4.『ローレンシア』
飛空艇で演習場まで向かう。とはいえ、演習はほとんど空である。
あまりにも生産性が悪いために投棄された浮遊島が足元にあるらしい。だが万が一、落ちれば叩きつけられて肉体は大惨事になる高さだそう。利点があるとすれば、魔術兵器ならその高さからの落下でも無傷である。故に地上に降りなくていいので、回収しやすいといったところだろう。
移動中、アイリスと話す機会は山ほどあった。しかし、切り出す勇気がどうにも湧かなかった。結局、寝言でなにを言っていたのかは、分からずじまいになった。
これからしばらく移動してから演習だ。というのに、飛空艇の甲板でジンが仰向けで寝転がっていた。まだ陽もそれほど高くなく、日差しも風も心地よい。演習をみているだけの彼に不安や緊張が無縁なのがよく分かる。
その隣には、アイリスが体育座りでうとうとしている。これから理不尽なデータ取りに付き合わされるかも知れないのに呑気なものである。
「で、今日はなにをさせられるんっすかね」
と、あたしはジンを見下ろしながら訊ねる。
「試作魔力武装との実戦演習。魔術にペイント弾なんてないから全て実弾だ。まあ、気を抜いて怪我しないようにすればいい」
と彼は答えた。彼からしてみれば、魔術兵器の性能があれば、格下にあたる魔力武装などは危険性が少ないものなのだろう。前回の寄生種戦で彼が用いた魔力武装クラスが出てくるなら、あたしたちではかなり危険が伴うだが。
「でも、前の巨大な銃を出されるとあたし、撃ち落される自身ありますよ」
と、あたしの思考など理解する気のないジンに向けて口にする。
「あれはアスガルの試作武装だから、あのクラスは出てこないだろ」
そう言った彼は取り合う気がないようにみえる。
「アイリスも、なにか言ってやってくださいよ」
あたしはアイリスに助け舟を求める。けれど、彼女は顔を上げジッとあたしの顔を眺めると、また目を閉じる。そのまま、うたたねの続きを楽しみだした。
「諦めろ、諦めろ。物事には対価を払うが当たり前だ。もしものときは止めてやるから気にするな」
「一撃で消し炭にされたら、止めれない気がするんですが、それは」
上機嫌だったジンはあたしの言葉に少し眉をしかめる。
「ミョルニルの特性を全部出せれば他愛ないことなんだけどな。アイリス、先陣頼めるか。ローレンのいつもの心配症だ」
「心配性じゃないです」
あたしの抗議も虚しく、アイリスはまた気だるさ隠そうとしない目であたしをみる。
「了解」と返した彼女は丸くなった。
「ジンはあいつらの非道さを知らないから、そうやってお気楽やってられるっす」
あたしは口を尖らせる。
ジンはあたしのことなど気に留めやしない。ははは、と声を出して笑う。
「それはお前らが手札を用意してないからだろ。折角、魔術兵器を扱える立場なのに、なにもしてこなかったのは事実としてあったんだからな。言い方は悪いが、力を持ってない奴、使い方がわかってない奴なんて搾取の対象でしかないぞ」
「それは魔術兵器の使い方なんて、ジン以外に教えてもらったことないですし。あたしたちのできることなんて精々、家事くらいですから」
「本は読めただろ。演習場だってあったんだ。ただの怠慢か、思考放棄だろ」
言われたらその通りだが、腹の立つ言い方だ。しかし、あたしたちの所属する妖精の傘は、蔵書は少なかったが魔術に関する本を手にする機会がなかったわけでもない。演習場は彼がくるまで手入れをすらされていなかった。彼はいま口にしたことをあたしたちに実践させている。努力不足、思考停止を否定することはできない。
「だが、まあ、過去の反省は大事だが、それを責めても仕方がない。変わったお前らをみせてやればいい。それでも非道な手を使ってくるなら、俺も手伝ってやるよ。だから心配するな」
とジンはいった。当てにならないわけではないが、個人的に当てにしたくはない。
