6.『アット・フィート』
……普段、生活をしている中で、身体が浮き上がった時というものは一体どういった時でしょうか。
例えば、胴上げで空に投げ上げられた時。それに格闘技で投げ技を掛けられた時。そして、いたいけな少女に全力で腹パンされた時でしょうか。
ともあれ、大の男が女性に蹴り上げられて一メートル近く宙を舞う姿をみることなんて、一生に数度あれば、大体は蹴り上げている女性なのは間違いないと思います。
なので、そんな光景をあたしは今みた、一度しかみたことがありません。
帰りの飛空艇に乗る前。港に、翼もないのにジンが宙を舞ってから、地面に転がった。
「なにをしてるの?」
アイリスが眉をひそめ、ジンに訊ねる。
「しつこいから、あれにサルの真似をしてみせたら、蹴り飛ばされた」
そういって、彼は兵士を引き連れた女性を顎で指す。
ブーツのような魔力武装を装備し、豪華な軍服を着た気の強そうな亜人の女性。どこかで似たような顔をみたことがある気がする。用事が済んだのだろう。踵を返すと、兵士達を引き連れて港から出ていく。
「どうせ、セクハラでもしたんでしょう?」
腹の底から呆れ声がでた。
「あれにセクハラなんてしたら、そのままベッドに連れて行かれるからな」
ジンは土埃を払いながら立ち上がり、肩をすくめてみせた。
「そんなモテるようには見えないっすけど」
「まあ好かれたからこそ、取引が簡単にいったんだから、そう邪険に扱うな」
「ゲルズでも刺したんっすか?」
「スヴァルトが誇る最強部隊の護衛とスヴァルトの最強の兵士を、怪我明けの身体で相手できる訳ないだろ。人望だ、人望」
あたしの皮肉を、ジンは人望の一言で片付ける。本当に人望があるなら、蹴られたりはしないだろう。
あたしたちのやりとりをみて、車いすに乗って見送りにきていたラーチェがあたふたしている。
「ラーチェ、冗談っすよ。ジンは人望も人気もありますから」
と、あたしは彼女の頭を撫でてやる。
「えっとね。お姉ちゃんとお兄ちゃんの喧嘩じゃなくてよかったよ」
「人格的にポンコツな面もあるっすが、あたしは一応、ジンのことを信用してますから、喧嘩はしないですよ」
「ポンコツは余計だ」
ジンのツッコミを意にも介さず、あたしは続ける。
「それにあたしたちが返しきれない恩があるっす」
といい、あたしはラーチェの横に並び、ジンをみる。
「今回の件、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
あたしは頭を下げる。それに合わせてラーチェも頭を下げた。
その姿を目にしたジンは手で口元を隠し、目を逸らす。
「俺はやると言ったことをやっただけだ。お前らが、お前たちの力で掴み取っただけだ。だから、その、なんだ」
そこで彼は一つ咳払いする。
「お前が寝ていたせいで、一日遅れてるんだ。俺は先に行くからな。話が済んだら、船が出ないうちに乗り込めよ」
と一人で、さっさと船に乗り込んでしまう。
「私の存在が不要なら、私も先に船に乗る」
「待って、アイリス」
とラーチェが呼び止める。
「ありがとうね」
彼女がそういうと、アイリスは目を細める。
「どういたしまして。今度は道を間違えないようにね」
「うん。アイリスも気を付けてね」
ラーチェの言葉に、アイリスはこくりと頷くと船に乗り込んだ。
「えっとね、お姉ちゃん」
と言ったところで、ラーチェは言葉を悩む。
「昨日、いっぱい話ちゃったから、ちょっと悩んじゃうね」
彼女は深呼吸する。そして、何かに気付いたようにあたしを手招きする。
「ほら、ここ。もう、ちょっと近くに」
いいながら、彼女は鼻と鼻がくっつくほど顔を近づけたあたしの前髪を触る。
そして、視線が外れたあたしの唇に、彼女は唇を重ねる。
あたしの専売特許だと思っていた行為を奪われた一瞬の間、頭が真っ白になる。一秒にも満たない時間のあと、彼女は唇を離すと口を開く。
「またね、私のローレンシア」
「はい。次に会う日を楽しみにしています。あたしのローレンシア」
帰りの飛空艇の中。その一室。
ラーチェが見えなくなっても窓の外を見続けるあたしの隣で、ジンとアイリスが確認を始めた。
「それで、清浄の悪魔はどうやって逃げたか。お前はみてたんだよな」
アイリスに確認したのはジンだ。
ジンは魔術兵器の第二解放後、反動で倒れていたらしく、清浄の悪魔の逃走の瞬間を見逃したのだ。
