第20話 元聖女候補ルベリア
エステルに勧められるがままソファに腰かけると、神官がお茶を淹れてくれた。
温かい紅茶で喉を潤し落ち着いたのか、エステルはゆっくりと話し始めた。
「シャルロット様、ルベリア――――例の魔女に堕ちた聖女候補のことはどこまでご存じですか」
「一通り、父から話を聞いております」
「そうでしたか。……彼女はシャルロット様のお父様、ダンヴェザ公爵に心酔していました。執着と呼んだ方が相応しいかもしれませんね。聖女候補は王立学園卒業後、社交の場に参加するようになります。女神様への信仰を深めていただくため、というのが表向きの理由ですが、実際は寄付を募るためです。なので、どちらかというと上流階級の方々の機嫌を取る立場で、気苦労が絶えないのです。ルベリアは上手に役割を果たしていましたが、それでも疲れていたのでしょうね。気さくで紳士な公爵に彼女は夢中になっていきました」
エステルはもう一度紅茶を飲み一息つく。そして話を続けた。
「魔女になったかどうか、彼女らが能力を発揮する以外で判断することは現状不可能です。ですから、ルベリアが魔女に堕ちたと気づいた時には、もう何もかもが遅い状況でした。このような事態を招いてしまったのも、彼女の不安定な心に気づけなかった私の落ち度です。せめてもの罪滅ぼしにシャルロット様のお悩みを解決できれば良かったのですが……。お役に立てず申し訳ございません」
責任に感じているのだろう。エステルは悲痛な面持ちでカップに注がれた紅茶を見つめている。
「そんな……。聖女様が謝ることはございません。もし魔女以外に問題があったとしたら、それは女性関係がだらしなかった父でしょう。とはいえ、父も被害者の一人です。魔女ルベリアと関係がある方は思うところがあるかもしれませんが、皆様心を痛めている時点で被害者の一人であると私は思っています。ですから、聖女様もそのように思いつめないでください」
心からそう思うシャルロットは迷わずに言い切った。
「シャルロット様……」
エステルが胸をいっぱいにしながら名前を呼ぶ。
「私としてはこのようなお時間をいただけただけで光栄ですから」
「こちらこそシャルロット様にお会いできて光栄です。本来はお救いせねばならない立場なのに、こちらが救われてしまいました。ありがとうございます」
聖女の笑みではなく、エステルとしての微笑みでそう言葉を返してくれた。
暫しの沈黙の後、アカシアが「そういえば……」と明るい声で話し始めた。
「シャル様のお父様、先日ご挨拶する機会をいただきましたけど、流石シャル様のお父様! って思いました。凄く格好良かったです。周りの女性が放っておかないですよね」
重たい空気を変えるためなのか、アカシアが話題を魔女からダンヴェザ公爵へと変えてきた。シャルロットもこれ以上エステルに責任を感じて欲しくないので、その流れに乗ることにした。
「容姿はさておき、家族からも使用人からも呆れられているけどね」
「えー! 毎日、あのお顔見ることが出来たら楽しくなりそうなのに。まあ、シャル様のご家族って皆さん美形ですから慣れてるんですかねぇ。公爵様、若い時はもっと凄かったんだろうなぁ」
目を閉じて空想し始めるアカシアにエステルは大きく頷きを返した。
「大人気よ、大人気。公爵の恋の話は関心の高い話題の一つで、真偽はともかく公爵の話題が上がらない社交場は無いほど、様々な面で大人気だったわよ」
「公爵様、規模感が違いますね!」
興奮気味のアカシアにエステルはどんどん当時のエピソードを提供していく。
その後も何故かダンヴェザ公爵の話で盛り上がり、シャルロットはいたたまれない気持ちになりながら紅茶を静かに飲むことになった。
暫くすると、淹れてもらった紅茶も無くなりおひらきの時間がやってきた。後半、公爵の話しかしていなかった気がするが、聖女と聖女候補の仲の良さを知れたのでシャルロットとしては悪くなかった。
聖女とお付きの神官はシャルロットとアカシアを見送るために神殿の玄関まで来てくれた。神官長は忙しいとのことでお見送りには来なかったが、聖女との対面を避けているに違いない。
送迎の馬車の準備も整い、お別れの挨拶を済ませて馬車へと向かおうとするシャルロット達だったが、エステルがその背中を呼び止めた。
「あの、シャルロット様」
シャルロットは足を止めて振り返る。何かためらっている様子のエステルだったが、決心したようで口をゆっくりと開いた。
「……ルベリアは自身の行動に対して、人から反応を貰うのが大好きな子でした。ですから、上手に社交の場で役割を果たせていましたし、公爵の反応が冷たかったのも耐えられなかったのでしょう。そんな彼女がシャルロット様の悩む姿を見逃すだなんて、私は考えられません」
落ち着いた、けれどもきっぱりとした声でエステルは言葉を続けていく。
