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第一話 カーナンバックは今日も荒れ模様

 カーナンバックという都市は今や止まる事の無い肥大化の真っ只中にあった。

 大規模な飛空艇用の空港が整備され、古くからあった港はさらなる賑わいの中にあった。

 魔法光による緑の輝きが街灯となって夜を照らし、人々は昼も夜も蠢き続けている。

 都市は流入を続ける人々に答える様にその範囲を広げていき、歪な形を常に変えながらもその都市の範囲を広げていく。

 故にその腐敗、その闇もまた増えていく。発展を続ける外縁部に対して老朽化した家屋が残る都市中央部はスラム街が広がっており、屋根の無い場所にしか住めぬ人々もまた人口の増加と共に増え続けていた。

 犯罪が蔓延り、公的に認可されていない組織が根を張り、社会に反した集団が我が物顔で練り歩く時もある。

 そんな大都市カーナンバックの治安と平和を守る正義の集団。それがカーナンバック自治騎士団である。

 歴史は古く未だ貴族がこの都市を治めていた時に設立した騎士団を始まりとし、時代が変わる中で、また騎士団もその主を街そのものとしながら、街の健全なる発展を守る組織へと変わっていったのだ。

 そのカーナンバック自治騎士団が今、カーナンバックの街の闇へと剣を抜き立ち向かう。

 立ち向かって……敗北した。

「ぐぐ……くそぉ……」

 地面を叩く騎士団員の一人。周囲には他の騎士団員達も倒れ伏し、うめき声を上げている。

 そんな彼らを見下ろす様に一人立つのはまた別の男。

「愚かなり自治騎士団! 所詮はこの偉大なる悪魔に魅入られし才能を持つ大天才博士! キルクド・ターシーに勝つにはあまりにも! そう、あまりにもだ!」

「あまりにも何なんだ!」

 地面を叩き続ける騎士団員であったが、もはや立てぬ程に傷を負っていた。全身打撲に骨まで折れているだろうか。兎に角、キルクドを名乗る男に叫ぶしかない。

 男は白衣を着こみ、髪を虹色に染め上げ、ゴーグルの様なもので顔を覆う奇態な変人であるが、凶悪な犯罪者でもある。

「ふっ。凡人には大天才を理解は出来まい! そろそろ私はトンズラをかまさせて貰おうとも! 自治騎士団の諸君! また会う事があれば、その時はひっそりと逃げる事をお勧めしよう! どうせ私を捕まえられんのだから、怪我人は少ない方が良いだろう? ではさらばだ!」

 キルクドはそう叫ぶと、白衣の内側に何本も用意しているらしい栓がされた試験管を手に取る。

 キルクドの髪の様にカラフルなその試験管の中身は、あからさまにまともな物では無く、それを周囲に雑に放るや、試験管の中身が反応し、やはりカラフルな爆発と煙を発生させる。

「待て! 逃げるな! 貴様ぁ! これだけの事をしてただではゲホッ! ゴフッ!」

 煙が喉に入り、咳き込む騎士団員は、視界も塞がれた結果、キルクドを見失い、いったいどの方向に向かったかも分からなくなる。

 そうして、今日もまた、カーナンバック自治騎士団は犯罪者を取り逃がす事になったのである。




 あくびを噛み殺す時に思う事は、どうして我慢しなければならないと思っているのに、あくびなんて出るのだろうという事。

 ジョセ・アールバンクはそんな事を考えながら椅子に座っている。

 日差しが窓より差し込む大部屋に折り畳みの椅子が並べられており、その数席分の数だけ、人が等間隔に並んで座っている。

 向かうのは皆同じで、部屋の端近くに置かれた長机のさらに先。そこには一人の男がいた。ジョセが座る椅子より上等なものに座りながら、こちらを睨んでいる。

 そうして口も開いてきた。

「諸君。諸君は今期、我々誇りあるカーナンバック自治騎士団の騎士団員候補生として名乗りを上げ、無事、試験にも合格した、優秀な者達だと私は期待している。それは分かるな?」

 男、カーナンバック自治騎士団の団員。確かオットー・コンゴルトと名乗っていたが、絶賛怪我をしている最中なのか、その包帯だらけの姿を見れば、嫌でも威圧感を覚えてしまう。

 包帯を巻いた額に、口元に整えた髭を生やす彼はさらに、その圧力を言葉に混じらせ、語りを続ける。

「ミリア・カーク!」

「はい!」

 オットーの言葉に反応して、隣の席に座っていたジョセと同じくらいの年齢の女性が立ち上がる。

 ちなみにジョセは今年で十八になるので、彼女もまあそれくらいのはずだが、立ち上がる仕草や張り上げた返答の声を聞くと、随分としっかりしているなという印象を持ってしまう。

「君は今回、候補生試験の際に首席で合格した。我が騎士団に女性は少ないが、むしろそれを誇ると同時に、期待に恥じぬ様に努めたまえ」

「はい! 全力で任務に励みます!」

 と、ミリアが答えると、さらに次々と名前が呼ばれていく。

「ファンゴ・オラシエン! 体力測定では君が上位だ。それを是非活かして貰いたい」

「分かりました!」

「トッド・グレイン! 君の発想力は他の生徒から抜きんでている。他の成績は劣るかもしれないが、私は君の一芸に期待するところだ。最近の犯罪は複雑化が問題になっているのでな!」

 今、何が行われているかと言えば、カーナンバック自治騎士団に、新たな候補生として入団する事になった者達の最終面接である。

 面接とは名ばかりで、ここで落とされる者は居ないが、それぞれがいったいどういう風に期待されて、候補生になったのかをここで伝えられる。

 そうする事で、騎士団員としての自覚を促す……という儀式みたいなものであるらしい。

「次、ジョセ・アールバンク!」

「は、はい!」

 最後に漸く呼ばれるジョセ。ちょっと椅子に足が引っ掛かりながら立ち上がり、その後に姿勢を正すジョセであったが、包帯だらけの騎士団員、オットーから言われた事は一言だけ。

「お前はまあ、良い」

 それだけの言葉だった。




 候補生が自治騎士団へ入団してまずやる事は、自分に与えられる装備の確認である。

 騎士団としての装備と言っても、自治騎士団は大都市カーナンバック内で行わる犯罪に対処する部署が殆どであるため、重装備では無い。

 せいぜいが前腕部に防刃用のプロテクターが付いた制服と、底に鉄板の入った靴。そうして一本の質の悪そうな剣。

 それらを渡され、騎士団庁舎内にある自分に宛がわれたロッカーに詰める。それが最初の仕事であった。

「良しっと……あれ? 他のみんなが居ない?」

 荷物を詰め終わり、周囲を見れば、先ほどまで同じ様にしていた同期の候補生達の姿が無かった。

 慌ててロッカー室を出ると、そこには顔を見た記憶のある一人の女性。

「漸くね。候補生はこれから外で体力訓練。訓練官にどやされるから、急いで集合しているわよ」

 話しかけられて、彼女の名前を思い出そうとする。ええっと、何だったか。最初の文字はアまで思い出せるのだが。

「ミリア・カーク。名前、もしかして憶えて無かった? さっき最終面接で一番に呼ばれて居たはずだけど」

「ああ。ああ! そうそう。ミリア。ミリア・カークだね。僕はジョセ・アールバンク。よろしく」

 ミリアを見つめながら、ジョセは手を差し出す。

 背は女性としては高く無く、かと言って低くも無いミリアであるが、良く引き締まった身体と溌剌とした顔つきが、活発な人という印象をジョセに与えて来る。

 恐らく、髪の色が明るい赤毛である事もそういう印象を持つ理由の一つだろう。

「悪いけど……私も急ぎたいから、握手は無しよ。急いで」

「ととっ。そうだね。うん。急ごう。僕だって怒られるのは嫌だ」

 と、廊下を競歩みたいに歩き始める。走ると同じく叱られるからだろう。あくまで廊下は歩き、しかし全速力で。

「ねぇ。良いかしら?」

「何?」

「もうちょっと急げない?」

「そう言われても、足ってなかなか速くはならないと思う」

 これでも手は……いや、足は抜いていない。ただ、それでもミリアの方が速いのだ。

 若干遅れながら、それでも何とかミリアを見失わずに集合場所に辿り着く。広い土地が存在する騎士団庁舎に隣接したグラウンドだ。騎士団の訓練はだいたいがここで行われるそうだ。