「形を変えて、あの水のような外皮の一部を噴出するようにして逃げていった」
「速度が出せたということは、スクルドを変形させていたのか?」
「そこまではみていない。私もローレンを抱えて、攻撃を避けるのに手一杯だったから」
「そうか、なら仕方ないな」
と肩をすくめ、ジンは薄い報告書を確認し始める。
「エイドはどうなったの?」
とアイリスが訊ねる。
「特に。交渉の案件には出て来なかった」
「それは、大丈夫?」
「精神はガキだが、思考は大人だ。周りの職員が非道な行いについてきていたってことは、それはあいつらの総意だ。そして今回、その総意のかじ取りが実験をやめると言ったんだ。亜人の集団性は信頼していい」
ジンの言葉に彼女は頷いた。
「それより、お前はちゃんと収穫したものはあったか?」
と彼はアイリスに確認する。
「問題ない。私は私が必要だと思う情報を入手した」
「なら、よかった。他人の尻拭いで終わるのが一番つらいからな」
「それでも、ローレンからお魚を強請っても許されると思うけど」
「それはローレンに言ってくれ」
とジンは言ったところで、読み飽きたと言わんばかりに、報告書をアイリスの膝の上に投げ捨てる。
アイリスは嫌悪感を隠さずに摘み上げる。文字を少しみただけで目を背け、名前を呼ぶと同時にあたしの頭の上に置いた。
「な、なんすか」
と、あたしは唐突な出来事に驚く。
「船から降りたら読むから、先に読んで」
「船旅の長さと、文章量がかみ合ってないだろ」
と発したジンの顔に、先ほどと寸分変わらぬ表情を向ける。
「ああ、船酔い駄目ですもんね」
「いえ。文字みたら酔った」
と、アイリスは背中を少し丸めた。
「船の加速が終わったら吐いてこい」
「言われなくても」
アイリスは思いついたように、あたしの顔をみる。
「ローレン、バケツでも借りてきて。いま、動きたくないから」
「いや、でも」
「戦闘時じゃないんだ。気を付けてたら、立ってもどうもないだろ。行ってこい」
「はあー、しょうがないっすね」
ジンにまで後押しされて、あたしは立ち上がり船室から出る。
その背中が部屋を出たのを確認し、
「ジン。あなたに伝えたいことがある」
とアイリスが口を開いた。
「告白か?」
アイリスは、冗談をいったジンの顔をジッとみる。詰まらない冗談に対して、少し冷ややかな目線だ。
「半分は外れで、半分は当たり。芯は外れていない」
「知ってる。お前が俺に向ける目は親愛か、献身愛か、だ。少なくとも傍にいるのが当たり前。その愛情がなくなることのないものの類だ」
アイリスは少し考えこむように、目を閉じる。
「姉弟。やっぱり、ぴったりな言葉」
と彼女は一人頷く。
「兄妹の間違いだろ。肉体年齢考えろ」
「精神年齢は女性の方が高い。そして私は戦乙女」
「分かった、分かった。この話は答えが出ないから、ナシ。家族愛みたいなものってことで終わりにしよう。話を本筋に戻せ」
ジンの言葉にアイリスは、いつものようにこくりと頷く。
「私は道を選んだ。きっと、あなたは賛成しない道を」
「いや、俺は反対しない。それがお前の選んだ道ならな」
その言葉を聞いて、彼女は安堵と共に寂しそうな表情を浮かべる。
「私には救いたい人がいる」
「そして、そいつを救うと為に必要な魔術兵器がある」
アイリスが口にする言葉を先回りして、ジンが返す。
「ええ。そして、それはきっと、寄生種が持っている」
「知ってる。お前にその資料を探してやったのは、俺だからな」
ジンは溜め息交じりに天井を仰ぎ見る。
「お前の道は、きっと後悔するぞ。万人には掴めなくても、お前なら掴めてしまうんだろうな。だが、その道は細く、険しく、未来は閉ざされてる。お前の拾おうとしているものは、そういった類のものだ」
「ええ。だけど、私はその後悔を拾いたい。あなただって言ったから、時間はあるとも、そして選択の時間は待ってくれないとも。だから選択の時間を過ぎた彼を私が後悔を救うには、もう時間がないから」
「そうか。なら仕方がないな」
「そう、仕方ない。そのために私は帰ってきたのだから」
言い終わると、アイリスは静かに目を閉じた。
ひとつの物語の幕が閉じた。その中で新たな物語の幕があがろうとしていたことをあたしはまだ知らない。きっと、その話の中では、彼らの乗った飛空艇は目的のために、立ち込める暗雲を避けたりはしないだろう。
けれど、今はいいのだ。
今は快晴の空の下、遥かに広がる大地のように未来がよく見通せる時間なのだから。