弟たちのデビュー戦
「日産カップ」は小3の次男たちのデビュー戦・初の公式試合だった。
登場人物 なこそSCSチームメンバー(小学3年)
大洋
直輝
春希
俊也
次男の大会のグランドに飛んだはずが、話はまた長男のフィールドに戻っていた。だって私には、二つのチームは被って・重なって見えちゃうんだもの。負けん気剣ちゃんは大洋君、華麗なるディフェンダー雅也は直輝、チームの頼もし君翔は春希、みんなが中央のボールに寄って行くときにも、ちゃんとあそこで守っている子がいる、あれは秀俊君、そんな具合に。未来のドリーム・チームね、その姿が見えるよう、私は思った。そうなんだよね、今日ここに来ている全てのチームはドリーム・チームなんだ、そしてここにいる全ての子供たちはドリーム・チームの選手の卵だね、ドリーム・チームには控え選手がいっぱいいるぞ。皆が、全ての子供たちが、世界に羽ばたいて行く、ドリーム・チームの卵(可能性を秘めた存在)、この世界全体がドリーム・チームという一つの戦士団だった。
四年生大会のグランドでは母親たちが話していた。最初の話では、四年生のチームを二つ作って、その足りない人数を三年生から補充する、って聞いてたけど、三年生だけでチーム作らせてるじゃない。三年生チームと四年生チームの二チームが大会出場していたが、三年生チームは控えが三人だけなのに、四年生チームは人数が多くて前半組と後半組に分けられている。四年生より三年生の方が出番が多い、なんかおかしいと思わない? ハーフ(前半または後半)しか出番がない四年生・我が子たちに対して、三年生の出番の方が方が多い、四年生の母親たちは不服をもらした。コーチは三年生の方に期待してるのよ。多分そうなんだろう。三年生の面々を見ると、これだけ上手い子が揃っていたら、私がコーチでも同じ気持ちになるだろう。彼らは上手いというよりは、まだそこまで開発されていなかった、未開発な者たちが持つ可能性という面から見て、彼らは上手いのだった。つまり、彼らは上手くなる可能性大、彼らが上手くなると見込んで間違いなかった。彼らが今少しして、ポジションを与えられるようになったら、彼らはすごく上手くなる・ぐっと上達するだろう。やる気満々、身体能力も優れたものを持っていた、確かに「選ばれた子たち」だった。来週の「日産カップ」がどうかよね、コーチはどんなふうにチーム編成して出すのかしらね、と四年生の母親たち。後で誰かがコーチに聞いたらしく、来週も同じ編成・四年生チームと三年生チームってかたちでやるんだって、ってことは、来週の「日産カップ」に備えての練習試合、ってことで三年生を今日ここ(四年生大会)に連れて来てるんだね。ここに一つの対立があるんだよね、どんくさい四年生と優秀な三年生、三年生の中でも特に選ばれた優秀な子たちと今日この場に呼ばれなかった子たち(同じ三年生でもここに呼ばれたのは選ばれた子たち、残りの半数にはお呼びがかからなかった)。優秀な子たちには多くのチャンスが与えられるが、彼らにチャンスが与えられれば与えられるほど・彼らが活躍すれば活躍するほど、残りの子供たちに与えられるチャンス・活躍の場が狭められる。よそのクラブチームでの話だが――弟は上手だから試合に出してもらえるけど、六年生のお兄ちゃんの方は全然出してもらえなくて、お兄ちゃんも少しやんなっちゃってる、って――そんなことも聞く。小学校6年間サッカーやっても、僕には一度もチャンスが回って来なかった、そんな子も出て来る。彼にとってはサッカーはつまらないもの・やっても仕方のない物事になってしまう。そんなことしても無駄なんだよ、どうせおれの活躍の場なんてないんだから、だったら最初からやらない方がいい、それが無難というものだ、大人も子供もそう考える。遣り甲斐・生き甲斐のない世の中である。