「すみません。ミリア・カーク候補生。遅れました!」

 ミリアはグランドに立っている、先ほど面接を行っていたオ……オッツだったかオットーだったかの包帯を巻いた騎士団員に近づき、敬礼をしながら話しかける。

「だろうな。罰としてグラウンドを一周して来い! そうして貴様は……ジョセ・アールバンクだな?」

 ミリアに指示を出した騎士団員は、次にジョセへと向き、話し掛けて来る。何度も思うが、叱られるのは嫌いだ。

「あ、はい! そうです。ジョセ・アールバンク候補生です!」

「私はお前がどういう立場の者か分かっているが、訓練で手は抜かん。憶えて置く事だ。貴様もグラウンドを一周! 行け!」

「は、はい!」

 ミリアが罰を受け、ジョセが受けないという理屈も無いだろうが、余計な言葉を付け足されたなと思う。

 他の候補生達はいったい何の事かと首を傾げる者。何やら訳知り顔でにやにやとこちらを見つめる者が居て、そのうち全員に、ジョセの事情が伝わるはずだ。

 その手始めに、グラウンドを走っている途中で、わざと速度を落として来たミリアに話しかけられる。

「ねえ。あなた。いちいち気遣いするのが面倒だから聞いておくけれど、団長の家族で、コネで騎士団に入ったっていうのは本当?」

 確かに、ミリアは気遣いが苦手な部類の相手であるらしい。ジョセの方は嘘が苦手だから、頷き、ちょっと乱れだした息を我慢しながら答える事にした。

「そうだよ。僕は自治騎士団の団長、ザック・アールバンクの年の離れた弟だ」

 コネについても実際、兄の口利きで騎士団に入る事になった。

 今日から始まる自治騎士団での日々において、ジョセの立場はそういう類のものであった。




 団長の口利きで、本来なら見合わぬ成績で騎士団に入団してきた候補生がいる。

 そんな話は、数日あればすぐに広まる。

 候補生としての訓練が続くうちに、ジョセが孤立するのは時間の問題であったと言えるだろう。

 あいつの立場はややこしい。そもそも、何であいつだけ特別扱いなのか。

 訓練では手を抜かれていないはずなのに、そんな風に距離を置かれる事となったジョセは、今日も一人、騎士団庁舎内の食堂で食事をする事になった。

(ああほら。こういう距離感? そういうのって、慣れておくべきだよね。うん)

 多分、今後一生、付き合っていく必要のある状況だと思うから、トレイ上の器に入ったスープと一緒に、今の状況を飲み込んでおく。

 スムーズな談笑は苦手だが、賑やかな雰囲気は嫌いじゃないはずだ。しかし、今はそこから縁遠い。けど、友人が出来ないのだから仕方ないじゃないか。

 そんな風に思っていると、なんと、救う神が如く、ジョセが座る席の正面に座る相手が居た。

 ミリア・カークだ。

「どうも。相変わらず一人ね」

「うん。まあね。そっちはどう?」

「群れるのも得かもしれないけれど、苦手な奴扱いされるのならこっちから寄るつもりは無いわ」

 ミリアはそう言うが、ジョセの方は他の仲間から友人扱いされていないというのはそういう言い方もあるのかと感心した。

 ミリアもまた、訓練を続ける中で、他の候補生達とは距離を置かれる様になっているのだ。

(僕とはちょっと違う理由だけどね、彼女の場合は)

 他人と混じらない人種というのは、要するに能力や性格が平均から外れている人種を指す。

 コネで騎士団に入ったジョセは特別能力が劣り、一方でミリアの方は特別能力に優れている。他の追随を許さない彼女は、必然的に、あいつには敵わないと友人関係を作る前に、他の候補生から距離を置かれる様になったわけだ。

「けど、わざわざ僕の近くで食事を取る事も無いんじゃない?」

「候補生一人で食事って、ぜったいあいつ、何かあるんだって他の騎士団員から噂されるのよ? それって良い事だと思う?」

「悪い事ではあるよね。流言飛語は」

「あなたの場合、実際の話かもしれないけど」

「いやまあ……今、絶賛、直球で言われているから流言じゃないね。うん」

 ミリアの認識においても、ジョセは団長のコネで入った無駄飯食らいの騎士団員……の、候補生だ。

 噂でこそこそ言わないのはマシであろうが、それはそれとして正面から言われて気分が良くなるわけでも無い。

 だから世間話では無く、食事に集中しようとスプーンを手に取るわけであるが……。

「そういえばあなた。候補生訓練が終わったら、どの部署を希望しているの?」

「部署? ああ、そういえば、訓練が終わったら能力に見合った部署に配属されるんだっけ?」

「……ああそう。団長のコネで入団した側は、そこも気にする必要が無いってわけね」

 幾分か、気分を害したらしいミリア。そんな風にされても困る。ジョセの印象としては、結局、どの部署でも状況は大して変わらないので、気にするだけ無駄なのだ。

「そういう君は、是非にって感じで聞いて欲しそうだけど?」

「あら? 少しは他人の機微が分かるのね」

「普段はその手の話題以外、話し掛けて来ないじゃないか」

 食事の時間はあぶれ者二人で。そんな状況もここ最近は続いている。ミリアとの付き合い方も、ジョセなりに分かって来た頃合いだった。

「私は……勿論、騎士団長秘書課を希望してるわ」

 何が勿論だったっけ。それを考えて思い出す。一番の花形であり、団長直属という事で、秘書という言葉だけの意味では無く、騎士団内において様々な権限を持ちながら行動出来るという、ミリアみたいな人種であれば是非にと思いそうな部署であった。

 カーナンバック内における独自の捜査権限を持ち、政治が関わる犯罪にすら手を入れられるという噂である。

「けど、あそこって余程好成績を収めた上で、騎士団内で何らかの実績を出さなきゃ配属されないって話じゃなかったっけ?」

「そう。問題はそこ。候補生訓練の期間は三ヶ月。そこで十分に良い成績を出したところで、あくまで訓練でしょ? そこから別の部署に配属されたとして、目に見える結果を残せる部署かどうかは賭けになっちゃう」

「君なら悩みそうな話だ」

 ジョセにとっては? 無論、そんな上へ上へと望む向上心に薄いため、自分が頑張らない分野で頑張る者もいるのだなぁという印象しかない。

 ジョセにはあまり関係ない。そんな話題より食事を優先するべきだろう。昼食が遅れて、また訓練官をしているオットー(最近漸く戸惑わずに名前を思い浮かべられる様になった)一等騎士団員に叱られる事は防がなければ。

 そう思うのであるが……。

「だからそういう事で、手伝って欲しいの。候補生としてまだ暇があるうちにね」

「うん?」

 話題の前段階を聞き逃した。どうやらジョセにも関わる話であったらしい。同期同士での懇親会の準備の話であったら、参加する事にやぶさかではない。

 しかし、その手の話では無かったらしい。

「だから、候補生であっても、犯罪者の捜査権は与えられているでしょう?」

「都市圏で広域犯罪が行われていたら、候補生でも駆り出されるからだよね。確か」

「そう。つまり、犯罪者を捜査して、現行犯なら緊急で捕縛する事が出来るというわけ」

「待った。ちょっと待った。嫌な予感がする話題になってきた」

「だから、そう言っているじゃないの」

 既に説明されていたか。なら話を最後まで聞き逃すべきだった。妙な事に巻き込まれる、今はその瞬間だったのだ。

「今、騎士団でも取り逃している犯罪者がいる。それをあなたと私で逮捕するってわけ。将来のためにね」




 目の前に積まれている紙の資料にはさすがにうんざりとしてくるジョセ。

 騎士団庁舎内、今は特に使われる予定が無い倉庫用の一室で、ジョセはミリアがどこからか用意してきた机に突っ伏している。

 その隣では、ミリアがすごい速度で資料を選別しているわけであるが。

「手を休めないでよ。こういう次はどこで犯罪が行われるかの統計資料って、頭の中の察しより、数を知る事が重要なんだから」

「今、僕が頭の中で察してる事って言ったら、何でこんな事してるんだろうって事くらいかな。というか良く、資料持って来れたね。現在進行中の調査資料なんて持ち出し禁止だと思うんだけど」

