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第二話 魔法使いという職業

 部屋の中。ジョセの指導官だったオットー・コンゴルト一等騎士団員が、不機嫌そうな目で書類を見つめている。

 その部屋の中には机が三つ。大きめのオットーのものと、小さめのジョセとミリアのものがさらに一つずつ。机の配置はオットーが横で、ジョセとミリアは向かい合わせの縦の形で、三つ揃ってTの字になりながら、それぞれの机に座っている。

 それがこの部屋、特殊犯罪対策室の何時もの光景だ。

 ついでに説明するなら、オットーの方から聞こえて来る恨みがましい声がジョセの耳へと届いて来るのも、何時もの光景だと言える。

「ジョセ・アールバンク三等騎士団員……この報告書、また誤字脱字が多い様だなぁ?」

「あ、あはは。あれ、また何かやっちゃいました?」

「やっちゃいました? じゃない。何度目だ? これは何度目の指摘だ? 分かっているのか?」

「は、はい。三回目くらいであれば良いかなと」

「これで七回目だ! いい加減にまともな書類を上げて来い!」

 と、書類を顔に叩きつけんばかりの勢いで返されて、ジョセは溜め息を吐く。

 現在、特殊犯罪対策室には三名の騎士団員が所属している。

 候補生から三等騎士団員になってすぐに配属されたジョセとミリア・カークの二名に、室長として、一等騎士団員のオットーが管理者の役割で配属されたらしい。

 部屋はまだ広く、今後の動向に寄ってはさらなる増員もあるとの事だが、今はこの三名で特殊犯罪対策室を動かしている。

 そんな関係性と組織の中で、どうにもジョセはオットーから良く思われていない様子。

(候補生時代に兄さんのコネをチラつかせたってのも原因としてはあるよね、これ……)

 幾らジョセの普段の仕事振りにミスが多く、ぼけーっと何も無い空間を見つめる事もたまにあり、机の前で唐突に屈伸を始める事があったとしても、ここまで当たりが強くなる事は無いだろう……多分。きっと。

「私はなぁ、ジョセ・アールバンク。候補生の指導官はあくまで怪我をしている間の腰掛けで、それが治れば治安維持課の方に復帰する予定だったんだ。それを分かっているか? 分かっているのか? ジョセ・アールバンク」

「い、今、書類を直しているので、フルネームで名前を呼ばないでくださいよ……。ほら、また書き間違いそうになった」

「良ーか? ジョセ・アールバンク。お前がどんな手段を使って、私をここに配属させる様に騎士団長に頼んだか知らないが、私はなー、絶対にお前に、手緩い態度を見せたりしないからなー?」

「別にオットーさんがここに配属されたのは僕の差し金とかじゃありませんってー!」

 半泣きになりつつ、では誰の差し金なのかを考えたところ、やっぱり自分の兄、騎士団長のザック・アールバンクの仕業なのだろうと結論を出せてしまえる今日この頃。

 日々は胃が痛くなる物が続いて居るが、そろそろ助け船がやってきても良い頃だ。

 実際、部屋の扉が勢い良く開いてくれた。

「ミリア・カーク三等騎士団員、ただいま戻りましたー。どうせ二人とも昼食まだでしょ? パン買ってきたからこれでも食べてなさい」

 と、ミリアが威勢良く部屋へ入って来るや、ジョセとオットーの机の上に紙袋を置いてくる。ほのかに温かいので、焼き立てのパンを買ってきてくれたらしい。

「むぅ。ミリア君か。ついでの買い出しありがとう。で、何か収穫はあったかね?」

 さっきまでの恨みがましい声や表情をすっかり消して、騎士団員らしい精悍な顔つきで、ミリアに尋ねるオットー。

 何やら納得できない感情がジョセの内側からふつふつと湧いて来るものの、今の話題はミリアの方に移っていた。

 彼女も別に、昼食を買ってくるために外出していたわけでは無いのだ。

「はいはい。以前から続いている住宅破壊事件だけれど、現場すべて見回って来た所見としては、力持ち程度の人間が出来る物じゃなかったですね。ただ、獣や魔物の仕業とも言えないと思います」

 この特殊犯罪対策室に所属してからのミリアは、あっちこっちへ街中を飛び回らん勢いであった。

 カーナンバックの街は、今や不可思議で凶悪な事件に溢れている。それを追い、解決するという立場が随分と性に合っているらしい。

 今回も彼女は、カーナンバックのある区画で近頃発生している、住宅が突如破壊されるという事件を追っていた。

 ジョセも一件程現場を確認してみたが、一般的な二階建ての家屋の外壁が完全に抉られ、中身の構造が外から丸見えの状態になっていた。外壁だけで無く、破壊は中の部屋にまで及び、まさに半壊と言える有様ながら、破壊から免れた残った部分は綺麗なままだったので、奇妙なオブジェか何かと思った程だ。

「人間の仕業とは思えない破壊跡というのは私も分かっているが、魔物等の仕業では無いというのはどういう事か?」

 ミリアの報告については、真面目に検討しているオットー。本当にジョセを相手にする時とは大違いだ。

「詳しくはすぐ報告書で纏めますけど、どの現場でも破壊跡が一定で……なんというか丁寧なんですよね。何かのルールや決まりがあるんだと思います。例え魔物だったとしても、人間並みに知恵が無ければ出来ませんよあれ」

 と、ミリアは自分の机に向かい、持ってきた資料を纏め始める。いったい目と手が幾つかるのかと思える素早さで書類が出来上がってくる光景を見て、ジョセは感心するばかりだ。

「また、うち向きの事件になりそうだな。早晩、正式に指示が下りてくるだろうから、今の内にミリア君。君は捜査を続行しておいてくれ」

「了解。そのつもりです。ああ、ジョセ、連れて行っても大丈夫ですか?」

「ああ、勿論。君が望むのなら幾らでも。少なくともここで何度も書類を書き直しているより余程、税金の有効活用になるだろう」

「ああ。僕の意見はさて置かれてるって事だね?」

 と、話に入ってみるものの、特に意見は返って来ない。なるほど。これがさて置かれている事を肯定されるということか。

「あー、もう。いじけない。人間が出来るものじゃないって事は、もしその犯人と出会ったら私の身が危険って事よ? 護衛としてはこの上なく期待してる」

「そういうフォローは良いよね。僕なんかにも役割があるって信じられる。あ、室長。帯剣許可大丈夫ですか?」

「騎士としての業務範囲なら、帯剣はいちいち上役の許可なんぞなくても許されてる。さっさと持ち出して街に向かっておけ」

 と、手をしっしと揺らしてくるオットーを見れば、どうしてここまで態度が違うのかと思いたくもなる。

なるのだが、普段の言動のせいだと言われると何も言い返せなくなるので止めておく。

「で、言う通り、護衛が必要になる展開になると思ってる? ミリア?」

「それをこれから、調べたいってところかしらね」

 まだまだ調査の序盤。ミリアが伝えて来たのはそういう類の言葉であった。




 今日何度目か、建物を見上げた結果、首が痛くなってきた。

 そんな風に思うのは自分だけだろうかと、ジョセは隣に立っているミリアを見つめる。

 場所は大都市カーナンバックのとある住宅区。二階建てや三階建ての住宅並ぶ路地での事。

 まだまだ太陽が高く、上を見上げれば眩しいものの、ミリアの方は険しい表情を浮かべていた。別に首が痛い事が原因ではあるまい。

「ねえ、ジョセ。これ、どう思うかしら。ここで三件目。騎士団が確認しているところでは、既に六件の家がこうなってる」

 と、ミリアはジョセに尋ねて来る。

 見上げる住宅は、半壊していた。家の中心から路地側が抉り取られる様に消え去っているのを半壊と表現すればであるが。

 とりあえず、この様な現場が、この地区のあちこちに存在しており、ジョセ達特殊犯罪対策室が担当する事件にもなる予定らしい。

 その事について、ミリアから建設的な意見を求められているのだろうが、ジョセの方は何が彼女の望む意見なのかは分からず、率直な感想を述べる事に決めた。

「なんというか、綺麗だよね。すぱっとなくなってる。壊れた側の部分の瓦礫は下に残ったままだけど」

 抉られている。やはりそういう表現が正しいのだろう。壊れていない部分は原型を保った側であるからこそ、光景の異様さが目に付く。

「まるで何かに切り取られたみたいな感じよね。尋ねるんだけど、あなた家とか斬れたりする?」

「さすがに無理だよ。剣で家を斬るのなんて」

「本当?」

「……いや、実はやれなくも無いだろうけど、違うからね。全然僕じゃないから!」

 もしや容疑者にされているのでは無いか? それは否定せねばならないと慌てて手を振るジョセ。

 確かに同じ様な現場を作り出せるかと問われれば、剣さえあれば幾らでもとは思う部分こそあれ、出来るから犯人だなどと思われればたまらない。

「別に疑って無いわよ。けど、出来る人間は探せば居る以上、人間を容疑者から外す事も出来ない。それが残念」

「何らかの事故とか狂暴な野獣相手の方が、まだ分かりやすいしね。この街に、人間は沢山いる」

 その沢山の人間から、こんな事を仕出かす存在を探す。難しい様な簡単な様な。

「とりあえず、犯人はこいつだとは決めつけないまま、絞り込む事から初めてみましょう」

「犯人の目星も付けずにそんな事が可能なの?」

「まだ人かどうかも分からないでしょ。けど、どうしたかはこれで、もしかしたら……」

 と、ミリアは自分が持ってきたバックの中から、筒の様なものを取り出す。筒には片側の先端に蓋と、中央にガラスの板が嵌められていた。

「あー、それ。確か……えっと、なんだっけ……」

「座学で習わなかったの? 最近小型化と持ち運びが出来る様になった魔力探知機。まだ騎士団には正式に配備はされてないけど、技術開発課の知り合いから借りて来たの」

「へぇ。他の課にも知り合いなんてもう出来てるんだ。さすがにやり手は違うね」

「あなたが人間関係の構築に億劫なだけじゃないの?」

 なかなかに憎らしい事を言ってくれる。しかし、こうやって話をする間にも筒の蓋を開いて、現場周辺で揺らした後、蓋を締め直している器用さを見れば、何も文句を返せなくなる。

