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曲がった爪 003

 


 目覚めた先は白だった。


 どこまでも広がる白色――遅まきながら覚醒する意識によって、ここが六十四研究室だとわかる。



「あ、おはようございます、先輩。いい夢は見れましたか?」



 部屋の中央に位置するソファ。そこに寝そべる真っ白な住人――天津橙理は、人の良さそうな笑みを浮かべて嫌な質問をしやがる。



「……気分最悪。二日酔いなのにジェットコースター乗りながらウォッカ一瓶空けたくらい」



「それはそれは。でしたらこのお酒を勧めるのはやめておきましょう。凛土先輩が買ってきてくれた安酒ですが、意外といけますよ」



 グロッキーな俺を嘲笑うかの如く、橙理はえらく上機嫌だった。まあ、単に酔っているだけかもしれないが。



「やっぱり()()()()()()()()()一杯はたまりませんねぇ。先輩もいい仕事をしてくれました。さすが僕の奴隷」



「……あっそ」



 俺は右腕を触る。うん、ちゃんと人間の腕だ、オールオッケー。



「まあ今回はギリギリ期限内ということで、ペナルティはなしでいいですよ。()()()()()()()()()()()()も堪能できましたし」



 ぺろりと舌なめずりしながら、俺のつま先から顔までを舐めるように見る橙理。全身がぞわっと総毛立つ。やべー、不覚にも興奮しちまった。



「……なあ、俺と一緒にいた女の子、立花って奴なんだけど……あいつはどうなったんだ?」



 立花日奈。元々は彼女が『曲がった爪(ネイリスト)』の標的だった。ついでみたいに俺も殺されたが……あいつは大丈夫なのだろうか。

 同じ大学のよしみとして、身の安全くらいは心配である。



「ああ、あの人なら菱岡中央病院に搬送されましたよ。安否までは知りませんねぇ、興味がないので……そうそう、菱岡中央と言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()?」



「……」



 性悪な野郎だ。こんなのが神様だっていうんだから、本当に世も末なのかもしれない。



「別に、いつでもいいだろ……。まあ、あそこに搬送されたっていうなら、様子見くらいはしといた方がいいか」



 まじで大して仲がいいわけではないので(出会って半日だ)、生死をさまよう重体だったらどんな顔で会いに行けばいいのかわからないけど。



「善意からくる行動なら何でも嬉しいんじゃないんですか? 人間って奴は」



 そんな風に知ったような口を利く橙理は、俺が差し上げた酒をごくごくとお飲みなさっている。日本酒をラッパ飲みするその姿は、なるほど豪胆で神様めいてはいた。顔に似合わなさ過ぎるのは否めないが。



「……この世には有難迷惑ってもんもあるのよ。こっちは百パー善意でも、受け取る側には受け取る側の都合があるからな」



「善意は一方通行ですからね。その点悪意は双方向で二車線だから、渋滞しにくい」



 ゴシュジンサマは機嫌がいいと、こんな意味不明なことを言いたがる。まあ、神ってのは人間に賢智を与えて導く存在なので、わけのわからないことを語りたがるのかもしれない。



「どういう意味だ、それ」



「善意を与えている時、相手から善意は帰ってこないってことですよ。良いことをされたら、人間は受け身の状態になりますから。まずはありがとうって言うでしょう? だから、一方向からの押し付けになりやすい。対して悪意は、それを受けている時でも能動的に悪意を返せる。故に、流動的で渋滞しにくいんです」



「……悪意なんて、渋滞してなくても事故が起こってるみたいなもんだろ」



「だから神と悪魔がいるんですよ。神様の仕事は交通規制、悪魔の仕事は事故が起きやすいような路面作り、ですかね」



 くくくっと楽しそうに笑うカミサマ。


 何てことはない。神も悪魔も、結局は人間が右往左往しているのを見て楽しんでいるだけなのだ。



「それじゃあ、今日は疲れているでしょうし、お家に帰してあげましょう。本当は朝まで付き合ってほしいのですが、僕もそこまで鬼じゃありませんから」



 言われて携帯を見ると、時刻は夜中の三時を少し回っていた。明日は朝から授業があるので、睡眠は取っておきたい。



「……じゃあ、お言葉に甘えて失礼するよ」



 ゴシュジンサマが付き合えと言えば、否が応でも従わなければならないのが奴隷の辛いところだ。今日みたいに奴の機嫌がいい日は、存分に甘えさせてもらおう。



「あ、そうそう。『曲がった爪』についてなんですけど」



 俺が六十四研究室を後にしようと背を向けたタイミングで、橙理は思い出したように言う。それは本当に伝えるのを忘れていたのかもしれないし、タイミングを計っていたのかもしれない。



「彼女の本名は東雲(しののめ)妃花(ひめか)。菱岡市でネイリストをしていたそうですが、今年の八月一日に晴れてカワードの仲間入りをしたみたいですね。人間だった頃は母親と二人暮らしで、先月中頃に活動のため家出したそうです。お母さんは、今も娘が事件に巻き込まれたんじゃないかって心配して、夜も眠れないらしいですよ」



「……」



 振り返らなくてもわかる、絶対に笑いながら言っている。


 本当に、嫌な奴だ。

 明らかに俺の反応を楽しむためだけに、その情報を教えてきやがった。



「……そうか。まあ、母親は娘が人殺しって知らずに済んでよかったんじゃないのか」



 東雲妃花の存在は、もうこの世のどこにもないのだから。


 無残に食い散らかされて。


 跡形もなく――消えてしまったのだから。



「随分と冷たいですね、凛土先輩。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女のお母さんに対して、かける言葉の一つや二つ、あるんじゃないですか?」



「……ねえよ、そんなの」



 相手が、殺人犯で。

 異能を持った、カワードだとしても。

 一人の人間の命を奪ったのは、事実だ。


 東雲妃花――もし彼女がカワードになっていなければ、恐らく俺と接点を持つことなんてなく、今も平穏無事に暮らしていたことだろう。だが、そんなイフストーリーは考えるだけ無駄だ。


 俺は自分の望みのために、彼女を殺した。


 直接手を下したわけではないにせよ、原因となったのは間違いなく叶凛土だ。


 人を殺したという重すぎる十字架を、俺はまた一つ、背負うことになる。目的のためと割り切れるほど、自己中心主義にはなれない。


 だから、自分の欲のみで人が殺せる、あいつらが嫌いだ。


 俺はこんなに、吐きそうなのに。



「また、何かあったら連絡くれ。しばらくはゆっくりしたいけどな」



「仕方ないですね……奴隷の管理も主人の務めですから」



 そんなウソかホントかわからない言葉を背に受けながら、俺は真っ白な扉を開ける。



「妹さんに、よろしく言っておいてくださいね」



 橙理は最後に、そんなことを言っていたかもしれないが。


 生憎、都合の悪いことは聞こえない便利な耳なので、何も聞かなかったことにした。






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