「だから、持ち出さずに庁舎内で見ているんでしょう?」

「すごい理屈だ。反論出来ない」

 少なくとも口では勝てない。そう思う。じゃあその他の分野でも勝てるものがあるのか? などと聞かれたらさらに困ってしまうものの。

「けれど、他の人に見つかれば不味いから、あまり口外はしないで欲しい。あなたなら大丈夫そうだけど」

「……そんなに信頼されてる? 僕?」

「秘密を積極的にバラせる程、大胆な性格してないでしょ」

「うん。それは認めるか」

 頭を掻く。結果、自分の金色の前髪が目の前をちらつく。

 綺麗な金髪では無く、ややくすんでると思うそんな髪であるが、両親から受け継いだものであった。

 家は兄が騎士団の団長をするくらいには名家。遡ればかつての大貴族の家系に行き当たるし、現在でも没落しているとは言えないくらいに権勢やら財産があると聞くそんな家がジョセの実家だ。

 家の財産は兄が運用し、全面的に継ぐ事になっているとは言え、現状、その家の一員として騎士団内にコネで入れているのだから、感謝するべきなのだろう。

 そんな事をぼんやり考える。

「ちょっと、また手が止まってる。まったく、訓練は真面目にしてるんだから、仕事だって真面目にしてちょうだい」

「これって仕事かな。良い言い方をしてもただのボランティアじゃない?」

「それ、悪い言い方をすればどうなるのよ」

「そりゃあ盗み見だろう」

 何故か睨まれる。口の減らない男だとでも思われたのだろうか。

 意味のない会話なら任せて欲しい。時間を無駄に使うのは得意な方だ。

「はぁ……あのね、私、これでもそれなりに評価してるのよ?」

「評価って、何の? この騎士団で良い結果残せた事ってあんまり無い気がする。それに……君も知っての通り、コネで入った身だ」

「コネで入って、それでも訓練はちゃんとしてるじゃない。責任感はあるんでしょう? それなりに」

 まあ、そうなのだろうか。

 やれと言われた事をサボろうとは思わない。今だってこうやって、のろのろと調査資料を読み進めている。それくらいしか、ジョセに出来る事が少ないというのもある。

「私ね。こう思うの。信頼出来る騎士団員って、そういう責任感があるタイプだって。世の中能力主義や結果主義なんかが流行ってるけど、正義だの悪だのの話って、最後に大切になってくるのはどれだけ正しい事をしようと思うかどうかじゃない?」

「分からなくは無いけど、能力も結果も無しじゃ、責任感だけあったって何にもならないよ」

「そう。そこは悩ましいのよねぇ」

 と、器用に手を止めずに悩み始める。ミリア。彼女のその姿や考えを見れば、今の時点すら、彼女は組織の中で出世していくのだろうなと思えてくる。

 少なくともジョセが見るところでは、能力があり、そうして責任感だって持って居そうだから。

「あ……ちょっと。これ、見てちょうだい」

 ミリアが手を止めて、その手に持っていた資料をジョセに見せて来る。

 内容はとある犯罪者の出没情報。

 夜中に奇怪な手段を用いて銀行強盗を繰り返しているという話であるが、下見の際に近所の酒場で目撃される事が多いらしい。ミリアが見ているのは、その酒場の情報をまとめたものだ。

「うーん。狂気の大天才キルクド・ターシーを名乗る不審人物の目撃情報について。目撃された日の近い内に銀行を襲ってるって事は、お酒好きなのかな? 思うんだけど大天才を名乗る人って、あんまりお酒とかそういうの抜きで自分に酔ってそうだよね」

「そういう話をしてるんじゃないの。ほら、結構な件数を目撃されて、その度に取り逃がしてる騎士団も不甲斐ないけど、同じ場所では目撃されてない」

「そりゃあ騎士団だって網を張ってるだろうしね」

 最近は多くの犯罪者を取り逃がしているとの話もあるカーナンバック自治騎士団。情けない。税金の無駄遣い。そんな噂が聞こえてくるものの、それを聞いてより熱意を湧かせるくらいには健全な組織ではある。

「恐らく、騎士団を警戒してか、当人の美意識か、同じ犯行現場を選んでいないんだと思う。となると、次に目撃されるのはここ」

 と、街の地図をわざわざ取り出したミリアは、当たり前みたいに地図の一点を指さした。

「街のどこに何があるか記憶してるの?」

「凡その施設だけよ。記憶にはね、多くを憶えるためのコツがあるの。教えてあげましょうか?」

「いや、習得出来る気がしないよそれ」

 とりあえず、騎士団員としての優秀さを見せつけられた気がするジョセ。彼女には今の内に媚を売っていた方が将来のためかもしれない。

「それで、どうする? 見つけて肩が凝ったとかなら、マッサージでもしようか」

「いきなり何? 気持ち悪い事は止めてちょうだい。訴えるわよ」

 手厳しい言葉だ。媚を売るのは止めた方が良いかもしれない。

「兎に角、私はこの酒場が怪しいと思う。他にも候補があるんだろうし、張り込みをするなら本命は銀行の方だけど、つまり、私達が入り込める隙ではあるわよね?」

「そこで目撃出来たのなら、確かに点数にはなるだろうね。どうしてそんなところに居たと言われても、業務時間外で偶然立ち寄ったとだけ言い訳すれば、それで済む様な場所だ」

「それだけじゃない。出来れば捕まえるわよ。最初にそう言ったでしょう?」

「別にそこまでしなくても良いんじゃあ……」

 あくまで自分達は候補生。それなりの実績を上げるためと言っても、犯罪者の逮捕にまで手を出す必要なんてどこにも無い。そう思うのであるが……。

「目の前に犯罪者がいる。それを何もせず、取り逃がすなんて、それは出来ない」

「……無謀だけど、そのやる気は正しいと思う。思うけどさ」

 どうしたものかと、また頭を掻く。最近の犯罪というのは複雑怪奇かつ、暴力的なものが多いと聞く。

 万が一、それに巻き込まれて、目の前の同期生は大丈夫なのか。

「じゃあ、心配ならあなたも手伝ってよ。今日から、騎士団での訓練が終わった後、この酒場で張り込みを続ける。一人より二人の方が怪しまれないかもしれない」

「まー……日頃暇だからそれくらいなら出来るけども」

 それだけを返す。厄介ごとに巻き込まれたぞ、ジョセ・アールバンク。

 自嘲しながら、この付き合いを続けるのも少しは面白いかもしれない。そんな風に考える自分が、どうしてだかそこに居た。




 ただ、思いがどれほどの物であろうとも、現実というのは厳しい部分がある。

 例えば調査の方針が決まり、その方針を決めてくれた調査資料を書庫に返す途中、あっさりその不正を誰かに発見されるというのも、現実の厳しさの一つではあるだろう。

「いったいどういう事だ。ミリア・カーク。君らの訓練官の私が、こういう行為に気が付かないとでも思っていたのかね」

 書庫の前。どうしたって言い逃れの出来ぬタイミングで、彼、オットー・コンゴルト一等団員はジョセ達を待ち伏せしていた。

 もっとも、彼が主に見ているのはジョセではなく、その隣のミリアであったが。

「こういう行為とは、どの様な?」

「白を切るにしても、そこまで堂々と言われればこちらに非がある様に思えてくるな? だが、資料の持ち出しには許可がいる。それが騎士団内での原則である以上、どの様な言葉で繕っても、君がやった事は不正な行為だ」

「騎士団内の庁舎で、騎士団員が資料を見る事に、いったいどの様な不正があるのでしょうか?」

 ミリアは物怖じしていない風であるが、それでも彼女の様子はやや変だなとジョセは思う。

(あれか。これに限っては分が悪いと思ってるのかな。そりゃあそうだ。言い訳に切れがないんだから)

 候補生としての点数稼ぎに犯罪者を捉えようとして、候補生としてやってはいけない事をした今、その点数を減点されようとしている。今の状況はそんなところか。

「一つ。書庫からの持ち出しは、あくまで庁舎内であっても許可がいる。そしてもう一つ。君は騎士団員では無く、候補生だ。そこを履き違えるんじゃあない。君らは今、騎士団内部の資料を見聞きする立場であるかどうかも試されている期間である事を忘れるな」

