとアレクシアスさんの話を統合すると、犯人は剣かそれに類する刃物に関して、相当の腕を持ち、さらには並々ならぬ思いを抱いていると……そういう事ですか?」

「まあそれをあえて受け入れるとして、とりあえず仮の話ではあるけど、犯人、絞り込めそうな話にはなるのか……」

 アレクシアスの言う事はともかく、ミリアの仮定は信用しているジョセ。彼女の捜査力については並のそれでは無い事を実感していた。

「そうね。ここらを歩く可能性のある人間すべてを調べ上げるより、大分マシな状況だけれど、やっぱりそれ以上を調べてみたくはあるわ……」

「おっと、それは室長によりまだ止めとく様に言われているだろう? 実際さっき、ワタシがあの死体をしげしげ見ていると、他の騎士団員から露骨に嫌な顔をされたしねぇ?」

 アレクシアスの存在そのものにも問題があるのだろうが、ジョセ達特殊犯罪対策室が良い印象を持たれていないのはあるのだろう。

 既に組織としての成果は出始めている部分はあるのだが、あくまで新参連中。由緒やら伝統やらがある部署から見れば、仕事を勝手に取って行くいけ好かない連中と思われても仕方あるまい。

「正式な捜査が出来る様になるまで、どれくらい掛かりそうかな?」

「明日か明後日か……そう先の事じゃあないはず。どう見てもあの死体って、まともな物じゃあないから、うちが捜査に入り込む余地があるもの……けど、さっきの予想の話にはなるけど……」

「剣の腕があって思い入れがある輩が人を殺した。それってつまり、それそのものが目的かもしれないってわけか。またやるかな、犯人」

 ジョセは尋ねるものの、ミリアは沈黙で返して来た。

 その意味が分からぬジョセでは無い。返答に窮しているが、ジョセの問いかけは肯定されたのである。




 雨が降り続いている。小雨程度の雨であるが、傘が無いまま長時間出歩けば、ずぶ濡れになってしまうであろうそんな雨。

 事実、自分の服はすっかり濡れて、足が重い。一歩進む毎にずるずると肌に、足に貼り付く服が鬱陶しい。

 苛立ちが心に募って行くのは、この雨が原因である事が第一。そうして次に、先日、斬り殺した相手が中途半端な輩であった事もあるだろう。

 随分と立派な身なりと体格をしていたが、実際に向き合った時はがっかりだった。あの様に、あっさりと終わってしまうとは……。

 あの程度は我慢できない。落ち着かない。そんな気分のまま、雨降る街を傘も差さずに歩いている。

 丁度良い気候ではある。雨の日の人通りは少なく、雨そのものが他者の視界の範囲を狭めてくれる。

 暫くはこんな雨が続くらしい。だとすればやはり好都合だ。次さえ探せば、すぐに始められる、そんな天候だと言う事。

 だから雨が降る間は探さなければならない。自分が望む。次の相手を。

「……」

 立ち止まる。雨が地面にぶつかる音の他に、足音が聞こえたのだ。

 自分の足音では無い。ただの足音でも無い。その足運び、軽さ、踏み込み具合。それらははっきりと分かる程に、自分が望む相手のそれであった。

「……」

 周囲を見渡す。大通りでは無い。他に人の気配は無い。自分の行動を止める理由が無い。

 走り出した。足音の方へと。距離はすぐに詰める事が出来た。

 そうして、自らの欲望に従い、行動を始めたのである。




「駄目ね。全然駄目。昨日の事件だけど、室長曰く、正式な捜査許可が出るのには、予想より時間が掛かるみたい」

 特殊犯罪対策室に、珍しくミリアの溜息が聞こえて来た。

 いつもやる気に満ち溢れている彼女であるが、どうしようも無い時はこういう風になるのだなと、ジョセは新鮮な気持ちになる。

 もっとも、その感想だけ抱えて放置も出来ないので口を開く事にする。

「なんかその、室長って実は人付き合いが下手だったりするのかな?」

「それは無いと思うけど……っていうかあれよ。やっぱり周囲から良く思われてないみたい」

「室長が?」

 確かにあの仏頂面は見る人間に威圧感を与えて来る顔だろう。

「私達が、よ。特殊犯罪対策室が。今回に限っても、起こってるのは通常の殺人事件だって殺傷事件課の団員達が協力を渋ってるみたいなの」

 なんとも、属している立場ごと嫌われているというのも新鮮だ。騎士団員になる前は、立場ごとなんだこいつ程度にしか思われていなかったのに。

「ワタシ達はまったくの少数だからねぇ。何かするにしても、他の集団の手を借りなければならない。そうして解決はこちらともなれば、美味しいところだけ持って行っていると思われても仕方あるまい」

「アレクシアスさんまでそう言って! 私達、特に私は、全然立場に胡坐をかいているつもりは無いんですけど!」

「ワタシだってそうさ。だが、周囲はそう思わないから、室長が今、各所を走り回っているのだろう?」

 アレクシアスに窘められるミリアというのも、やはり珍しいとジョセは思う。そうして、室長が基本的にこの部屋に居ない事も珍しく嬉しい事態だと思う。聞く限りにおいては大変そうにしているらしいが。

「実際、不思議な事が起こっていない事件と言われればその通りなんじゃないかな。剣の腕が凄い相手ってだけでさ」

 とりあえず、自分なりの意見も言葉にしておく。黙っていたら黙っていたで、何か言って来られそうな雰囲気だ。

「ああいう傷口は、全然普通じゃないけど……剣の腕だけでそうなっているっていうのなら、そういう理屈で押される可能性はあるわね」

「そうそう。僕がやってもああなる時が……いや、僕は別にそんな事しないよ? 他人様を無意味に傷つけたりとか、全然しないから。うん」

「別にそんな風に疑っているわけじゃあないけれど……そういえば、腕が立つって、どの程度でそうなの? ああいう現象って、剣を鍛えてたら自然と出来るもの?」

「おっと、それはワタシも興味があるね。そもそも異動届を出してここに来たのも、君の剣について気になるところがあるからだ」

 言葉を発しても、何かを言って来られてしまう。しかも焦れったい時間の暇潰し目的で。

「不思議な事っていうか……これ、何だか普通じゃあないなって事は、生半可な状況じゃあ起こらないよ。上手く剣を振れた程度なら、絶対に起きないって言える」

「ほうほう。つまり、常識外れの結果を引き起こす時、単純な腕とは別の要因があるわけだ。続けて?」

「別にあなたに聞かせたくて話してるわけじゃないんだけどなぁ。まあ、腕以外の部分に何かあるっていうのは事実なんだよ。こう……剣があるだろう? その剣と自分が一体になった? その剣を含めての心持ちになった時、もっと何か出来るぞ? みたいな気分になるんだ。分かる?」

 聞いてみるものの、聞く二人は二人とも首を傾げて来た。

「ごめんなさいジョセ。あなたが話をするのが苦手だった事、今、思い出した」

「可哀そうな人を見る目で僕を見るなよー! 話す事くらいはさすがに得意不得意無いよ僕は!」

 無いよね? と目線で尋ねて見るが、微妙に視線を外される。かなりショックだ。このまま気分が悪くなりましたと有給休暇でも取ってやろうかと考えたタイミングで、部屋の扉が開かれた。

「雑談の最中に悪いが、また事件があった。すぐに向かってくれ」

 本当に間が悪い事に、上司のオットー室長が部屋に入って来るなり、そんな事を言って来た。

「事件って、昨日の事件とは別の事件を捜査しろって命令が来たんですか?」

 ミリアが真っ先に尋ねるものの、オットー室長は首を横に振った。

「いいや、恐らくは同じ犯人だ。それでしかも、うちにまだ仕事は回って来ない。世の中複雑になってきているせいで騎士団が後手になっていると思っていたが、組織内のいざこざにも原因があるのだろうなと痛感しているところだ」

 オットー室長はジョセから見ても疲れた表情をしていた。目の下の隈は暫く眠れて居ない事を意味しているのだろう。

「けど、捜査の許可が出てないのなら、昨日と同じく碌な事を調べられませんよ」

 ジョセが口を挟んでみると、オットー室長はあからさまに不愉快そうな表情を浮かべるも、それはジョセの言葉に寄るものではあるまい。

「今回は何か掴んで来い。こっちはそれを材料に捜査権を絶対に引っ張って来てやる。意味が分かるか?」

 ジョセには分からない。だが、ミリアの方は分かったらしい。彼女が外出するための荷物を纏める音が聞こえて来た。

「場所はどこでしょう。また郊外近くだったり?」

「街中だ。この雨のせいで外出する人間が少なかった事が仇になったな。今日からはもっと少なくなるだろうよ」

 これで二人目だ。三人目が自分にならないとも限らない。想像力が多少なりとも豊かなら、凶悪な殺人鬼の刃が自身を狙っている可能性について、頭を過ぎらない事は無いだろう。

 そうして、人の少なくなった街の通りには、その殺人鬼に丁度良い暗がりが広がる。人の目という光の無い場所が。

「厄介だねぇ。これでもう完全に殺人鬼が街をうろついているって事になるわけだ。自治騎士団は何をしているって文句がどんどん膨れ上がるだろう」

 そう言うアレクシアスの方は立つ気配は無かった。今回の付き添いは無しと言ったところか。未だ正式な捜査になっていないのだから文句も言えない。

「もう既に事件が起きた地区の管理者からは文句が出ている。だから、どんな手段を使ったって解決するぞ。もう一人もこの街の人間を殺させるな。分かったな」

 ジョセは正直不安な部分があったが、ミリアの方が強く頷いたため、会わせて頷く事にした。

 確かに、人殺しはいけない事だし、積極的に止めるべきなのが騎士団という立場だった。




 この雨は何時まで続くのだろうか。

 ジョセはそう思いながら、現場へとやってきた。殺されたであろう被害者の上には布が掛けられ、姿は見えないが、雨に寄って濡れる路地には、血が染み込んで行っている気がした。

