嘘と真実
「それで、血だらけの女が立ってたんだって」
「えぇ〜怖っ!」
季節はお盆時期。
曾祖父さんが亡くなってから、三回忌を迎える頃だった。享年97歳の大往生である。
そう多くはない親戚達で田舎の本家へ集まり供養を済ませた後、会食もそぞろに俺は年の近い従姉弟達とテレビの心霊特集を発端に、それぞれが知っている怖い話を披露し合っていた。
「じゃー最後はマサヒロの話ね」
「おっけー。じゃあどの話にしようかな……」
従姉のユメ姉が順番の回ってきた俺を指名する。
これまでと言えば、友達から聞いた話だったり、何処かで聞き覚えのある話だったり……と、一言で言うのなら、どれもありきたりな話だった。
俺はそう言ったオカルトや心霊話の類が好きで、少なくとも既に話を終えた4人の従姉弟よりもホラー系の引き出しが多く、より怖い話を聞かせる自信があった。
「やば、さっきからめっちゃ鳥肌立ってる」
「マサ兄ってそう言う話いっぱい知ってそうだよね」
「楽しみじゃん」
俺へ目を向ける従姉弟等を尻目に、俺はこれまで実際に見聞きした話や、体験した事、どの話をしようかと思案していた。
「……そうだな。じゃあ、俺が実際に体験した話をしようか」
やはりここは、あの話が良いだろう。
もちろん、この話を披露するのは従姉弟達が初めてじゃない。友達だったり職場の人や酒の席等々……色々な人の反応を見る限り、自分の中で一番手応えのある怖い話だと思う。
「これは俺が一人暮らしをしていた頃――」
――――実際に体験した話。
◇ ◇ ◇
年月は遡って8年前。
当時の俺は19歳で、隣県の専門学校へ通う為に地元を離れて一人暮らしをしていた。
学校まで自転車に乗って5分くらいの好立地で、7階建てのマンションの6階に住んでいた。
なんの変哲もない単身者向け1k賃貸。
家賃は相場で特別安いとかは無く、築年数は少し経っていたけれど中はキッチリと床壁共に改装されていて、何なら安く感じる程に小綺麗な内装だった。
とはいえ親からなんの仕送りも無い俺は、家賃や生活費を稼ぐ為、家に居る時間よりもバイトで外に出ている時間の方が多かった。
そんな週末のある日、俺は早朝からホテルレストランの朝食スタッフのバイトがあるので午前6時には自宅を後にしていた。
職場までは自転車で15分程。限界まで寝ていたい派なので、朝のシフトは毎回ギリギリの出勤だった。
「……赤信号かよ」
自転車で走り出して直ぐ、俺は信号に捕まった。毎度の事だが今日は特に土壇場だ。けれど、こう言う日に限ってやたらと赤信号に捕まるのだ。
交通量はさほど多くない。
こうなったら信号を無視して突貫しようと思った矢先、横断歩道を渡った先の電柱のふもとに綺麗な花束が見えた。
「よし、やめとこう」
つい独白する。その花束は青々しく、直ぐに俺の愚かな考えを払拭させたのだ。少なくとも昨日今日と、近頃添えられたモノに見えた。
ここで誰かが亡くなったのかもしれない。
証拠にアスファルトへ目を凝らしてみると、所々に車の破片らしきものが痛々しく散らばっていた。
「いくら急いでいても安全運転だよな」
添えられた花束を見ていると、こう言った「少しだけなら」の積み重ねが、思わぬ事故を招く。
そんなメッセージにも思えた。
つまり、俺はバイトに遅刻した。
……朝は昼休憩を挟んで17時まで。そして、その後は23時まで自宅近くのコンビニでアルバイトをする。それが俺の週末の過ごし方だった。
「帰りも赤信号かよ」
そしてまた、俺は朝と同じ場所の信号で捕まった。自宅は目前である。早く帰りたい時に限ってやたらと赤信号に捕まるものだ。
その時、俺はふと思い出した。
自転車に跨ったまま隣の電柱のふもとへ目を向けると、そこに朝見たはずの花束は無かった。
誰かが片付けたのだろう。
別にこれと言って不審な事はない。
だから、その時の俺は何も思わなかった。
自宅に戻り、夏の湿気と仕事でベタついた汗をシャワーで流す。明日は久しぶりの休みだ。
だから俺は、デスクのパソコンに電源を入れ、動画やアニメを見ながらゆっくりすることにした。
……そこからしばらくすると、
突然、部屋の電気が消えた。
「……停電?」
不意に暗闇へ落ちた室内には、室外機の音とパソコンの中で回転するファンの音だけが静かに響いていた。ディスプレイから溢れる光が急に暗転した目の奥をチクリと差している。