 いちいちにもっともな話である。幾らミリアとは言え、この話に反論するのは愚かな行動だろう。

 もっとも、今の注意程度で済ます程度の話でもある。謹慎くらいは言い渡されるだろうが、候補生が簡単に資料を持ち出せる程度のそれなのだ。謹慎中に反省文でも何枚か書けば、それで終わる。

「しかし、私は―――

 だと言うのに、賢いはずのミリアがオットーに反論しようとする。

 それくらい、点数稼ぎが重要なのだろうか。彼女の希望は団長直属の秘書課。そこで経験を積みたいと言っていたが、存外、それは馬鹿らしい感情から来ているのかもしれない。

 つまり、この街で治安を守るはずの騎士団が犯罪者を取り逃し続けている。そういう状況を変えたいという、そういう馬鹿らしい正義感。

(そんな人間が今、最初の一歩目から躓こうとしているわけか)

 頭を掻きたくなる。実際、掻いたところでジョセを眼中に入れてなさそうなオットーは注意すらして来ないかもしれない。

 だから、口を挟む事にした。

「彼女に協力させて、資料を持ち出させたのは僕です」

「何?」

「え?」

 二人して疑問形で聞いて来ないで欲しい。言った通りの意味しか無いのだから。

「僕が兄さん……あっと、ザック・アールバンク団長に取り入って、資料を持ち出しました。ちょっとそういう、変な犯罪? 的なやつに興味があったので」

「自分が何を言っているのか分かっているのか? ジョセ・アールバンク候補生」

「ええ。分かってます。ああほら、こういうのなんて言うんでしたっけ? 良く言われてる……そう、コネを使いました。はい。ついでに彼女も無理に誘いました。付き合ってくれなきゃ団長から目を付けられるぞって」

「……」

 オットーの目が漸くジョセをまっすぐ見つめて来る。すごく睨みつける形で。正直勘弁して欲しいのであるが、言った手前、受け入れるしかあるまい。

「私は、お前の兄がどういう立場であるかで、訓練官としての手を抜かん。以前、そう言ったな」

「言ってましたっけ? だったらその……反省します。はい!」

「貴様がここでした事も、団長には報告させて貰う。処分は追って知らせる事になるだろう。覚悟する事だ。ジョセ・アールバンク候補生」

 冷たい声だった。こいつはもうこの程度の人間なのだろうと判断された、そういう声。

「分かりました。覚悟は、しておきます」

「ふんっ。ミリア・カーク候補生。付き合う相手は考える事だ。例え、何らかの権力で脅されたとしても、私に相談しなさい。以上だ」

 そう告げて、背中を見せながら廊下を去っていくオットー。

 残されたジョセはぼんやりとその背中を見つめていると、隣のミリアから話しかけられる。

「ちょっと、どういう事!?」

「どういう事って、君を庇った。馬鹿みたいな理由を付けて」

「分かってるなら理由を話なさいよっ。だって、今の……こういうのって、私があなたを無理矢理」

「そうだね。無理矢理だった。そういう理解があるのなら、庇った甲斐も増すってもんだ」

 ジョセは笑う。苦笑いに近いが、作り笑いでも無い。やりたい事をやったのだから、笑う以外の表情が無いのだ。

「理由の一つには、媚を売りたかったってのがある」

「媚?」

「君は将来、出世して行く人間だ。今の時点だって分かる。だからさ、変なところで躓く前に、恩を売って置こうと思った。それだけだ」

 肩を揉む事は気持ち悪がられたので、実利的な方向で売ってみせたわけである。その方がきっと良いと思った。

 こういう無茶な正義感を持っている同期生は、どんどん出世して貰うに限る。ジョセにとっても、騎士団にとっても。

「あのねぇ……注意されて謹慎になる程度の方がマシな状況になったのよ、あなた」

「だね。兄さんといろいろ後で話し合う必要はありそうだ。けど安心してよ。君がどうこうならない様には話す。これでも兄弟仲は良いんだよ。僕と兄さん」

 ジョセの言葉を聞き、何故か頭痛を覚えたらしいミリアは、額に指を置いて悩ましげに目を瞑っている。

「あなたに何て言えば良いのか……けど、真っ先に行っておくべきだったかも。庇ってくれて、ありがとう」

「まったく、そんな言葉は後に回して欲しいんだけどな」

「なんですって?」

「だって今日から僕と君は張り込みをするんだろう? 犯罪者を捕まえるために。感謝の言葉なら、捕まえた後にしてくれればもっと嬉しくなるもんだ」

 調子に乗っているな、今の自分は。そう思いながら、今日ばかりはミリアの前を歩く。

「ちょっと、ジョセ。ジョセ・アールバンク! 急に立派な事言われたって、こっちは混乱するだけなのよ?」

 と、幾分か気分がマシになったらしいミリアが付いて来る。ここから暫く、調査の日々が続くのだから、暗い雰囲気になるよりは良かった。




 調査は暫く続くだろう。そんな予感はジョセとミリア双方共通の意見であった。

 騎士団での訓練の後は、何日も酒場に入り浸り、世間を騒がせている犯罪者、キルクド・ターシーらしき人物を探し続ける事になるのだと、そういう覚悟を持っていた。

 が、得てして覚悟とやらは容易く裏切られるものだ。

(その形が、良い意味で裏切られたと言える場合、どういう顔を浮かべれば良いんだろうか?)

 人で酒場がごった返す時間帯。やや手狭に感じるその空間に、幾つかのテーブル席と一つのカウンター。それぞれに人が座りながらも、今は中心に一人の男が立ち、何やら叫んでいた。

「私の名前はキルクド・タァアアアアシィイイイイ!!! 世紀の大天才学者! キルクド………タァアアアアシィィィっだ! 皆、憶えておいてくれるかねぇ?」

 と、酒場全体を見渡すカラフルな頭髪とゴーグルで覆った顔の男。酒場の全員がちらりとそちらを見た後、見て見ぬふりをして談笑を再開するのを見れば、記憶したくない存在だと認知されている様子。

 ジョセ達に関してもそう努めたい欲求に負けそうになるが、そう言ってもいられない。

 酒場に入ったばかり、その中の喧騒に目を奪われたフリ……いや、実際に奪われているのであるが、とりあえず視線を逸らしたジョセに対し、ミリアの方はジョセ達を席に案内しようとしている店員へと話しかけていた。

「ええっと……彼、何?」

 騎士団員であろうと一般人であろうと、そうとしか聞けないだろう。そうして、聞かれた側の店員だって、困り顔を浮かべるしか出来ないはずだ。

「その……商売ですよ。商売。変わった商売です」

 店員はそう返してくる。確かにあれが何やらの営業活動なのだと思うと、非常に変わったタイプのそれだとジョセでも考える。

 一向に納得出来ない話ではあるが。

 そんなジョセ達の様子を察してか、店員が小声で伝えて来る。

「彼、ここだけの話なんですが、自称で連続銀行強盗犯も名乗ってましてね。そのための道具を発明したから売ってやるとかいう……まあ、詐欺に近い奴でして。気にせずうちの店を楽しんで貰えると有難いと申しますか」

 店員も苦慮しているタイプらしいが、一方でジョセとミリアは互いに顔を合わせる。

 確かに頭のおかしい詐欺師がいると思える光景であったが、キルクド・ターシーは自称どころかれっきとした連続銀行強盗犯である。

 毎回自治騎士団の追っ手を振り切り、撃退し、まんまと逃げおおせるだけの道具を使うとの情報もありだ。

 つまり、それを販売しようとしているのか? こんな酒場に集まる程度の人間に?