「あれ、なんかガラス板が赤く光ってるけど、外れ?」

「いいえ。色が変わったって事は、私達にとっては幸運よ。ここで最近、何か大規模な魔法が使われたって事だから」

 確かにそれは幸運な話だった。しかし、これからはどうだろうか。

「犯人は魔法使いって事かぁ……あれだね。魔法って斬れたりするかな?」

「試した事無いの?」

「いいや、実はある」

 その結果を受けてのジョセの感想であるが、魔法使いは極力相手にしたくない相手だというものだった。




 魔法使いについて語る時、それは知識と技術を持った頭の良い人間という想像が頭を過ぎる。

 世界には魔法が溢れ、大都市カーナンバックにおいても魔法が関連する技術の恩恵により、その都市を維持しているところは多分にある。

 夜を照らす街灯、建築物の補強、自治騎士団の装備、一般宅の調理器具に至るまで、魔法が使われていない技術というのも少なくなって来た昨今。

 ただ魔法を使うだけならばそこらの人間だって、それに関わっているのだから魔法使いと言えるかもしれない。

 だが、それでも、現代における魔法使いという言葉は、ある種の研究家であり技術者であるという意味で使われている。

 あと、そこに何か付け足すとすれば、極まった変人であるという事か。

「ほほう? それでワタシの研究室へやってきたというわけだね? このワタシ、アレクシアス・ナタリー・オラシエール・キャラハンに!」

 と、いう様な名乗りをあげられて、ジョセはぽかんとしたまま口を開いている。

 場所は騎士団庁舎内にある技術開発課での事。住宅地区から一旦庁舎へと帰ったジョセ達は、そのままこの部屋までやってきたのである。

 そうして、ジョセはミリアと共に、目の前の彼女、アレクシアスなんとかさんと顔を突き合わせる事となった。

「えっと、これが君の言う……技術開発課の知り合い?」

「ええ。これがそう」

 技術開発課は幾つかの個室に分かれ、それぞれの部屋で担当の騎士団員がそれぞれ上役から命じられた道具や技術を開発している課だ。

 普段の装備から護身用の魔法杖、犯罪調査において有用となる道具や方法を開発研究している事はジョセも良く知っていたが、中にこんな怪しげなアレクシアス……なんとかさんみたいな人がいるとは思ってもみなかった。

「人間を指してこれという表現は、どうかと思うよ、諸君。しかし、まあそれも仕方あるまい。ワタシは君たちとは少しだけ違った立場にあるのだからね」

「少しですかね。大分な気がします」

 見れば見る程に、かなりジョセとは隔たりがある人物だと評価出来てしまう。アレクシアスの容貌は、まあ一般的な範疇だろう。整った顔立ちの女性だし、黙っていれば知的な美人と言った風にも表現できる。髪の色も以前逮捕したどこぞの大天才の虹色よりかなりまともな黒髪であった。

 ただ、まともという表現はここからの表現に一切関わらなくなってしまう。

「とりあえず……部屋のあちこちに紋様なんか描かれているのは変だし、床から机に描けても紋様が続いているのはどうなんだって思うし、観葉植物が醜く捻じれてるのはかなり受け入れ難い現象がこの部屋で起こっているんだなと実感出来てしまいますよね」

「おや。おやおやおやおや。ミリアくんミリアくん。彼、何やら口の減らないタイプなのかい?」

「ごめなんさいアレクシアスさん。この彼は私の同期のジョセ・アールバンクって人なんだけど、人生舐め腐ってて目上への態度がなってないんです」

「僕が悪いんだそれ。もしかして僕の方が常識を疑われてる……?」

 なかなかに納得しがたい状況だった。指摘したのだって部屋の状況だけで、アレクシアス本人に関しては可哀そうだからあえて言わなかっただろうに。

 全身に黒いローブを着こんでると髪の色と合わせてすごい闇って感じですねとか、瞳孔が常に開きっぱなしに見えるのは、実は死んでらっしゃるんじゃないですかとか、そういう事は言うのは親切心から我慢していたのだ。

「あのねぇ、ジョセ。アレクシアスさんは凄いのよ? 昼に使った魔力探知機だって彼女が開発した物だし、今じゃ現場調査の常識になっている変動率の高い痕跡の積極的な保護と活用についての論文にも彼女の名前が書かれているし、しかもしかも」

「あーあーあー。分かった分かった。全然分からないけど分かったって事にしておいてよ。ええっと、アレクシアスさん。どうやってミリアの事を洗脳したんですか? 魔法使いって時々そういう事しますよね」

「別に洗脳なんて事をする前に、候補生時代、私の講義を聞きたいという彼女に対して、色々と講釈した結果、こうなってしまっただけなのだが……。いやいや、まあまあ、だが、魔法使いとして出来るか? と問われれば、出来なくは無いと返すけれどね?」

 この技術開発課に所属するアレクシアスが、もっともジョセ達と違う点を言えば、彼女が魔法使いと言う事であろう。

 騎士団員という立場である事は確かだが、彼女の場合は通常の方法とは異なり、その知識と技能を買われて、今の技術開発課に籍を置いている事となっているそうだ。魔法使いとしての、知識と技能をだ。

(特殊な雇用方法って点では、僕と同じだけど、同じ人種ってわけでは無いと思う。絶対に)

 と、ジョセは魔法使いアレクシアスへの警戒を解かない。魔法使いという人種には碌な存在がいないという実感がジョセにはあるのだ。

「それで? そんな魔法使いであり、騎士団員でもあるワタシに、今日はいったい何の用かな?」

「出来れば用とか無い方が良かったって思いますけど、ミリアが言う限りにおいては、魔法に関する知識を聞くならあなたが一番なんだそうです。かなり疑惑のある話ですよね」

「その言葉にワタシは肯定すれば良いんだろうか? それとも怒り出すべきかな?」

「あーはいはい。二人とも、喧嘩は無しよ。いったいどうしたの急に。そんな相性悪い?」

 まあ確かに、アレクシアスの事を良く知りもしないで敵愾心を抱くのは失礼であろうし、相性の悪さがあるのだと思う。

 けれど仕方あるまい。アレクシアスは黒いし。何よりもまず黒っぽいし。

「ワタシとしては彼の事を良く知らないのでね。噂に聞く、騎士団長肝いりの弟さんであるというくらいか」

「コネとは言わないんですか?」

 周囲はそう言う。隣のミリアだってそう思っていた。だが、アレクシアスはそうでは無いらしい。

「ワタシもね、あの腹黒団長に誘われてここへ来た口さ。だから分かるんだよ。家族であろうとまったくの無能を彼は望んでいないってね」

 その部分についてはお互い様と言ったところだろうか。嬉しくない共通点が何度も重なるものである。

「それでアレクシアスさん! どうでしょうか? これ、現場の様子をまとめた資料と、借りていた魔力探知機ですが」

 ジョセとアレクシアスだけでは話が進まぬとばかりにミリアが身を乗り出しつつ、アレクシアスに捜査資料を渡す。

 受け取ったアレクシアスの方は、それなりの速度で資料を読み進めると、次に魔力探知機の色をしげしげと見つめて呟いた。

「とんでもないのが在野で居たものだねぇ」

「在野?」

 首を傾げているミリアに対して、アレクシアスは笑いながら答える。

「これは間違いなく魔法が使われているし、その使い手が一個人なら、並の魔法使いじゃあない。探知機の反応を見るに相当な規模の魔法を実行している」

「ええ、そうなんです。一つの家が半壊する様な―――

「その程度で納まるはずが無いのだよ。現場では本来、家が壊れるという規模以上の何かが発生していたはずだ。目撃情報はあるかい?」

 と、アレクシアスに尋ねられるも、ジョセの方は知らない。まだ調査が始まったばかりの上、あくまでミリアの護衛としてしか動いていないのだ。

 だから答えるのはミリアになる。

「すごい光はあったそうです。こう、空の方からすごい輝く何かが降って来たとの事で、光が納まって目を開いたら、家の半分が無くなって居たらしくて」

「ふうむ。輝きが空の方からね。いろいろ、考える課題にはなりそうだ」

「課題って、答えは無いんですか?」

 何かを考え始めたアレクシアスに対して、ジョセが尋ねる。というかこういう事くらいしか言える事が無い。

「魔法というものがどういう物か知っているかい?」

「便利な力なんでしょう? いろいろできる」

「いろいろ出来る様に研究、開発された物だ。何故、その様な事象が起こるのかはまだ根本部分で解明されていない。つまり、起こった事象に対して、あれやこれやと考えたり調べたりする時間が必要だと言う事だよ。君たち騎士団員の調査と同様にね」

 それを言われると弱い。ジョセが騎士団員としてあちこち足を運んでいる段階では無いのは事実だからだ。

「とりあえず、調べていただけるという事ですか、アレクシアスさん」

 ミリアの方は、実際に働いている側なので、アレクシアスの言葉を肯定的に受け取ったらしい。

「無論だとも。無駄飯食らいなどと言われないために、ワタシは日々、就業時間中は働いているよ。ジョセ・アールバンク。君もそうだろう?」

「うっ……」

 上司から報告書に文句を言われるくらいには……そう返さない程度のプライドがジョセにもあった。

「君の兄上はきっと、君が働く事を望んでいる。不得意な分野では無く得意な分野でだ。ここに関しても、お互い様とは思わないかい?」

「……」

 やはりどうにも、魔法使いという人種は苦手だった。

 彼らは人間関係や心の機微を気にしない風で居て、聡いところがあるのだから。




「ま、そっちは十分に仕事してないだろうって言われるのは一番の屈辱よね。率直過ぎて反省するしか無くなる」

 技術開発課から出た騎士団庁舎内の廊下にて、ジョセとミリアは引き続き話をしていた。彼女と話をするのは、何時だって捜査している事件絡みの事であるが、今回は些か、ジョセへのフォローが入っている。

「そりゃあ僕は捜査は苦手さ。書類作りだって下手くそだし、どっかの道の整理作業だって立ってるだけでくらくらしてくる時がある」

「それは騎士団員としてどうなのかしら?」

「けど、そうであっても、手は抜いていないんだよミリア。これでも一応、全力は出してる」

「頑張ったから頑張ったで賞を貰えるなら、世の中ってもっと幸運よ? ジョセ?」

「そこは……その通りなんだけどねぇ……」

 と、肩を落とす。ミリアにもフォローし切れないくらいには、ジョセの能力不足は目立っているし、傍から見れば努力も足りてない様に見えるのだろう。

「まったく役に立たない能無しってわけでも無いのだから、落ち込んでるだけ無駄だと私、思うわよ」

「剣の才能の事なら……そこでしか活躍出来ないっていうのも引っ掛かるところはあるかな」

「そりゃあそこは期待してるけれど、そこ以外にも、一端の正義感はあるつもりなんでしょう?」

「正義感……」

 さて、そういうものが自分の中にあるだろうか。悪い事はいけない事だという考えはあるし、食うに困っていない限りは悪い事をしようとも思わないのは、正義感と言えるのか……。

