1-6、女子の鞄は未知の味
真白は、絵奈の家の玄関扉の前に立っていた。
2階建ての綺麗とは言えないアパートの一室が、絵奈達家族が暮らす家だった。
畑が荒らされたあの日、絵奈がその場から逃げるように居なくなった。
真白は絵奈を追いかけなかった。
今すべきことは、追いかけることではない気がしたからだ。
(まぁとりあえず直しておくか)
「ヒーリング」
畑全体に癒しの魔法をかけると、踏みつぶされた苗が元の姿に戻っていった。
畑を荒らしたのが吊り目くんであることは真白にも想像は出来ていたが、
イノシシが荒らしたんだな。ぐらいの感覚でしかなかった。
別に怒ってもないし、悲しんでもない。この世界の人間は心が複雑すぎる。
部室に残った絵奈のバッグと、机に置いてあった部長宛ての手紙を手に取り、
教室内にある絵奈のロッカーに入れ込んでおいた。
それから2日、絵奈は学校へ来なかった。
そして今、絵奈の家の前に立っているのは部長命令が下されたからであった。
「絵奈が来ないんだけど、波木くん何か知っているよね?」
部長の尋問はいつも以上に圧が強かった。
「いや・・・知っているような、知らないような」
餅男の記憶を通して、吊り目くんと絵奈の間に何らかのトラブルがあることは想像できた。
しかし、そもそもの絵奈との確執が何なのかは知らないのだ。
「・・まぁ、俺行ってきます」
ロッカーに入れっぱなしの絵奈の荷物も気になり、部長命令に素直に従うことにした。
(あのバッグの中に、2日前の弁当が入っている・・・・)
想像するだけで吐き気がした。
しかし、女子のバッグを勝手に開けるわけにもいかない。
家のインターフォンを押すと、中から返事が聞こえてきてドアが勢いよく開いた。
中学生ぐらいの少女だった。妹だろうか、絵奈にはあまり似ていなかった。
「波木と言います。絵奈さんの同じクラスの・・・」
とそこまで言うと、
「波木真白くんでしょ!!!!」
少女の顔がぱっと明るくなった。
「お姉ちゃーーん!!!真白くんが来てくれたよ」
部屋に向かって大きく叫ぶが、絵奈の返事はない。
「あーだめか」
妹は拗ねたように頬を膨らませた。
「とりあえず、これ絵奈さんのカバン」
一刻も早く開けて弁当箱の中身処分してください。
真白は渾身の願いを込めて、絵奈の妹にバッグを渡した。
「ありがとう。お姉ちゃんね、真白くんが学校に来るようになってとても明るくなったんだよ。
だから、菜穂も真白くんにはすごく感謝しているんだ。
あ、良かったらごはん食べて行って!今日は菜穂が作ったの。カレーだよ」
「あ、いや・・・」
断りたかったが、菜穂ががっつり真白の腕を掴んでいる。
「食べるよね?」
「うん・・頂きます」
家の中はお世辞にも広いとは言えなかった。玄関から入ってすぐにキッチンがあり、確かにカレーの匂いがしている。
畳敷きの居間に通されると、座るよう促された。
菜穂はカレーとサラダ、そしてお茶を手際よく運んでくる。
「さ、真白くん食べて」
「ありがとう。頂きます」
真白は机に置かれたスプーンを手に取った。
「じゃ、いただきまーす!お姉ちゃんの分も置いてあるよ」
と、菜穂は両手を合わせながら襖で閉じられた隣室に向かって大声を出す。
おそらくそこに絵奈がいるのだろう。
母親が作ったもの以外を食べることは、真白にとって初めてだった。
真白の母が作るカレーは具が小さく牛肉が入っていてスパイシーだった。
この家のカレーは野菜がゴロゴロと大きく鶏肉を使用していて、少し甘い。
同じカレーでもこんなに味が違うのか。
前世には、カレーは存在していなかったから不思議だ。
「もしかして、夏川拓真くんとお姉ちゃんなんかあった?」
カレーを一通り食べたところで、菜穂は真白に問いかける。
「・・・・知らないんだ」
真白の言葉を聞き、菜穂は考え込んでいるようだった。
少しの間の後、重い口を開きだした。
「うちの父親がね、拓真君のお父さんにひどいことしちゃて、それを拓真君とても恨んでてね。
お姉ちゃんに仕返ししてるの。でもお姉ちゃん、それでいいって思ってて、何でも言うこと聞いちゃうんだよね。あほだよね」
狭く壁の薄い家だ。おそらく絵奈の耳にも届いているだろう。
「いくら私達の父親が酷くたって、お姉ちゃんには関係ないのにね」
菜穂の声は終始軽い。でもその中に悲しみがあるような気がした。
「あとさ、お姉ちゃんが拓真君にひれ伏してるからさ、結局関係ない真白君も虐められて引きこもったんでしょ?
何やってるんだよって思わない?変な罪悪感から関係ない人も巻き込むなっていうの!!!
お姉ちゃんそこに引きこもってさ、一生家から出ないつもり?出てきて謝りなよ。真白君に」
その厳しい怒りは姉への叱咤激励なのだろう。
絵奈の状況よりも、なぜ今ここで吊り目くんと絵奈のトラブルに巻き込まれているのかについて、
全力で考えていた真白だが、答えは出ない。
この状況から逃げ出す方法を思い浮かばなかったので、とりあえず黙って座っておいた。
数分の沈黙の後、襖がそっと開いた。
絵奈は、いつも1つに結んでいる髪を下し、眼鏡を外していた。
「真白君、私のせいで畑もダメになって・・・たくさん巻き込んでしまって本当にごめんなさい」
真白の前に正座で座り、深々と頭を下げる。
「加瀬さん・・・」
「はい・・」
絵奈は、グッと目を強く閉じた。何を言われても構わないという覚悟が見えた。
真白も神妙な面持ちで口を開く。
「そんなことより、加瀬さんのカバンの中に入っている一昨日の弁当の中身が腐って悪臭を放ち、
エビなんか入っていた日にはもう何か湧いてたりしたりしたり・・・・
俺想像するだけで狂いそうだから早く処分してくれると助かる」
「・・・・」
「ぶは!!!!え、そこーーーー?」
菜穂が笑い転げている。
「あはは」
釣られて絵奈まで笑いだしてしまう。
絵奈はゆっくり立ち上がり、玄関付近に置いてあったバッグを手に取った。
そして、再び真白の前に座り直した。
バッグのファスナーを開けて弁当袋を取り出す。
「いや、加瀬さん、見せなくていいから!!!」
絶対的恐怖心。
悪臭が漂ってきても困るので、とりあえず息を止めてみる。
「波木くん大丈夫だよ。この日早く学校に行ったから・・・」
弁当袋から出てきたのは、消費期限内の菓子パンだった。