「一応……他の店も人で一杯だからここを選ぶけれど、もしこれ以上うるさくなる様だったら、私帰るからね?」

「はい。はい! 勿論ですよ。お酒の一杯程度ならサービスさせていただきますから」

 どうやら、ミリアの方は心を決めたらしい。

 キルクド・ターシーがどの様な相手であれ、今、ここで見なかった事にはしないと。

 とりあえずは酒場に客として入り、観察でもするつもりなのだろう。

(じゃあ僕もそれには従っておこっと)

 ただし演技は下手なのできょどきょどとしつつ、ただミリアの行動に動かされるだけの情けない男で居ておく。

「暫くはここで待機。あいつが変な行動をする様だったら動くわよ。捕縛用の武装については持ってきてるわよね?」

 席に案内された後、ミリアが談笑している風を装って、小声で尋ねて来る。

「うん。これ。このカバンの中に入ってる」

「結構大きいわね。どういう武装? 魔法杖を何本か持って来れたの?」

 ミリアの言う魔法杖とは、騎士団が使う武装の一つである。

 基本的に魔法は知識と技能を持ち合わせた魔法使いという立場の人間が使える専門的な能力なのであるが、それを素人でも扱える様にしたものが魔法杖である。

 杖ごとに使える魔法に種類があり、自治騎士団の場合なら対象を痺れさせたり転ばしたりする様な魔法が込められた杖を使う。

 便利なもので、自治騎士団における有事の際の主な武装が魔法杖になっている。

「そっちは事件の資料以上に持って来るのに手続きがいるから、持ち出しは無理だよ。配給された剣があるだろ? そっちを持ってきた」

「剣って……何時の時代の話よ」

「そんなに悪いかな剣。今だって候補生にすら帯剣許可が与えられてる」

 自治騎士団におけるある種の特権。それが騎士団員の街中における帯剣許可だ。

 長物の装備は一般人に対する明確な優位点であり、犯罪者相手であっても有用であるはずだ。

「単純な捕縛とかならもうちょっと、それこそ長い棒程度の方が軽いし取り回しも良く無い? 剣の時点でなんだか中途半端というか……騎士団での訓練も組み伏せるとか棒術とか、魔法杖の運用方法ばかりじゃないの」

「そりゃあ、今じゃあ剣の扱いなんて騎士団の象徴がそういう武装だった頃の名残りなんて言われてるけどさ。使えるものなら使うべきだ」

「使えるの?」

「まあ、それなりに?」

 一応、技能としては修得している部分である。素人同然では決してない。上を見れば限りが無いだろうとも思うが。

「ふーん。意外。武器全般が苦手そうに見えてた」

「酷いなぁ……そりゃあ斧とか槍とか見ると重そうだし、怖そうだなって思うけども」

「ジョセの場合、そっちの方がらしいわね」

「そういう君の方はどうなのさ」

 こっちは剣一本持って来るのでさえバレない様に輪郭が分からない程度の大きなカバンに入れて来たのだ。

 それなりに工夫している身であって、文句を言われる筋合いは無い。

「私の方はこれ」

 と、何本かの、手の指の間で持てる程度の木のスティックをどこからか取り出したミリアは、机の上にそれを置く。

「……ねえ、これって」

「ほほう? これはアマフェン工房が最近販売した、護身用の突撃魔法杖ではないかね? 携帯しやすく使いやすいと評判と聞くが、お嬢さん。もしや新しい物好きかな?」

「!」

 と、ジョセは突如会話に乱入してきた声に身構える。ジョセ達が居る机の横に、何時の間にかカラフルな髪と白衣の男がやってきていたのだ。

 間違えるはずも無く、先ほどまで酒場の中心で何やら叫んでいたキルクド・ターシーである。

(さっきまでの会話……聞かれてたりしないよな……?)

 キルクド当人にこちらが騎士団員だとバレるのは厄介な事態が引き起こる。そう警戒していると、机の下から足を蹴られた。

「あいたっ!」

「おおう? 何かな急に?」

「んーん。この人、変な病気なの。急に身体が痛くなるんですって。変な人でしょ?」

 ミリアはキルクドに驚いた様子も見せつつ、彼と話を始める。無論、ジョセの足を蹴ったのも彼女だ。

 おどおどするなという彼女なりの叱咤らしいが、直接的暴力でそれを伝えるのはどうかと思う。

(もうちょっと、目線で伝えてくるとかさぁ……)

 などと恨みがましい思いを抱えるが、やはり演技なんて下手な身なので、彼女の言う変な人をジョセは続ける事にする。

 今の状況の打開は、ミリアとキルクドの会話に任せるしかあるまい。

「変な病気の治療ならこのキルクド・ターシーを! と言いたいところだが、この大天才キルクド・ターシーと言えども、医療行為は門外漢なのでね! だが、お嬢さんのその魔法杖ならば物申せますとも!」

「そうなの? これ、女性にも簡単に持ち運べて扱えるって評判なんでしょう?」

 と、ミリアは机の上の木のスティック。キルクドが言うところの突撃魔法杖を示す。

 突撃魔法杖は種類ある魔法杖の中でも、特徴的な形と魔法が込められた物であるため、そう呼ばれる。

 込められた魔法についてはその文字通りのもの。その魔法杖には、魔法杖そのものを突撃、飛翔させる効果の魔法が込められているのである。

 射出と表現する方が正しいかもしれない。指に挟み、対象を狙って魔法を発動させれば、スティックサイズの魔法杖が、その鋭い先端を前に、対処へまっすぐ射出される。そんな道具だ。

 物に寄れば対象の身体を貫ける威力もあるという物であり、携帯のし易さと使い勝手の簡素さから女性が使う護身用の武器としては一般的だ。

(そうして……騎士団員が携帯する武器としてもだ)

 もしかしたらこちらの立場がバレるかもしれない。そう思うとハラハラするが、ミリアの方は気にした様子も見せずにキルクドと話を続けていた。

「街中を街灯が照らす様になって久しいが、女性の一人歩きに対して、この様な小さく儚い突撃魔法杖はあまりにも不甲斐ない。そうは思いませんかな!」

「指で挟める程度で何が出来るのって思わなくは無いけれど……他に適当なものも無いでしょう?」

「ふふふん! そう。他に無い。皆が今はそう思っている。しかして、このキルクド・ターシーはそんな世の中を破壊する、画期的な発明をしたのです! それこそがこれ! これをご存知ですか!?」

 と、キルクドは自らが着込む白衣の懐から、本人の髪の色と同じ様なカラフルな液体が入った試験管を取り出してくる。

「ええっと?」

 ミリアはその試験管なんて知らないだろう。ジョセも同様だ。今までの会話の中で、何故そういう話題が出て来るのか首を傾げる。

 しかし、待ってましたと言わんばかりにキルクドは笑みを浮かべた。

「知らないとなればお教えするしかありますまい! この試験管の中身こそ我がキルクド・ターシーが発明品! 空気と触れればどかーんと大爆発くん14号なのです!」

 名前を聞くに、大層物騒な物を商品としておススメされているらしい。

 目の前にあるカラフルな代物が、破壊的な結果を発生させる物品である事を知り、さすがにミリアの方も引き気味になる。

「だ、大爆発って、どれくらいの爆発なの?」

「そうですなぁ。これはあなたの様な可憐な女性におススメしている発明品ですので、この店が半壊する程度で済みます」

「身を守るには過剰じゃない!?」

 ミリアは遂に演技をかなぐり捨てて叫ぶも、それは店中の客や店員にしたところで同様の意見だっただろう。

 キルクドの喋りは声が大きいため、聞こえないという事もあるまい。これまでは客が迷惑な奴に絡まれている程度の認識であったはずが、店全体の問題に様変わりしてしまった。

 さっそく店員が走ってやってきて、キルクドに注意し始める。

「お、お客様!? その様な危険物を店に持ち込まれると困ります!」

 出来ればキルクドに絡まれた時点で注意して欲しかったが、何にせよ助け舟だ。店員がやってきた事は歓迎する。

 しかし、キルクドの方はそうでは無かったらしい。

「ええい! 営業妨害かね!? 我が発明品を受け入れられないというのはいったいどこの公僕の差し金か! 国からの圧力でもあったか!?」

 騒ぎ出すキルクドを見れば、危険性が上がったと判断できるだろう。手には大爆発するという話の液体入りの試験が揺れている。

 ジョセは咄嗟に騎士剣が入ったカバンを手に手繰り寄せて警戒を始めた。どう考えても様子見を続けられる状況では無くなっていたから。

「ちょっと! ええっと、キルクドさん!? とりあえず落ち着いて―――

「いいや落ち着けんであるなぁ! 何せ、自治騎士団の人間がやってきているのだから」

 と、騒ぎ続けるキルクドが急に落ち着き、そうしてミリアとジョセを見つめてくる。その手には、何時の間にかさらに数本の試験管が中身入りで握られていた。

「……」

 気付かれた? それともただのブラフか? 反応に困ってしまうものの、それはジョセだけで無くミリアも同様であるらしい。

 キルクドに返せる言葉も無く、ただ様子を伺っているが、キルクドの方は何故かニヤりと笑ってきた。

「何故気付いたか。そんな風に思っているのであろうな? だがこの大天才キルクド・ターシー! 追ってくる騎士団員を撃退する事九回程! 次で大台の十に至るとあって、それなりに騎士団員とそうで無い者の見分けが出来る様になっていてなぁ! 具体的には服装にセンスが無い。それが騎士団員の連中だ」