「街中と言っても、あまり人目の無い場所ね。最初の殺人から十分に注意する様に街に知らせられていたら、こうはならなかったかも」

 隣に立ち、周囲を観察しているミリアがそう呟く。だが、それをジョセは肯定出来ない。昨日あった殺人を、どうやって町中の隅々に知らせるというのか。

 人の噂に戸口を立てられぬと言っても、走り回る噂だってそこまで速くはなれない。

「いつも元気で有能なのがミリア、君の良いところだけど、勢い余って焦り気味になりがちなのが君の悪いところじゃないかな。とりあえず、出来る事と出来ない事を分けて考えるべきだと僕は思う」

「何時になく建設的な事を言うけれど、じゃあ、あなたはどうするべきだと思っている?」

「オットー室長に叱られたくないから、あの人の命令に忠実でありたいかな。ちなみに、僕じゃあ無理だ」

「そうね……怒りを覚える前に、何か、ここで他に無い新しい情報を掴まないと」

 だからこそ、彼女だって周囲を観察していたのだろう。今は周囲の不手際に憤慨するより、自分の能力を発揮する事に集中しなければ。

「僕は……犯人にさえ出会えれば捕縛出来るんだけどな」

「あなたの予想だと、相当の腕を持つ犯人なんでしょう?」

「僕もそうだ」

「相変わらず、そっちに関しては自信満々よねぇ」

 そりゃあそれくらいしか能が無いのだから、そこだけは自信を持たせて貰う。故に犯人を見つけるまではミリアの役目だ。

「私の方は……そうね。やっぱり私も強引なやり方をするべき時だわ」

「ちょっと待った。何をする気?」

「オットー室長も言っていたでしょう? 今回は手段を問うなって」

 言っていた気もするが、いったい何をするつもりなのか。ジョセが慌てている内に、ミリアはずけずけと他の騎士団員がもっとも集まっている場所。殺された被害者が横たわっている場所へと向かう。

 当たり前に、新参者が何をしにきたという目を向けられるも、ミリアは気にしていない様子……いや、あれは絶対に威圧で返している。

(いや、彼女が同僚で良かったよ。あれを敵に回したくは無い)

 そう思いながら、ジョセもミリアの背中を目指す。どうやら彼女は、死体に掛けられた布を外して死体を見せろと訴えているらしい。

「ですから、この場でもっとも重要な情報は、被害者がどの様な立場で、どういう殺され方をしていたかという事です! それを知る義務が我々にはあります!」

「だから、ここは街中だ。悲惨な状態の死体をそう見せる事は出来ん!」

「なるほどなるほど、雨の日で、こんなに騎士団員が集まっているとなれば、一般の方々は近づこうとしませんし、その心配は他の騎士団員に向けたものなのでしょうね? ああ、彼らもやはりこの街の住民ですから、そういう配慮が必要な方々であると。これは失礼しました」

 彼女には絶対口では勝てない。ジョセはその考えをしっかり記憶に刻み込む事にした。

 暫くはこのミリアと現場管理者をしている騎士団員との口論が続くだろうが、直に彼女が勝つだろう。

 だからジョセは布が被せられた死体の方へと近寄っておく。どうせ、これどう思う? などとミリアから尋ねられるはずだ。

(しかし、今回はいったいどういう人が狙われたんだ? 腕の立つ犯人が狙いたがる被害者っていうのは……どういう基準なのか)

 ジョセもまた剣の技能に寄る立場だ。何か、共通点の様な思いがあったりすれば、不気味な気分にもなってくる。

(僕は別に、殺人鬼じゃあない。そのはずだ。けど犯人はどうなんだろう。そういう自覚がある? 犯人と僕の間にある違いっていうのはいったい……)

 珍しく深く考え込むジョセ。この様な姿をミリアあたりに見られれば、雨でも降るんじゃないかと言われるところだ。

 実際に雨は降っているが。

 だとすれば、もっと珍しい事でも起こるかもしれない。

「ジョセ。説得終わったわよ。被害者の状態、見せてくれるって」

「そりゃあ凄い。うわぁ、可哀そうな顔してるよ現場責任者の人」

 何やら同僚に肩を叩かれている姿を見れば、相当に酷い事を言われたのだろう。ミリアという女に人の心は無いのかと問いたいが、あるけど必要なら何でも言うと返された時、今度はジョセの方が怖くなるため止めておく事にする。

 それに優先順位は、死体の上の布を剥がす事で———

「え?」

 ミリアがさっそくその布を剥がした。そこから現れた被害者の姿を見て、ジョセは絶句してしまう。

「前回は中年の男性で、次はご老人。狙っているのは男性ってだけの共通点しか今は無いわね。もしかしたらそれとは別の……ジョセ、どうかしたの?」

 ミリアから視線を向けられ、ジョセは混乱する頭の中から、どうにかして言葉を絞り出す。

「知ってる……僕は……この人……」

 そうだ。良く知ってる。なんだこれは。いったいどういう因果でこうなっている?

 有り得ないだろう。昨日今日、連続殺人を始めた殺人鬼に、どうしてこの人が狙われる。どうしてこの人が殺される。

「ジョセ? ちょっと。大丈夫? この人を知ってるって、あなた、このご老人の事について、何か分かる事があるの?」

「分かる。分かるさ。だってこの人は……僕の先生だ」

 シンオウ・ライザン。先日、顔を合わせて話をしたばかりの、ジョセの剣の師であり、ジョセと騎士団長ザックの親代わりでもあったその人が今、雨に濡れながら、その死体を往来に晒していたのである。




 仕方ない。これはあまりにも仕方ない事で、特殊犯罪対策室に戻らざるを得なかった。

 今、ミリア・カークはそんな風に思いながら表情を険しくしていた。

「あー、ミリア君。少し良いかな。厳しい言葉を言って送り出した側として、とりあえず言って置きたい事があるのだが……」

 自らの席に座っているミリアに、上司のオットー・コンゴルトが話し掛けて来る。

 彼も騎士団庁舎内を根回しのために走り回っていた側だったが、今は特殊犯罪対策室に戻って来ていた。

 思いも寄らぬ方向から、事態が大きく変化してしまったから。

「一応、進展は進展でしょう。二人目の被害者の詳細についてが分かりましたから。ジョセから直接聞いて……」

 殺人鬼の二度目の牙に掛ったのはシンオウ・ライザンという街で剣術道場を開いている老人であった。

 騎士団員にも通う者が少なく無いというそれなりに知られた道場であり、また、現在騎士団長をしているザック・アールバンクとも関係が深い、そんな人物でもある。

「いや、他に進展が無い事を攻めてるわけではないよ。むしろ仕方ない事態だと私も思って居る。こと、騎士団員の身内の話になるのだし、その身内は騎士団長の身内でもあるわけだ。だから気落ちするなと言いたい」

「気にしていただいて申し訳ないのですが……その、やっぱり予想外過ぎて」

 ジョセはここには居ない。というより仕事が出来る状況ですらあるまい。聞くところに寄れば、被害者は彼の親代わりの様な人物だったそうだし。

「騎士団員であろうと無かろうと、死者が出る事件に対して、それが身内である可能性は常にある。と、ワタシなんぞは思ってしまうけれどね?」

 尊敬するアレクシアスが、情の無い事を言葉にする。彼女は自らの仕事机の前で実験器具らしき物を広げながら、何かの作業をしているらしく、やはり、同僚の身内に死者が出たという態度では無さそうだ。