「そうやって一応、考えてるなら大丈夫よ。自分なりに真面目にしているんだったら、騎士団員としては合格だって私なんかは思う」

「正しい心だけで、何もかも上手くは行かないのは悲しいけどね」

「だからこそ、私達、特殊犯罪対策室が設立された。でしょ?」

 とりあえず、兄からの思惑はそういう類のものであるらしい。ジョセにとっては……そこで働けば、食うには困らない程度の認識しか無いのであるが。

「その肩書きを与えられた以上は、出来る事からしてみる事にするよ。で、次は何をするつもりだい?」

「行動方針は私頼りっていうの、良い事なのか悪い事なのか分からないけれど、次やる事は決まっているわ。技術開発課でアレクシアスさんから聞いたでしょう?」

 これは魔法が絡む事件。それも手練れが関わっている。そんな話だったと思うが……。

「魔法使いが犯人の可能性がある。という事は、そんな魔法使いは私達が探すの。研究畑のアレクシアスさんには出来ない、足を動かせる私達の仕事。そうは思わない?」

 ミリアの言う事は、何時だってもっともだった。彼女にはジョセの様な剣の技術は無いのだろうが、ジョセが持たない騎士団員としての適性を幾つも持っている様に思えた。




 魔法学校というものが存在する。

 文字通り魔法を学ぶための組織だ。大都市カーナンバックにおいても魔法学校は存在しており、所属する年齢層は平均で十代から二十代。それ以下の者はまだ魔法を学ぶには早いと判断されるし、それ以上となるとカーナンバックの外、さらなる魔法の知識を学ぶための国営団体、魔法大学に所属する事が大半だ。

 もしくは、魔法学校在籍時にこれと言った成果を残せず、野に下るか。

「と言っても、魔法学校そのものに年齢制限があるわけじゃあないの。通常の学校組織というよりは、塾って言えば良いのかしら? 学費さえ払えば誰だって授業を受けられるし、学校が所有する資料の閲覧許可が出る」

 ミリアの言葉を聞きながら、その魔法学校の門をジョセは見上げていた。

 なかなかに大きな施設だ。騎士団庁舎と比べればさすがに小さいのかもしれないが、その大半が教室と書庫や倉庫だと思えば、過剰とも言える敷地と施設の大きさだと言えた。

 ただ歴史があるのか、改築費用が出ないのか、良い言葉であれば古めかしい。悪い言葉ではボロが来ているという印象をジョセは持った。

「金銭さえ払えば……ね。それほど儲かっている様には見えないけど」

「そりゃあ、学費の徴収はしっかりすると言っても、金銭面に余裕があってしっかり学べる生徒なんかは国営の大学へ行くもの。どこまで行ってもそれなり程度よ、魔法学校って」

 何やら訳知り顔で語るミリアであるが、もしかしたら彼女が目指す進路にはこういう学校も入っていたのかもしれない。

 そうして、騎士団員を目指す方が良いとでも考えたか。

(個人が何を目指すかなんてのは、個人の勝手だから、詮索するべきじゃないかな。僕の方だって聞かれたら困るし)

 だからただ、ミリアの話を聞き、次に気になる事を疑問にする。

「で、例の住宅破壊事件の容疑者探しにここまで来たけど、そろそろ昼も過ぎる頃合いで、どうしようか?」

 そうこうしている間に日だって暮れて来る。生徒一人一人を調べるにしても、今日からでは些か切りが悪い気もする。

「こういう時、聞き込みをするのは生徒じゃなくて先生の方よ。今日でどこまでもが無理なら、早い内にそういう先生方に顔通しをしていた方が、後がスムーズに動くの」

「なるほど。じゃあ一人か二人くらいに会うだけで良いか」

 と、そんな風に話しながら、魔法学校の門を開く。金属質であり、やや端が錆び付いたその門は横に押すだけで開くタイプのもの。大きくはあるが仰々しく無く、毎日開け閉めされているのだろうから、警備が厳重でも無かった。

 ただ、見知らぬ人間が敷地内に入れば、人目は惹く様子だ。

「ちらちらこっちを見て来るのに近寄っては来ないのって、みんなシャイなんだろうか」

「怪しい人には近づくなって教育が行き届いているのかもね。けど、さすがに誰かしらは話し掛けて来て……あ」

 他の人間よりも年齢層が高めの男が、こちらへ近寄って来た。服装を見れば警備では無さそうに見える。

「ちょっと良いかな君たち。ここは魔法学校の敷地内なのだが、いったいどの様な用かな?」

 そんな風に話し掛けてくる年配の男を見れば、とりあえずは当たりだとジョセでも分かる。

「ああ、失礼しました。私達はこういうもので……少し、学校の先生方に聞きたい事情がありまして……」

 ミリアはそんな風に話しながら、さっそく自分達の身分証となっている腕章を見せた。

 カーナンバック自治騎士団所属を見せるその腕章は、ミリアの腕……では無く、服の内ポケットに入っていたものだ。それをわざわざ取り出し、対象以外には見せない様にする。外での調査中は、目立つ事を嫌う彼女のやり方である。

「これは……自治騎士団の方とお見受けしますが、当学校で何かありましたか?」

「いえ、あくまで学校外での事件に関する事で、少しお話を伺わせていただきたいと考えているのですが……どなたか、先生方に話を聞ければ有難いのですが……」

 あくまで礼儀は忘れずに下手に。これもミリアのやり口だ。彼女曰く、強権的に出れば警戒されて言いたくない事は絶対に言わない様になってしまうとの事。

 相手を油断させられるのなら土下座だってすると言ってのけるのだから筋金入りだ。

「そうですね。あまり長時間は難しいですが……とりあえず、応接室に案内します。詳しい話はそれからでよろしいですか?」

「はい。勿論です。ありがとうございます」

 ちゃんとスマイルも忘れない彼女を見て、ジョセが思う事は一つ。

(僕には出来ないね。これは絶対に)

 なら、自分が付き添っている意味は何だろうか。ジョセは未だに、そんな事を考え続けていた。




 学舎と同じく古さが際立つ一室へと案内されたジョセのミリア。この魔法学校における応接室なのだろうが、ソファーに座れば不安になる程度にギシギシと鳴るのを思えば、なかなかに歴史深い部屋なのだろうと思わせてくる。

(もしくは、部屋の修繕費だって切り詰めなければならない程度にかつかつな運営状況か。まあ実際はそうなんだろうけど)

 さすがに蜘蛛の巣が張っていたりはしないが、埃臭くはあった。そんな部屋で、ジョセ達は今なお、待たされている。

「学校側だって大慌てだったりしてね。自治騎士団が来るなんて、彼らにとっては大事だ」

 学校という施設を見れば、外界とはある程度隔絶した環境に見えた。内にルールを抱え込みがちな集団。そういう集団は、得てして外来の客人に対してはその存在がいるだけで慌てるものだが……。

「慌ててくれるのなら、それだけうっかり失言をしてくれるって事だから、こっちとしては有難いわよ。ああ、来たわね」

 と、部屋の扉がノックされたため、姿勢を正す。

 扉を開けてやってきたのは、先ほど、ジョセ達をここへ案内してくれた男だった。

「お待たせして申し訳ありません。先ほど、校長の許可が出て、対応できるものであれば私がする様にとの事になりました。私、この学校で教師をしているシハ・セイブンです」

 と、頭を下げて来る男。急遽こっちへやってきたのはジョセ達の方であるのに、わざわざ頭を下げてくるのは腰が低いのか度胸が無いのか。

 とりあえず教師から話を聞けるというのは上等な話であるからか、ミリアの方も頭を綺麗に下げていた。釣られてジョセも辞儀をしておく。

「それでいったい……当校でどの様な話を?」

「それほど畏まらないでください。あくまで街のある地区で現在起こっている事件について、参考までに意見を聞きたいというだけの話ですから」

「意見……ですかな?」

 教師のシハからは、その程度ではあれば別にわざわざ自分達に聞かなくても良い事ではないか? という目を向けられるも、その程度の話から話を大袈裟にしていくのがミリアという女のやり口である。

「というのも。一軒家。だいたい二階建ての一般家屋を想定してください。その半分程の綺麗に削り取るというのは、この学校の生徒であれば出来る魔法でしょうか?」

「そういう事件が……この街で?」

「はい。恐らくは魔法が関わっていると私どもは考えているところですが、魔法と言っても色々あるでしょうし、魔法使いについても色々いらっしゃるでしょう?」

「ふぅむ。そういう話でしたら、魔法使いであれば可能……とは言えますね」

 意外な言葉がシハから飛び出して来た。これはつまり、魔法の知識と技能があればそれくらいの事は誰でも可能という事であろうか。

「ああ、いえ。勘違いしないでください。この学校の、例えば一般的な生徒達には無理です。というのも、彼らはまだ魔法使いではない」

 どうにもニュアンスが違うという話であるらしい。そこについてはジョセも良く分からないし、ミリアの方も理解出来ていない様子だ。

「魔法使いとそうで無い人というのは……決まっていたりするのですか?」

「制度としてそういうものがあるという訳ではありませんが、決まっているとは言えます。要するに才能の話に近いのですよ。魔法の研究やその技能の熟達に一生を掛けられる意気込みがあるかどうか。そこが魔法使いとそうでない人物を分ける線です。当校に関しても、その線を見極めるための場所だと私などは思っていまして」

 そういう話であれば、ジョセも理解出来た。手慰みや箔付けで技術や知識を学ぶ者がいるが、それだけで食べて行こうとしたり、もうそれ無しでは生きていけないと言った人種とは多くの部分で考え方が違ってくるものだ。

「つまり、魔法使いという職というか人種なら、どれだけの労力が掛かろうと、一軒家を抉るくらいの魔法を使えると受け取って良いんですか?」

 ミリアでは無くジョセが尋ねる。これにはミリアの方から意外そうな顔をされる。そういう顔をしてくれるな。ジョセだって、気になった事はとりあえず尋ねるくらいは出来る。

「魔法というものは、未だ秩序だっていないところが多い分野でしてね。ただ学ぶ程度の知識であれば大した事は出来ません。ですが専門的な分野に一歩足を踏み込める人種なら、何を仕出かしてもおかしくは無い。昔はそういう風に語られていました。ちなみに、今もそれが多少マシになった程度しかない」

 ならば、思ったよりも事件の容疑者になる人物は多くなりそうだ。そんな風にジョセは受け取ったが、ミリアの方は少し違うらしい。

「……聞く限り、この学校においても、魔法使いと呼ばれる方はそう多く無い?」

「その通りです。私なども、一応は魔法使いを名乗りたいところですが……それに一生を掛けられるかと言えばとてもとても」

 魔法学校の教師という立場ですら、魔法使いとは呼べないという事らしい。一応、魔法の知識で職を得ている立場だろうに。

「では、カーナンバックの街において、魔法使いと呼べる人間はどれだけの数が居るのでしょう?」

「そうですねぇ。それこそ才能が溢れているのであれば、そのまま魔法大学へ向かう者が殆どですし、この街でずっと燻っているというのは中々に居ません。数で言えば、二十人よりやや多い……程度でしょうか」