ジンの経歴をあたしたちは知らない。あたしたちどころから、ヴァニル人もスヴァルト人であるあの変人教授エイドも彼の過去を知らないのだ。胡散臭さ過ぎる。
事情と結果はどうであれ、前回あった別の寄生種の侵攻時ですら、最初は戦闘に参加を表明していなかった。イヴには悪いが、あたしがジンを信頼するのは無理だ。
「そう難しい顔するな。貸しさえ作らなければ、最初は取引で利用するつもりでいいんだよ。俺は一応、指導する立場だからお前らの信用を勝ち取らないといけないが、お前らはそうじゃないんだからさ」
ジンの言葉に、あたしは肩をすくめてみせる。眠そうに閉じた彼の瞳は写っていないだろう。
「難しい話は分からないので、なんでもいいです。あたしの信用が欲しいなら、ラーチェを救ってくれるぐらいしてくださいよ」
と、あたしはいう。ついで、やれやれといいながら甲板に腰を下した。
「ラーチェ? ああ、あの子か。ローレン、それはお前が救えよ」
とジンは目を開けて、あたしをみる。
「それができていれば、今、ここにはいないっすよ」
「そりゃ、なかった袖は振れないからな」
「なかった? それをいうなら、ない袖は振れないっすよ」
とジンに返したところで、あたしは気づいた。
「今までは実力不足だったって話ですか?」
「今でも実力不足には違いない。だが、成長する術は身に着けてきただろ。あとはそれを生かすだけだ」
あんたが教えたのは戦う術でしょ、と思うがあたしは口にしない。
ジンは一を聞いて十を知る、を実践させようとしてくる。流石に十は言い過ぎだが、二、三は確実に実行しなければならない。彼に言わせれば、理論は教えたから、あとは自分で考えろ、である。
あたしの顔に嫌々な表情が出ていたのだろう。ジンはわざと一度渋い顔をみせてから、笑みをみせてきた。少し腹が立つ。
「少なくとも、俺にはお前らのお守りで手一杯だ」
「手のかかる子供ですみませんね」
ジンに向けて、べー、と舌を出してやる。
ジンの思想では戦場に子供が駆り出されているのは戦争の末期。あたしたち戦乙女も例外ではない。彼が子供と呼ぶ存在はすぐ替えが効く兵ではなく、守るべき存在なのだ。というのは感覚でなんとなく分かるのだが、発言、扱いと態度が噛み合っていない。そのため、信用度合いが妖精の傘の子供たちの間でバラバラである。
それでも、ジンを頼るか、利用するかしなければ、ラーチェのような存在が生まれてしまうのだ。なら、あたしは彼を警戒する側に立つ。少なくとも誰かが、彼が裏切らないように距離を少し保たなければならない。あたしは最後まで傍にいてくれたシアのような女の子の方が好きだから、当然だ。
しばらく三人で日光浴していると、騒がしい足音が近づいてくる。
エイドだ。
ジンは起き上がり胡坐をかく。アイリスは立ち上がるとジンを挟むようにエイドから距離をとる。あたしもアイリスに倣って、エイドから距離を取るために腰を上げる。
「こんなところにおられたアルネ」
エイドはわざとらしく驚きを演じる。もはや皮肉だろう。
「わざわざ。ご足労ご苦労様なことだな。スケジュール通りなら、まだ時間はあるだろう」
ジンもジンで嫌味な口調だ。悪い意味で波長があっているようだ。
「ノーノ―。某はいい話を持ってきてあげたのネ」
「ろくでもないの間違いだろ」
「オー、これが巷で噂のツンデレというやつであるか」
「少なくとも、今の状況を楽しんでいるのはお前だけだ。俺が甲板に穴を開ける前に失せてくれると助かる」
ちゃちなやり取りにうんざりしたように、ジンが首を鳴らしながら立ち上がる。
「まあ、そう言わず賭け事でもいかがかナ。庶民はそうやって遊ぶらしいアルネ」
「付き合ってられん」とジンは手で跳ねのけるようにあおる。
「おお、わが友。そう言わず、景品はラーチェとかいう被検体の解放でどうかナ。かけ金も必要ないネ」