「幾ら騎士団員と言っても、そこまで覚悟が定まっている人間も少ないと思いますけれど」

「だろうねぇ。けれど……ジョセ君の場合、そういう性質かな?」

「どういう事です?」

「彼は普通では無いと言っているのさ。その点への理解は、もしかしたらワタシの方が深いかもしれないね?」

 少しばかり、その言葉には引っ掛かる部分があった。関係性という意味であれば、騎士団に入団してからの付き合いなのがこっちなのだし。

「あの、ジョセが普通では無い事くらいは私だって分かっています」

「ふふん。だろうね。けど、その普通では無い度合を、まだ見誤っているかもしれないよ?」

「待て待て二人とも。ここに居ない同僚の事の話題で、変に盛り上がるな。今はだな、我々とて少しは喪に服してやって———

 話を無理矢理まとめようとしてきたオットー室長の言葉は、特殊犯罪対策室の扉が開かれる音で遮られる。

 いや、この場合、現れた人間の姿を見てになるだろうか。

「ノックもせずに失礼。少々急ぎの用だ」

 そう言って部屋に入って来たのは、騎士団員ならば誰もが知っている顔であった。

 そうして、今は渦中の人とも言える。

 ザック・アールバンク。ジョセ・アールバンクの兄であり、ミリア達にとっては一番の上役。カーナンバック自治騎士団の騎士団長がやってきたのだ。

「これは……騎士団長。わざわざご足労いただいたのですか? ここへ?」

 慌てて立ち上がるオットー室長。それはミリアも同様だった。さすがと言うか、アレクシアスは変わらず座ったままだったが。

「いや、今は畏まらなくても良い。挨拶なんぞ省略しなければならない事態である事はもう分かってくれているだろう?」

 あなたの身内が殺されましたからね。

 そうは言葉にしないが、アレクシアスあたりが似た様な事を言い出さないかハラハラする。

 さすがにそんな言葉は発さないアレクシアスであるが、別の言葉を口にした。

「ここに君の弟君は居ないよ。ザック団長?」

「やはりか。くそっ……あいつめ。兄弟でしんみり話をする時間すら取らない気だな?」

 ザック騎士団長は驚いた事に、ミリア達の前で愚痴の様な事を言葉にした。アレクシアスの軽口よりさらに驚いてしまうその言葉に、ミリアは咄嗟に反応した。

「ジョセに、何かあったのですか?」

「君がミリア君か。ジョセから聞いているよ。随分と優秀らしい。うちの弟の方は……あいつは駄目だ。まだ家にも帰って来ていない」

「家にって、ここにも居ませんよ? 他に何か彼に用が?」

 てっきり、身内が亡くなった事に対して、感情の整理でもしているのかと思って居たが、ザックの様子を見る限りそうでも無いらしい。

「用か。確かにあるにはあるだろう。だが、実際にしてるとなると……騎士団長としても一人の肉親としても心配になってくるな」

 試案する様な顔をするザック騎士団長。彼がいったい何を心配しているのかははっきりしないものの、ミリアの方も嫌な予感に溢れて来る。

「いやいや、やはり理解が足りていない様だねミリア君。彼は多分、今ごろ犯人を追っているのさ。だからここには居ない」

「おいアレクシアス君。それは本当かね? 私はその様な命令を出していないぞ!」

 ミリアもアレクシアスの言葉に驚いたが、オットー室長はもっとらしい。彼にしてみれば、部下の完全な暴走を、自身の上司の前で言い放たれた形になるのだから。

「勝手に捜査をしているという事ですか? ジョセが? 彼に限ってそれは……」

 ジョセの能力とその仕事へのやる気を考えるに、その様な事をし始めるとはミリアは思えなかった。

 だが、ザック騎士団長は頷く事で肯定してきた。

「アレクシアス。君の言う通りだ。奴はそうする。今回に限ってはそうするんだ。シンオウ先生が殺されたというのなら、そうなる」

「シンオウ・ライザン。あなた方にとっては親代わりだったから……ですか?」

「いや、恩も義理もあるが、勝手な行動をどうしたってしたくなるわけじゃあない。情が無いわけじゃないんだが……だからと言って、勝手に一人で犯人を見つけようなんて発想には普通は至らないだろう?」

 当たり前の事を焦りながら言って来るザック騎士団長。つまり、ジョセは今、普通の感情では動いていないという事なのだろう。

 だから考える。彼がいったいどういう性格で、シンオウ・ライザンという人物とはどういう関係を築いていたのかを。

 親代わり、兄弟ぐるみの付き合い、そうして剣の師……。

「あの、すみません。騎士団長。これは越権行為かもしれませんが、一人目の被害者がどの様な人物であったか、既に騎士団としては情報を掴んで居たり?」

「ああ、やはり君は優秀だな。あいつが仕出かそうとしている事にもう気が付いたか。そうだよ。一人目の被害者は別の国から飛空艇で我らが街へやってきた傭兵だ。それもベテランかつ凄腕で知られている類のだ」

 そこまで言われれば、ジョセが何をしようとしているかなんて確信が持ててしまう。だからこそ、ミリアは叫びたくなった。

「あの馬鹿! 自分の先生が殺されたから、その相手と戦おうとしてるって事!? その剣で!」

「そうだよ。あいつはそうするんだ。無論、シンオウ先生を殺された恨みもあるだろうさ。だが、そんな感情すらも剣に寄せて、師の仇を、師に勝利したであろう犯人と、自分の剣で対決するつもりなんだ」

 なるほど、兄弟だから良く知っているらしい。ジョセの馬鹿さ加減を。

 これで単なる復讐のために犯人を追うというのなら理解も早かったというのに、まさかそこに腕試しなんて物を混じらせる人間だったとは。

 判断が早いはずだ。彼にとって、今やすぐにでも追いたい相手がシンオウ・ライザンを殺した犯人なのだから。

「失礼しますけど騎士団長! あなただって大切な人を失ったばかりで、御家族が大変な状況である事は承知の上で、大変申し訳ないのですが、弟さんへの教育はどうなっていらっしゃるんですか!?」

「面目ない。その点に関しては心底面目ない。いや、兄弟仲が悪いわけでは無いと思うんだが、両親を早々に亡くしている身で、接し方が特殊になってしまったのかもしれない……だが、今、私が幾ら反省の弁を述べたところで、どうしようも無い状況があるだろう?」

 こちらをあげつらうわけでも無く、むしろ懇願する様にザック騎士団長が言って来るので、とりあえずミリアの方も冷静さを取り戻す。

 というより、ザック騎士団長が何故ここにやって来たのかと、次にしなければならない事がさっそく分かってしまう。

「良いですかな、騎士団長。大凡、これから何を頼まれるかは分かっているのですが、それは騎士団長としてか、そうでない方か。どちらからの命令になりますかな」

 オットー室長も、とりあえず頭の整理が出来たらしい。これから言われる事が分かり切っているが、聞かないわけには行かない。そんな表情をしていた。

 だからこそ、ザック騎士団長も覚悟した顔で口を開いてくる。

「無論、その両方からだ。君たち特殊犯罪対策室の面々には、私の弟であり、騎士団員でもあるジョセ・アールバンクの暴走を、なんとか止めて欲しい」

 取り返しの付かない事態を引き起こす前に。それを言葉にする勇気は、さすがにザック騎士団長も無いらしかった。




 雨が降り続いているのは幸運な不運か。

 ジョセは雨に濡れながら、ぼんやりとそんな事を考える。

 街で殺人鬼がうろつく中、ジョセも同様に街をうろつく。なかなかに馬鹿々々しい姿だと思うし、自分でも何をしているのかと思いたくなるが、それでも、この行動を止められなかった。

 街の住民とすれ違えば、ぎょっとした表情を向けられるのは、ジョセが想像される殺人鬼と似た様な顔をしているからか。それとも、雨の日に傘も差さずにずぶ濡れになっているからか。

(どっちにしろ、僕はその事について、深く考える余裕は無いさ)

 今、ジョセは師であるシンオウ・ライザンを殺した犯人を追っていた。捜査活動というのが、騎士団員でありながら不得手とするジョセであるから、犯人を追う事にすべての全力を注いでいる。だからこそ傘を差している余裕すらなかった。

 ただひたすらに、目的のために全能力を費やす。それが出来ぬ我が身でも無い。

 自分のすべてを何かに捧げる行為には慣れているから。

(剣だけに僕はその人生を捧げている。その割には人との付き合いやら仕事やらで恵まれているって思うよ、僕は。そうして、お前はそうじゃあないのか? 僕から親しい人を奪わなきゃいけないくらいに、飢えているのか?)

 顔も知らぬ、常人であれば憎むべき相手にジョセは尋ねる。無論、頭の中だけの妄想で答えが返って来るはずも無かった。

 だがそれでも、ジョセは問いかけを続ける。シンオウ・ライザン。ジョセから見ても凄腕の剣士。

 彼の死体をジョセは見た。

(あの死体は、死ぬ前までに剣を握っていたはずだ)

 死体の検分なんぞが出来る技能も知識も持っていないが、剣に関しては何だって分かる。師の肉体はまず間違いなく、死んだその時まで剣を握っていたはずなのだ。そういう手をしていた。ジョセだから分かる。他の人間には分かるまい。

(だけど、実際の先生はそうじゃなかった。多分、死んだ後に剣を奪われた……いや、取り返されたか?)

 師は街中で剣を持ち歩く様な趣味は無い。というか、騎士団員でも無く、許可だって得ずに剣を腰からぶら下げていれば、それだけでカーナンバックでは違法行為なのだ。そんな事をしない常識を師は持っている。

(つまり、死ぬ少し前に、誰かから剣を与えられ、そうして死後、取り返された。そういう事だろう? 犯人はつまり……一方的な殺人を行っていない)

 シンオウ・ライザンという男に剣を与えるというのは、獣に鋭い刃を与える様なものだ。

 ただ人を殺したいだけの人間がする行為では無い。大半の人間が、彼の反撃にあって、地面に伏すは自分自身になる。そういう人物なのだ。ジョセの師、シンオウは。

 だから犯人の狙いは……そういう人物と戦う事にあるのではないか。

(ああ。自分の剣の腕を、人生を捧げて磨き上げたその力を、試したい。それこそ生死を分ける戦いの狭間で、発揮すればどうなるんだろう。僕だってそれを考えない事は無い。お前もそうなんだろう?)

 雨降る街中の、幾つかの曲がり角を曲がり、薄暗い細道へ至りながら、やはりジョセは問い掛けていた。

 もしかしたら、もうすぐ、その犯人と出会えるかもしれないから。

 いや、しかし、そんな上手い話は無いらしい。

「まったく……こういう事もあるもんなんだな」

 当然に夢から目覚めた様な感覚。

 つまりさっきまでは何かに没頭するあまり、現実感を喪失していた様な状態だったわけだが、目の前に広がった光景は、どうしてだって、ジョセの感覚を現実に引き戻してしまうものであった。

 ジョセの目の前には、死体が一つ、転がっていたのだ。




 三人目の被害者が出た。

 その一報が入って来たのは、ミリアが同僚を探して町中を走り回っていた時の事だった。

「もはや門外漢は関わるななどとも言ってられん状態らしい。というか無関係では無いのだから、門外漢ですらない我々も犯人捜しをしろとの仰せだ」

「虫が良すぎる話だと思いませんか室長!」

 特殊犯罪対策室では無く、街中にある喫茶店の一つ。丁度ジョセの捜索中であったミリアをオットー室長がわざわざ見つけ出しての緊急会議であった。

 甚だ納得の行かない会議ではあるが。

「落ち着け。激高するなら場所を選ぶと良い。店員が驚く」

 実際、近くを通った店員がぎょっとした表情をこちらに向けるのを見て、半ば立ち上がっていたミリアは席に座り直す。

 四人席を二人で対面に座りながら、睨み合う。オットー室長が言っているのは、ジョセの捜索を一旦中断し、漸く許可の下りた殺人鬼の捜査に移れとの事であった。

 三人目の被害者は非合法で暴力を扱う集団の用心棒を行っているという男であった。

 やはり腕の立つ人間が狙われている。そういう予想が既に立てられていた。

 どうにもこの殺人鬼は戦闘狂である。この頻度でそれが多発するという事は、最近まで街に住んでいた者では無いとミリアは予想する。

 元々そういう趣向があり、遂に我慢が効かなくなった人間という可能性もあるにはあるが、犯人自身が人を殺す事に対して、初犯の時点で相当に慣れがあった以上、街の外で似た様な犯行を繰り返していたと見るべきだ。