「それはどうかと思うけど……え? 本当?」

 と、ジョセは自分の服装を確認する。確かに特に拘ったものでは無かったが……。

「馬鹿、自分で認めてしまってどうするの!」

「あっ」

 騎士団員で無ければこのタイミングで服装のチェックなんてしない。そういう事かと気付いたがもう遅い。

 キルクドは戦闘態勢に入った様で、手で握る試験管を構える。

「確証を得られた以上、手加減する必要は一切ナッシング! 我が発明! 我が命! 我が魂を受け取るが良い! そぉおおおれ!」

 キルクドがこちらの試験管を投げつけて来た。その試験管の中身である液体は確かに空気と触れるや、そのエネルギーを開放する。

 店内に轟く爆音と、実際に爆発が引き起こり、ジョセ達の視界を覆って行った。




「で、その話を聞いて、私はどう答えれば良いと思うのかね?」

 カーナンバック自治騎士団。その団長室。

 質素ではあれ剛健な印象と相応に広いと感じるその部屋で、一応は部屋の主である騎士団長、ザック・アールバンクは自分に何やら報告してきた一等騎士団員の男、オットー・コンゴルトに話を聞き返していた。

「分かりませんか。あえて申し上げませんでしたが、あなたの身内……血を分けた弟さんの話でもあるのですよ?」

 オットーが言っているのは、ザックの弟であるジョセが、騎士団員候補生として未だ訓練を受ける身ながら、勝手に騎士団の調査資料を書庫から持ち出した件についてだった。

 持ち出された資料は重要な物では無いが規則違反であり、ジョセはその規則違反を兄である自分、ザックとのコネを使って、無かった事にしようとしたとの事。

「ふぅん。ジョセの奴がか。珍しいな。そういう事はなかなかしないと思っていたが」

「ならば、つまりあなたに確認する事も無く、あなたの立場を利用したと、そう考えてよろしいのですかな。ジョセ・アールバンクは候補生失格であると」

「……成績は悪く無いだろう? 訓練は真面目にしている様だ」

 と、報告書に付けられたジョセ・アールバンクの候補生としての成績簿を見つめる。

「悪いでしょう。だいたいが平均以下です」

「ただ、最近では人不足のうちにとって、この成績で候補生をクビにする理由にもならない。その程度の成績の悪さでもある。ジョセの奴を思えば、良くやってる方なんだよ」

 と、弟を擁護しておく。実際、ザックはもっと酷い物を予想していた。ジョセの奴は、何事についても不器用で非効率な男であるから、兄としても心配になってくる。

 だが、今は上手くやれているらしい。しかも騎士団の調査資料まで勝手に盗み見たと来ている。

「あなたは! 認めるというのですか!? 身内の不正を!」

 叫び始めるオットー。驚いて同じ部屋にいる秘書のマングレーテ君も反応していた。

 一方のザックの方はそうでも無い。オットーは騎士団員らしくがっしりとした体つきをした男であるが、体格はザックの方が上。一応、自分の金色の髪も綺麗に切り揃えて、団長用の制服だってクリーニングを欠かしていないから、見た目の優美さも勝っているはずだ。

 叫ばれたところで、驚く理由は無い……と思うのはオットーに対して失礼な考えだろうか。

「私は彼の評価を、兄であるあなたがどの様な立場であろうとも関係なく行うと伝えています! その意味を分かっておられるのですか!?」

「ああ。良いんじゃないかな。それで。贔屓は良くない。正直に成績簿を付けてくれれば良い」

「ならば―――

「ただし、候補生であろうとも、最終的に罰したりクビにしたりする権限があるのは私だ。つまりこの件についてはこうも言えるな。話は聞くが、今すぐジョセ・アールバンク候補生をどうこうするつもりは、私には無いと」

「ぐっ……」

 オットーは言い負かされて黙ったというよりは、怒りをひたすら我慢している風だった。

 騎士団内部のどうしようもない腐敗を見つけた。そんな風に思っているのだろうか。そんな相手に、ザックは告げる。

「話は終わったが、次は何かあるかね? 既に残業も残業な時間だ。君だって早めに家には帰りたいだろう」

「では失礼させていただく! 今後、私は自らの職務に手は抜きませんからな!」

「それは大いに結構。むしろ団長として歓迎するところだ。それは」

 ザックの言葉を背中に、オットーは部屋を去っていく。

 扉が大きく音鳴らして閉まるのを確認してから、ザックは溜め息を吐いた。

「もう少し、言い方があったとは思いますが」

 溜め息の途中、秘書のマングレーテ君が話し掛けて来る。

 愚痴を吐いても良いですよとの合図だろう。弱気なところを見せるのは辛いなどと思う若さでも無いため、遠慮なく言葉を漏らす事にする。

「まったく。身内が関わる人事というのは、何にせよややこしい話に発展するな?」

「弟さんを無理に騎士団に入団させた時点から、ややこしい話ではあると思いますが……」

「仕方ないだろう。あいつが正規の手段で騎士団に入団出来るわけ無いし、入団しようとするわけも無い。だから私が段取りをする必要があった。それをコネだと言われればその通りだが……」

 頭を掻く。思うのは弟の事でも無く、さっきのオットーの様子でも無く、ここ最近の自治騎士団の体たらくだ。

 連続かつ重要な犯罪者の検挙率は右肩下がり。組織が肥大化しているせいか、後手後手に回る事も常だった。

 しっかりと訓練しているはずの騎士団員が、そこらの犯罪者の力にねじ伏せられて取り逃がすなどという話も嫌という程に聞いていた。

「身内で無ければ抜擢と素直に言えるが、誰でも勘違いするのはやはり身内だからだろうな。弟を騎士団に入団させたのは、ただの身内贔屓だからなどと」

 ザックは思う。あいつが今、もっとも騎士団に必要な人材だと周囲が気付くのは、何時頃になるだろうかと。




 キルクドが投げた虹色の液体入り試験管が爆発する。それをミリアは見ていた。

 騎士団側の調査に漏れず、彼は自ら開発した薬品を使って、驚くような結果をもたらしたのを、ミリアは直接見る事になったのである。

 音と爆炎と衝撃が店の中で炸裂し、あの小さい試験管の中に何が詰まっていたのかと素直に疑問に思う程に、破壊的な現象を店内に広げていく。

 それはまさに、ミリアのすぐ近くで起こり、ミリアそのものを包んだ……そのはずだった。

「何故だ……」

 その言葉は店内の爆発を引き起こしたキルクド・ターシーから発せられたもの。すべての原因がこの男にあるというのに、当人こそが今の状況に驚いている。

「何故だ! 何故、無事で立っていられる!」

 その叫びはミリアと……そうして何時の間にかミリアの前に立ち、カバンの中にあったはずの騎士剣を持つ青年、ジョセに向けられたものだった。

 一方、ミリアは何故、目の前で試験管が爆発したというのに、自分が無事のままであるかを知っている。

 いや、直接見た。だが、その光景があまりにも馬鹿馬鹿しくて信じられないでいた。

「ジョセ……何をしたの?」

 ミリアはそう尋ねるしか出来ない。目の前に立っている青年、ジョセから返ってくる言葉なんて決まっているのに。

「何って……剣で斬ったんだよ。爆発を」

 実際、そうとしか見えない光景があったのだ。

 キルクドが試験管を投げ、試験管が割れ、中の液体が空気と反応するその瞬間に、凄まじい速度の剣閃がそれを切り裂いた。

 そうとしか言えない光景。剣で爆発が斬れるのか? そんな疑問が心に浮かぶも、目の前で確かにそれは起こっていた。

 それを引き起こした青年、ジョセ・アールバンクがそこに居た。




 剣の柄を握る。

 最近支給された、まだ握り慣れぬ剣の柄。しかしその剣は柄を握る手の平を通して、その力を持ち手、ジョセ・アールバンクに伝えて来てくれた。

 普段からズレている様な感覚が、剣を握る事で正しく整っていくのをジョセは感じる。あやふやで足元がおぼつかない感覚が、そのせいで運動神経も体力も無いと感じるこの身が、剣により斬り払われ、今、ジョセの全感覚は、その指一本の先の先に至るまでがはっきりとしたものへと変わっていく。