どうかな、どうかな、とエイドはジンに頭を近づける。顔にはニマニマと薄気味悪い笑みが張り付いている。
「お前の一存で動かせるものじゃないだろ。協定に違反する」
とジンは正論を返す。興味を一欠けらもみせていない。
「被検体から客将待遇への昇格ネ」
ジンは詰まらないものをみる目でエイドに、
「それでお前はなんの得がある」といった。
「それは皆さまの心からの笑顔ネ」
にんまりとエイドが笑う。
「嘘を吐くなら、魔術の心得がない奴に対してやれ」とジンは鼻で笑う。
「おや、バレましたか」
あっけらかんとエイドは暴露する。魔術師でなくても、この詐欺は警戒する。
「某としては、研究が完成した、からとして今までの存在に負けるなら労力に見合わないと思うのネ」とエイドは右手の人差し指を立てる。
「魔力武装程度が魔術兵器に及ぶわけがないだろ」
と、ジンは常識と言わんばかりな口調だ。
「そこは某、天才でして」
そういってエイドは上げた右手で指し示す。先にあるのは、突如現れたスヴァルトの高速戦艦。
「最終点検はアナムネシスに任せておりますので」
ドホホ、とエイドは笑う。
高速戦艦の甲板から、日差しを受け、チカチカ輝きを放つ何かが飛び立つ。まだ距離があるため詳細は定かではない。
「飛行できる魔力武装か」
「いえいえ、それだけではありませんヨ」
自信満々なエイドを尻目に、ジンはあたしたちに小型の通信機を渡してくる。着け終わる頃には、未確認飛行物体の正体が視認できた。
「アイリス、飛べ」
「分かっている」
ジンの言葉より早く、アイリスはラグムを掴む。魔力の翼を広げる。そして甲板を蹴り、空に飛びあがった。
「ローレン、呆けるな。撃ってくる」
「え、船を狙う訳ないですよ。だって…」
あたしが言いかけたところで、空に十数の魔法陣が展開する。そして魔力による砲撃を開始した。
「ミィィドォラァァア!」
砲撃と共に、通信機から割れんばかりのラーチェの怒号が響く。
ジンは虚を突かれたあたしを抱きかかえるように甲板に身を伏せる。
アイリスを狙ったのであろう。四方八方から押し寄せる熱線が船や甲板を穿つ。
「こらー、某にあったらどうするネ」
と頭を抱えて屈んだエイドががなり立て、
「ま、聞こえていませんネー」
と、やれやれと口にしながら、すぐに状況を察して諦めた。
「グングニルの魔力武装の特性。二つ以上の魔力武装、魔術兵器の使用は負荷がかかり過ぎる。分かっているのか、エイド」
ジンがエイドをみると大声を発した。いつもの気の抜けた声ではない。人によっては恐怖を覚えるだろう威圧感がある。
「空を飛ぶなんて副産物でアルネ。戦乙女でもできるヨ。それよりも、あれの凄いところはですネー」
エイドの自画自賛が終わる前。あたしはジンを押しのけ、立ち上がる。エイドのもとに歩みを向ける。胸の奥から慟哭が響く。あたしの頭の中で何かがプツリと切れた。
「どうして、ラーチェを戦場に出そうとしてる。言え!」
「待て、ローレン」
あたしはジンの静止を無視する。そのままエイドの襟首を掴み、力任せに持ち上げる。腕を精一杯伸ばし、エイドをつるし上げた。
「おお、怖い怖い。これだから、実験体は腕も足も切り落として正解ネ」
しかし、エイドは人を見下した余裕の態度を崩さない。
「ふざけるな!」
あたしはエイドを甲板に叩きつける。そのままミョルニルを掴み、振り上げた。
「落ち着け、ローレン」
鎚を振り下ろそうとするあたしを、ジンが後ろから抑え込む。
「うるさい、殺させろ。もう我慢なんかしてやるか!」
喚き散らすあたしを横目に、エイドは白衣を叩いて起き上がる。
「まったく、馬鹿力で世界一の頭脳の一つが失われたら、どうするつもりヨ。もっと丁寧に扱うアルネ。やはり戦乙女は人ではないネー」
「お前が言うな!」
あたしは自分の声で喉が痛くなるほど叫ぶ。感情が高ぶり、目元に涙がにじむ。