「とまあ、それくらいの整理くらいならすぐ出来ますけど、そういう事態じゃあないでしょう? ジョセを探すのだって、騎士団長直々の指示じゃないですか。それを曲げるのは納得出来ません」

「君のそういう犯人予想や頭の回りは、私だって舌を巻いているがね。だからこそ、その力を今は暴発させているとは思わんか?」

「私がジョセを追っている事に、私情を挟んでいると?」

「違うか? 失礼かもしれんがそう見えるぞ」

「ええ、そりゃあ挟みますよ。同期で、同僚ですよ? 彼に助けられた事だって一度や二度じゃない」

 だから、おかしな事をしている彼を、なんとかして止めたいと思っているのだ。

 それこそ、取り返しが付かなくなる前に。それが分からないオットー室長では……。

「ちょっと待ってください。こんなところまで出向いてまで、私をジョセの捜索から犯人の確保に方針転換させようというのは、何か室長にとっても思う事があるんですか?」

「うん? いや、それは……どう……かな?」

 むしろこれはわざとでは無いか? そんな風に思えてしまうオットー室長の動揺だった。だからこそミリアもその部分に頭を働かせる。

「……これ、まさかだと思いますけど、ジョセが疑われているとかではありませんよね? 容疑者の一人として」

「……奴は、とびきりに腕が立つだろう」

「本当にそんな事態になっているんですか!?」

 頭痛がする。オットー室長はそんな風に指で額を押し始めるも、そこで優しさを発揮できるミリアではない。

「はっきり言って、それは幾らなんでも突拍子も無い疑惑ですよ! 彼は騎士団員で、剣の腕が立つのはむしろ評価されるべき部分です!」

「分かってる。分かっているんだ。今だって、そんな話があるものかと私だって言ってみせようとも。だがな、三人目の被害者が出た現場に残っていたんだ。制服のボタンがだ」

「それは……本当に?」

「ああ。奴が、他の騎士団員がそこへ来る前に、その現場に居た事は確かだ。恐らくは死体だって見つけていて、報告を怠っている」

「……」

 それを聞いても、ミリアはジョセがやった事とは思えない。

 思えないが、何かしらの馬鹿を仕出かす男である事は嫌という程に理解している。つまり、後の印象が悪くなる様な事をしている可能性については、一切否定できないのだ。いや、むしろそれをしている。

「分かりました。室長が言いたい事は大凡理解出来たと思います」

「分かってくれたか。いや、事を穏便に済ましたいというわけでも、ジョセの事を一先ず置けという話では無いんだ」

 既にジョセが疑われている以上、犯人捜索に協力した方が、むしろジョセを追う事に繋がるし、弁護にもなるという話なのだろう。

 だからミリアの方も冷静さを取り戻して行く。

「室長、一つよろしいでしょうか?」

「何かな? 唾を飛ばして来る事が無くなったという事は、漸く、良い話が浮かんできた様に見えるが」

 まったくだ。興奮していても始まらない。激情はミリアにとっては敵なのだ。自分の能力を完全に発揮するには、冷静さこそが必要だろう。

「私の能力について、現在、どれほど信用していただいていますか?」

「無論、部下に君が居るという事を誇りに思っているよ」

「それは、ジョセの剣の腕に並べる程に?」

 そう尋ねられ、眉を上げているオットー室長。妙な質問に思われている事だろう。だが、大事な事だ。

「奴と同じ程に、妙な結果を引き起こす事が出来るかと、そう尋ねているわけだな?」

「はい。そうです。彼の剣は、一般の騎士団員では打倒出来ない相手を打倒する力です。私にそれは出来ませんが……違う方法で、それが出来るかと尋ねています」

 ミリアは思うのだ。特殊犯罪対策室にミリア自身が配属されたのはどういう事だろうかと。

 恐らくは、同期のジョセの、特異過ぎる能力をフォローする役目を期待されている。そう思う。

 だが、ミリアはそこで終わるつもりも無かった。あそこで働く以上は、肩を並べられる程の、特殊な力を発揮したいと強く考える。

 今の自分にそれがあるか。それをオットー室長に尋ねている。

「正直に言おう。今は無理だ。能力が足りないわけではない。君の能力は才に溢れるものだろうが、常軌を逸した結果というのは、ネジの一本や二本外さなければ出来ない物だろう?」

 なるほど。能力の不足では無く、ネジを外せと言って来たか。

 ならば、今すぐにでもそれが出来るという事では無いか。

「提案があります。室長。ネジを外した提案ですよ。ジョセを追う、犯人を捕らえる。その二つを、他の騎士団員より先んじて行える可能性のある、そういう類の」

「聞くだけは……聞いてみようか」

 そう返すオットー室長の表情を、ミリアは見た憶えがあった。

 これは、ジョセの様な騎士団員を見る目だ。同じ色に染まってしまった。ミリアをそんな風に見つめる、そんな目を向けられていた。




 雨が降り続いている。晴れる事の無い雨の只中で、ただ彼は歩き続けていた。

 やるべき事は決まっている。したい事も決まっている。

 腰に下げた剣を振るう事。それだけを思う。それが自分の価値だ。それ以外は無い。もし、その価値を発揮出来ない環境であれば?

 ならば自分でそれを作り出す他無い。そうしなければ自分の価値が無くなってしまうから。この世界に生きる意味を失ってしまう。

 それはまるで呼吸をするような感覚。息を吸って吐く様に、剣を振り被り、振り下ろす。呼吸とは違う点として、行動をぶつける先が必要であるというものがある。

 剣を振るうには相手が必要だ。その力を全力で発揮するためには、腕の立つ相手で無ければならない。

 だから探す。空に飛空艇が飛び交い、多くの人間の多様性が社会を複雑にし続けるこの世界で、個として強い人間は少なくなりつつある。

 魔物が蔓延り、洞窟の中に宝物と竜が待ち受ける時代から遥かに時が流れた今、強い人間に出会うという事自体が難しくなった。

 だから自ら探す。探し続けて、剣をぶつけ合うのだ。そうする事で、漸く自分の価値を見出せる。この世界に生きる意味が。

「……」

 濃霧の様な雨の中で、息を深く吸って、吐く。当たり前の行動の中で、それを見つけ出す。

 足音、空気の動き、身体の所作。人が出歩く事が少なくなった街の中、自らの力に自信のある者だけが気にせず行動をしている。

 それは好都合だった。相手を見つけやすい。狙う相手を絞りやすい。後はただ、余計な目の無い場所で出会うだけ。

 幾つかの曲がり角を曲がろう。道の幅が狭い場所を探そう。雨により日の光が遮られ、並ぶ建築物の影がより暗闇を濃くしてくれる。

 そうだ。丁度、あそこだ。影が見えた。あれが獲物だろう。そうに違いない。そうとしか考えられない。だから獲物。

 腰に下げた剣の柄を手でなぞる。舌なめずりに似たその行為をした後、一気に距離を詰める。

 影は一気に輪郭を確かにし、視界にその獲物の顔が———

「そこまでよ」

 そんな声を、影が発した。

 足の勢いが止まり、柄を握る手が緩む。

 まあ、ミリア・カークの顔と声を聞けば、自然とジョセはそうなってしまう。

 そういうものだ。

「って、ミリア。なんで?」

「なんでじゃないでしょ。あなたこそ、こんなところで何をやってるの」

 そう尋ねられ、途端に気が散って行く。集中力を限界まで高めていた後の事で、急に眠気すら感じ始める。そういえば、雨の中でずっと歩き詰めだった。

 何故そんな事をしているのか? ミリアに尋ねられると、少々説明に困ってしまうものの。

「あー……いや、その……あのさ。その……」

「言い難いならこっちが言ってあげる。犯人の真似事。でしょ?」

「……なんでそれを?」

 まるで心を読まれたかの様だ。戸惑うジョセに対して、ミリアは大きく溜息を吐いた。

「だって、あなたが犯人を一人で探すって、もうそれ以外無いじゃない。騎士団員としての直感も無い、足で稼ぐにしても知識が無い。せめて犯人の思考に自分を近づけよう。剣の腕が立つって共通点は一応あるわけだしってそんなところでしょ? で、上手く行った?」

「……まだ、見つけられてない」

 自分の姿を見る。ずぶ濡れで歩き疲れ、しょんぼりとした男が一人。支給されている騎士団員の制服なんてもうボロボロだ。どこに落としたのかボタンが一つばかり外れている。

「あのね、幾つか言って置いてあげる。一つは、今、あなたの立場は危いって事」

「仕事、サボったみたいな感じになってる?」

「あなたが容疑者の一人になってる」

「そっかー……」

 参ったなと思う。相当に深刻だ。

 別に人を殺した憶えは無いが、まさか殺人鬼と疑われているなどと。やはり一人での捜査に向いていないのだろうか。自分は。

「それともう一つ。あなたのその捜査方法、的外れよ」

「それを言う?」

「だってそうでしょう? 犯人とあなたは違う人間よ。犯人の思考や消息なんて、同一化させようたってそんな事できるわけないでしょう。剣の腕? それだけで繋がる物があるとでも思ったの?」

「あーもー! 思ったんだよ! 自分なりに、必死に! 犯人が殺したはずの死体だって見つけて、後ちょっとって気分でもあったんだ! ぜんぜん見つからないけど」

 ぼろくそに言われる事にも慣れているが、苛立たないという事も無かった。ただその苛立ちをぶつける先にミリアは居ない。ぶつけると怖いからだ。

「そこがあなたの駄目なところだって私は思うわ。あなたはね、単独行動には向かないの。騎士団員としては特に。自覚した?」

「今、してるところ」

「そ。なら心に刻んで置きなさい。特殊犯罪対策室はね、チームで動くのよ。あなたの剣の腕と、私の頑張り、室長の管理。そうして……アレクシアスさんはマスコット」

「僕が言うのもなんだけど酷くない?」

「良いのよ。今のところ、賑やかしとしてはすごく役に立ってくれてるのよ? あの人」

 ミリアの無理矢理とすら言えるアレクシアスへの信頼は他所に置いておくとして、確かに、一人で頑張り続けてみても、事態は良くなるどころか悪くなっている気がする。そういうところが、ジョセという人間の限界であり、誰かを頼るべき部分という事か。