さて、「日産カップ」当日、試合形式は、8人制、12分ハーフ。11人の三年生が来ていて、出られるのは8人。試合前にメンバーとポジションが発表されると、子供たちは一喜一憂した。「ディフェンスやだよ。ぼく、フォワードやりたいよ」と言う子がいた。コーチもディフェンスだぞ、コーチは言った。コーチが言ったポジションでちゃんとやって下さい、まずはそこで成果を上げて、それから何でも言って下さい。フォワードやったら点入れるか? と聞かれ、入れるよ、絶対、絶対、絶対入れるよ、とその子は答えた。フォワードというポジションは小学生に人気があるらしい。誰もが憧れるかっこいいポジションなのだろう。このチームのフォワードはどうやら大洋で決まりのようだ、大洋は毎回フォワードで出た。足が速かったし、また上手だった。もう一人上手な子がいた、直輝だ。直輝はボールを持つと、器用に身をかわし一人で何人も抜いて行った。外野が「直輝くーん、直輝くーん」と呼ぶくらい上手だった。フォーメーションがなく、パスの通りも悪い彼らに、コーチは「ボールを持ったらぐんぐん前へ行って下さい、何人抜いて行ってもいいです」そんな指示を出していた、直輝は指示通りにやっていた。大洋はいつもフォワードから外されなかったが、後の選手はローテーション、「今度は大洋と直輝、フォワード」コーチが言った。一試合の前半後半でもポジションは入れ替わった。このチームにはもう一人、絶対にフォワードになりたい子がいた、ボールを取ったらもう離さない、何としても自分で、シュートを決めたかった、俊也だ、コーチは大抵その子もフォワードにした。大抵の場合は大洋と俊也、その二人がフォワードだった。今度は直輝がフォワードのはずだった、が、フォワードになりたい者、ボールと一緒に前へ行きたい者、ボールにくっついて行ってしまう者、ばかりのチームである。上手く得点はするものの、それ以上に得点されてしまうのがこのチームである。それにいち早く気づいたのが直輝だった、このチームにフォワードはいっぱいいる、それは彼らに任せることにして、自分は守りに回ろう、直輝は皆の憧れのフォワードを自ら外れ、ディフェンスに立った。コーチの指示では彼はフォワードのはずだったが、彼はディフェンスに回った。彼は賢いのだ、自らの手柄よりもチームの益を思うことが出来るのである、自分はコーチにフォワードって言われたからと、いつもコーチの指示通りではなく、物事を自分で考えることが出来る、臨機応変である。社会に出た大人たちに欠けているのは、正にこれである。おれはこう言われたからこうやった、言われた通りにやっただけだ、それが彼らの正当性である。が、コーチの指示に従わなかった直輝がいなければ、チームは大量得点されていたであろう。世の中の大人は直輝よりもバカなのである。私は直輝が雅也(植中センターバック)に重なるのだ、小学校の頃の雅也はこんなだったんだろうな。雅也にボールを持たせてみたかった、雅也は風のように走り、シュートを決めるだろう。だけど、チームにシュートを決められる者は外にいる、ディフェンス要、そこを守れるのは雅也しかいないのだ。世の中で、自分が華々しく、脚光を浴びている、そう思う人は、あなたの周りを見るがよい、あなたより実力のある者・あなたよりその場にふさわしい者がいないだろうか、彼はあなたにその場を譲ったのやも知れない。大洋はフォワードとして上手だが、今のところ彼はそれ以外に使えないのである(「今のところ」の話である)。直輝はどこでも使える、直輝(のような人)が活躍するフィールド(世界)は広いのである。どのポジション・どの分野でも活躍できる、トータルな人間性づくりが大事である、人間性の問題なのである。直輝はサッカーが上手いが、その人間性がまた素晴らしいのである。連続二得点された場面があった、直輝は大声で怒鳴っていた(私は初め、直輝が何か怒っているのかと思った、違っていた)、「ちゃんとやれよ、ちゃんと出来るんだからな。なあ、がっかりするな、大丈夫だ」直輝はフィールドの真ん中からキーパーの子に叫んでいた。私は、直輝の周りにあるものを見た。おじいちゃんとおばあちゃんも応援に来ていた、おばあちゃんはいすに腰掛け、扇子をぱたぱたさせながら、「なおちゃん、なおちゃん」とか細い上品な声を出していた。直輝君のところは、おじさんであり(「私の兄です」と直輝君の母親が紹介した)、直輝君の兄夫婦(だろうか、近頃は誰もが若いので恋人か夫婦か分からない)であり、家族総出で応援に来ている。直輝はそんな家族の中で、自然にチームプレーが何かを学んだのだろう。直輝は年が離れて出来た末っ子で、年長の兄姉、祖父母までいる家族の中で、庇われ、かわいがられて育ったのだろう。そんな直輝が外に出たとき、自分が家の中でされてきたこと(大事にされ、庇われる)を、他の人にしたくなるのだろう。家の中で末の直輝が、外ではリーダーシップをとるのである。年長者が、自分より下の者をどのように扱うのがよいか分かるだろう。