「すこし黙ってろ。ローレン」
ジンはあたしの口に無理やり拳を押し込んで黙らせる。
「エイド。あれは複数の魔力武装と魔術兵器のよせ集めだな」
ジンがゆっくりと、そして簡潔に確認する。
「いえいえ、魔術兵器とそれをサポート、強化、及び合成する魔力武装ですヨ、ハイ。頂いた資料でグングニルの魔力武装と魔術兵器ゲルズを新たな一つの魔力武装として運用することが可能にできたネ。」
「まさか、デウスエクスマキナの魔力武装だと?」
啞然とするジンに、エイドはピッと人さし指を立てる。
「なぜ、その名前を知っているのかには興味がアルネ。でも今は置いとくヨ。なにせ、魔力武装型式翼竜のお披露目だからネ」
エイドは恍惚な笑みを浮かべ、空を飛ぶラーチェをみる。
それは、あまりにもアンバランスな鎧だった。
身の丈に合わぬほどの巨大な翼型の飛行ユニット。そのユニットに遠近の武装を偏らせ、生体ユニットと機能させているラーチェをむき出しにして、頭のように視野を確保している。まさに伝説で語られる両腕のないワイバーンそのものだ。
翼は一部を切り離し、空に魔法陣を発生させる武装でもある。一見、バランサーにみえる尾の先には魔術兵器であるゲルズが確認できる。
飛行速度は戦乙女の中で最速をほこるアイリスの翼より速い。加速度も旋回性能もあたしの翅より上回っているようにみえる。飛行に関するほぼ全ての能力がアイリスより上回っている。有効距離が短いラグムの刃から逃れるのは容易いだろう。
アイリスが一方的に攻撃される状態だ。エイドの自身も頷ける。むろん、その自信に頷くことはしない。
「すこしは落ち着いたか?」
あたしの口から拳を抜くとジンが訊ねてきた。
「落ち着けはできませんが、冷静にはなりました」
息を整えてから、あたしはエイドを睨む。
「諦めた、の間違いアルネ」
とエイドがヌフと音を立てて笑う。
「違うっすよ。負けるのはあんたですから」
枯れた声でいうと、あたしは通信機を指さした。
通信機は先ほどからずっと、ラーチェの怒声を垂れ流し続けている。耳が痛くて、アイリスの声が聞こえないほどだ。
そして、ラーチェの疲労は荒い息づかいとして大きいなノイズになる。それがどれほどのものか簡単に察せた。
「疲労なんぞ、某の想定の範囲内アルヨ。魔力を使い過ぎれば、大気中からマナを取り込み再利用するのも魔術兵器の基本ゾ」
エイドの余裕は崩れない。奴の性格から考えてみればわかる。頭脳だけでのし上がってきたのだ。研究対象による想定外のミスなど、粗探しして狙わなければ、突けるものではないだろう。
また兵器の基本である、誰でも使える、という原則に沿っている。訓練されていない人のストレスによる疲弊も想定の内なのだ。
想定内の相手、普通の相手なら、数万人はいる研究者の頂点であるエイドに勝つことは天が味方した程度は不可能だろう。
それでも、
「あたしたちはラーチェを止めるっすよ」
と言い切ることができる。
今、あたしのやるべきことがみえる。深呼吸する。ジンは察して、あたしの身体から手を離した。
「無駄無駄。例え、汝が参加しても翼竜に敗北はありませんナ。撃ち落させて、汝の大好きなアレと同じように手、足をもぐアルヨ」
「なら、撃ち落されなければ、あたしたちの勝ちってことで」
エイドの挑発を聞き流す。あたしはミョルニルを担ぎ上げた。
「いってこい」
「言われなくても、いってきますよ」
と、あたしはジンに言い返した。
未だに、あたしはジンが嫌いだ。なんでも知っているように喋る。難しいことをさも当たり前のように語る彼が嫌いだ。でも、背中を押してくれる存在だ。それにはあたしも、今ここにいないイヴも、心から感謝している。
あたしの視線に、彼は軽く首を捻る。
「それと、イヴは渡しませんから」
ジンに背を向け、そう言い残す。あたしは翅を広げ、空に舞い上がった。