「けど……それじゃあ僕はどうすれば」

「ねぇ、ジョセ。あなた、やっぱり、シンオウ・ライザンさんの復讐をしたいって思って居る? だから自分一人でなんて無茶をしたの?」

「……そこは分からないんだ。あの人を失ってすごく悲しい。もう二度と話も出来ないんだって思うと、涙が止まらなくなりそうになる」

 けれど、だから彼を殺した相手を許せないか。そう自分に問い掛ければ、残酷な事に、それほどでも無いという感情が返って来てしまう。

 いや、怒りはあるのだ。自分にとって大切なものを良くも奪ったなという感情は。

 けれど、それ以上にはならない。命で償えとは思わない。法に従って罰を受けろという段階で、思いの激しさは止まってしまう。

「あの人は……そういう死に方をするかもしれない。そんな風に思っていた自分も……いる」

「だとしたら、あなたの暴走は、そのご老人を殺したという犯人の力に向けられてるって私の予想、当たってたのね」

「まあ、そうなる……のかな?」

 シンオウ・ライザン程の人間を、剣で斬り合って殺した相手。ジョセは犯人をそう見て……様々な感情が混ざり合い、自分の行動を止められなくなった。

 シンオウが殺された事への怒りがそれほどでも無いのだとすれば、激情の原因はミリアの言う部分にあるのかもしれない。

「先生に……シンオウ先生に言われたんだ。僕には剣しかない。剣の腕しかないんだから仕方ない。その価値を示してさえいれば良いって……だから、あの人の仇とかそういうための行動も、剣で示したかったのかもしれない」

 怒りや悲しみをぶつけるのではなく、ただ剣をぶつける。そのために犯人を追った。

 結果はと言えば、碌なものでは無かったが。

「馬鹿ね、ジョセ。だったら猶更、私を頼れば良かったじゃない」

「君を? 馬鹿みたいな僕の行動に巻き込めって?」

「そう。だって、なんだかんだ、あなたは犯人を追っていたんでしょう? 騎士団員としての行動なら、それは正しい。ただし、特殊犯罪対策室ありきだったらの話よ」

「……」

「動機が不純だから、それを認められないって顔してるわね。けど、組織なんてそんなものよ。組織の方針にさえ逆らわなければ、自分の欲求通りに行動したって、文句は出ないの。だからこそ、聞いておくわね」

 雨の中、それでも鋭い彼女の目がジョセを貫いてくる。

 本題はここからだ。そんな感情がそこに込められている……気がする。

「あなた、今回の犯人を殺したいって、そう思ってる?」

「……そこが目的にはならない。そう思う」

 ただ、剣をぶつけたい。お前はいったい何のために、常人離れした剣の腕を振るい、殺人を繰り返すのか。

 それを問い掛けたい。それが一番強い。だから、剣をぶつけ合う事はあっても、殺すまでは行かない。というより、それは余計な付け足しだとジョセは思う。

 そんな答えは、ミリアの期待したものだったろうか?

「なら、後は簡単ね。私が犯人を見つけて、あなたが戦って、そうして捕まえる。後は裁判にお任せってそういう寸法よ。すごく簡単な話になった」

「そうなるのかなぁ……さっきまでの状況聞く限り、そう簡単な事態じゃ無さそうだけど」

 特にジョセ自身が疑われているというのは、かなり厄介な状況では無かろうか。

「あなたが今さら騎士団に顔を出して、これからはちゃんと協力して捜査にあたりますなんて言っても、拘束される事請け合いね。そうする間に、犯人はまた殺人を繰り返す。だから、私はそれを選ばない」

 そういうミリアであるが、なら、彼女が望むところは何だろうか。出来る騎士団員であるところの彼女とて、相応の望みがあると思うが……。

「君は、何をするつもりなんだい? ミリア」

「勿論、誰よりも早く、犯人を捕まえるのよ。他の騎士団員と協力できればそれで良かったけれど、あなたが居る以上、それは無理ね」

「なら、僕が暫く身を隠すとか。なら、君は大手を振って捜査が出来る」

「何言ってるのよ。ジョセ、あなたの協力がまず優先よ。他の騎士団員より、あなたの力が必要なの。分かる? だからこそ、街をうろつくあなたを真っ先に見つけ出した。あなたの事だから、犯人の思考をトレースするしか無いんじゃないかって予想し、あなたが狙い易いと思える人間を演じてみたの」

 ミリアはジョセを高く買ってくれている気がするが、彼女の方がよほど怖いとジョセは思う。それがお互いに、買い被りで無ければ良いのだが。

「今回の犯人は……僕にしか相手が出来ないって、君はそう考えているわけだ」

「あなたが執着するってだけで、私にとってはその根拠になるわ。下手に騎士団員が囲んでも、それを蹴散らされたらどうなるか……あなたにも分かるでしょう?」

 既に三人が殺されている。ジョセを疑うくらいには騎士団側の捜査も迷走している。そんな状況で、騎士団員が犯人を取り逃がしたとなれば、街の治安は最悪な物になるだろう。

 騎士団でも止められぬ殺人鬼が今なお、街をうろついているという事実に寄って。

「ミリア、君はそれを止めたいってわけだ。それって正義感からかな? そりゃあそうだけど」

 何故そんな事を尋ねたかは分からない。彼女は正義感に溢れる模範的な騎士団員であり、その優秀さもすべては彼女が進む正道のために使われている。そういう女性がミリアだ。犯罪を一早く止めたい。そういう動機があって当たり前の話だろうに。

 だが、彼女は苦笑する様に笑った。

「少しばかり、あなたに当てられたのよ」

「僕に?」

「才能にすべてを捧げてる人間って、傍から見れば憧れる部分もあるというか……私もね、何かを示したくなったの」

 だから、ジョセの力だって利用して、犯人を誰よりも早く捕まえようとしているのか。

 だとしたら、いや、そんな事は分りきって居たが、彼女も良い性格をしているという事だ。

「分かったよ、ミリア。君がそう望むのなら、僕だって君と協力するさ。その義理がある」

 これまで、共に騎士団員として働いて来た義理だ。これからも、騎士団員として共に働いていく義理もそこに追加して、ジョセの気持ちは定まった。

 というか、独力でどうしたところで、何かしらが出来る力が自分に無い事を、ジョセは今、嫌という程実感しているのだし。

「なら、これからあなたには働いて貰う事になるけれど……まずはそのずぶ濡れの身体を拭きなさい。風邪でも引かれたら困るのよ」

「いや、それはまあ、その通りか」

 いい加減、身体が冷えて来ていた。ミリアが犯人とぶつかる算段を整えてくれるというのなら、ジョセの方はただ万全の体勢で迎え撃つだけだ。

 それを理解出来ただけでも、ジョセの行動には意味があったのかもしれない。

(いや、その意味が出来るとしたら、これからさ)

 ジョセは剣の柄に触れる。これが抜き放たれるタイミングは、まだもう少し先だ。




 専門家の話に寄ると、長く続いているこの霧雨の様な天気も今日までらしい。

 確かに一時よりはさらに雨の勢いは無くなっているが、それでもまだ傘は必要だろうか。

 一歩一歩と、より一層、人の気配が無くなっている街中をジョセは歩いている。

(雨が晴れた時、犯人も捕まっているっていうのなら、それは良い事なんだろうけど、そうじゃない場合、人々は不安の中で……っと、僕が別にそんな事を気にする必要は無いか)

 騎士団員としては不遜な考えと思われるかもしれないが、社会の状況云々の話はジョセにとっては縁遠い話でしか無かった。

 ジョセの話題は何時だって剣が絡む。この腰に下げた剣こそがジョセにとっての重大事項。

(もっとも、何時振るう事になるんだろうね。この剣を)

 街中を歩くのは前と同じ行動だ。しかし、もはや犯人を追うためでは無い。雨に濡れるのも構わず街を歩き続けて来た時とも違い、ただ、当たり前に歩くのみ。それがミリアからの指示だった。

(歩く場所の指定は、他の騎士団員の目が無い場所……そりゃあ、僕が疑われている状態だからそうなるか。けど、それで大丈夫なんだろうか?)

