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リチェヤモとマチンガンスがある食堂

作者: 時田 全

 男は腹が減っていた。それはとてもという副詞をつけても収まらないほどに。

 会社からまだ距離のある隣町までたどり着くと、飲食店を探し始めた。本当はいつもの会社付近にある定食屋のトンカツ定食ご飯大盛りが食べたいところだったが、腹が減っていてもうそこまで気力がもちそうに無かった。

 だから渋々、隣町の駅前の飲食店を探した。駅から200メートルほど離れたぐらいの場所に昔懐かしい食堂があった。

 特に変哲も無い、食堂と書いた赤い暖簾をくぐる。

 男が店に入って1番最初に目についたのは、黒板に書いてある文字だった。深緑の黒板に太い大きな文字で今日のおススメはリチェヤモ、マチンガンスと書かれていた。

 男は腹が減りすぎて、自分が黒板に書いてある文字を読み間違ったのかと呆然と立っている所、店の店員が台所から顔を出し、

 『空いてる所に座って下さい。』と言った。

 男は店内を見渡し適当な椅子に腰掛けた。もう一度黒板の文字を見直す。どこからどう読んでみてもやはりリチェヤモとマチンガンスと書いてあった。

 男は一度首を振ると気を取り直して、メニュー表に手を伸ばした。

 そこには、どこからどう読んでみても普通の定食屋にあるような一般的なメニューしか載っていなかった。

 ラーメンにカレー、オムライスにチャーハン、カツ丼に親子丼、焼き魚定食に生姜焼き定食等等。

 男は店員を呼び早速、焼肉定食、ご飯大盛りを注文した。すると中年の女性店員は目をひん剥いて驚いた。

 『お客さん、今日はリチェヤモがありますよ。ついでにマチンガンスまで。本当に焼肉定食なんかでいいの?』と男にきいた。

 男はマチンガンスもリチェヤモも聞いたことも見た事もなかった。そんな得体の知らないものを頼む気にはなれなかった。

 『はい。焼肉定食で大丈夫です』

 『かしこまりました』と言って店員は下がっていった。

 男が注文をし終えると、1人客が入ってきた。

 『すいません。リチェヤモ一つ!』と注文した。

 『あいよ!』と厨房から返事があった。そして、2分とたたずにその客の前にリチェヤモが着丼した。男は自分の方が先に注文をしていたので、あまりいい気分ではなかった。

 厨房に戻る途中に店員が『焼肉定食あと少しで出来上がりますんで、もう少々お待ち下さい』と恭しく言って去って行った。

 リチェヤモとは一体なんぞえ?と思い、男は注文した客の方を見た。リチェヤモを注文した客は嬉しそうにどんぶりの蓋を開くと、目を輝かせて食べ始めた。まるで、誕生日のホールケーキを目の前にしてキラキラと目を輝かせる子供の顔を客はしている。

 それほどまでに嬉しいリチェヤモとは一体どんなものか?男は更に首を伸ばして客ががっつく丼ぶりの中身を覗きこんだ。

 すると丼ぶりの中には青色のヌメヌメと光る物体が見えた。その客はそのおぞましい青色の物体を美味しそうにかきこむと味噌汁で流し込んだ。

 男は一瞬自分の空腹を忘れる程気分が悪くなったが、そうとはつゆ知らず客は男の目の前の席でリチェヤモを美味しそうに食べていた。

 次に入ってきた客もリチェヤモを注文した。その次に入ってきた客もリチェヤモでその次の次に入ってきた客はマチンガンスを注文した。

 この食堂に入ってくる客は皆ほとんどリチェヤモかマチンガンスを注文した。焼肉定食などたのむ者は1人としていなかった。

 厨房では逞しい腕をもった店主が汗だくになりながら、リチェヤモとマチンガンスを交互に作っては、客の腹を満たした。そしてリチェヤモ、マチンガンスを食べ終わった客は皆一様にとても幸せそうな満足した顔で店を出て行った。

 ある客は『明日もリチェヤモとマチンガンスはあるのか?』と店員に聞いた。

 『明日はチョペペエカとツァーラマカスよ!』

 『何?明日、チョペペエカの日かぁ!!』と言ってとても良い事が起きた時の顔をして店を出て行った。

 男が焼肉定食を食べ終え店を出ようとすると、また客が一人、入ってきて言った。

 『リチェヤモまだありますか?』

 『ごめんねぇー、さっきのお客さんで今日の分は終了したのよ。』

 『ならマチンガンスは?』すると店主のオヤジが厨房から顔をだし『お客さんついてるね!まだマチンガンスはあるよ!』と言った。

 男は焼肉定食の会計をしながら、店員に『リチェヤモって何ですか?』と聞いた。すると店員は驚いた顔で『お客さんリチェヤモを知らないんですか?』と聞き返してきた。明日、太陽は登ることは無いという事実を告げられたみたいな驚きぶりに、男はなんだか恥ずかしくなった。

