第2話 出立前夜の家族会議
ダンヴェザ公爵家の一室、花の間。夕食を終えた夫妻と長女のシャルロットは各々ソファに座りながら真剣な面持ちで互いの顔を見ていた。シャルロットの弟、エルヴェは留学中のため不在だ。
「いよいよだね」
「ええ。ついに明日になりましたね、あなた」
ダンヴェザ公爵夫婦は落ち着いた声で確認をする。
明日は大事な娘のシャルロットが王立学園に入学するため、旅立つ日だ。シャルロットは入学から1年間、郊外にある学園で過ごすことになっていた。
学園は貴族のみならず、新興勢力や優秀な平民も試験に合格すれば入学することができる身分関係なく憧れの場所。特に今年は王太子や国を支える公爵家の令嬢に天才魔法使い、そして聖女候補が入学する異例の年で、今年入学する生徒は羨望の眼差しを受けていた。
皆、入学式を心待ちにしていることだろう。
しかしながら、異例の年を盛り上げる立役者の一人である公爵令嬢のシャルロットは違った。花のような笑みをいつも浮かべるシャルロットは、神妙な顔つきだ。
そんな彼女に心配そうな父の公爵が声をかける。
「本当にいいんだね? 今ならまだ留学に変更することもできるんだよ?」
「たった1年だけの話です。殿下とは同じクラスになりますが、最低限の接触を心がければ誰にもご迷惑をおかけすることなく卒業することができます。それに、この国に生まれた者として王立学園に入学できるのは光栄なことですから、私自身が入学したいと強く思っているのです」
「シャルがそこまで言うなら止めないけど、父は心配だよ。可愛いシャルに悲しい思いをして欲しくないから……」
ダンヴェザ公爵は眉尻を下げながら娘を気遣う。結婚前、浮き名を流しまくった公爵は相変わらず整った顔立ちで、娘を想う表情すら絵になった。が、こんな重い雰囲気を作っている原因はこの公爵のせいだった。
「そもそもの原因はあなたなんですよ? 分かっていますよね?」
涙すら流し始めた公爵に夫人が冷たく言い放つ。
「……うん、そうだよ。こんな父でごめんね、シャル」
美しく涙を流す父を眺めながらシャルロットはぼんやりとこの呪われた現象のことを振り返っていた。
5歳の誕生日、この国の王太子であるセヴリードが祝いに来てくれた。彼と会話する時、他の人とは違った胸がいっぱいになるような喜びに気づいた。初めて恋を自覚した。そして、それと同時に、シャルロットに突如呪いが襲いかかった。
シャルロットの呪いは初恋の人に好意を告げようとすると真逆の言葉を口にしてしまう呪いだった。
この恐ろしい呪いをかけられたのは、夫人のお腹にいる時。
公爵は夫人と出会うまで、たくさんの恋と共に生きており、様々な恋人がいた。
未亡人、異国の姫、ときめく女優。それはもうたくさんの恋をしてきたが、どのお相手とも上手にお別れができていた。彼の悪口を言う元恋人は誰もいなかった。
そんな中、当時の聖女候補が公爵に恋をした。
聖女候補とは女神に祈りを捧げる日に祝福の力が確認された女子のことを言い、彼女もその内の一人だった。
聖女候補は紳士的で優しい公爵にどんどんのめり込んでいったが、公爵は聖女候補の置かれている微妙な立場を知っていたため、他の女性とは違って距離をとっていた。甘い言葉を告げることもなかった。
そんなつれない態度の公爵に、聖女候補は想いが強まっていき、さらにアプローチをしていった。最初は丁重に断る公爵だったが、そのうち、その聖女候補から逃げるようになっていた。
必死になっていた聖女候補は振り向いてもらえない苦しさから、悪しき囁きに導かれるまま呪いに手を出してしまう。そして魔女へと堕ちてしまった。
魔女認定を出した教会によって彼女は祝福の力で浄化された上に魔力を奪われ、そして国外追放の刑に処された。その後、彼女の姿を見ることはなかったが、夫人が妊娠すると再び彼女は現れたのだった。そして、この言葉と共にお腹にいるシャルロットに呪いをかけたのだ。
――――お腹の中にいるその子には私が味わった地獄のような苦しみ、切なさを同じように味あわせてあげる。