 一気に容疑者が絞れた。それも魔法使いであるというだけでだ。さらにそんな事件を起こすだけの動機や時間がある者を調べれば、数はより少なくなるだろう。

「その二十人がどこの誰かが分かれば、こちらとしても有難いのですが」

「この学校の関係者であれば、名簿がありますから、お持ちしましょうか。さすがに持ち出しは困りますので、この場で見ていただければ……」

「ええ。それは構いません。是非に」

 書類を見て暗記するのはミリアの方は得意だ。多少なりメモが出来れば、彼女ならすぐに頭の中で整理してしまえる事だろう。

 それでこの魔法学校での仕事は終わりと、そう言える。そのはずだ。

 そのはずだが、ジョセはふと言葉を漏らしていた。

「あなたの知ってる中で構いませんけど、生活力の無い魔法使いって居ますか?」

「……せ、生活?」

「ええ。こいつ、駄目だな。みたいに思う魔法使い」

「それは……」

「直接言うのが憚れるなら、さっき言ってた名簿で指差してくれるだけで構いません。あなたが言ったとか口外もしませんから」

 戸惑うシハ教師に対して、ジョセは頼み込んだ。何か、自分なりに考えられる事が見つかったかもしれないから。




 魔法学校から騎士団庁舎への帰り道。既に日が暮れる中、今日の報告書作成は残業だなと思いながら、ジョセとミリアはカーナンバックの猥雑な道を歩いていた。

「それで、さっきのは何?」

 ふと、ミリアが尋ねて来る。学校を出て、暫く世間話をした後の問いかけだったが、何を言っているのかくらいはジョセにも分かった。

「余計な質問したかな。あの魔法学校の教師の人に」

「シハ・セイブン教師。相変わらず人の名前を憶えるのが下手ね」

「記憶力に下手も上手もあるんだろうか」

「あるのよ。そのコツを教えてあげるって言ってるのに」

 そのコツを教えて貰う作業が実に面倒そうだから倦厭しているのである。と、そう返すと何時も口論になってジョセが敗北するので、黙るしかない。

 代わりに、ミリアの方が話を続けて来た。

「意味がある質問なら、余計な質問なんかにはなかなかならないものよ。だから聞いてるの。どういう意図かって」

「意図と言っても、なんとなくだよ。犯罪ってさ、直情的な行動じゃない限りは、割に合わないものだろう?」

「まあね。多少なりともまともに智恵が回れば、別の賢い方法が幾らでもあるって気が付く」

「今回の家を抉るなんて、あっちこっちで起こってるから、咄嗟の仕業じゃなく、何かしら願いがあるからなんだろうけど、その願いが叶わないから、面倒臭い方法として犯罪を選んだんじゃないかなって、そう思った」

 そう思ったから、尋ねたのだ。そういう輩はきっと生活力が無い連中なんだろうと。そういう魔法使いはいるのかと。

「なんで割に合わない事をする人間は、生活が上手く行っていない人間だと思ったのかしら?」

「魔法使いがどういう人種かの話を聞く内にさ、ちょっと。ほんのちょっとだけど、僕に似ているなって、そう思ったんだよ」

 彼らは魔法に対する求道者めいたものがある。そんな印象をあの教師からは覚えた。そうしてジョセもまた、腰に下げた剣一本への思いに対しては、まあそういう部分もあるだろうと思う。

「あなたと魔法使いがねぇ」

「そりゃあね。世間的に魔法使いなんていうのは頭の良い立派な人達だから、比べるのは失礼かもしれないけど……一応、僕の方はなんとか生活出来ている。職にだって就けた。けどそうじゃなかったとしたら、この剣を使った何かの事件を起こしたんじゃないかって、そう思うんだ」

「それは……自暴自棄になって?」

「どうだろう。似てるけど、ちょっと違う。多分、誰かに認めて欲しくなるんだ。僕はこれだけ凄いんだぞって」

 これでも、剣に一生を掛けている。剣の才能を見出されて後、剣の鍛錬だけは手を抜いた事が無いし、創意工夫を絶やしていない。

 幸運な事に、そんな技能を兄に認められ、騎士団に入団したジョセであるが、そんな剣への思いがすべて、世間から無視されたとしたら……。

「なるほど。だから生活力が無い。自分の技能を認められていないと考えて居そうな魔法使いはいるかって尋ねたのね」

「そういう事。不味かったかな?」

「そんな事は無いわよ。疑問点としては私には無い発想だし、聞く限り、的外れでも無いと思う。犯罪って、やっぱり動機が重要だものね。けど……」

 ミリアは言い淀む。その理由についても、ジョセには心当たりがあった。

「いやまあ、僕も予想外だったな。見せて貰った名簿のだいたいがそうだなんてさ」

 どうにも、この街の魔法使いは生活に困窮している者が多そうである。犯罪を行う動機は、誰しもが持っていると言えた。




「帰って来たところで申し訳ないが、二つ程報告がある」

 特殊犯罪対策室へと戻ったジョセとミリアを待ち受けていたのは、いかにも面倒な事があったと言わんばかりの表情を浮かべる上司、オットー・コンゴルトの顔と、嫌な予感しか無いそんな言葉であった。

「えっと……また僕の報告書の誤字脱字がありました?」

「そんなものいちいち大層に伝えずに、お前の胃が痛くなるタイミングでぐちぐちと言うだけだ。今回の方は違う。一つはお前達が追っている住宅破壊事件について、正式にうちへ仕事が降りて来た。喜べ。今後は表立ってこの事件に関する行動が出来る」

 胃が痛くなる話の方をさて置かれるのは引っ掛かる部分があるものの、予定通り、特殊犯罪対策室の仕事がやってくるのはまだマシな報告だろう。少なくともミリアやオットーの様な働き者にとっては。

 ただ、予想通りである以上は驚きも無い。ミリアの方を見れば、彼女は二つ目の報告について気になっている様子だ。

「それで、オットー室長を不機嫌にしている報告というのは何でしょうか?」

「ふん? 顔に出ていたか? ま、実際私で無くとも騎士団員であれば誰でもこんな顔になりそうな話だ。また事件があった。件の住宅区での話だ。場所を教えるから、早速向かってくれ」

「またですか? 犯人は?」

「通報はついさっきにあって、捜査課の連中はもう向かっているが、良い連絡はまだ無いな」

「私達もすぐに向かいます。行くわよ、ジョセ」

 ミリアはそう言うと身を翻して部屋を出ていく。当たり前みたいにジョセも同行するものだと考えながら。

「あー……残業確定は覚悟してたけど、徹夜なんだろうねこれ」

「愚痴なら犯人を確保してからお互いに言い合いましょ。出来れば、行ってすぐにもう捕まえたなんて報告が聞ければ一番良いのだけれど」

 自分達の功績を奪われる前になどと言わないところにミリアの良い部分があると思うが、ジョセにしたところで、早々に事件が解決してくれれば有難い。

「うちに仕事が回されるっていうのは、つまり、そんな都合良くは無いって事だろうね」

「気合入れて行くしか無いわよ。じゃなきゃ心の方が折れちゃいそう」

 大都市カーナンバックは妙な事件が多い。そんな妙な事件を解決するためにこそ特殊犯罪対策室が新設されたのだから、自分達が動かなければ解決もしない。

 そんな現実がここにあった。いや、もう部屋を出て、庁舎内の廊下を走っている最中ではあるが……。




 辺りはすっかり夜になり、魔法光に寄る明かりが街を照らす中で、騎士団員達が走り回っている。

 住宅破壊事件が多発する地区。そこでまた新たに事件が起きた。通報からはまだあまり時間が経過しておらず、付近にまだ犯人がいるかもしれないと、騎士団員達はそれぞれに調査範囲を分けて探し回っているが、良い結果には繋がっていなかった。

 そんな状況で、ジョセ達は犯人捜しでは無く、事件の現場に立っている。

「住宅破壊事件……とは呼べなくなったわね。これ、今後はどう呼ぶべきかしら」

 ミリアがその光景を見つめて呟く。場所は事件が発生している住宅区の中心付近。そこにある公園だ。

 いや、公園だった場所と表現するべきか。

「公園自体はそこまで広く無いけど、これ、深いね。どこまであるか分からないけど……これも魔法なら、大掛かりに過ぎる」

 ジョセもまた、元は公園であったその現場で穴を覗いていた。

 今のところ、被害者は居ないらしいが、それでも、誰かが巻き込まれて居れば命は無いだろう。これまでの住宅破壊にしても結構な物だったが、今回に限ってはさらに一段、規模が上がったかの様な印象を受ける。

「区画破壊事件。もうそう表現できるかもしれない。犯人の狙いって、つまり、この住宅区そのものへの破壊活動よこれ」

 ミリアの言う通り、度が過ぎている。いや、そもそも住宅を破壊した時点でそれはそうなのだが……。

「街そのものに不満があってこうしてるのかな……」

「あなたが言ってた、世の中に不満がある魔法使いって線が強くなったかもしれない。自分の力を誇示しているって風ではあるもの……これ」

「公園一つまるまる潰すのも、その仕方としてはどうかなって僕は思うよ」

 だが、それでも、そんな事件を引き起こす犯人はいるのだ。正気の沙汰では無く、まさに特殊犯罪と呼べる内容になってきた気がする。

「人手を使っての捜索は私達には出来ない。うちはそこまで人員が豊富じゃないし、他の部署に良い顔もされないでしょうから」

「ま、どこまで行っても僕らは新参者だし、今もこうやって、特殊犯罪に対策するなら、捜査じゃなくて現場で頭使ってろみたいに言われて、ここに居るわけだしね」

 出来る事なら、あちこち走り回っている方がまだ楽だろう。ただひたすらに努力していれば、そのまま成果が転がり込むかもしれない。

 ただ、やはり特殊犯罪対策室には現状、それを求められてはいないらしい

「犯人が何を考えて、何をどうしているか。そこを考えて行かなくちゃいけないのが私達の役目ってところかしら」

「僕はそれ、かなり苦手だな」

「でしょうね。だから私がする。あなたは……こんな事を仕出かせる魔法使いに私が襲われた時にどうするかを考えてくれたら嬉しい」

「了解。油断出来る相手じゃないのは同意するところだよ」

 腰に下げた騎士剣に手を触れる。これを抜き放たない限りは、ジョセはどこにでもいるなよなよとした男でしか無いが、この剣に頼りさえすれば、魔法使い相手だって戦える自信だけはあった。