 ミリアの事は疑わないが、じゃあ自分がいったい何をやらされてるかについては、未だに受け入れられていないままだ。

 彼女の狙い通りに事が進むのだろうが、本当にそうなるのかという疑問。

(犯人を型に嵌めるとか言っていたけど……)

 その犯人はどこにいるやら。街を歩けば人通りが少ないけれど、それでもすれ違う人々がいる。

 誰も居ないわけでは無いが警戒はしている様に見えた。若者に老人。男性に女性。同じ方向に進む者も居て、だが距離は保っている。

(まるで間合いの取り合いだ。それぞれが自分の安全圏を意識しながら、そこに他人への侵入を阻む。なんだかどいつもこいつも怪しい連中に見えて来るのが厄介だな)

 いっそ名乗り出てはくれないものだろうか。そんな馬鹿な事まで思ってしまう。

 そうして一歩、一歩と進むに従い、そんな馬鹿な事が実際に起こって行く。

(……付いて来てる? ただ偶然、進む方向が同じ? 何にせよ、僕の後ろには三人程人が居て、僕の進行方向と同じ様に動いている……確か一人は若い女性。もう一人は買い物帰りの主婦らしき人……そうしてもう一人。体格の良い男)

 いちいち振り向いて確認するのも怪しまれる。だから記憶に残るその姿を頭に思い浮かばせ、その足音を意識しながら、ジョセも街を進んでいく。

 あえて人の目が無い場所へ。曲がり角を一つ曲がれば、足音が一つ少なくなる。残り二つ。

 さらに曲がった先で建物の影になる場所へと移動し、そこで一旦立ち止まれば、もう一つの足音に抜かされる。

 残る足音は一つだが、それもまた聞こえなくなった。

 それは立ち止まったのだ。丁度、ジョセの背後から数歩離れたその場所へ。

 だからジョセの方が振り向く。

「驚いたな。本当に向こうから来た」

 そう呟き、立ち止まった足音の主を見る。そこには、若い女が一人、立っていた。

「驚いたという割には、私の顔を見ても動揺はしないらしい」

 女性。くすんだ赤毛の女がそう言葉を返して来る。彼女の手には、一本の剣が抜き身で握られている。

「今まで、お前の被害に遭った三人の人間は、みんな驚いたのか?」

「女がこんな格好をしている事を意外そうには見ていたよ。そうして、蹴散らすのは容易いと判断した」

 そうして返り討ちにあった。そういう事だろう。ジョセとて何も知らなかったら、彼女の性別には驚いていたはずだ。

 ならば何故、ジョセは犯人が女性である事については驚いていないのか。

(まあ、ミリアが予想した通りだからだ。だから、彼女の立てた計画には驚いているよ。彼女が望む通りの展開だ。これは)

 彼女の話としては、まず犯人は女性である可能性が高いとの事。

 三人の被害者が誰も熟達した戦闘技能者である事から、男性相手であれば戦闘に入る前にもっと警戒されたり逃げ出したりする可能性もあるというのに、その形跡が無い状況からそう予想していた。

 発想が突飛過ぎる。そうジョセは感じたものの、ミリアは別の部分からも、犯人が女性である可能性が高いと判断していた。

「その長いスカートの中、もう一本剣を隠しているんだろう? 僕はもう持っているし、戦闘の邪魔だ。捨てておけよ」

「前回までとは逆だな? これを他人に差し出して、意外そうな顔をされるのが常だ」

 そう言いながら、女は軽い動作で、スカートの内側に隠していたであろうもう一本の剣を地面に落とした。

 犯人は、自分用と相手用に二本の剣を隠し持っている。ならばそれは、いったいどの様に隠しているのかと、ミリアは考えたらしい。そうして出た答えこそ、女性ならばそれを隠せる長いスカートがあるという結論。

(剣術に熟達した凶悪な犯人像。女性というだけでその像から離れるっていうんだから、騎士団も迷走するはずだよ。けど、予想出来てしまえば、こうやって出会う事も容易い……か?)

 ミリアは犯人の性別を看破した後、そういう人間がいったいどこで活動し易いかを街中から選び出して行った。

 目当ての人間を探すために、多少は人通りがある場所で無ければならない。女性が出歩いて違和感の無い場所で無ければならない。そうして、騎士団員の目が無い場所で無ければならない。

 そういう要素を選び抜き、その後にする事はとても単純な行為。

「僕は……それなりに他と違っているか?」

「無論だ。足の運び。身体のバランス。そうして今、剣の柄を持つ手。どれもが一級だと私は判断するよ」

 犯人はジョセの様な剣の熟達者を狙っているのだから、ジョセが囮になって、候補となる場所を歩き続ければ、すぐに犯人は釣れる。

 それがミリアの狙いだ。

 なるほど、実際にそうなった。どこかも分からない場所でふらふら犯人を追っていたジョセには出来ない行為だ。

 これでも、目の前の女が殺害した相手の第一発見者になったところまでは追い縋れたのだが、それ以上は無理だったろう。

「何故、笑う?」

「いや、そっちがどういう意図が分からないけど、剣の技能なんて、その程度のもんだと思ってね」

「愚弄するつもりか……貴様とて剣を持ち、戦う者だろう」

「ああそうだ。そうだから言えるんだ。これはその程度だってね。そっちは違うらしい」

 だからこそ、ジョセに犯人との共感は無理だったのだろう。剣の腕が立つという共通点以外に、共通する場所が無い。そんな風にも思う。

 向こうにとっては……それは挑発に聞こえたらしいが。

「私の目が狂ったか? いや、それでも剣の腕があるというのなら、戦う価値は……ある!」

 お互い、長々と話せる相手では無い。だからこそ剣戟の時はすぐに始まった。

 姿勢を低く、一足で女はジョセに近づき、その手に持った細身の剣を振るう。

 これまでの被害者の状況を見れば、黙って立っていれば胴体が切り裂かれるかもしれない一振り。そんな鋭さと丁寧さを持った剣の振りを、ジョセは抜いた騎士剣で受け止める。

(勢いは女性の身体能力からは想像できないくらいにあるけど……一撃の重さは無い。なら!)

 受けた剣がすぐに引かれる。鍔迫り合いは不利と取ったのだろう。この女にとっては、大半の相手に対してそういう状況になるかもしれないが。

(なら、それに合わせた攻撃方法になる。それが彼女の流派って事だ)

 自己流か受け継がれて来た物かは分からないが、その動きはやっている事に対して、あまりにも流麗極まるものだった。

 細身の剣はそれでも硬質であるはずだが、まるで剣がしなる様に動き、剣を寸前で躱そうとするジョセの服や皮膚を割いて行く。

(腕、間合い、癖……それらを悠長に把握しようとしていたら、こっちの体力が尽きそうだな)

 このまま続けて、致命傷を避け続ける事は出来るだろう。だが、耐え続けて血がより流れるのはジョセの方だ。雨が続き冷える街では愚手となる。

(僕にとっても好みじゃない!)

 ジョセの剣は踏み込む剣だ。意識を鋭く、肉体もまた鋭く、そうして剣もそれに合わせて鋭くなっていく感覚。

 それは一歩を踏み出し、剣を振るう事で起こってくれる。

「っ……!」

 攻勢に出続けていた女がジョセの一振りを受け流しつつ、後方に下がる。頬を伝う冷や汗は、ジョセの剣を肌で感じたから故だろうか。

「出来るな!」

「今のこれだけで判断するなよ」

 人を殺し続けて、ただの一太刀に恐怖するなぞ傲慢や過ぎないか。

 ジョセの攻勢はここから始まるのだから。

「その剣は、受け身の戦いには向かないはずだ!」

 今度はジョセがより一層激しく動く。剣速はより速くなり、その一撃もまた重くなる。

 こちらの一度の攻勢で冷や汗を流しているというのなら、今の状態は血でも流してくれなければ困るというものだ。

 実際、血は流していないが、女の息は乱れ、腕に痺れが出始める頃。

(ここで終わる気か? 他人の命を奪い続けてこのザマは無いだろう!)

 さらにジョセは勢いを強める。まだ速度は上げられる。ジョセの全力はここ止まりでは無い。こちらの実力をその程度しか引き出せないで、どうしてジョセの師の命を奪ったというのか。

「ふざけるなよっ!」

 黙って居られなかったその声と一振り。これまで以上の、トドメの一撃としての力も込めたその一振りと言葉をジョセは発する。

 まったく情けない。なんたる事だ。

 それはジョセ、お前自身の隙だろうに。

 頭の中に過ぎる、ジョセ自身の、自嘲めいた言葉。ああ、その通りだとも。ここで終わるのであれば、これまで三人の猛者を切り捨てる事が出来るわけも無いだろう。

「ならば……見ろ!」

 後方へと逃げ続けていた女が、より一層離れ、剣を下げ……しかして柄への握りを強くしている。

(来る……これが奴の———

 女の手から、その手が握る剣から光が発生した様な、そんな光景を目にした。

 まさにそれは剣閃。光はまさに相応の速度にジョセへと届き、そうして———




「なるほどなるほど。そうして、私の弟を囮にしてやりましたよと、君はわざわざ騎士団長室へ報告に来てくれたわけだね?」

 ミリア・カークは騎士団長室の中央に立ちながら、その奥側にある仕事机に座る騎士団長であり、ジョセの兄でもあるザック・アールバンクと対面していた。

「彼は今、犯人と戦っている頃でしょう。ですが犯人を捕まえてくるまでは、彼は容疑者になってしまっています。この後の話をスムーズにするためには、騎士団長であるあなたに話を通しておく必要があると思った次第です」

 我ながら面の皮の厚い発言だとミリアは思うが、存外、このザックという人にはそれが相応しいと思えた。

 実際、食えぬ顔をしながらザックは言葉を返して来る。

「この後の話というのは、どっちについてを言っているのかな? 私の弟が勝った時か、敗北した時か」

「……私には、そのどちらになるかが分かりません。ですから現場を、ジョセ・アールバンクに任せました」

 ジョセの師ですら、今回の犯人の餌食になったのだ。ジョセ自身が同じ被害者となる可能性はあるだろう。

 そうはならない。絶対に。そんな断言が出来る程、ミリアは剣の道とやらに精通していない。

「……私を、あいつの兄である事を知った上で、そう言っているわけだ」

 じっと、睨むとも言えない表情でこちらを見つめて来るザック騎士団長。だが、やはりミリアは物怖じしなかった。

 内心はそうでも無いが、表情は面の皮をどんどん厚くさせて貰う。この人物だって知らない関係性を、ミリアはジョセと作れていると思うから。

「この後が彼の勝利であろうと敗北であろうと、彼の潔白は晴らす事が出来ます。それと……彼は極力、犯人は殺さないとも言ってくれています。なら、私にとってはもう任せるしかありません。彼が出来る事をして、私が彼に出来ない事をする。それがお互いの役割だと私は思います」