あたしはラーチェを救うために、彼女を止めるのだ。それがどんな代償を払おうとも。
空では、まだラーチェの怒声が途切れない。もう声は枯れているというのに、彼女の怒りも憎しみも止まることなくあふれ出している。
「ミドラ、また私のものを壊した。私の翼を」
ラーチェが叫ぶ。空に魔法陣を描くための砲台。その翼から切りなされた一つをアイリスが破壊したのだ。あたしが空に上がってくるまでに、既に半数は機能停止に追い込まれていた。
「何度も言うけど、ミドラというのは知らない。私はアイリス。それ以外は私ではない」
「うるさい! その顔、その声。ミドラ以外のなんなの。あなたが私の代わりにこんな姿になればよかったのよ」
アイリスの冷静な声に対して、ラーチェは感情を出した声で反応する。
ラーチェの言うとおりアイリスの身体はミドラのものであるから、傍目からみればミドラである。しかし、アイリスはミドラではない。戦乙女の特徴というべき、魂と魂の器である肉体は別であることに起因する。
通常、人は魂と肉体が密接に結びついている。どちらが先かを定義することは不可能である。だが、戦乙女は違う。魂があるから、肉体を生成することができるのだ。それ故に魂と肉体が切り離れてしまうことがある。
もっとも、ミドラの魂がどこにいったのか。アイリスの魂がどこからきたのか。それはジンですら預かり知らぬことである。あたしが知っている訳がない。
けれど、アイリスをみていれば、ミドラと同じ人格であるとは、まったく考えられない。あまりにも自分を持ちすぎているのだ。
「誰かの後ろで、おどおどしていないと生きていけないミドラが! 昔の私と同じように振る舞うあなたが! 私のお姉ちゃん、私のローレンシアを取るなんて! 決して、いえ、絶対に許さない」
ラーチェの擦れた怒声。
アイリスは反応を返さない。代わりに重力加速度を利用して、砲台との距離を詰める。三門を一息に破壊した。その姿は狩りをするハヤブサを思い浮かばせる。
またラーチェが半狂乱の声をあげる。もはや何を言っているのかさえ、判別できない。業を煮やしたのだろう。攻撃を砲台に任せ、アウトレンジに退避を続けていた彼女がアイリスに突っ込んだ。
ここで初めてアイリスに勝機がやってきた。少なくとも、距離を取られ続けていれば、先に足を船に付けるのはアイリスだった筈だ。離着陸に難のある彼女からみれば、今が最大の勝機である。
無論、ラーチェも無策ではない。
魔術兵装ゲルズの特性は精神毒。生物特攻である。その一撃で、かすり傷一つでも付ければ思考、思想を持つ生き物から知性を、あるいは意識を思うがままに奪うことができる。単純に殺傷能力が高いものよりも厄介な代物だ。
尾の先に付いたゲルズが、まるで意識を持った生き物のようにアイリスに斬りかかる。
どうやら翼竜型の尾にはミョルニルの特性の間合い掌握する能力を付与しているようだ。ありとあらゆる兵器のいいとこ取りをする。まるでキマイラのような魔力武装だ。
アイリスの戦闘センスがいかに高くても、決して刃こぼれしない刀としての性能以外を引き出せていないラグムでは打ち勝つこと、距離を詰めることはできない。例え、一矢報いたとしても、あといくつの魔術兵器の特性が飛び出してくるか、分かったものではない。
一方的な攻撃を打開するために、アイリスが距離をとる。それを待ち構えていたラーチェの砲撃が襲う。
急旋回、急静止。動物の限界まで研ぎ澄まされた制動。アイリスは砲撃の隙間をぬう。
曲芸の染みた飛行。アイリスの身体にかかる加速度の負担は生き物が耐えるには厳しいものだ。戦闘機乗りはドッグファイト中に意識が飛びかける。あるいは意識が飛んで、そのまま墜落することも珍しくない。そういった類の飛行だ。
しかし、避け続けたところで打開策があるわけではない。アイリスは覚悟を決め、速度を落とす。