「それにしたところで、犯人を特定しないと何も始まらないのだけれどねぇ。どうしたものか……」

 頭を悩ませる問題だ。犯人が魔法使いであると考えたうえで、彼らのうちの誰を絞っていくか。明日からの課題を、今の内から考えなければなるまい。

 そんな風にミリアと顔を突き合わせていたところで、声が掛かった。

「おーい。二人ともー。良かった。ここで出会わなければここら一帯を探す事になっていた事だろう」

 その声の主は技術開発課所属の女、アレクシアス……そう。確かアレクシアスという名前は濃い性格だったのでジョセも記憶していた。

「わ! アレクシアスさんも現場に駆り出されたんですか?」

 ちょっと元気を取り戻した風のミリアを見ると、何か妙な部分での相性の良さを感じられるが、ジョセの方は幾分かやる気が削れた。

 面倒な事態の中で、面倒な話を聞かされそうだからだ。

「いやいや。ワタシは何時だって研究職だよ。ここに来たのは、君らが目当てだったからだ」

「君ら?」

 らを付けられたので、ジョセも反応する。捜査が絡む話だろうから、てっきりミリアのみが目当てだと思っていたのだが。

「不服かい? ジョセ・アールバンク君。少なくとも、ワタシが持ってきた話は、君にとっても無関係では無いだろうさ」

「その持ってきた話というのは、今回のこの……公園にも関わる話なんですか?」

 穴の開いた場所としか表現出来なくなっているそこを見つめるジョセ。そんなジョセの様子の何が面白かったのか、アレクシアスは微笑を浮かべた後に口を開いてきた。

「ふふん。ワタシもまだまだ、君らが追っている犯人の魔法については調査中なのだがね。ここで新たな結果が発生した事で、確度が一気に上がった。だからこその報告なのだよ」

 なかなか仕事熱心な事であるが、報告の内容に寄れば無駄骨になる可能性もあるため、感謝の言葉は後に回した方が良いだろうか。

 そんな風にジョセが考えている間に、ミリアの方は若干目を輝かせながらアレクシアスに尋ねていた。

「アレクシアスさんはいったい、何に気付かれたんですか? 私、是非にご教授いただきたいと思っています」

「うむ。だが語る前に確認しておきたいのだが、この地区で発生していた住宅の損壊について、抉れた様に鋭いとの報告書があったが、それでもそれは倒壊だと表現していたね? それはつまり、瓦礫はその場に残っていたと考えて構わないかい?」

「はい。損壊した部分の住宅の瓦礫は、破片になりこそすれ、ある程度の原型を保ったまま、その場所で山になっていました」

 ミリアの言う通りの状況を、ジョセも見ていた。住宅は削られていたものの、その削られた分はその場に存在していたため、起こった事は住宅の一部分の倒壊であると判断したわけである。

「ふむふむ。そうなると……その時に起こった事は、下から上への力と表現するべきか……」

 顎に手を当てて考え始めるアレクシアスをじと目で見つめるジョセであるが、いい加減に焦れて来たので口を開く。

「なんです? 考えを深めるならここより自分の研究室の方が良いのでは?」

「その通りだ」

「はい?」

「ここじゃない方が良い。君たち。もっとこっちに寄りたまえ。出来ればあの穴から離れて。多分そろそろだ」

 と、アレクシアス自身も後退しながら、彼女はジョセ達も自分に寄る様に促してくる。

 とりあえずそれには従うが、やはり彼女が何をしたいのか分からないまま、頭を掻こうとして―――

「!?」

 轟音が鳴り響いた。耳が全身ごと砕け散ったかと思う程の音が辺りに響く。それはジョセ達の背後。丁度、大穴があった場所から聞こえ、咄嗟に振り向けば、そこには穴が存在していなかった。

「なんだ……これ?」

 穴は塞がり、代わりに土が詰まっていた。一部には公園にあったであろう遊具も一緒に混ぜて捏ねて押し付けたような、そんな土で穴は塞がっていたのだ。




 夜が深まる中だというのに、騎士団庁舎内の慌ただしさはより大きいものになっていた。

 というのも、今まで奇跡的に死傷者が出ていなかった住宅破壊事件で、遂に怪我人が出たのだ。

 穴の開いた公園だった場所に再び土が詰まっているという奇妙な状況で、穴の近くに立っていた騎士団員が巻き込まれたというもので、足と腕を一本ずつ折る事態になった。

 全治にして数か月。死者が出ないだけ幸運だったと言う程、悠長にしていられるものでは無くなってしまっていた。

 そんな状況で、ジョセはミリアと共に、アレクシアスの研究室で悠長に待機している状態である。他の騎士団員の視線が痛い。この研究室には、ジョセ達の他に騎士団員も居ないのであるが。

「今度また別の事件が起これば、今度こそ誰かしら死者が出る。今回はそれ程の規模であったと思うが、諸君の意見はどうかな?」

 と、アレクシアスは聞いてくるが、そんなもの聞かれなくとも分かり切ったものであった。

 規模が大きくなっている以上、そこへの被害はいずれ命に係わるものになるのが自明の理であろう。

「魔法使いがあれを仕出かしているというのなら、僕にとっても脅威だ。いずれぶつかるにしても、どれほど戦えるか……」

 相当の範囲の土地に、突然穴を開けたり、それを埋めたりするような魔法を使う相手に対して、お前は対抗できるのかと聞かれれば、試してみなければ分からないとしかジョセには言えない。

 その程度に、常識離れしている事態であろう。

「犯人を特定したとして、抵抗されたらあなたに頼るしかないのだけれど……そう言われると、こっちも不安になってくるわね」

 ミリアの心配ももっともだった。下手に追い詰めたらまた別の事件が発生してしまう。そういう危機感だって持つべき状況かもしれない。

「そこについては、とりあえず認識を改めておくべきだよ諸君。今回の事件を起こしている魔法使いは相当の技能や知識を持っているだろうが、相手の実力を買い被るべきでも無い」

「あなたは何か分かっている様子でしたよね。公園での事件に関しても前もって、ああなると分かっていた風だった」

「無論。わざわざ足を運んだ以上は、何が起こったのかは把握出来ているよ。ちなみに言って置くが、ワタシは上等で相当な技能を持った魔法使いではあるが、犯人じゃないからね。だから睨まないで欲しいな。ジョセ・アールバンク君」

 別に騎士団員であるアレクシアスを疑っていたわけでも無いが、そういえば犯人が魔法使いであるという事は、目の前のこの女も容疑者になるのかと言われて気が付く。

 当人は否定しているが怪しいものだ。

「ま、とりあえず。犯人がどの様な魔法を使っているのかは恐らく判明したのでね。それを説明しにあの現場へやってきたのだよ。で、丁度その現場にワタシだって巻き込まれた」

 と、服の裾を示すアレクシアス。彼女の白衣の裾は、かなり土で汚れていた。

「でしたら、ここで説明を求めます。アレクシアスさん。あの公園で何が起こったのか……土があちこちに飛び散っている事からして、あれは公園に元々あった物が再び降って来たと考えて良いのですよね?」

「そう。その通りだよミリア君。あの公園だった場所の穴は突如開いて突如閉じたのではなく、穴が開いた分の土地が中空に浮かび、そうして落ちて来たんだ」

 現象が夕方から夜に掛けて起こった事なので、空に浮かんでいる土地を見る者は居なかったのだろうが、そのまま朝を迎えていたら誰かしらその事に気付いただろうとアレクシアスは語る。

「空にあれだけの質量を浮かす事が出来る時点で、やっぱり脅威的な魔法使いの仕業に思いますけどね」

 自分の立っている場所を浮かべられて、どうやって剣に寄る一撃を届けられるというのか。それがジョセにとっての課題だった。

 が、アレクシアスは首を横に振る。

「公園で起きた事を見て、魔法使いの実力を把握するべきじゃあないとワタシは言っているのだよ。見るべきはやはり、住宅破壊の方だ。あっちの方こそ、今回の犯人の実力を計るための資料とするべきだ」

「確かに、住宅破壊と今回の公園を比べれば、前者の方が規模としては小さいですが……この二つで、何か魔法使いが使う魔法としての差があるのでしょうか?」

 ミリアもアレクシアスの話を良く分かっていないらしかった。勿論、ジョセなんかもっとさっぱりである。

「ならば諸君には、魔法とは何たるかについて教授する必要があるだろう」

「長い話になる感じですか?」

 と、ジョセが尋ねると、やはりアレクシアスは首を振って否定してきた。何でもジョセの話には反対らしい。

「忙しい騎士団員諸君を足止めするのは心苦しいのでね。端的に説明するよ。我々が使う魔法とは、一見、何でも出来る力に見えるがそうではない。魔法とは、変化の可能性であり、その規模であり、それを方向付ける手段なのさ」

「端的なんですか? それで?」

「まーあ? これまで剣ばっかり振るってきて知性というものを積極的に得て来なかったであろうジョセ君には分からない話だろうから、もうちょっと分かりやすく説明してあげよう」

 もう少し遠回しに侮辱出来ないものだろうか。直球でお前は馬鹿だから仕方ない。やれやれみたいな態度を示されれば、怒りを抑えるのに努力が必要となってくる。

「はいはい。落ち着きなさいジョセ。剣の柄に手を置こうとしないで」

 ミリアもジョセの努力に力を貸してくれる様子なので、彼女の顔に免じて手は剣から離しておく。あくまでほんの少しだけ。

「それだ。それだよ。君はワタシに斬りかかろうとした……とも考えられる状況だが、そのために、腕を動かし、剣を引き抜き、そうしてそれを振るという動作が必要だろう? それが変化の可能性だ。我々は常に、何かを変化させる事で生きている。人間だけで無く、他の動物もだ」

「そんなのは当たり前の話でしょう? 何かをするためには、何かをしなければならない」

「そう。当たり前だ。当たり前だが、その実、当たり前ではない。例えば石や岩は、何もしない状態でもそこにただある事が出来る。人間やその他の動物と違っていてね。そこの違いは何だろうか?」

「なるほど。それが変化の可能性の規模という話なのですね」

 ミリアの方は納得していたが、ジョセは未だに良く分かっていなかった。態度に示すとさらに馬鹿にされそうだから、分かった風を装うものの。

「厳密に言えば、岩だって常に変化をしている。人間だって暫くそこに立ったまま、息を短時間止めておく事も出来る。つまり、世界の物事は変化とその変化の量に寄って差が生まれ、動いていると取れる。魔法はね、その変化に介入する技法だ。物事は常に変化する。とすれば、例えば何も無い中空に火が発生するという変化も、あらゆる場所に常に存在していると考えられる」

「若干、屁理屈っぽく聞こえる様な」

「その屁理屈を突き詰めたからこそ、法則に魔を付けて魔法なのだよ。火の発生の話なら、現実に火を発生させるには幾つもの手段を用意し、然るべき変化を引き起こす必要があるけれど、魔法はその段階を変化するという現実だけで引き起こす。ズルだね。屁理屈だと思うのも仕方あるまい」

 聞いている限りは、魔法使いというのは神様にでもなれそうな、そんなルール違反を世界に行っている様にも聞こえた。

 だが、現実では魔法使いは神様では無い。生活に困窮している魔法使いだって居るとの事だし。

「言うは易しという話でね。ズルして段階をすっ飛ばす変化を引き起こせたとしても、やはりまた別の段階を踏む必要があるわけだ。その方法を学ぶのが魔法であり、今回の事件においても、そんな方法が使われている」