「キルクド・ターシー。恐らく専門的な知識を持った学者。特異な研究を続けているのであろう結果、周囲から奇異の目で見られ、社会に対して恨みを持っていて、銀行強盗もそんな自分を認めさせるために。自分の研究成果を周囲に見せつけるために行っているのだと予想出来る」

 ぶつぶつと、ジョセは自分の中で相手の立場を言葉にしていく。

「急に何だ貴様は! 貴様に私のなーにが分かっているものかぁ!」

 叫ぶキルクドであるが、ジョセにしてみればそんな事を言われても困る。呟く言葉はジョセ自身に言い聞かせるものでしか無いのだ。

 相手は何者で何が出来るか。それを把握する事で、ジョセは手に持った剣を最適に振るえる。

「特異な研究から生まれた研究品は、見た目の奇抜さに反して、有用に使えるものだと判断出来る。試験管一本投げるだけで店中煤だらけになる様な爆発。直撃すれば骨の数本でも折れていただろう衝撃は、騎士団員に複数を相手にする火力としては十分だ……が、他にも何かあるかな?」

 と、漸くジョセはキルクドを正面に見据えた。今、ジョセが知りうる限りのキルクドの情報は出し切った。

 後は駆け出し、ぶつかるだけ。

「ぬうぉぉぉぉ!?」

 キルクドが後方へ引いた。その速度、その距離は常人離れしたもので、さらにこちらを牽制するかの様に数本の試験管を投げつけて来た。

 それぞれが先ほどと同じ爆発を引き起こす。その爆発の只中に巻き込まれれば、それだけでジョセは戦う手段を奪われる。

 故にジョセは剣でそれらの爆発をすべて斬り払った。

「なぁ!? なぁ!? なああああ!?」

 爆発すべてを剣では打ち消せない。しかしてジョセへと向かうその威力はジョセの剣に寄り払いのけられ、ジョセの周囲に破壊の範囲を広げるのみだ。店にはご愁傷様と言って置こう。とりあえずまだ、爆発そのものに巻き込まれて怪我をした人間はいない。

「その身体能力……それも薬か?」

 剣を振るうと同時に、その足も止めないジョセ。キルクドとさらに距離を詰めながら、今度こそ彼に尋ねる。

「き、貴様こそ、いったい!」

 キルクドが店の窓を突き破り、外の道へと転がり出る。それを数瞬の後に追ったジョセは、剣の一閃を今度はキルクドに対して振るった。

「ぐぬぁ!?」

 手に伝わる感触。犯罪者であるが死刑判決が出ているわけでも無いので、命までは奪うまいと剣の腹で殴ったのが災いした。

 キルクドに防御する隙を与えてしまい、彼は自らの腕で剣を受けた後、道を転がっていく。

(奴の戦闘力を一撃で奪えなかった。これは僕のミスだな。剣のせいじゃあない)

 と、再び剣を構える。覚醒した様な感覚は維持したまま、それをさらに鋭く研ぎ澄ましていく。

 手に握る剣の様に。この身も常に剣と共に。

「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!? こんな……人間離れした……自治騎士団はいったい何を生み出したというのであるか!?」

 と、剣を防御した結果折れた腕とは反対側の腕で、再び試験管を取り出すキルクド。そんな彼に対してジョセはただ答える。

「生み出したって……鍛えてるだけだよ。普通に」

「そ・ん・な馬鹿な話が……あってたまるかぁ!」

 キルクドがまた試験管をジョセの方の地面に向けて投げつける。

 また爆発……では無い。次は煙だ。赤や黄色をした煙がジョセの方へと広がり、さらには固まっていく。

(固形化煙幕……確か奴はこれを使って良く騎士団を撒くって話だったか)

 視界を奪うだけで無く、煙そのものがそこで固化する。綿程度の強度であるが、足でも巻き込まれれば一時的に行動不能となるだろう。

 故にそれも……剣で斬った。

「そんなぁ!? 防刃だぞぉ!?」

「防刃は剣で斬り難いんであって、斬れないわけじゃあない。ちょっと工夫してやれば、その向こう側にも刃を届ける事が出来る」

「理屈を語るならもっとまともな事を言わんか!」

 狂ったみたいな男にまともを語れとは傷つく物言いだ。だが今はそんな事も些末事。ただひたすらに、この剣でもって、キルクドを捕縛する。

「言う事がそれで終わりなら覚悟しろ。剣で行動不能にするっていうのは、足の骨を折るって事だ」

「まだだ! まーだまだだぁ!」

 今度は試験管では無い。キルクドが顔に付けている、顔半分を覆うゴーグルが、周囲に広がる様に展開するや、そこにおかしな紋様が得かがれている。

 その紋様は、それを描き、魔力を通せば決められた魔法を発生させるという魔法陣と呼ばれるもの。

「だぁああい天才! キルクド・ターシーが奥の手。大天才ビィイイイムを喰らうが良ーい!」

 魔法陣が輝き、その輝きがジョセの方へと真っすぐ向かってくる。その速度はまさに光線の如く。

 当人が大天才ビームと表現する事から、ぶつかれば大天才になるか、もしくはダメージがある種類のそれだろう。

 だが、その速度はたかが光線だ。そうだろう? ジョセが持つ剣と、剣と繋がるジョセにとっては、まだまだ遥かに遅いはず。

「ビームを掻い潜りながら、剣を振るってくるでなあああああああい!?」

 そんなキルクドの叫びは夜の街に虚しく響き渡り、その次の瞬間には、ジョセの剣がキルクドの足へと叩きこまれる。

 容易くビームを避けたジョセは平行して前へと進み、隙だらけのキルクドを捉える事が出来たのである。

「ぐぇぇ……」

「これで終わりだキルクド・ターシー。世の中に恨みを持ってるのなら……うん。あれだね、もうちょっと穏健な方法で晴らした方が良いよ」

 と、剣を鞘に納めながらジョセは話しかける。

 鋭くなっていた感覚はその瞬間、ぼやけた物になっていく。剣に寄り研ぎ澄まされたジョセは、剣を納める事で、まさに鞘に戻った様な気分へと戻っていったのであった。




 連続銀行強盗犯ことキルクド・ターシーが捕縛、逮捕されたという話は、すぐさま自治騎士団内を駆け回った。

 それは候補生がやった事であるという尾ひれも付いて、それはもう迅速に、明確に騎士団員の間を泳ぎ回り、そうして自治騎士団長ザック・アールバンクの耳に入るのに、一日も掛からなかったらしい。

 結果、ミリア・カークはその自治騎士団長の執務室へと呼びだされていた。

 用意された椅子が一脚、部屋の中央に置かれている光景は、かなり威圧されるものがあると思う。

 そんな椅子に一人座っている間もずっとだ。

「さてミリア・カーク候補生。私が聞くところに寄ると、君は候補生という身ながら、他の騎士団員が何度も取り逃がした犯罪者を捕らえた。という話らしいが、それは事実かな?」

 最初の挨拶が終わり、本題が始まる瞬間が今だ。ザック騎士団長はかなりのやり手と言う評価がされているが、対面して話をするのは今回が初めて。

 どの様に話すべきかでミリアは頭を働かせる。それが出来る。はずなのであるが……。

「私が捕らえたと表現するべきか……それは悩んでいるところです」

 率直な回答を言葉にしてしまう。何せ事が昨日の今日で思考が纏まっていないのだ。

 キルクド・ターシーを捕まえた事では無い。捕まえた時にどう答弁するべきかは既に幾らでも想像してきた。それを現実にする自信だってあった。

 しかし、しかしだ。問題は同行して貰ったジョセ・アールバンクについてなのだ。彼の事など少しも想定出来ていない。

 この騎士団長相手に、その事をどう伝えろと言うのか。あなたの弟さんは化け物みたいでしたなどと、どうして言えようか?