「ブレーカーでも落ちたかな」
独白しながら席を立つ。
…………その時、俺は違和感に気づいた。
「え、なんで………」
パソコンの画面……その淡い寒色系の薄明かりだけが室内を不気味に照らしている。
だからこそ、違和感を覚えざるを得なかった。
「なんでパソコンの電気ついてんだ?」
俺のパソコンはデスクトップだ。
それに……クーラーだって稼働を続けている。
そんな窓付近に設置されたエアコンへ目を向けると、窓の外に――――人影が見えた。
クッキリとした人影だった。
まるで人をそのままシルエットにしたような、夜よりも濃い色をした影……。
「電気の接触とかだろ」
…………気にしない事にした。
見間違いと言えば済む話だし、窓が鏡になって俺の陰影を作り出したんだろう。しかしながら、ついつい独白が多くなるのは、気を紛らわせる為でもある。
とりあえず――。
と、俺は窓に背を向けて部屋の入り口側、壁端に位置した部屋の電気のスイッチへ手を掛ける。
パチ。パチパチ。
……電気は付かない。
となると……後はやはりブレーカーか。
ブレーカーは玄関の真上にある。
狭く短い廊下の、キッチンの先だ。
スマフォのライトを頼りにブレーカーがある玄関へと向かうと、冷やかな感覚が背中を追いかけてくる。
全ては気のせいだ。
一度怖いと思えば、あらゆる現象が心霊的なものへ結びつけようとするだけなんだ。
玄関はとても暗かった。狭い通路と閉鎖的な空間がなおさら暗闇を助長させている気がした。
ブレーカーを照らす。
やはり……正常だ。
「電気の故障…………?」
いよいよ不安になってくる。先程窓の外に見た人影も相まって、感情が徐々に恐怖へとすり替わって行くのが自分で分かる。
気のせいだ。と言う、不可思議な事象を緩和する万能な言葉は、もはや俺の中で無効になりつつあった。
――――その時、音がした。
カチャリ――と、微かな音。
「…………は?」
その音の正体は……目の前で動いていた。
ドアノブだ。
……カチャリ…………カチャリ……。
「………………うそだろ」
カチャリ……カチャリ……。
さっきから繰り返される目前の光景を刮目しながら、俺はすっかり硬直していた。
カチャリ……と、ドアの取っ手が下がったかと思えば、スーっと静かに上がり切る。
そして、再びカチャリ……と降りて行く。
ヤバい。ヤバい。
かなり……ヤバい。
冷や汗が額に滲んでいく。痛いほどの心臓の高鳴りが、頬や耳、顔の皮膚表面を、じわり、じわりと鼓動を連動させていく。
それでも下手に動けば――玄関の外でドアノブを上下し続けるナニカに気付かれるかもしれない。
そう思うと、俺は一歩も動けなかった。
カチャリ…………。
…………………。
………………音が、止んだ。
……極力音を立てずに部屋に戻ろう。
そう思い、静かに踵を返そうとした。
――――時だった。
ガチャリ。
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ――。
激しくドアノブが上下し、ゴンゴンゴンゴンーーと、扉の鍵が何度も引っ掛かる。
「ンンンンッー! ンンンッー!」
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。
「ンッー! ンッンッンッンンンッー!」
男とも女とも分からない、喉を非常に強く鳴らしたようなうめき声が、扉の向こうで響く。
色々な現象も加味して、俺は外で扉を開けようとしているナニカが不審者だとは思えなかった。
怖い。とにかく怖かった。
すると……ピタリ。
と、声と音は何の前触れもなく止まった。
「終わ……った……?」
だが――安堵する間もなく。
カタッ。
ガタガタガタッ!
継いだ音に、俺は直ぐにハッと我に返った。
郵便ポストの音だ。
だが…………気づいた頃にはもう遅かった。
まるで枝を白く塗りつぶした様な指先が、にゅっとポストから伸びて――――明らかに人とは思えない長さになると上へ向かって何かを弄り始めた。
…………鍵だ。
こいつは鍵を開けようとしている……!
「うわあああぁぁああァァァァッー!」
精一杯の威嚇を込めて――俺は声を張り上げなら扉を蹴り付けた。何振り構わない。今はただ、家の中に入ろうとしているナニカを退けなければ……!