魔力による砲撃。エネルギーそのものを具現化する魔術。熱量という流動的かつ不定形な存在が弾丸である。高出力の光線に近いものだろう。距離があればいずれは拡散するが、人体に直撃すれば肉が焼け落ちるのは間違いない。
アイリスは砲撃をラグムで斬りつける。
無謀な行為だ。刃物で水を切りつけるのと、なんら変わらない。普通の刃では、エネルギーの流れを止めることなど出来はしない。
だが、勝利を確信したラーチェの笑みが消える。
そして、
「あなた、いったいなんなのよ!」と彼女は絶叫した。
アイリスが砲撃を切り裂いたのだ。正確にはラグムの特性で魔術を打ち消したである。彼女自身も驚きが顔に出ている。
「やればできるものね」
アイリスは一人納得して頷く。
やればできるものではない、とは思う。過去に一度、ジンがグングニルの砲撃をかき消したのを見たきりだ。決して土壇場で真似をするようなものではない。けれど彼女が絶望を切り抜けたのは、行動力の賜物である。
「調子に乗らないでミドラ。まだ私は、私のゲルズは負けてない」
ラーチェは、アイリスとの距離を詰めようと翼を羽ばたかせ、体勢を整える。
「いい加減にするっすよ。ラーチェ」
と言って、あたしは二人の間にはいる。
「お姉ちゃん? どうして邪魔するの」
ラーチェは驚きに満ちた目で訊ねてくる。
「見てられないからっすよ」
「ミドラが負けるところを?」
と彼女が不思議そうに確認してくる。
「ラーチェが泣いているところを、ですよ」
あたしはミョルニルを構える。力尽くでも、ラーチェを止める。それが今、あたしに課せられた役目だ。
ラーチェは理解できないというように目を見開く。
「私は、私は泣いてなんかない。私は先生に言われた通りに、お姉ちゃんの為に戦っているんだ。正しいことをしているの。悲しくない、辛くなんかない、泣くわけなんかない。そんなことをいう、意地悪なお姉ちゃんなんか、どこかに行っちゃえ!」
彼女の声に反応して、全ての砲台があたしを狙う。まずい。あたしではこれだけの砲撃をかいくぐり、彼女を止めることはできない。
「ローレン。大丈夫。任せて」
と言ったアイリスが突撃する。
「ミドラ。あなたにはずっと逃げているのがお似合いよ」
ラーチェがゲルズで抵抗する。
あたしはどうする。悩んでいる時間はない。アイリスを信じて、砲台を一つずつ減らしていくしかない。
あたしの翅であれば、砲撃を避けるのは簡単だ。砲撃で起きる熱風に流されれば、軽く避けきることができる。
それにラーチェが本気で殺しにきていない。優しさか、躊躇か、あるいは両方だろう。わざわざ近づかれないように砲撃の隙間を用意しているのだ。彼女は砲撃の一撃一撃を個に対して撃っている。ハエたたきのように爆風を起こさぬように絨毯爆撃のように面で撃てばいい。多分、彼女が先生と呼ぶ誰かに入れ知恵されている筈だ。あたしの翅の性能では避けきれないのは分かっているはずだ。
あたしが空中を飛ぶ砲台に苦戦している裏で、勝敗を決する動きが起こる。
ラーチェが呪文を叫ぶ。
「第一解放!」と。
魔術兵器には安全装置とも呼べるリミッターがいくつも付いている。誰もが認識していない間に、国を亡ぼすほどの力を行使しないためだ。使い手の性格、実力を兵器が裁定するのだ。
故に解放された魔術兵器と、ただ起動されている魔術兵器の力の差は歴然である。
そして、無我夢中でも、本人の意識がなくても、兵器が許容、承認したのなら解放は実行される。
短剣の姿をしたゲルズが、質量を無視し、禍々しい棘のある剣の姿に変形する。尾を武器とする生き物がいるならば、これ以上相応しい造形はないだろう。
「それが、そのゲルズがあなたの意志だというのね」
アイリスが冷静な声で問う。魔術兵器は解放と共に姿を変える。その姿、形は担い手の精神状況、及びイメージに依存する。