 それが住宅破壊と公園の土地を空に浮かばせた魔法という事だろうか。とりあえずは元の話に戻って来たため、話を遮る事は止めておく。

「さっき、変化の量の話をしただろう。例えば……ほら、見てみたまえ」

 と、アレクシアスは自分の机の上からペンを一本持ち、指の先に持ってきたと思うと、それをジョセ達の前で浮かばせて見せた。

「それは……魔法?」

「その通り。物を浮かばせるだけの魔法だが、これにしたって、それなりに学ばなければ素人には無理な物さ。それでペン一本を浮かばせているわけだが、ジョセ君。ほら」

「え? うわっ!」

 アレクシアスは浮かばせたペンを、そのままジョセの方に向けて放って来た。慌ててそれを掴もうとするも、ペンはジョセの手に一旦納まった後、勢い良くそこから落ちてしまう。

「ちょっとジョセ。あなた、そこまで不器用だった?」

「いや、待ってよミリア。何かこのペン、凄く重かった」

 言いつつ、ジョセは落としたペンを拾ってみせるが、それはペンらしい軽さであり、放り投げられたって受け止められない程では無い。

「それは無論、ワタシがペンを重くする魔法を使ったのさ!」

「何の嫌がらせだよ!」

「嫌がらせではない! ペンをそのまま、持ったままで居たまえ」

「ペンを持ったままでって……あれ? まさかまた魔法を掛けた?」

 再びペンが重くなったのを感じる。先ほど落とした時よりかはまだ軽いが、ペンが見た目以上に手にずしりと来ていた。

「無論、また掛けた。っと、だから怒らないでくれたまえよ。今、どうなっている? またペンを落としそうかい?」

「さすがにこの程度なら大丈夫だよ。僕の手を疲れさせるだけの、嫌がらせみたいな重さだ」

 それにしたって腹立たしく、本当にこんな話を聞き続けるのかとミリアの方を見るも、彼女は何か、真剣に考えて居る様子で、すぐに口を開いてきた。

「ねえ、ジョセ。あなたが今、持っているペンの重さって、さっき、ペンを落とした時より軽いって事で良いのよね?」

「うん? まあ、間違いないよ。普通より重くはなってるけど、意識したらそうだと分かる程度だ」

「おやおや。ミリア君は気が付いた様だね。ならば答え合わせだ。君が今、想像している通り、さっきの魔法と、今掛けている魔法。それはどちらも同種だし同質のものだ。規模の違いも無い」

 アレクシアスはそう言うが、実際にペンの重さは違っている。ペンを重くするという魔法は同じなのだろうが、魔法の力みたいなものは差があるのではないか。

「魔法の力の落差……どこかで習った事がある気が……」

「魔法学の基礎で習う分野だからね。魔法使いで無くとも、教育課程で聞く者もいるだろう。良いかい? 最初、ワタシはペンを浮かばせていた。これはペンを浮遊させる。つまり軽くする魔法なわけだけど、それは変化の方向性として、上向きの力と表現できる」

 と、アレクシアスはジョセが持っているペンを示す。ジョセがそのペンを手放すと、そのまま中空へとペンは浮かび上がった。再びアレクシアスが魔法を掛けているのだろう。

「さて。じゃあこの魔法を解除したとする。するとペンはどうなる?」

「そりゃあ浮かばずに落ちるだけじゃあ」

「そう。落ちる。魔法に寄る上向きの力が無くなり、落下するわけだけど……それだけじゃあない。伸びたゴムを手放した時により縮む様に、元の通りになる前に、一旦、行き過ぎるのさ。つまりこの場合、元の時より一瞬、重くなる」

 と、再びペンから魔法が解除され、それがアウルの手元へと落下してきた。

 そうして一瞬、確かに感じた。ちょっと重いと。

「けど、やっぱりペンを落とす程じゃあ……」

「違うわジョセ。さっきは、アレクシアスさんもペンが重くなる魔法を掛けていた。そうですよね?」

「その通り、勢いが余るとも表現するべきかな? 物を軽くする魔法を解除した時の勢いを借りて、その余った勢いと同種の効果を持つ魔法を掛ければ、同じ規模の魔法でも、より大きな結果を導き出せる」

 例えば、ペンを浮かばせた魔法を解除した時の勢いを借りて、ペンをより重くしたりと言った事だろうか。

「これを我々魔法使いは魔法力イコール変化量の法則と呼ぶが……専門知識だから別に憶えなくても良い。重要なのは、相対する魔法を交互に使えば、同じ魔法でもどんどん規模を大きく出来ると言う事さ」

「……そうか。家を抉る魔法は、地面に瓦礫が残る様に、上から下に力が掛かっていた」

「そうして公園の時は公園の地面をそのまま中空に浮かばせていた。下から上の力って事ね」

「その通り! 諸君は今、魔法学という知識の深淵へと足を踏み込んだわけだが、今はそっちより先に、こんな魔法を使って犯罪を行う者の精神という闇の方を見つめるのが先かな。この犯人はね、家を破壊させる魔法を前段階に、より大きな公園の土地を浮上させるという魔法を実行しているわけさ。だから魔法使いとしての実力は破壊させるための魔法の方を基準点とするべきだ」

「早口で説明してるところ悪いですけど、それは何のために?」

「さあ、ワタシにはそんな事分かるものか」

 役に立たない魔法使いである長話の果てに、また犯人はどうしてこんな犯罪を繰り返すのかという課題に再び戻って来てしまった。

「あの……質問です。アレクシアスさん。先ほどの魔法力イコール変化量の法則という話は……基礎と言ってましたよね?」

「ああ。ワタシなんぞは魔法使いの中でも変人の類だろうが、それはそれとして、こういう知識は基礎向け。こういう知識は専門家の中でも専門的みたいな区別を付けているつもりだよ」

「となると……ねえ、ジョセ。ちょっと頼みたい事があるのだけれど、良い? アレクシアスさんにも詳しく聞きたい事があるんですが」

 あくまで参考にしかならなさそうなこれまでの話であるが、ミリアの方には引っ掛かるものがあったらしい。

「何か、解決に繋がりそうな事でも思いついた?」

「ちょっと……やってみたい事は一つあるのだけれど、ジョセ、あなたは危険かもしれない。それでも大丈夫?」

「勿論。漸く、僕も仕事が出来そうになってきたらしいね」

 と、腰に下げた剣の柄に手を触れる。こればっかりがジョセの仕事だ。そこを断る様になれば、それこそ、ジョセは無用の長物になってしまう。




「いやー、すみません。何かその、変な仕事を同僚から頼まれてしまいまして。そっちも迷惑ですよね?」

「はぁ……」

 と、愛想笑いを浮かべるジョセの前には、先日、意見を伺った魔法学校の教師、シハ・セイブンの姿があった。

 場所は住宅破壊事件及び公園破壊事件があった地区。その路地を歩きながら、ジョセはシハから意見を聞いているところだった。

「確か騎士団にも、顧問の魔法使いが居たと思うのですが、私の様な魔法使いですら無い教師に意見を聞きたいというのも意外な話ですね?」

 そんな風にシハは言ってくるが、ジョセにとっても、それはかなり無理筋な話に思えていた。

「知識のある一般人に自治騎士団が意見を聞いたり協力をお願いする事はままある事ではあるんですよ。一応、協力していただければ相応の報酬を払う予算もありまして……まあ、意外ではありますけど、まったく無いわけでも無いというか」

「しかし、一向にその意見を聞いていただけ無いというのは、やはり意外です」

 それはまあそうだろう。今朝方、シハに協力をお願いして、この地区へとやってきたジョセであるが、彼に対して、何か具体的な話は出来ていないままなのである。

 地区内の事件の被害に遭った住宅を回っているが、それを見てどうですか。どんな風に思いますかと聞くばかり。いい加減、シハの方も焦れて来る頃合いかもしれない。

「僕もあんまり、魔法の事とか詳しく無い身でして……実際どうなんですかね、魔法って」

「どうとは?」

「ちょっと、次に行くのは直近で事件があった場所なんですけど、そこに行くついでに話でもしませんか?」

「いや、それは構いませんが……」

 受け入れてくれるシハであったが、若干、苛立っている様子。そりゃあ、ジョセがまったく建設的では無い話をしてくるのだから、仕方あるまい。

 せめてそれが多少マシになれば良いと、ジョセは歩きながら話を続ける。

「魔法使いって、生活が困窮しがちって話を以前していただいたと思うんですよ」

「魔法に関わる者としては、不甲斐ない話ではあります。彼らは才能がとびきり溢れているのに、それを社会に活かす方法を見失っている。矜持……の様なものがあるとは思うのですが……」

「分かります。それこそ、才能溢れてるらしい魔法使いが大道芸なんかすれば、かなり稼げそうと思うもんなんですが、そういう仕事はしたくないとか、その手の話なんでしょう?」

 ざっくり言ってしまうジョセであるが、シハの方も頷いて来た。

「知識、技能、才能もあって生活が成り立たないというのは、まあそういう事なのでしょう。現代、世界には魔法に寄ってもたらされた技術に溢れている。引く手は数多だというのに、そこに貢献しないというのは、私にとっては酷い怠慢に思えます」

「個人的には、それすら贅沢に感じますね、僕の方は」

「あなたが? あなたは騎士団員として働いていらっしゃるでしょう」

 まあその通り。騎士団員としての職と給料を貰っている。だからジョセに言えた義理では無いのだが、それでも、魔法使いには思うところがあるのだ。

「僕も、こう……これぞと決めた趣味があるんですよ。ただ、それって魔法なんかより余程、生活に繋がらないものでして」

「ははぁ。なるほど、選べるだけ魔法使いの方がマシという話ですか」

「そうなんですよね。僕の方はどんだけ頑張っても、どこかで妥協しても、それ一本だけでは生きてはいけない。だからその……ちょーっとだけ、魔法使いって人種に嫉妬してるんです」

「なるほどなるほど」

 と、何故かシハの方は笑っていた。さっきまではこちらを訝しんでいたというのに、何か愉快になれる冗談でも言ってしまったのだろうか。

「いや、失敬。確かに幸運な事に、魔法という技術や技能は世の中の役に立ちます。もっとこう、認識が変わるべきなのでしょうね。他より優れた、そんな特別な存在が魔法なんだ」