「ジョセの家族としての目線で言えば、今のところ、ジョセが一方的に負担を抱えている関係にも見えて来る。その点はどう思う」

「なら、普段の彼の世話を、騎士団に居る間はずっと抱える事くらいでしか返せないでしょうね。私は」

「ずっととは?」

「ずっとです。あなたが騎士団長として、私に彼の世話役を期待している限りは、それを受け入れます。彼の能力に対して、私が返せるものはそういうものでしょう?」

 ああそうだ。今、ミリアが特殊犯罪対策室へ配属されたというのはそういう理由である。そんな事はとっくに知っている。

 だから今の発言は、その事実をただ認めるものでしかない。

 才能に偏りのある人間の、その補佐が出来る自分が認められたのだと受け入れてやる。無論、それ以外の事だってして、ミリア自身の能力を認めさせるのも悪くは無い。

 ある意味でそれは、ミリアとジョセの共生関係だ。自分なら上手く出来る。ジョセだってこちらの事を悪くは思っていない。

 なら、ずっと続けて行く覚悟は容易く決まる。

「……参った。いや、そこまで言える騎士団員相手に、私が何か言える権利は無いな。私だって、騎士団員が他の騎士団員を疑う状況なぞ馬鹿らしいと思っている身だし、犯人が無事、捕まったのなら、ジョセを疑って掛った連中に対しては厳重注意をしておいてやる。少なくとも、今後、君らに大きな顔が出来なくなるくらいにはな」

 特殊犯罪対策室が事件に関わる事について、妨害なぞ出来ない程度には。そんな意味も含まれた言葉。

 それを引き出せただけでミリアにとっては上等だった。

 ただ、上等過ぎたので、気になった事をつい尋ねたくなる。

「無事、捕まった場合と言いましたけれど……騎士団長の方は、敗北の可能性についてどう思って居るのです?」

「私か? 私だって、あいつがどこまでやれるかは深く知らんよ。実は私の方は、剣の才が無い方でね、評価は難しい。だが、この話題においては一つ言える事はあるな」

 そう言って、弟の生死がどうなるかすら分からない状況で、ザック・アールバンクは答えて来た。

「あいつは師のシンオウ・ライザンよりも強い。同じ結果にはならんだろうさ」




 まさに閃光。まさに一閃。女の手元より、剣が伸びた様な錯覚。いや、実際にそれは輝き伸び、ジョセの首元へと刃先を届かせて来た。

 魔法使いは、剣への思いは魔法を起こせると言っていたか。どれだけ剣に人の思いを、物事を変化させる事が出来る力を乗せられたかで、起こせる事象を変えられると。

 女の剣はそれに至っている。いったい何を思い、剣を振るっているのか。それが女の剣を何に至らせたかは分からない。

 だが、目の前の現実として、極限の一太刀はその一振りのみにおいて、輝き、女の剣をより強靭に、より長く、より鋭くさせたのだ。

 これに他の猛者達はやられたのだろう。本来は起こり得ない事象。敵の剣を見切れば見切る程に、この奥義とも言える一太刀はその感覚を越えて来る。

 受ける事は敗北を意味する。避ける事も困難だ。故に地に伏すのが道理となるその女の、光の一振り。

 それにジョセもまた餌食となるか。

 ジョセの認識は否であった。ジョセはまだ、地面に足を付けて立っている。故に溜めていた息を吐いた。

「恐ろしいな。何をしたらこれが放てる? 僕は知らないぞ」

「……だが、しかして立っている。どういう事だ」

 ジョセは驚いていたが、一方で女もまた目を見開いていた。

 女の光の一振りは、ジョセから離れ、ただの剣となって女の手元に戻っている。恐らくはその事実に女は驚いているのだと思う。

「そっちの剣の輝きは……危険だと思った。だから自分の剣に頼った。それだけさ」

 ジョセは女の光の一振りを受けなかった。避けようにも一歩足りなかった。だから、女の剣では無くそれが纏った光を斬ったのである。

 剣より生まれた光だ。剣で斬れぬ事も無いだろう。そう考えたのでは無く、そう直感した。

 光を斬ればそこには、元の刀身が現れた。その刀身ならば受け止め、弾き返す事が出来る。そんな超常に超常で返した形になるジョセであるが、それでも、相手への恐れは消えない。

「どうして剣でそんな事が出来る? 僕は出来ない。どうやれば出来る? 僕にも至れるのか? その剣に」

 恐れるが故に尋ねる。いや、好奇心が消えてくれない。

 こんな死地に何をしているかと問われれば、馬鹿な事をしているとしか返せないそんな行為。

 だが、女は言葉を返して来た。

「戦場があった。世界のどこかでは、何時も、それこそ遥かな昔から戦場があり、剣が使われて来た」

「……」

 じっと、ジョセは剣を構えたまま、お互いに決め手が欠けた状態で間合いを取りつつ、奇妙な話を聞いている。

 女は隙を見せない。だから話は続いて行く。

「だが、最近はどうも違って来ている。魔法やら飛空艇やらが戦場の主役になって久しく、剣がただ、偉い人間の飾りとしてすら使われなくなって来た。酷い裏切りだとは思わないか? 剣と人と戦場は常に共にあったというのにだ」

「時代なんて変わるものだ。剣の前は棍棒がそんな立場だった。今更言ったところで仕方ない」

「かもな。だが、今はどうだ? 私は剣を使い、未だその力を示せている。剣にはまだ……その力がある。私はそう信じたからこそ、それを示すのだ」

「こんな街中で、剣で他人を殺す事がその価値を示す事だって? そんな思いで、さっきの剣が使えたっていうのか!」

 女の言葉は、ジョセにとって馬鹿らしい物に思えた。いや、違う。馬鹿らしい思いだって、それが剣に注がれているのであれば、そういうのもあるのかと納得出来た。

 だが、この女の言葉そのものには納得出来なかったから、一歩足を踏み込む。

 ジョセの剣と女の剣がぶつかり合い、火花を散らすも、鍔迫り合いは長く続かない。

 女は剣を引くからだ。代わりに、ジョセの方が女へと踏み込んでいく。

「価値が無い事に腹立たしさを感じて、その力を周囲に押し付ける! 以前もそういう犯罪者が居た! 魔法使いの犯罪者だ! お前が言っているのはそれと同じ事だろう!」

 気に入らない魔法使いと、自分と同じ剣の熟練者が同じ事をしている。それこそがジョセの苛立ちの正体だ。

 剣とはもっと……違うものでは無いのか。

「騎士団員……お前の様な奴には分かるものか! 失われていく事への焦燥感が……それを示す事への快楽が! それの極限の精神に至れぬお前に……敗北は必然だ!」

 叫び合いながらの打ち合い。幾つも散って行く火花は、何時しか女の剣を再び閃光の内へと籠らせる。

 これが女の剣か。彼女が行き着いた剣の先か。

 なるほど。どうしたって自分とは違う。この力をジョセは得る事は出来ない。女の同じ立ち位置には立てない。そう思う。

 だがしかし。ならば剣の正解とはそんな場所なのか?

(いいや違う。僕が剣に望む、剣に答えられる場所は、そんな場所ではあってはならない)

 女の輝く剣は迫るだろう。打ち合いにより姿勢を崩しているジョセは、さっきと同じ様に女の剣の輝きを斬る事は出来まい。自分自身の評価でそう思うのだ。

 だから集中する。一秒をその何百倍にも感じる様な、そんな集中力を、ジョセは剣を握る場合に限り発揮できる。

 普段は何かズレを感じる。剣の柄を握ればそのズレが正される。剣を構えればはっきりとした意識がさらに研ぎ澄まされる。

 そんなジョセの剣。剣の才を師に見込まれ、剣の技術を教え込まれる中で見つけ出した、ジョセだけの境地。

 師であるシンオウはこれを何と言っていたか。

(剣との合一化。達人が至る境地。そんな事を言っていたけれど……僕が考えたのはそんなものじゃあなかった)

 剣を握る前、ジョセの心には常に霞が掛かっていた。払う事が出来ない霞だ。いや、そういう中に自分が居る事すら気が付いていなかった。

 何をやらせても中途半端で、何をするにもやる気が先立たない、そんな子ども。

 剣を握る前のジョセはそんな人間だったのだ。だが、そんな人間は剣を握る事ですべてが変わった。

(これは恩だ。剣は与えてくれた。今の感覚を。常人並か、いや、それ以上の得難い感覚を与えてくれたんだ。僕が見る世界から靄を断ち切ってくれた。それが僕にとっての剣だ)

 時代遅れの武器。戦場では主役になれなくなってしまった無用の長物。

 そんな事は関係無いのだ。ジョセは剣に恩がある。剣がどの様な立場であろうとも、ジョセには恩を返す義理がある。

 そう考えて、日々、剣を振るっている。それがジョセの剣。ジョセが剣に捧げる極地。

 女のそれとは違う、ジョセの精神と剣の極限。

 だから、ジョセの剣は女の光の一振りとは違う結果をもたらす。

「な……に……」

 膝を折ったのは女の方だった。

 彼女の手には折れたというより削られた様に見える剣。それを持ったまま、空いた手で彼女は自分の脇腹を押さえている。

 そこからは血が……流れてはいない。

「何だ。これは……何が起こって……」

 脇腹からそこに続く内臓を痛打したのだ。息をするのも必死だろうに、それでも女はジョセとジョセが握る剣を睨んでいた。

 女の視点からはジョセの剣と女の剣がぶつかっていたはずだ。そうして、女の光の一振りが勝利する。そんな風に結果を予想したのだろう。

 だが、結果はそうでは無い。光の一振りを上回る、ジョセの一振りがそこにあったからだ。

「僕にとっての剣は、お前と違う。僕にとって剣は恩を返す対象だ。この心の内にある怒りも、虚しさも、喜びだって、いざとなれば剣に捧げる覚悟だ。そんな思いで剣を振るい続けたんだ。そうして、その結果、僕の心は無になった」

 ただでさえふわふわとしている何時もの自分が、すべて剣によって吸い上げられて、何も無くなる感覚。

 実際に居なくなるわけも無いのだが、握る剣の方はそうで無くなる。剣の軌道に、どうしてか無が生じるのだ。

 そこに何があろうと関係ない。どれほどの硬質でも、どれだけの軟質であったとしても、例えばそれが爆発だったり魔法だったりの概念に近いものだったとして、その剣の軌道の前には、何もかもが削れる様に無くなって行く。