「祝福が継続しているということはルベリアはまだ生きています。追放する際、自然回復で追いつけないほどの魔力を彼女から奪ったので呪いを扱える状態ではないと思いますが、どうかお気をつけください。私と似た年齢の女性が近づいてきたら要注意を」
今までにないエステルの観点に耳を傾けながらシャルロットは衝撃を受けていた。
両親曰く、魔女ルベリアは「お腹の中にいるその子には私が味わった地獄のような苦しみ、切なさを同じように味あわせてあげる」と言って術を発動させたと聞いている。同じかどうかはさておき、苦しんでいるシャルロットを見たいと思わないわけがなかった。
近くにいる可能性は十分ある。
ルベリアがダンヴェザ公爵夫妻の前に現れた当時、彼女が国内に戻っていることが判明した為、一時警備が強化され、国中で捜索が行われた。捜査は難航し、その後目撃情報も確認できなかったこともあり、見つからないまま数年で捜索は打ち切られた。が、生きていることを踏まえるに今も隠れて国のどこかにいるように思える。
今のところ、そのような女性に心当たりはないが、気をつけるに越したことは無いだろう。
「今まで自分のこの症状に精一杯でしたが、聖女様の仰る通りです。ご忠告ありがとうございます」
素直な礼にエステルは微笑み返すと、今度はシャルロットの横で立っているアカシアに視線を向けた。表情が急に険しくなる。
「アカシア、あなたも気をつけるのよ! 魔法が使えるからって過信しない! 何があるか分からないんだから。いいわね!」
「もー、エステル様心配し過ぎですって。シャル様を心配する気持ちは分かりますけど、下手な騎士より私は戦えますから大丈夫です」
「そういうところよ! ああっ、シャルロット様はこんなにも素直なのに、どうしてアカシアは……!」
「えー、私も素直な方だと思うんですけど……。まっ、教会本部で大人しくしているので本当に大丈夫ですよ。またお会いしましょうね、エステル様」
「次、会う時にはちゃんと資料読んでおくのよ、素直なアカシア」
「……はい」
アカシアの声はいつもに比べてとても小さな声だった。
逃げるようにアカシアが馬車に乗り込んだので、シャルロットはもう一度エステルたちに別れの挨拶を行ってから急いで馬車に乗った。
馬車が動くと、シャルロットの真向かいに座るアカシアが声をかけてきた。
「シャル様、聖女様との対面どうでしたか?」
「楽しい方だったわ」
「そう言っていただけて嬉しいです。シャル様の祝福については、大きな進展がなくてなんだかごめんなさい」
そう言って気落ちするアカシアにシャルロットは慌てて声をかけた。
「そんなことないわ。一つの条件さえ達成できれば良いことも分かったし、その条件も道筋が見えた気がするの。今日、訪問出来て本当に良かった。アカシア、ありがとう」
「シャル様……!」
顔が明るくなったアカシアに頬が思わず緩む。くるくると表情が変わるその姿が、なんだかエステルと重なって、それも面白かった。
馬車の旅は順調に進み、シャルロットとアカシアは長閑な森林の風景を楽しみながら学園の様々な話で盛り上がる。
そんな中で、話は先程のエステルの忠告に移った。
「シャル様の周りにエステル様と歳が近い方って学園にいないですよね」
「そうね、年齢が私たちより上となると先生ぐらいだし、その先生たちとは授業だけで頻繁に会う関係ではないわ。それに王立学園の先生方に怪しい経歴はいないはずよ」
王侯貴族と将来の国を担う人材が通う王立学園は、そこで働く人も由緒正しい経歴の持ち主ばかりだ。怪しい人が入り込む隙はないし、何より今年はセヴリードが入学した年だ。いつも以上に、気を使っているはずだ。
「うーん、私もエステル様の言う通り、あんな嫌がらせの祝福をかけておいて、放置ってことは無い気がするんですよねぇ」
「夏休み明けたら少し気をつけてみるわ」
「そうですね、それが良いですよ。あっ、何かあったら任せてくださいね! お助けします」
アカシアはポンっと胸を手で叩く。その顔は自信満々と言ったところだ。
「ありがとう。とても頼もしいわ」
「ええ、ええ、頼りにしてください! マチアスには負けますけど、私だって結構――――」
アカシアが言い切る前に馬車が突然止まる。
笑顔が一変、困惑した表情でアカシアはシャルロットを見つめた。
一体どうしたのだろうか。
ここは御者にどうしたのか尋ねるしかないとシャルロットが思っていると、その御者の震えている声が耳に届いた。
「な、なんなんだあんたたちは!」
不審な内容に言葉を無くしていると、今度は鈍い音が聞こえてくる。そして続けて何かが地面に落ちた音もした。
まさかと思いシャルロットは馬車の窓から外を覗く。そして息を飲み込んだ。
馬車は刃物を持った男たちに囲まれていた。