 シハは何かに納得していた。こちらの一生捧げたいと思える趣味が何なのかも聞かずに、ただ納得していたのだ。

 そうしてはっと、顔を上げる。

「そういえば今、何時頃でしたか」

「あー。時計は持ち歩かない派なので、日の高さ的に正午少し前くらいですかね」

「そうですか。そうか。もうそんな」

 次には何かに焦り出すシハ。傍から見れば、彼の仕草は挙動不審だ。普段からそんな不審さがあるジョセが思うのだから相当だろう。

「何かありましたか? 他に仕事の予定があったとか?」

「え、ええ。そうなのですよ。失礼なのですが、次は公園に向かう予定でしたよね。急いで向かいませんか?」

「構いませんけど……もう公園じゃなくて、その跡地みたいな場所で、また何か新しい事が見つかりそうには無いんですよねぇ」

 だからシハに見て貰わなくても良いか。これまでの事件現場だって、特に新しい発見は無かったのだし。

 そう言って、仕事を切り上げようとするのであるが……。

「いえ、最後がそこなら、そこだけは回っておきましょうよ。私も他に仕事があるとは言え、こっちの仕事を放置するのも心残りがある」

「そうですか? ならもうすぐそこですし、急ぎましょうか」

 ジョセはそう言って、小走りで現場まで向かう。シハもそれを追ってくるが、公園の跡地が見えて来た段階で、彼は立ち止まり、周囲をきょろきょろと伺い始めていた。

「どうかしましたか、シハさん」

「あ、いえ、ちょっと。集中したい事がありまして」

「もしかして、何か事件に関わる物を見つけたとか?」

「そ、そうかもしれませんが、そうで無いかもしれません。とりあえずは、それを判断するために———

「もし、そういう事件の証拠みたいなのが見つかれば、僕は嬉しいんですよね。同僚が凄く優秀で、なんというか僕だけ成果が出せてないなって日々思う劣等感があるというか」

 愚痴に聞こえるかもしれないが、実際に愚痴であるそんな言葉をシハに伝える。足を止めて、むしろそっちの方を優先する程に。

「ですからちょっと、世間話は置いて……」

「ここでシハさんが役に立ってくれるのなら、僕も嬉しい。あなたも仕事をしたって事で、お互いのためになる!」

「ああもう。良いから黙ってくれませんか!」

「嫌ですよ。ここからあなたは周囲に害をもたらす魔法を使うつもりなんですから。騎士団員として全力で妨害します」

「……え?」

 ここに来て、虚を突くのはジョセの方だった。

 自分が何を言われたのか、シハの方は理解出来ているだろうか。それとも、早くこの場で魔法を使いたいと未だに考えているのか。

「使おうとしているでしょう? 魔法? 時計は持ってないんですけど、僕、こういうのを持ってるんですよね」

 ジョセは言いつつ、懐から小型の魔法探知機を取り出す。その場で魔法が使われた痕跡を探知する装置であるが、それは即ち、誰かがその場で魔法を使おうとしている時にも、その探知機は反応を示すのだ。

「あなたがこの場に来て、周囲を伺い始めた時点で、これが丁度良く反応し始めました。いったい、何の魔法を使うつもりなんです?」

「……」

 シハの動きがぎこちなくなる。さらにはほんの少し。半歩よりさらに少しであったが、ジョセから距離を取るのを見た。

 言い訳でも勘違いに怒るでも無く、こちらを警戒したのだ。彼は。

「まあ良いや」

 いったい何をどう警戒しているのか。それを考えるより前に、ジョセは腰に下げた騎士剣の柄に手を掛ける。

 警戒してくれるのなら、それに対処だけすれば良い。そう思考を変えて———

「無論! 今度は地盤を沈下させでもするのだろう? シハ・セイブン教師ぃ!」

 思考を切り替える前に、気に入らない声が聞こえて来た。

 ずっとジョセ達を付けて来ていたアレクシアスの声だ。隣にはミリアがやれやれという顔をして並んでいる。

「始めようとするの、早くない? ジョセ。まだ自供とかしてないし」

「えっと……いや、もうほぼしてる様なものかなって」

 一旦は柄から手を放し、ずっと黙ったままのシハへとまた視界を移す。もっとも、彼の視線はすっかりアレクシアスの方を向いていたが。

「魔法使いアレクシアス……大学へ進んだと聞いていたが、またこの街へ戻ってきていたか!」

「宮仕えでもしないかというスカウトがあったのでねぇ。ある程度は研究の補助もしてやるとの見返りもあって、今じゃすっかり騎士団員さ」

 良く言うものだ。彼女のどこをどう見れば騎士団員らしさがあるというのか。

「君程の才能があったところで、所詮は才能を利用される側か。魔法使いというのは何時も、その知識も知恵も無駄に使う」

「そちらだって魔法使いだろう? そうして教師をしている。良いじゃないか。若人を育てるという遣り甲斐があって」

「私は違う! 私はこの街の、たかが教師では終わらん! 私の魔法への知識は、技能は———

「所詮、ここで犯罪を繰り返すだけの物でしょう?」

 ミリアが魔法使いの会話へとずかずか入って行く。彼女らしく、自身が騎士団員で無い事を忘れて居ない仕草だ。

「この事件が、魔法の基礎的な理論を使って行われていると聞いて、ピンと来ました。魔法使いが才能を誇ったものじゃあない。魔法はすごいんだぞと子どもみたいに、一般人に知らせるための幼稚な事件なんじゃあないかと。それをしたのが……あなたです」

「幼稚……幼稚と言ったか?」

「そうじゃないですか。自分が認められていないのは魔法が認められていないから。どうせそんな風に考えているから、意趣返しみたいな動機しか持てない。あなたみたいな人間が犯人じゃないかと気付いたのもそこで……まんまと今、馬脚を露している」

 ミリアがシハ・セイブンを事件の犯人では無いかと予想し、ジョセに彼を誘き出す様に頼んできたのも、それが理由だ。

 どうにもミリアは、シハ・セイブンという魔法学校の教師が、魔法に対して屈折した考えを持っている事に気が付いていたらしい。

「あなたはこの街に居る魔法使いの大半を生活に苦しんでいると印を付けていました。これって、生活に困窮する魔法使いが多いと言っても、明らかにおかしい数ですよ。それこそ、魔法使いに対して屈折した思いを持っていなければ出来ない」

 事件を引き起こしているのは、高度な魔法を使えるが、一方で魔法使いそのものには良い印象を抱いていない、恐らく、自身の事を魔法使いと名乗ってはいない存在。

 そこまで予想し、一人の容疑者としてシハ・セイブンに目を付けたという事らしい。

 十中八九彼であるという程の予想では無かったが、別に失礼も無く試す事は出来るとは彼女の言。

「あなたの動機はひたすらに魔法に寄って大きな結果を見せつける事。魔法に寄る犯罪を繰り返し、その性質を用いて、どんどん規模を大きくしようという狙いがある。だから……あなたを現場で焦らしさえすれば、いずれはどこかでぼろを出してくれるかもと期待していたんですけど……結構あっさりでしたね」

 ミリアの目論見通り、ジョセはのそのそとシハに仕事を付き合わせ、彼はこんな奴にはバレぬだろうとジョセの目の前で魔法を使おうとしたわけである。

 ジョセは間抜けかもしれないが、ジョセが持っている装置は馬鹿では無かったと言うところか。

(いや、僕が舐められてた事についてはやや引っ掛かるところはあるものの)

 とりあえず、囮役みたいな任務は無事行えたという事にしておく。後はミリアやアレクシアスの仕事か。

「……」

「黙ったままかな? シハ・セイブン教師。同じ魔法を学ぶ者として、ワタシは悲しい。だってそうだろう? 犯罪をした事よりも、何か屈折した思いを抱いていた事よりも、魔法使いとしては、魔法で何事かを完遂出来なかった事の無念を、どうしても分かってしまうのだからね、ワタシは!」

 挑発か何か知らないが、観念した様子で黙り込んだままのシハにアレクシアスはまくし立てている。これはこれで、魔法使いの犯罪というのに彼女も思うところがあったのかもしれぬ。

 だが、その挑発は、余計だったかもしれない。

「まだだ。まだ、私のやれる事は無くなっていないぞ!」

 瞬間、地面が揺れた。公園の地面を浮かばせた魔法の反作用を用いての地盤沈下。それをシハは狙うつもりか。

「地面を沈めたところで、所詮は基礎的な魔法だ! 大して社会に影響は与えられないよ、シハ・セイブン教師!」

「私は、そこで終わる者では無い事を分からせてやろう!」

 警戒するジョセ達であったが、警戒を裏切り、地面は沈下しなかった。

 むしろ浮いた。いや、それもまた違うかもしれない。

「重さが……出鱈目になってる……!?」

 ジョセは周囲を見渡す。予想通り、他の地面に対してひび割れ、沈下している道があれば、道から剥がれ、宙に浮いている部分もあった。

 ジョセが立っている場所は浮いている側だ。それぞれの箇所でそれぞれの場所に掛かる重さが互い違いになっている。

 見た光景を率直に例えるならばそんな状況。

「魔法の基礎法則を利用するだけだと思って居たか? 違うな。私は気が付いたんだ。魔法に反作用があるのだとしたら、それは空間そのものの法則を歪めているのだと! 対称する魔法を順々に強大化していくだけで無く、その変化の可能性そのものを顕在化させる事が出来る! それが今だ!」

「ごちゃごちゃと訳の分からない事を言われたって、はいそうですかと頷くと思って居るのか」

 いい加減、小難しい話はうんざりしてきたと、ジョセが呟く。

 浮かぶ足場にそれでも足を付けつつ、一度は柄から放した手を、再びそこに添えた。

 こんな出鱈目な光景が目の前にあるというのに、ジョセの頭の中では、かちりとパズルのピースが嵌まる感覚があった。

「ジョセ君。端的に説明するが、起こっている事は見た通りだ。物を上に押し上げようとしている場所と下げようとしている場所がランダムに発生している。奴がそれを起こしている以上、ある程度はそれを操作出来ると考えるべきだろう! 以上だ!」

 アレクシアスはそれだけを伝えると、何やら魔法を使って、自分を現場から離し始めた。あの女、言うだけ言って逃げるつもりなのだ。

 一応は、ミリアもそこに同行しているので、巻き込まれているのはジョセのみだ。そこに幾ばくかの寂しさがあるものの、柄を握り込めばそんな気分も晴れて行く。

 いや、切り開く。思考に常に掛かっている靄の様なものもやはり切り裂き、そうして鞘から剣を抜き放った。

「確かに、助言ならその程度で良い」

「対応など出来ないだろうからな!」

 シハはアレクシアスが言う通り、この周辺の重さや軽さをある程度操れる様子だ。

 ジョセは自分の身体が重くなるのを感じる。だが地面は浮いたまま。不安定な足場で、身体の動きを鈍くされた形になるだろうか。

(なら、次に来るのは)

 迫って来るは中空に浮いた幾つかの地面の破片。それらの重さだって操れるのであろう。まっすぐに破片がジョセに向かって落ちて来る。

「まずは一人!」

 シハの声がその場に響くのは、破片がジョセへ届くのと同時だった。

 いいや違う。

「勝ち誇るなら、結果を見てからにしておけよ」

 破片が届いたのはジョセの手により抜き身となった騎士剣の刀身。それぞれの破片は騎士剣により切り落とされ、勢いを殺され、地面に転がる。

 ジョセの身体は変わらず重いまま、しかして破片の速度はそれよりも遅い。

「馬鹿な。何故……動ける!」

 叫び、シハがまた魔法をジョセに対して行使する。今度は破片をぶつけるなどでは無く、もっと直接的に、空間に発生しているらしい上下に向かわせる力を、ジョセの身体に対しても発生させるというものらしい。

 右腕が重い。左手が軽い。右足へのふんばりが効かなくなる。左脚が地面に貼り付いた様に動かし辛くなる。

 ただ重くなったり軽くなったりするより、余程身体の自由を奪ってくる、そういう魔法。

 だが、それはジョセの剣を止めるには至らない。

「何故動けるかは、僕の剣に聞いてくれ」

 言いながら、一歩踏み出した。次の二歩目で宙に浮いた足場から、シハの目線と同じ高さの足場に移る。

 続く三歩目でさらにシハへ近く。

「だ、だが、動きはなお鈍くなっている……はずだっ!」

 シハは自らも魔法の影響化に置き、たった一度足を動かすだけで、ジョセから距離を離してくる。

 一方のジョセの動きはシハの言う通りに鈍さがあった。

(剣を振るうには最善な肉体の動きがある。それと行う同じ様に、この魔法の拘束だって身体の動かし方を最適化してしまえばなんとかなる。が、それでもあれの動きに追いつくには速度が足りないか?)