「一つ尋ねるが……その悩みはもしや、私の弟、ジョセ・アールバンクについてかね?」

「はい! え……いや、その……」

「いいや庇ったり歯に衣を着せなくても結構。君の様子で事情はなんとなく分かった。私はあいつの家族である以上、あいつの事は君以上に良く知っているから」

 その言葉を聞いて、幾らか心が軽くなる。というよりこれから軽くしたくなって来た。

「あの……ジョセは……ジョセ・アールバンク候補生はいったい、どういうその……あの様な技能を?」

 ミリアは昨夜の様子を思い出していく。キルクド・ターシーはミリアが予想する以上に奇抜で厄介な相手であったが、ジョセの剣を握ってからの動きは、予想すら出来ぬ程の超人的なそれだった。

 本来斬れないだろうというものを斬り、人間離れした動きを繰り返し、そうして剣を手放せば元のおどおどした不器用な青年に戻った彼。普段のジョセの姿からは考えられない物であった。

「あいつはね。剣の天才なんだ」

「はい?」

「そんな表現があるかと言いたくなるだろう? 私だって同じ事を思った。それも何度もだ。だが、結局はそうとしか表現出来ないんだ。普段は抜けた弟であるし、騎士団員なんぞさせれば不安と不足しかない弟だが、剣の扱いに関しては、常人ではない……いや、常軌を逸している」

 自治騎士団長である前に実の兄であろうに、酷い言い草だとミリアは思う。

 思うが、ジョセ・アールバンクの評価に関しては的を射ていた。

 確かに常軌を逸した動きをジョセは見せていたから。

「君はこの街、カーナンバックの犯罪状況を知っているかな? 昨今、技術の発展や知識の共有に寄り、特異的な犯罪を引き起こす者達が増えている。昨夜捕らえられたキルクド・ターシーの様に」

「犯罪者が何らかの手段で、自治騎士団の組織力を超える力を発揮し、騎士団の動きが後手に回る事が多くなってきているというのは、一度、検証した事があります」

「うむ。それは検証などする必要のないくらいに事実だ。通常の犯罪であれば通常通りに対処すればそれで良いが、そうでない犯罪が増えてきている場合、我々はどうすれば良いだろうか? まさか当たり障りなく逃がし続ければ良いというわけでもあるまい?」

 そう問われて、今の話題が、ジョセの話の引き続きである事にミリアは気が付いた。

「同じレベルの……常識的では無い能力を持った者を当てる……ですか」

「正解だ。実際、これまで取り逃し続けたキルクド・ターシーを我々騎士団は捕らえる事が出来た。久しぶりの功績だとも言える」

 それがジョセ・アールバンクの評価。同期生や指導官からは低評価であるはずの彼を、コネと思われようが騎士団に入団させた、騎士団長の評価か。

 ならばミリアは考えるべきか。今までの考えを覆す必要がある事は確かだ。

「彼は……そうです。彼のおかげです。彼は候補生、いえ他の騎士団員に出来ない事が出来る。そんな彼を私は無理に誘って、昨夜、調査に付き合わせました」

「ふむ。確かに候補生である君らが調査を行うというのは、騎士団にとっても無理のある活動だろうね」

「私の独断です。処罰されても仕方の無い行動です。騎士団長の判断に寄り、どの様な罰も受ける覚悟を私はしています。ですので……ジョセについては……」

 ただミリアに付き合っただけだ。彼はミリアを庇ってくれたりもしたが、それでも、ミリアのやった事はミリアが尻拭いするべきだ。

 ジョセという人間が、今後も自治騎士団に必要な人材であれば特に。

 彼の経歴を、ミリアの勝手で傷つけるわけには行かない。

「ふふん。そう来るか。いや、そう来たか」

 覚悟を持って伝えた言葉を、何故かザック騎士団長は少し吹き出す様に笑った後、肩を揺らしている。

「その……」

「いや、ミリア君。君の生真面目さは自治騎士団にとって必要なものだ。堅物とも言われるそれだが、暴力を適切に扱わなければならない側というのは、そういう部分を評価しなければ組織が容易く腐敗する」

「は、はぁ?」

「そうして、ここからはそんな生真面目な君に頼む事なんだが、その頼みを聞き入れる事で、君の昨夜の活動も無かった事にしようと思う」

「はあ!?」

 分からない。弟の方も良く分からない存在だが、兄の方も大概だ。いったいザック騎士団長は何を言いたいのか。

「取り引きだよ取り引き。そんな勝手な事をして良いのかと思うかもしれないが、話だけでも聞いてくれないか。聞いて、もしかしたらそれで良いかと思う可能性もあるだろう?」

「それは確かに、聞いてから判断させて貰えれば有難いですが……」

 何かおかしな話が飛び出してくるかもしれない。そんな予感がする。

 そうして実際、ザック騎士団長が話し始めたのは、妙な話であったのだ。

「というのも、これだって私の弟、ジョセ・アールバンクの話なのだが―――




 騎士団の団員候補生で居られる期間というのは短いというのは、指導官から常日頃より言い聞かされて来た事である。

 実際、たった三ヶ月の訓練期間というのは、今後騎士団員としての覚悟を心に宿らせるには、明らかに短い期間だと言える。

「とは言っても、肩書きは確かに候補生から三等騎士団員って物になるんだから、世の中って人を置いてけ堀にしがちだ」

 幾らかの荷物を持ちながら、騎士団庁舎の中に数ある部屋の一つへと入る扉の前で、ジョセは呟く。

「扉を開けて部屋に入るにしても、そういう言葉を発してからじゃないと出来ないの? あなた?」

 と、並び立っているミリアが話し掛けて来た。

 同じく部屋の扉の前。確かに何かを話してからじゃないと話し難い事は確かだ。

「ほら、だってさ。見てよこれ。こんな物々しい表札ある?」

「これから私達が所属する部署でしょ? 物々しいなんていちいち思っていると身がもたないわよ」

 と、ミリアは言うが、その扉に付けられたプレートには、特殊犯罪対策室という文字が彫られていた。

 昨今、カーナンバックに増えている、これまでに無い力や技術を用いた犯罪に対して、カーナンバック自治騎士団が独自で設置した部署の一つ。

 ジョセと同じく今年度より自治騎士団内に存在する事になった、そんな新しい部署。

 そこがジョセと、そうしてミリアが正式に騎士団員となって後に配属された部署であった。

「君の方は良いのかい? 確か……希望していた部署は秘書課だったはず」

「ま、第一希望はそこだったけれど……これまでに無い事を要求されている部署って、他人の手垢が付いてなくてわくわくして来ない?」

「僕は今から気が重いよ……だいいち、なんで君と一緒なのかって悩みもある」

「何よ。あなたのお兄さんからの直接の頼み事なんだから、仕方ないでしょ?」

 ミリアが言ってくる通り、兄、ザック・アールバンクの差し金に寄り、ジョセとミリアは同じ部署に配属となったのだ。

「お兄さん曰く、あなたって、能力はあるけど、剣以外の事は真面目にしないんだって。けど、私が付いてたおかげで積極的に犯罪者を捕らえてくれたから、私が常に見ておいてくれると安心だって言ってたわ」

「横暴だよそれ。家族の発言だって言って良い事と悪い事がある」

「そうね。真面目にはしてるものね。ひたすら不器用なだけで」

「ううーん。それはそうなんだけど、そっちの発言も納得出来ないというか」

 酷い話もあったものである。騎士団に居る間は、常にミリアがお目付け役で付いて来るという事か。

「ミリア。君の方だって、そんな役目で満足してないでしょ」

「勿論。だからここで活躍してやるって思ってる……あなたとセットだって言うのも、悪く無かったりするしね?」

「え? それはどういう……」

 もしかしてロマンス的な物があるのだろうか。それをほんの少しくらい期待するジョセ。

「あなた、やっぱり常人じゃ無さそうだもの。そういう人を間近で観察して参考にするって、犯罪を追う事には大切かもしれない」

「人をさぁ! 犯罪者みたいにさぁ!」

 せっかく感じた淡い思いを容易く粉砕してから、ミリアの方はさっさと扉を開いてきた。

「あれこれ言ってないで、さっさと入るわよ。騎士団員としての私達の仕事は、ここから始まるんだから」

 言いたい事はまだ幾らでもあるのだが、確かに言ったところで始まらないかもしれない。

 騎士団員としてジョセが望まれる仕事。それは実際、どうしたところで、この部屋に入る事から始まるのだから。

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