人を威圧する形、嫌悪感を与える姿。その造形をみせる魔術兵器は、ラーチェの内心を映し出す鏡なのだ。
「歪な姿。それのなにが悪い。あなたのせいで、四肢を失った私にはよく似合っているでしょ。そうやって嘲笑を抱いたまま、自分の過ちに気付かず、凍土の地獄に落ちろ!」
ラーチェの叫びに呼応して、ゲルズが鈍い魔力の輝きを放つ。
ラーチェがゲルズを突き出す。鋭い剣尖がアイリスの首元に迫る。
アイリスはラグムで応戦する。けれど、一度斬り結ぶと、翼を翻しゲルズの間合いから飛びのく。
「変わらない。全く変わってない。臆病者のミドラ。怖いことへの感ばかりよくて、危なくなったら、すぐに逃げる。すぐに隠れる。でも、今回は駄目だから。私のゲルズは、私の愛憎は決して、あなたを逃がさない」
ケラケラと、ラーチェが笑う。
異変はすぐに察しがついた。アイリスの飛行がおかしい。まるでラグムに振り回されるように空を舞っている。ラーチェがラグムを操っているといわんばかりだ。
「ラーチェ!」
あたしは呼びかける。
ゲルズの特性から逸脱した性能。力量差が、性能差があまりにもあり過ぎる。
「お姉ちゃんは、そこでみていて。力がないって、とっても罪なことなんだよ。ミドラを私と同じようにして、お姉ちゃんも私と同じようになるの。あぁ、でも、やっぱり駄目。ミドラは地獄に落とさないと」
と、ラーチェは答えた。その受け答えは、まるで熱に浮かされた人のそれだ。
もう、アイリスは時間を稼げそうにない。あたしは砲撃を突破できない。武装のないジンにどうにかできる状況でもない。
これは詰んでしまったのか?
あたしはラーチェを救うことができない。アイリスも守れない。あたしは変わることはできなかった。
甲板からは、ジンがなにも言わず、ただ視線を送ってくるだけだ。
本当に終わってしまうのか?
「なに、これ?」
アイリスに止めを刺そうとしたラーチェは動きを止める。乾いた咳を一つ。ついで彼女は血を吐き出した。
「ラーチェ」
あたしの呼びかけに、ラーチェは血にまみれた顔を向ける。血を吐いただけで飽き足らず、鼻からも血を流している。
「苦しいよ。もう終わりにしたいよ。お姉ちゃん、私を殺してよ」
彼女は呻き声を上げる。しかし、頭を振り、また嫌な笑みを浮かべる。
「ミドラ。あなたは地獄をいくつめぐっても足りない。私の生き地獄の道連れから始めましょう」
また彼女は狂気と共に、ゲルズを振り上げた。
二面性だ。いや、見方を変えれば、彼女の表情はもっと変わるだろう。あたしにみせる顔。アイリスに向ける顔。辛いことが耐えられない顔。人を自分と同じ不幸に貶めようとする顔。そして、人を不幸から遠ざけようとする優しい顔。
そうか、だから気付かなかったのか。
あたしは優しいラーチェの顔をしか知らない。見ようとすらしていなかったのだ。
それはミョルニルに対しても同じだ。
間合いに尖った能力。雷を操る特性。これらはミョルニルの一面であり、これらが全て合わさったものがミョルニルの本質なのだ。
物事には多面性がある。今、それにあたしは気付いた。
ジンからヒントは貰っていた。アイリスに解答の出し方をみせてもらった。
あとは、あたし自身の答えを示すだけだ。
「ラーチェ。いま、いくっすよ。いや、ローレンシア。あなたを救いますからね」
あたしは砲撃の中に飛び込んだ。
雨のように降り注ぐ光の雨。ただ前進する。避けることなど必要ない。
それがジンも口にしたミョルニルの特性。
「来ないでよ。殺しちゃうから」
ラーチェは後退して距離を取ろうとする。
それは、ミョルニルにあたしが見出した己自身。
力、エネルギー、そういった流れを操る兵器。あたしの間合いを守る絶対的な力の領域。なにものにも触れることができない空間。
名を付けるとすれば、『絶域』。手を伸ばしても届かなかった世界に触れるための力。