 それがジョセの無の一振り。彼の剣の腕と、剣に込めた感情が行き着く奥義であった。

「僕が勝ったのは、剣に込めた思いの強さ……なんて傲慢は言わない。けど、剣の価値を他者に伝えようとするお前の事を僕は分からない。僕はただ……剣に僕自身を捧げればそれで良いから」

 だからジョセは剣を振るい続ける。そこに、何か、誰かに認められる物が無くたって、それをしていくのがジョセだからだ。

(先生。だからあなたは、剣以外に認められる事を諦めろって言ったんですか。僕のこの生き方を肯定した上で)

 そんな事を、今さら思う。この世界から居なくなってしまった人から、答えが返って来るはずも無いのに。

「違う……違うぞ……! 私は……敗北した! なのに……何故、生きている!」

 真剣を向け合っての勝負。その結果はどちらかが命を落とすもの相場は決まっている……なんてことは女が生きる世界のルールだ。

 ジョセだって共感しないでも無いが、今はまた別のルールで生きていた。

「お前の剣を削り取った段階で、僕は手を緩めた。刃も立てなかったから、峰打ちって事になる。まともに立つ事が出来なくなる程度の威力に抑えるくらいは……僕にだって出来るさ」

 剣を握った時の器用さにおいても、ジョセは他者より大きく優れている自信があった。それをただ発揮させただけなのだ。

「わざと……生かしたのか! 私を! 真剣の勝負だったはずなのに……!」

「そうやって悔しい顔をしてくれるなら、少しはこっちの溜飲だって下がる。こっちのルールを教えておいてやるよ。僕は剣を使う。剣に自分を捧げる。そういう人生を送るつもりではあるけど……もう一つ違う人生もあるんだ。最近は」

 それを、教えてくれた同僚も居る。同僚からはそれを求められもした。だからこっちに関しても、自信を持って言えるのだ。

「僕はカーナンバック自治騎士団、特殊犯罪対策室所属の騎士団員だ。罪を犯したお前を、生かしたまま捕えて、罪を贖わせるのが僕の今のルールなんだ。この街で違法行為をした身として、良く憶えておいてくれよ」

 そうだ。ジョセはこれからも、騎士団員として生きて行く。そういう道もまた、ジョセには存在していた。




「ま、何にしても、うちの手柄にはしたのだから、私の評価にもなって欲しいと思う事件だったな」

 特殊犯罪対策室にて、室長のオットー・コンコルドの声が響く。

 その響きをミリアも耳に入れるのであるが、同じ部屋に居るはずのアレクシアスは返答してくれない。結果として、ミリアが答える事になった。

「確かに、室長も良く動いてくれたと思いますよ。ちょっと動きを間違ったら、勝手をしたのはどうなんだって、うちが文句を言われる立場になっていたんですから」

 他の部署より先んじて、連続殺人犯を捕える事が出来た。直近での特殊犯罪対策の評価はそういうものになっているが、一歩間違えれば他の部署との連携を無視したあげく、所属員から容疑者まで出して混乱を引き起こした、独断専行する部署などと言われていた可能性もあったのだ。

 そうはならなかった事は、オットーが管理者として走り回ってくれた結果だと、ミリアも思うのであるが……。

「思うのだがね、この成果が評価されて、晴れて捜査専門部署へ異動する事も出来るのでは無いかと私は思うんだ。どうかな? 出来るだろうかミリア君」

「ううーん」

 まあ、無理だろうとは思うが、言葉にしない優しさがミリアにはある。一応、騎士団長肝いりの部署だ。そこの所属員は、早々に動くという事も無いだろう。

 もう少し、部署としては盤石にならなければ。

「あ、そうだ。ちょっと今から行くところがありますので、話は後で良いでしょうか?」

 早々に逃げの言葉を発するのであるが、用があるのは事実なので、席から立ち上がる。

「ジョセ君のところへ行くのかい? なら、また今度、検査に付き合ってくれと君から言っておいてくれないか」

 黙っていたアレクシアスが、部屋から立ち去ろうとするミリアに対して話し掛けて来る。

「伝えはしますけど……あんまり良い顔はしないと思いますよ?」

「だが、殺人事件の犯人の語るところに寄ると、また剣で異質な現象を起こしたそうじゃないか。それも他者のそれを上回る形で。ワタシはどうにもそれが気になってねぇ。こう、絶対に魔法絡みの力だと思うのだが、本人はそんなんじゃないと言って来るんだ。どう思うかいミリア君」

「まあ、ジョセは魔法が苦手みたいですし、説得はアレクシアスさんがお願いします。あ、伝えては置きますので!」

 出来るだけはぐらかして話す技能というのも、組織に属するうえでの必須のものだろう。

 今後とも同じメンバーで多くの事件を解決していかなければならないのだから。

 そんな風にミリアは考えて、特殊犯罪対策室を後にした。




 大都市カーナンバックと言えども、墓地は郊外にある。

 小高い丘になっている場所を中心に、幾つもの墓が並んでいる光景は、この都市に多くの人が生き、死んでいった事を意味している。

 そんな並ぶ墓の一つを前にして、ジョセはただ目を閉じていた。

「……」

 暫く、目を瞑り、自分に問い掛ける。この墓の下には、父親代わりだったシンオウ・ライザンが眠っている。

(泣く機会を逃したって言うのかな。今の気分は)

 目の前の墓を見て、故人にもはや会えないという事実に心が空虚になるのは感じる。悲しさだってそこにはちゃんとある。

 だが、泣く程の事では無い。そんな酷な事を感じる自分も居た。

 きっと、彼の死を知った直後に、その事実に対してしっかり考えていれば、素直に涙が出たのだろうと思う。

 だが、ジョセはそういう選択をしなかった。言うに事欠いて、師を殺した犯人に対して興味を持ってしまったのだ。

 今、泣けない事がその考えに対する報いなのだとしたら、それは受け入れるべきだ。ジョセはそう思う。

 隣に立っている、ジョセの兄、ザック・アールバンクに関してはどうか分からないが……。

「お前には、世話になったな」

 ジョセと同じく、泣いてはいない兄の言葉を聞いて、ジョセは首を傾げた。

「世話になっているのは、僕の方じゃない?」

「ま、それはそうなんだが、この件に関しては、私は碌な事が出来なかったからな」

 シンオウ・ライザンを含む街の住民の数人が殺された事件に関して、確かにザックは特別に目立った動きは出来ていなかった気はする。

「騎士団の団長だから……それは仕方ない事だと思うけど」

「それもそうだが……だからこそ、自分の親代わりであった相手が殺された事も、仕事の一つだと思ってしまう自分が嫌になる」

 だから、兄の方もそんな自分の報いとして、涙が出ないのかもしれない。

 似ては居ないだろうが、どこか兄弟らしい繋がり。それがザックとジョセにはあるのだろう。

「あのさ、兄さん」

「うん?」

「先生の前だから言える事って、あっただろう?」

 兄弟らしく、お互いに親の居ない家庭だ。二人だけだと何時もギクシャクして、親代わりのシンオウ・ライザンが間に入る事で言えた事というのもあった。

「確か……お前が近所の女の子に初恋をして、どうやったら良いか私に相談しようとした時とかな」

「まだ憶えてたんだ? 忘れてよ。そっちも先生からそういう話を持って来られた時、随分と悩んでる様子だったろう?」

「恋というのは、一過性の物か、どんな時でも起こる業の様なものかなんて先生に尋ねられた時は、この人が老いらくの恋でもしたのかと思ったもんだよ」

 そう言ってザックは思い出して笑った。泣けなくても、故人との思い出に笑う事くらいなら、お互いに許されているらしい。

「もう、そういう風に先生を挟んで話なんて出来ないだろうから、今回が最後になる。僕はさ……兄さんに、騎士団員にして貰って、感謝してる。それがどんな方法でどんな形だろうと、今は感謝してる。それだけ」

「そう……か」

 男兄弟の話になんて、そう長くは続かない。お互いが何を思うのかについても、いまいち伝わらない。

 けれど、それでも相手は兄弟なのだとは理解している。そんな関係。

「私の方はな、感謝じゃなくて嬉しい気持ちもあるんだ」

「嬉しい?」

「箸にも棒にも掛からない様に思えた弟が、それなりに仕事が出来ている。兄としては、こうも嬉しい事は無い」

 そんな言葉を交わし合った後、暫しの沈黙が続いた。

 だが、何時までもそうはしていられない。先にそんな事を考えたのは兄のザックの方だった。

「私はそろそろ、仕事に戻るよ。実は休暇中じゃあないんだな。今日は」

「それは僕も。お互いサボりで一緒に帰るのもあれだし、先に庁舎に行っててよ。後から僕の方は叱られる」

「……そうでも無いんじゃないか?」

「え?」

「次の仕事が向こうから来たみたいだしな」

 兄はそれだけを言い残して去って行く。そうして、彼と入れ替わる様にしてやってきた相手が居た。

「どう? ジョセ? お別れは済んだ?」

 ミリア・カーク。彼女が景色の向こうからやってきて、兄のザックとすれ違い、そうしてジョセの目の前へとやってきた。

「やあミリア。今日も元気に仕事かい?」

「ええ。忙しい最中。だからちょっと、猫の手も借りたい気分」

 なら、仕方ないか。そう思う。

 シンオウ・ライザンとの別れ。それは悲しんだり死者に語る事では無く、次の仕事と一緒にやってきたらしい。

「猫の手より頼りになるかは分からないけど、うん。じゃあ僕も同行するよ。実を言えば、ちゃんと騎士剣は持って来てるんだ」

「お墓参りの時もそうなの? あなたったら」

「剣の先生のお墓なんだから、それくらいは許してくれるよ、先生ならさ」

 そう言って、墓に向かって軽く辞儀をしながら、そこから離れて行く。

 ミリアもそこに並び、騎士団員としての仕事を始める事になる。

 さて、次の事件はどういう厄介事なのだろうか。騎士団員としてのジョセが、何か役に立てる物だと良いのであるが……。

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