魔女は自身のありったけの力を使って術を発動させると、その場から姿を消した。
慌てた夫妻は教会や魔法研究所で確認をしてもらったが、母子ともに健康で呪いは確認できなかった。
出産も問題なく終わり、すくすくと成長していくシャルロットに夫妻は安心したが、5歳の時についにかけられた呪いが発動してしまう。
呪いの相談をしようにも、家族以外に話すと聞いた相手は気絶してしまう始末。シャルロット以外の家族が喋ろうとしても同じだった。文字にして伝えようとするとその紙は燃えた。
永続的な効果をもたらす呪いは確認されていないので、いつか終わりが来ることを信じながら過ごすも、呪いが弱まることはなかった。それどころか、初恋を拗らせ、セヴリードへの想いは募るばかり。
解決策を見出だせないまま、ついにシャルロットは学園に入学する16歳を迎えてしまったのだった。
当時、魔女になった聖女候補と距離をとっていたとはいえ、原因の一部は軟派な公爵だ。
5歳からずっと好きな人に好きと言えず辛い思いをしてきたシャルロットだったが、それでも不思議と父のことを嫌いにはなれなかった
どうしようもない人だと思うと同時に、許せてしまう愛嬌があった。
それは母も同じようで、涙が止まらない父を責めずに、シャルロットへ話を振った。
「この間の茶会のようなことが起きないか私は心配よ。シャル、本当に良いのかしら?」
茶会というのは、先日あった王女主催の茶会のことだった。
10歳の王女はシャルロットのことを実の姉のように慕っており、よく宮殿に呼んでいた。
その茶会もいつもと同じようにシャルロットが招待されたのだが、いつもと違っていたのはセヴリードも同席していたことだった。
聞いていなかったシャルロットは困惑し、距離を開けようとしたが、公爵家に気を遣ったのか、セヴリードはシャルロットの隣に座り、にこやかに話しかけてきた。
会話は意外に盛り上がり、気が緩んだシャルロットは思わず、「素敵ですね、殿下」と口にしてしまう。実際に出てきた言葉は「そのようなことで驕られるとは、見損ないました、殿下」と凄惨たるもので、茶会の空気を見事に壊したのであった。
壊れた茶会の空気はセヴリードの柔らかい返しによって、元通りになったので良かったものの、大変な出来事だった。
「お母様、確かにあのお茶会ではお恥ずかしい姿をお見せしましたわ。でも、大丈夫です。何か言葉にしようとするからいけないのであって、微笑んでいれば殆ど問題ありませんから。我が家の名を汚すようなことは、もう致しません」
「シャル、家の名前なんていいのよ。嫁いだ私が言うのもなんだけど、そんなもの、この人が遊びまくった時に終わっているもの」
「僕は君に出会ってから、君一筋だよ」
「はいはい、分かっていますから。あのね、私はシャルの気持ちが心配なの。あなたの意志が固いことは良く分かりました。あなたが選んだ選択を私はもちろん応援するわ。でも、あなたにも知ってほしいの。私たちがシャルのことを心配していることを」
父に向ける視線とは違う温かく気遣いに溢れる母の眼差しに、シャルロットは心の奥底が優しく満たされていくのを感じた。
「お母様……」
やっぱり、母は頼もしい。
「あなたが学園で過ごしている間に、私たちは呪いを解除できる方法がないか引き続き模索してみるわ。シャルは学園での生活を通して、自立した淑女を目指してね」
「ありがとうございます。私、有意義な1年になるよう励みます」
凛とした表情の母と涙の跡が情けないのに嫌いになれない父に顔を向け、シャルロットは決意を露にする。
そんなシャルロットに二人は温かな微笑みを返した。
* * *
家族会議が終わった後、湯浴みをして自室に戻ったシャルロットはドレッサーの前で座りながらメイドのナタリーに髪を梳かしてもらっていた。
「お嬢様、お手紙書いてもよろしいですか? もう、私、寂しくって……」
「もちろんよ。私も書くから、お手紙でやりとりしましょう。家族のことはもちろん、あなた達皆のことも知りたいから、詳しく書いて送ってちょうだいね」