 『だったら今度一度食べてみて下さいよ。リチェヤモ。ハマりますよ。マチンガンスもおすすめですよ。食べないと人生半分以上損してるようなもんですよ』と店員は笑いながら言った。『たしか、次にリチェヤモが献立に回ってくるのは来週の火曜日だったはずだから、また来て下さいね』と言って男の腕を2度たたいた。

 それ以来、男の頭の中にはリチェヤモとマチンガンスなる言葉がついて離れなかった。

 男は会社に戻ると早速リチェヤモ、マチンガンスをネットで検索したが、そんなものはどこにも見当たらなかった。

 5日後、男はあの食堂の前に立っていた。食堂はリチェヤモとマチンガンスを注文する客でごった返していた。なんなら外で5人ぐらい待っていた。

 男は6番目に並んだ。前に並んでいるサラリーマン風の2人はリチェヤモとマチンガンスの話を展開させていた。

 『先輩、リチェヤモ初めてっすか?』と見た目がチャラそうな部下が聞くと

 『あぁ、マチンガンスは食べた事があるが、リチェヤモはまだなんだ。なんせ俺が店に入るといつも売り切れているからな。』と見た目がスポーツ会系の先輩がこたえた。

 『今日はまだ残ってるといいっすねぇ。リチェヤモ。あれを食べずには食は語れないっす。』

 『あぁ。リチェヤモは俺の長年の夢だからな。念願が叶うってものよ。』と2人は話していた。

 それほどまでにすごいのかリチェヤモ。マチンガンス。

 1人、また1人と店に客が入り男の番がまわってきた。

 男は席につくなり、リチェヤモを注文した。

『ごめんねぇー。お客さんの前の人でリチェヤモ最後だったんだ』と残念そうに店員が言う。

 『じゃ、マチンガンスは?』

 『マチンガンスかい?まだ出来るか、聞いてくるから少々お待ち下さい』と言って下がっていった。

 男が店員を待っている間、隣の客に『へい。マチンガンス一丁』と言って逞しい腕の店主がマチンガンスを運んできた。

 男はマチンガンスを凝視した。マチンガンスは紫色の物体で、モザイクをかけてしまいたくなるほどの塊であった。それはどこからどうみても食べ物とは言えないものが食器の上にのって湯気を上げていた。ほどなくして男の鼻にすえた臭いが届いた。

 隣の客はとても嬉しそうに匂いをかぐと、割り箸を勢いよく割り、マチンガンスを食べはじめた。マチンガンスを口に入れ、白米をかき込むその様子をみて男はなんだか気分が悪くなり、慌てて店を後にした。

 その数日後、男はビールを飲みながら深夜帯のニュースを見ていた。報道番組ではリチェヤモとマチンガンスが今巷で話題を呼んでいると取り上げていた。

 リチェヤモとマチンガンスを食した人々は皆一様にとても美味しく、なかなか巡り会えないのでラッキーな気持ちになるといった類の事を発言していた。

 男はマチンガンスの匂いを思い出してすぐさまチャンネルを変えた。

 チャンネルを変えてしまうと、自分はとてもいけない事をしてしまった気分になった。そしてチャンネルを戻したが、ニュースは次のトピックスを取り上げていた。

 それからまた男の頭をリチェヤモとマチンガンスという言葉がついて離れなかった。自分はリチェヤモとマチンガンスを食べなければ、死んでしまうかもしれないという不思議な使命感が男の心を支配していた。会議をしてても、得意先にいても男はうまく仕事に集中する事が出来なかった。兎に角、男は一日中リチェヤモとマチンガンスの事で頭がいっぱいだった。

 男は意を決して、あの食堂にもう一度、足を運んだ。すると、以前そこに確かにあったはずのあのレトロな赤色暖簾の食堂は跡形も無く消え去っていた。

 男は絶望的な気分の中、道を行く通行人にしがみつき、『前、ここにあった食堂は?』ときいた。

 犬の散歩に付き合っているその老人は『以前からここに食堂などなかった』と言った。

 『じゃあ、リチェヤモは?マチンガンスは?』

 男は必死に聞いた。

 『そんな物は知らん』と言って老人は去って行った。

 男は自分がまたとこない幸運の機会を逃してしまった事をその時にやっと気が付いた。


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