「ひいイィぃぃイィぃいぃぃッッ!?!?」
その事が功を成したのか、ポストから伸びていた指先がシュッと引っ込むと、金切声の様な悲鳴が遠退いて行く。
「……居なくなった?」
数分の沈黙を確認した後、俺はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
気付けば部屋の電気もついている。
それから俺はスマホと財布を持って、外の安全を確認すると近くのコンビニへ駆け込んだ。
つまり、バイト先だ。
夜勤の人は顔を真っ青にした俺を見て、
「どうしたん……?」
と訊ねたが、先程の話をすると大きく声をあげて笑い飛ばした。俺も逆の立場だったら笑い飛ばしていたと思うし小馬鹿にしながら詳細を聞いていただろう。
そこから日が登るまで時間を潰し、シフトを終えた夜勤の人に家までついてきてもらった。
「大袈裟だろ」
「いやでもマジで怖かったんですって」
自宅へ戻ると……電気やパソコン、エアコンはもちろん着きっぱなしで、夏の眩い朝日だけが室内を電気よりも強く照らしていた。
「どんだけ本気で蹴ったんだよ」
「そりゃ必死でしたもん……」
扉のへこみを見てバイト先の人は笑っていた。俺はと言うと退去時に不動産屋へどう説明しようかと頭を抱えるしか無かった。
昨晩の出来事は嘘なんじゃないかと思う程、言うならば何も無かったんだ。
お決まりのパターンでは室内に泥があったり、扉に黒いススが付着してたり……そんな事は無い、平穏な朝だけが帰宅した俺を出迎えていた。
「寝みーし帰るわ」
「わざわざありがとうございました」
「お前も疲れてるんなら寝ろよ」
昨晩の出来事は全て気のせいで、なんから夢でも見てたんじゃないかと思った。
……それでも扉の内側に残ったへこみと、しばらく続いた踵の痛みが、確かに昨晩の出来事は現実なんだと裏付ける。
その後も、その部屋でこれと言って何かが起こった訳じゃない。ただ、電気が消えたり、トイレが一人でに流れたりはしたが、ここまで強烈な出来事はこれが最初で最後だった。
◇ ◇ ◇
「と、これが俺の体験した話。ひょっとするとあの時みた花束が原因でついてきたのかも」
話を終えると、呆然と話を静聴していた従姉弟達は一斉に口を切り始めた。
「…………怖」
「めっちゃ怖いじゃん!!」
「いやいや嘘やろ!」
親戚達の反応は上々だ。もちろん怖がらせる事が目的なので多少の脚色もするし盛ったりもする。
そう。ユメ姉が言うように、俺の話には嘘を練り込んである。と言っても、7割は本当の話で、俺が嘘を混ぜ込んだのは玄関での下りからだ。
あの後、普通に電気は付いたし、当然卒倒しそうな心霊現象なんて起きていない。
窓の外に見えた人影も、室内が暗いからたぶん窓が鏡になって俺の姿がそう見えただけだろう。
電気が消えるのもトイレが勝手に流れるのも、接触不良や排水のつまり防止だなんて、色々と言い訳が付くし……全て気のせいで片付く範囲なんだ。
「マサ兄の話が一番怖かったわ」
「もー寝れないやん!」
「ねー、マジで怖かった」
従姉弟がざわめいていると、
「さっきから何の話してんの?」
俺の母親が声を掛けてきた。さっきからキャーキャー盛り上がっていれば気になるのも当然か。
「ああ、一人暮らししてた時に俺が遭遇した怪奇現象の話しをしてた所」
何気なく俺が応える。すると母は「ああ〜」っと納得した様子で喉を鳴らしていた。
それでも……どこか的を得ない反応だった。
「あんたさ、色々あってあのマンション引き払った時、お母さんが部屋を片付けたり退去手続きしたでしょ?」
「あ、ああ……そうだね」
言うが早いか、そんな反応を見せた母は俺より先に話を切り出した。
「それで、あんたの荷物片付けに、初めて部屋に入った時ね、物凄く暗いっというか、不気味だったの」
「そんなの気のせいだろ」
それこそ8年前、当時の俺は色々な出来事(職場や学校)が重なって精神的な病を患ってしまい、そう言った病院へ入院していた。だから半ば逃げる様に賃貸を後にしていた訳だ。
諸々は割愛するが、退院後も幽霊が取り憑いているだとかで……有名な霊媒師に払って貰ったり等々あったが、全ては気の持ち様だと思って、俺は何一つ信用してなかった。
「だからね、その不動産屋に聞いたのよ。なんだか部屋が全体的に不気味だけど、何か隠してる事ない? って。そしたら――――」
…………だから全ては気のせいなんだ。
「あんたの二つ前の住人が部屋で自殺したんだって」
部屋の電気が消えるのも、トイレの水が勝手に流れるのも……全ては気のせいで片付けれる範囲だった。
それでも、その母の言葉に納得してしまう自分がいるのも確かだ。
ひょっとするとあの時、外に見えた人影は……。
既に部屋の中に潜んでいたかもしれない。