 未だ歩いているジョセであるが、走る事も可能だ。しかし、それは通常の状態の四割程度の速度だろうか。

 一足でシハに接近し、一太刀で奴を気絶させるにはやはり速度が足りないのだ。

(以前、キルクド・ターシーに対してやった様には出来ないか? これだから魔法使いっていうのは厄介だ)

 シハ自身は否定しているが、ジョセにとっては魔法を使ってこちらを妨害してくる時点で彼は魔法使いだ。

 ジョセの側は剣一本で工夫し行動しているのに対して、多様な知識で多くの結果をもたらす魔法を仕掛けて来るというのはズルにすら見えて来る。

 これもまた魔法使いを苦手とする理由の一つだが、今は気にしたところで仕方あるまい。

「騎士団員と言えども、こうしていれば何時かは体力が尽きるだろう!」

 シハはジョセとの距離を一定に保ちながら、周囲の地面の破片をジョセへ飛ばして来る。その度に剣を振るってその破片を打ち落とすも、その度に体力を消耗するのは事実だ。

「時間はそっちにとっても敵に思えるけどな」

 犯罪者が犯罪現場に留まり続けるというのもあまり良く無い状況だろう。こうしている内にも、他の騎士団員がやってくる可能性は高まって行く。

 それに、魔法そのものも、確か体力とか精神力とか、そういう類の物を消耗すると聞く。

「はっ……はは! それはどうかな?」

 笑うシハを見て、ジョセは疑問符を浮かべる。

 シハにはまだ余裕があった。追い詰められる犯罪者にはあまり無いはずの余裕。それは何を意味するのか。

「……やってみせろよ」

「何?」

「奥の手があるんだろう? そういう表情をしている。ただ、それがあるのは自分だけだと思うな」

 言いながら、シハからぶつけられる道の破片を再び剣で叩き落した後、ジョセは剣を鞘に納めた。ただし柄は握ったまま。

「今から僕は決着を付ける。いい加減、そっちの遊びに付き合うのも面倒になってきたんでね。そっちに奥の手があったとしても、どうせ僕が勝つ」

 集中力を高めて行く。意識は周囲を伺いつつも、視界はシハへ引き絞る。肉体もまた最適な、たった一歩のために固まり、伸びて行く。

 ただ一度の一振り。それだけにジョセは集中して行った。

「自暴自棄になったか! 所詮、騎士団員と言えども、可能性を潰されれば、ただ賭けに出るだけらしい!」

 言いながら、シハはまた破片を飛ばして来るも、今度は叩き落とさない。少し小首をかしげ、破片が直撃するのを避けながら、頬に掠るのを感じた。

 痛みはあれど、それだけだ。身体の動きに支障は無く、視界はやはりシハを捉えたまま。

「もう良いか?」

 ただそれだけをシハに語り掛ける。本当にこのまま、奥の手を使ってやろうか。そうだ。その方が手っ取り早い。ジョセがそう結論を出すより前に、漸くシハは動き出す。

「な、舐めるなぁ! 見せてやろうとも! これが魔法の力の深淵だ!」

 空間にある物質に上下の力を加える魔法。シハはそれをさらに発展させるつもりらしい。

 シハの側の奥の手はそれなのだろう。道や壁だけがその影響下に置かれるのでは無く、空間そのものが歪んでいた。

 ジョセの視界がおかしいのでは無く、やはりそこにある層そのものがズレている。そんな状態がシハの前から広がり、まっすぐジョセへと向かってくる。

 その層の歪みに触れた地面が、その通りに綺麗に割れていた。ジョセがその場に居れば、いったいどうなる事か容易く想像できてしまう。

(逃げるか……避けるか。いや、今も身体の動きか鈍い。そのどちらも無理だ)

 ただ目の前の現実を受け入れる。安易な方法は選べない。ならばジョセが選ぶ手段は一つだ。

 それにしても、これが魔法か。見える光景だけでも途轍もない現象を引き起こしている。シハが特別、最上位の魔法使いというわけでも無いのだろう。準備をして、多少の才能があればこんな事も仕出かせる。それがなんとも妬ましい。

 ジョセなどは、ただひたすらに剣を振るうだけで精一杯なのに。

(だけど、僕はそれでも構わない。剣が所詮、その程度のものだったとしてもだ。シハ・セイブン。お前は魔法に価値があるのに、それを分かって居ない周囲に苛立っているみたいだが……)

 ジョセにとっては今、柄を握る剣がただ存在してくれれば良い。それを他者がどう思おうと知った事か。

 ジョセはただ剣を振るうのだ。自分を裁断しかねない魔法が迫るこの瞬間にも剣を振るう。それだけがジョセの側の奥の手。

 魔法は不可思議を引き起こす奇跡であり、剣はただの凶器。ぶつかればその結果は目に見えている。

 ジョセとシハ、二人の奥の手のぶつかり合いはジョセの敗北に終わるだろう。

 だが、果たしてそうだろうか?

(魔法にどれだけの価値があろうと、知った事じゃあない。ただ僕は、剣だけを信じる。それを振るうんだ)

 ジョセが、どれ程の思いを剣に捧げているか分かるか。使い手の思いを捧げられた剣にどれだけの事が出来るか。

 その思いが、たかがシハの魔法に敗北すると、ジョセは思えない。

 だから振るうのだ。魔法に寄って引き起こされた空間の歪みに対して、ただ剣を振るい……それを断った。

「馬鹿……な」

 シハの目が驚愕に染まっている。目の前で実際に起きた事すら認められていない様子。確かにこの男は魔法使いとは呼べないらしい。

 ただ魔法がジョセの剣によって断たれ、消え去っただけの事。

 種も仕掛けも一切無く、ただジョセの剣の腕と剣への思いを剣が表現した。起きたのはそれだけなのだ。ジョセはそう考えて、周囲から魔法が消え去ったその場を、ただ歩く。

 脱力した様に膝を折るシハへ剣を向けて……もはやそれを振るう必要も無いと剣を鞘に仕舞った。

「よーし。これで僕も一仕事……出来た感じかな?」




「やーやーやー! ここが君たちの仕事場かい? なかなか狭いが人も少ないのでバランスが取れているじゃないか!」

 昼下がりの特殊犯罪対策室。

 ここ最近は徹夜に近い日々が続く中、漸く落ち着きを取り戻して来たジョセ含む騎士団員達であったが、再びの騒がしさに特殊犯罪対策室は襲われていた。

 騒がしさの原因は彼女、アレクシアスの存在であった。

「おいおい。元気が無い様子だね、ジョセ・アールバンク君。そんな目をしているとあれだよ? その目で見られた相手は、こいつさっさとどこかへ消え去ってくれないかなと思われていると勘違いしてしまう」

「良かった。もしかしたら察してないんじゃないかと思っていたところだけど、分かってくれていたみたいだ」

 ジョセとミリアと上司のオットーが総勢である特殊犯罪対策室において、それ以外の人間が居るというのは厄介な相手である事が大半だ。

 そんな騎士団員でありつつ、魔法使いの研究者でもある厄介者は、さらにその雰囲気を増していると言える。

 言えるのであるが、なかなか部屋から退散してくれない。

「そう邪見に扱うべきじゃあないぞ、ジョセ。彼女はまだまだ人員不足のうちに、補填される事になった新たな人員だ。同僚として仲良くやってくれと私は言いたいね」

「そこですよ室長! なんでよりにも寄って彼女が!」

 アレクシアスは何も仕事をサボってこの対策室へ来ているわけでは無い。いったい何の因果か陰謀か、ジョセと同じ特殊犯罪対策室へ所属する事になったのだ。

「確か、アレクシアスさん自ら志願なさったんですよね! 私、かなり嬉しいです」

「ふふん。ミリア君もオットー室長も歓迎してくれているみたいで感謝感激と言った気持ちだが、肝心の君がそうでは無いというのは、少し残念だよワタシは」

「なんで僕が肝心なのさ。僕が」

 自分で言うのも何であるが、この特殊犯罪対策室で大半の状況においてジョセは壁の染み程度の存在感しか無いのだ。管理の仕事はオットーがして、実務の仕事はミリアがしているのだから。

「君の剣だよ、君の! シハ・セイブンの魔法を破った……いや、切り捨てた君の剣に興味が湧いてね。是非とも研究……もとい観察してみたいと考え異動届を出したら、すんなり通ってくれたのだよ」

「今、研究って言ったな!? 人を実験動物みたいに扱う気か! これだから魔法使いは!」

「だって仕方ないだろう! 言っておくがな、君の剣が引き起こしたあの現象の方が余程不可思議なのだからね! 君はあの時、一切魔法的な力を行使していなかったというのに、剣で魔法を切って見せた! あれにはいったいどんな理屈が隠れているのか。調べてみたくって溜まらないのだよワタシは!」

「なんでこいつを野放しにするどころか、異動届まで受け入れてるのさこの組織はー!」

 まったくもって納得出来ない。騎士団内部で何かとてつもない策謀でも蠢いているのかと、ジョセは助けを求める様にオットーやミリアの方を見るのであるが。

「ま、普段からやる気の無いジョセの奴に張り合いが生まれそうな人員が入って来て良かったと思おうか」

「あ、オットー室長。そこはちゃんと気にしてくれてたんですね」

「勿論だよミリア君。部下のやる気は上司にとっての大きな懸念事項だ」

「何を仲良くお茶飲んでるんですかちくしょう!」

 何が張り合いだ。何がやる気だ。せっかく落ち着ける場所になりそうなこの対策室が、すっかり騒がしくなりそうな、そんな予感ばかりするのに。

「まあまあまあ。色々と諦めたまえよ君も。人生なんて、色んな事を諦めた先に、結構居心地の良い場所が見つかるものさ」

「あんたに言われたく無いんだよなぁ!」

 やはり、魔法使いは苦手な存在だ。今回の事件が始まる前と終わった後で、まったく変わってくれないそんな思いを、ジョセは引き続き抱えて行く事になった。

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