シャルロットの返事にナタリーは満面の笑みを浮かべる。
ナタリーはシャルロットの乳母であるニーナの姪だ。少しだけ年が上のナタリーはシャルロットにとって姉妹のような存在だった。それはナタリーにとっても同じで、シャルロットはお仕えするお嬢様であると同時に実の姉妹のように感じていた。
呪いのことは家族以外に話せないので、ナタリーは詳しいことを知らない。最初の頃に試してみたが、一言発しようとするだけでナタリーは気絶してしまった。その倒れっぷりは激しく、シャルロットは慌てふためき、軽率にこの話題を口にしてはいけないことを学んだ。それ以来シャルロットは誰にも呪いのことを話すことはなかった。
呪いのことを伝えられなくても、ナタリーはシャルロットが何か困っていることを感じているようで、いつも優しく側にいてくれた。
シャルロットにとってもこのお別れは寂しかった。
「夏は郊外学習を選ばずにこちらへ戻ってくるから……」
「お待ちしています、お嬢様」
ドレッサーの鏡越しで交わす視線が、どうも悲しいものになる。
静寂が場を暫く包み込むと、そんな湿っぽい雰囲気を変えるかの如く、ナタリーが先程とは違った明るい声でおやすみの挨拶をして退室していった。
一人になったシャルロットは鏡に映る自分をゆっくりと眺めた。5歳のあの事件から10年以上経った。容姿も大人に近づき、知識も広がった。語彙だって豊富になったというのに、セヴリードに伝えることができる言葉はどれも酷いものだ。
「殿下を目の前にして、私はどこまで耐えられるのかしら。困ったものだわ」
両親には問題ないと言ったものの、シャルロットは正直、自信がなかった。お茶会で久しぶりに話をしたセヴリードが、以前よりももっと素敵になっていたからだ。
微笑みながら、シャルロットの好きな花の話を振ってくれて、セヴリードの趣味であるトレーニングを面白おかしく話してくれて……。これでときめかずにいられる人はいないとシャルロットは思った。
「殿下は、なんてずるいのかしら」
思わず唇を尖らせてしまう。酷いことしか言えない自分に優しくするセヴリードも悪いのではないかと責任転嫁したくなる。一番問題なのは、近づいて欲しくないのに、近づいてくれると嬉しくなってしまう自分なのだが。
ドレッサーの前を離れ、チェストに移動しゆっくりと扉を開ける。一番上の棚に置かれたベルベットの箱と手紙入れが視界に入る。シャルロットは箱を手に取り、優しく一撫でする。
留め金具を外して開くと、そこには髪飾りが鎮座していた。
それは5歳の誕生日に大好きな王子様からもらった大切な髪飾り。一度も使ったことはない。いつも眺めて、それでおしまい。
「いつか、使える日が来るのかしら。あの日、言えなかった言葉を言える日が来るのかしら」
セヴリードの側で過ごす機会を、シャルロットはあの日からずっと避けてきた。たまたま重なっても、迷惑になってはいけないと距離をとった。
そんな冷たい態度しかしないシャルロットに、それでもセヴリードは気遣いを忘れはしなかった。
誕生日会に来ることはなくなったが、毎年直筆の手紙を送ってくれた。徐々に美しくなっていく筆跡と増えていく語彙からは、セヴリードの成長を感じた。
毎年違う温かなお祝いの言葉と必ず文末に書かれる「シャルロットに祝福が訪れますように」という優しさを含め、シャルロットにとってかけがえのない宝物だ。
手紙で触れるセヴリードはもちろん、お茶会のような場所で直接触れるセヴリードの優しさや視野の広さ、頼もしさはいつだってシャルロットの心を動かした。会う度に、初恋の想いは増していく。
言いたい、伝えたい言葉がどれだけあっても、諦めてはそれらを呑み込んだ。
自分から選んだとはいえ、自分の言葉を相手に届けて心を通わすことができない苦しさをこの1年毎日味わうことになるのは、想像以上に大変かもしれない。
「呪いが解けて想いを告げることができたら、どれだけ幸せでしょうね」
短くて、でも長い1年が始まろうとしていた。