未完成部は息子/ 愚の骨頂
さて、うちの息子に話を戻してーー神の息子・キリスト、西郷の息子、うちの息子、話がだんだん小さくなってきたろうーーこのチームの「未完成部」は息子だと思うのよ。「未完成」と言うことは、そこに新たな「可能性」が秘められている、と言うことだ。私は君を、君は「負」のない「腑抜け」、男らしい「気骨」がない、と言ったが、骨がない軟体動物は生物に進化の過程では初期なのである。私がこんなことを言うと、君はクリスチャンのくせに「進化論」を肯定するのか、と批判の声が上がるだろう。だから私は、自ら教会を出たのである、教会の席に着きながら進化論を肯定すれば内部争いが起こるかもしれない、そしたら教会の名に傷をつけることになるからである、「神」という存在が汚名を着ることになるからである。
神のひとり息子・キリストから、英雄西郷隆盛の息子、そしてうちの息子、小さな話は大きな話、私たちの身近な出来事が世界の大事につながっていると言うことです。とすると、私たちの一人一人がいかに生きるか・どう行動するか、それが大事なこととなってきます。一人一人の集まりが「世界国家」なのですからね。誰もが、その一員であるという意識を持って行動する、それが「チームプレー」。「未完成」ということは、そこに「可能性」が秘められているということ、そんな角度から息子のサッカーを解いて行ってみます。このチームは、取っ手・柄のないコーヒーカップに例えられます。その器は飲む物を飲むという目的にかなったものです・目的を十分に果たしてくれますが、柄が付いていないので、使い勝手がいまいちなんです。柄がついていた方が、カップが手から滑り落ちることもないし、カップを持っているときに、誰かがドンとぶつかってきても安心です。使う方としては、柄がついていた方が使い勝手がいい、安心できるんです。コーチも安心してベンチに座っていられるというわけです。柔な息子には骨がない、聖書には、女はアダム(男)のあばら骨から造られた、という記述があります。「人がひとりでいるのはよくない、彼に『助け手』を与えよう(聖書・創世記)」神は女をアダムのもとに連れて来られた。人には助け手・パートナーが必要だったのです。フォワードの剣ちゃんまでうまくボールが届くように、剣ちゃんが上手くシュートが決められるように、それを仕掛ける仕掛け人、剣ちゃんに上手いパスを通し、彼のプレーをサポートする助け手が必要であった。輝、お前だよ、お前が調子がいいとき・お前のパス出しが上手くいくときは、このチームは調子がよくなるんだよ。左サイドから点が入らないのはお前がよくやらないからだ、それがあれば剣ちゃんはもっとシュートが決められるはずなんだ。右サイドはボールの軌道が確保されている、先回の試合では、晃太、翔、大記とボールがつながった。伊藤(右フォワード)走れ、のコーチの声はよく飛ぶ、それに比べ、左フォワード・剣人のチャンスは少ないのだ。
このチームは右サイドと左サイドでディフェンスの形・スタイルが違う。右サイドの晃太は相手に長い距離を走らせてはならない、晃太と相手が長い距離を並んで走れば相手は晃太を抜くのである、短い間に勝負を決めなければならなかった。晃太は肩押しで相手の走行を邪魔し、ボールを確保する、奪ったボールはワンアクションで大返しする。これは晃太が自分の身体能力をカバー出来る最も有効な方法である、晃太が完成していると言えるわけである。それと対照的なのが、左サイドディフェンスの輝である。輝は相手と長い距離を並走する、コーナーまで相手を追い込み、そこでボールを取る。晃太相手に相手は晃太を振り切り、ゴールへの直線コース・最短コースでボールを運ぼうとする。足が速い輝相手に、相手は直線コースを外れ、外側に追いやられるのである。ボールを取った輝はワンアクションプレー・ボールの大返しをしない、足下でこねくり、おい、大丈夫かよ、取られないうちに早くパス出せ、って気にさせられる。彼にはボールをこねくる余裕があるのである。そこで抜かれたらお終いだぞ、見てる私は思うのであるが、彼はこんな発言をする、抜かれても追いつける。晃太があの走りであの肩押しをしていれば大丈夫、晃太の瀬戸際プレーには安心感がある。余裕があるのは輝なのである、なのに彼のプレーには晃太にある安心感がないのである。彼がワンアクションプレー・ボールの大返しをしない、というのは、彼はそれが苦手・出来ないのか? 私は思っていたが、それは彼のスタイルなのだと近頃気づいた。彼は以前にはミッドフィルダーをやっていた、剣ちゃんがフォワードを外されたときはフォワードだったーーサッカーを始めた当初『どこでもいいや』って適当に立っていた彼は、その通りにどこでもだったのであるーー彼がディフェンスになったのはここ(中学部活動)へ来てからなのだ。彼はディフェンス1年生であり(対する晃太はずっとディフェンスをやっていた)、彼のプレーにはミッドフィルダーやフォワードの名残があるのだ、要するにディフェンスらしくなかった。お前、そこで抜かれたらお前の後ろには誰もいない、抜かれて追いつける距離なんかない、お前を抜いたら相手はシュートをする、それを分かってるのか、余裕ありすぎなことするな、と言いたくなる。彼のプレーに感じるのは余裕や安心感ではないのだ。彼のプレーはどこがぎこちなかった、君は脚が長くてもつれちゃうのか、私は言った。