その特性の前には、空気抵抗という力も砲撃というエネルギーも全てがねじ伏せられる。空気の壁を無力化する。砲撃を弾き飛ばす。そんな圧倒的な存在だ。
「来るなって言ってるでしょ!」
ラーチェが怒鳴る。あたしが彼女の目前に迫る。
ゲルズが振り下ろされる。
斬られたのは、あたしの右腕だ。
ミョルニルを握りしめた右腕が落ちていく。それを気にも留めず、あたしは彼女を抱きしめた。
「どうして?」
ラーチェが確認してくる。彼女が理解できる範囲を超えたのだ。
「なんで? どうして? なにをしてるの?」
「シアを、ラーチェを救いに来たに決まってるっすよ」
そして、あたし自身も救うのだ。
口にした言葉。浮かべた想い。それが、あたしのやりたかった、やるべき全てだ。
無論、斬られた腕の痛みで泣き叫びたいほどだ。
「抱きしめられただけじゃ。そばにお姉ちゃんがいるだけじゃ。もう遅いよ」
「遅くなんてないです。だって、あたしはローレンシアがまた道を間違う前に。ラーチェ、あなたを止められましたから」
あたしの言葉で、ラーチェが顔を涙ぐんで歪ませる。
「でも、私はリリー様を守れませんでした。お姉ちゃんを傷つけました。同じ顔、同じ姿、そして同じ生き方を望んでも、私は嫌いな私のまま。両腕もなく、なにもつかめない私のままなんですから」
「あたしはラーチェが好きです。シアになりたかった。なに気ないひとときを愛しく生きていく、あなたが大好きっす。私が見向きもしなかったものを、あなたが拾ってくれた。だから、あたしは前を向けた。また進んでいけるんっすよ」
言葉を選ぶ必要などない。ただ、あたしの想いの丈をぶつける。
「リリー様は、お姉ちゃんは強いから」
そこまでいって、ラーチェは言葉をのむ。
「強くなんてないっすよ。巨人族は怖いし、傷つくのは辛いです。それでも、ラーチェのもとに来られたのは、また一緒に進みたいからです」
あたしは微笑みかける。
彼女は写し鏡、あるいは半身だ。あたしに足りないものを持っている。そして、彼女に足りないものをあたしは持っている。
だから、あたしには彼女が必要だ。失うわけにはいかないのだ。
「もう私は歩ける足もないよ」
「大丈夫っす。あたしには翅がありますから。どこにでも連れて行ってあげられます」
「けど私には道を塞ぐ枝木を退ける腕がないよ」
「心配はなしっす。ミョルニルが道を切り開いてくれますから」
「私の口はいっぱい嫌なことをいうかもしれないに、それでもいいの?」
「なら歌を歌うっすよ。嫌な言葉を吐かなくていいほど、楽しい歌を。そうすれば未来は明るく続いていきますから」
私の言葉で、ラーチェが小さく笑った。
「お姉ちゃんはロマンチストなんだから」
「いえいえ、ラーチェに笑顔が戻ってくるなら、あたしは道化師で十分ですよ」
そういって、あたしは血塗られたラーチェの口元を拭ってやる。
「道化師じゃ駄目だよ。お姉ちゃんは王子様だから」
えへへ、とラーチェがはにかむ。緊張が解けたのだろう。ゲルズへの魔力供給が止まった。それと時を同じくして、彼女の鼻血も収まる。
「いきましょう。戦争ごっこは終わりっす」
「うん!」と力強くラーチェは頷いた。
あたしたちは、これからも障害にぶつかるだろう。また何かを失うこともある。奪われることだってあるだろう。
それでも、あたしたちは自分たちの為に前に進むのだ。傷つき、失ってしまったものを埋め合わせるために。止まっていては何も手にすることはできないのだ。
今はこの手に取り戻した笑顔のぬくもりが、その結果だ。
そして、それは……。
「ローレン。後ろだ」
ジンが発した通信機越しの呼び声で、簡単に掻き消えた。
ラーチェが顔を歪ませる。
アイリスがなれない叫び声を上げる。
あのエイドですら、通信機越しに伝わってくる声は震えている。
あたしたちの足元に広がっている世界。未来のように目視できないほど広大に続いている存在が、絶望を送り込んできたのだ。