0.『さよならを言えなかったあなたへ』
……今、思い出せる最初の記憶。
それは、私の下に駆け寄ろうとする貴方。小さな身体が軍服を着た兵士に押さえつけられている姿だ。
服を汚し、顔に傷を付け、深紅の髪まで土に塗れた。誰よりも辛そうな貴方の顔が、今でも記憶の底から離れない。
とても辛いのに、優しい記憶だ。
……もっと楽しい記憶、嬉しい記憶もあった筈だ。
でも、これが私の精一杯だ。
もう、これより先に思い出せるものはない。
ここまで来るのに、擦り切れてしまった。
誰かに優しくされた記憶は私の両腕と共に。
誰かと喜びを分かち合った記憶は私の両脚と共に。
私にはもう。一人で歩くこと。一人で食事を摂ること。そして、誰かを抱きしめることもままならない。
鳥は飛べるから自由だ。なんて、私の口からは言えないだろう。
鳥は飛ぶ為に、手を失ったのだ。
私は誰かを飛ばせる為に、腕を失ったのだ。
鳥は休む為に足を使う。
私は生きる為に脚を捨てた。
飛ぶ鳥の姿も見えない窓の外に光を求める。
いつもと変わらぬ朝。青空はただ、ただ広がっているばかりだ。
掠れた声で口癖のように、あの日の名前を呼ぶ。
届くはずがない声が白い部屋に吸い込まれた。
カツン、カツン…。
普段と変わらぬ足音が近づいてくる。
夢から覚める時間が来たのだ。
力のない瞳を入り口に向ける。
白衣の男が目に入った。
「おはよう、起きているようだね。早速で悪いが、君にやってもらいたいことがあるんだ」
まるで機械にでも話しかけるような声に目を閉じる。
……次は、何を失うのだろうか。