君の脚は細くてパワーが出ないのか、プレーに力強さが感じられなかった。彼は自分の大きな身体を持て余しているようにも見えた。身体が大きいとそんなふうにみえちゃうのかなぁ、身体が小さいほど彼が全身を使っているという躍動感があるけど、例えば大記の開脚や剣ちゃんの身体のひねりなんかは、彼らが宙に舞い、宙に静止している、ように見えるが。チームで一番背が高いのが輝か主将の慎也かというところだけれど、慎也も以前は足出しプレーが見られた、足だけひょいとボールの方へ出す、だけど、今の慎也は全身でボールを受け止めている、って見える。彼のボールさばきは格段上がった、足でお手玉できちゃうようなのが彼だから。やっぱり全身を使わないとだめなんだよね。大道芸師のお手玉はダイナミックだ、慎也のシュートもダイナミック。蹴鞠をする優雅な平安貴族が息子輝である、彼はまるで力を出していない。何の負もない腑抜けなのである。決勝戦の後、負のない息子の、意外な負を知らされた。お前、もう少しまともなパス剣ちゃんに出せないのか。だっておれ、左でやってるんだよ。左って、お前左利きだろう。違うよ、右だよ、お母さんだって左で字を書けって言われたら出来るかよ。鉛筆は左だけど、足は右ってことか? そうだよ。だったら右でやれ、右も使え、どっちも使え。両足使うの? そうだよ、両足だよ(これはすごいぞ)。彼は器用なはずである、りんごの皮むきはクラス一、ペン回しも何種類も出来る、難易度が高くクラスの誰も出来ないのも出来る、なのに、ことサッカーに関しては彼はひどく不器用に見える、その分けはこれだったのか? 彼は確かにサッカーを始めた頃は左だった、が、途中でそうでないことに気づいたのだろう。が、輝は左利き、誰もが思っている、任されるのもいつも左サイド、彼は途中で転向することが出来なかった、何たる「愚のコッチョー(骨頂)」。ここでやっと、彼(骨のない軟体動物)は「骨」を「頂いた」のでありました。今後彼の気骨あるプレー・進化した彼のプレーが見られるのでしょうか。彼はディフェンスらしからぬプレーをする。ボールを持ってドリブル、サイドをフォワード位置まで上がったり、パスを出した後、前衛まで走り、再度ボールをもらう、輝、いいぞ、コーチが言うのだから、感心できるプレーなのだろうーー「今のプレーいいぞ」コーチは選手たちに必ず声をかける、彼の指導は否定するではなくて、肯定する、よい部分を伸ばすなんです。選手たちはコーチの褒めの言葉により方向性を得られる・自分の得意やよいところを見つけ伸ばせるが、そんなプレーはするな、という枠にはめられることはないのである。自由なチャレンジが出来るのである。ディフェンスには雅也という広範囲カバー出来る者がいるし、輝が上がってもいいのだろう。もしこのルートが完成すれば、左サイドの速攻が出来るわけである、コーチは既にそんな青写真を描いていたのかもしれない。つまり、未完成とはそのような可能性を秘めているのである。県大会が始まるまでに(1ヶ月後であるが)、彼は秘密兵器・両足使いを完成できるのか、彼のパスが剣ちゃんに届くようになるのか。勝負の「穴馬」となるのが彼なのである。そこが完成すれば、優勝カップは手から滑り落ちることがないだろうし、誰が体当たりしてきても、手にした優勝カップを奪還されることもないのであるが・・・。剣ちゃんと輝は案外いいコンビなれたのかもしれない、チビとノッポ、負けん気と臆病、正反対の二人であるが、晃太と雅也、対照的な二人がいいコンビであるように。剣ちゃんと輝、六年間ずっと一緒にやってきた者同士、最後にそれを証明できるような息の合ったプレーを見せてくれ。輝のボールこねくり、あれは彼が案外ボールに対して慎重だということかもしれない、そんなふうに全てが上手く転ぶといいんですけど。アンカーで大逆転勝利、市大会では貫太の出番がなかったね、この物語のアンカーはやっぱり貫太だよ、クラシックバレエやフィギュアスケートを思わせるような優美で繊細なテクニカルプレー、フィールドのプリンス。負けるが勝ち、なんてのはこのチームにはまだ早い、連戦連勝、優勝カップをかっさらえ。県大会のトップバッターは貫太、今までため込んだ分発散させて来い、みんな、がんばって行って来い。
市大会優勝、この朗報を私は誰に伝えたかったかって、息子たちのスポ少時代のコーチ、クラブチーム作るから、お前らおれについて来い、と言ったSコーチである。彼らの乗った船が座礁した(クラブチームの話が暗礁に乗り上げた)ときに、彼は、これだけいればめいめいが違う高校に行くだろうから、高校サッカーが楽しみだな、この中の誰かは県大会行くだろう、そしたら(このチームの他のメンバーと)みんなで応援行くよ、それがおれの楽しみにしていることだ、って言ったんだよね。中学で、全員揃って、県大会だよ、みんなポジションもらってるよ。君たちはこうして、かつての君たちのヒーローの「夢をかなえる存在」になった、「夢をかなえる存在」すなわちヒーローになった。私は息子たちに、Sコーチを県大会に招待してみたら・「見に来て下さい」って誘ってみたらどう、って打診してみたけど、彼らはどんな返事もしない。コーチと息子たち、別れた恋人同士のように、互いに顔を合わせづらい関係になってしまったのでしょうね。私は県大会までの暇な時間、息子たちのこんな物語を書いて過ごしているのでした。