うちの春希は一度もフォワードに置かれなかった。フォワードには大洋という春希よりふさわしい者がいたし、春希をフォワードに置くのはもったいない気もした。本来フォワードは「待ち」のポジションなのだ、そこへボールが上がって来ないことには活躍するもなかった。だから春希はフォワード以外で使った方が使いがてがあった。翔君(植中MF)をフォワードに置くのがもったいないのと同じだった。先は春希はディフェンス真ん中、雅也(植中DF)のポジションで入った。春希、真ん中だぞ、しっかり真ん中にいろ、コーチは言った。春希を真ん中に配置し、チームのぶれをなくす、それがコーチの主旨らしい、要するにディフェンス真ん中、そこを任されるとは雅也も春希も、チームの中でコーチが頼みにしている存在(彼らは頼りにされている)、ということである。次に春希は中盤(MF)だったが、ここでも真ん中に配属された。多分そこが春希の一番やり易いポジションだろう、前後左右どこへでも動けるポジション、春希が一番働きを上げられるポジションだろう。春希は相手チームのマークを外し独走、遠からず、近からず、ちょうどいい地点からボールを上げ、弧を描いたボールがキーパーの頭上を越え「ストン」とゴールに入った。その時もそうだが、ボールを運ぶにも、パスを出すにも、春希は冷静で、狙いを定めることが出来るのだ、焦って前のめりなプレーをしない、少しクールな性格なのだ。そのクールな落ち着きがあだとなり、相手がボールを持って走って来る、春希走って行ってボールに足を出す、が抜かれる、という場面も多々あった。後ボール半個分長く足を出せ、タイミング的に間に合っているのに、ボールを取る気迫に欠けているのである。私は、雅也と晃太(植中DF)が南中の選手を挟んで並んで走っている(「先に追いつくのは誰だ!」)あの写真を見せて、この一つのボールを取るために、三人の選手はどんな顔して走ってる? サッカーってのは、みんなこのくらいの顔して走るんだよ、大洋も直輝もそんな顔で走ってたよ、春希、お前もそれくらいの顔して走れ。今日のお前は余裕のよっちゃんみたいな顔してたぞ、だから取れるボールも取れなかったんだよ。相手フォワードに黙ってボール持って走らせておいちゃだめなんだよ。相手フォワードにボールが渡ったら危険信号なのだディフェンスはどんなことをしてもそのボールを取らなければならない。相手のフォワードより早くボールを触らなくちゃならない、だから雅也君と晃太君はこんな必死な顔で走ってるんだよ。春希はディフェンスというポジションの要領が分かっていない、ディフェンスというポジションは小学生にとっては難しいポジションなのだ。彼らは、ディフェンスがフォワード以上に夢中で走らなければならないポジションだとは分かっていない。相手はうちのキーパーを読んでるんだよ。右の人がボール持ってるからキーパーがそっちに行くと、右の人は左の人にパスする、それで左の人がシュートする、入っちゃうんだ、春希は言った。それがサッカーだよ、キーパーと相手を一対一にしちゃだめだ、その前に止めるのがディフェンスの仕事だよ。ボールを持ってる右の人からボールを取る係と、右の人が左の人にパスを出したとき、左の人にボールが渡らないように左の人を邪魔する係、がいないとだめなんだよ。右の人と左の人にマークがついてないとだめなんだ、そのうち教えてもらえるよ。それと、もっと積極的にボールに触っていいよ。春希は遠慮がちだった、チームメイトががんがん来る分、自分は引き気味なのだ。春希のプレーは自分がボールを持って独走するより、ボールをカットしたり、皆がボールに群がる中からボールを蹴り出させたり、パスを出したり、要するにサッカーらしかった。が、ボールが飛び出したり、パスが飛んだりしても、それを取る人がいなかった、みんなボールに集中しているから。だから、このチームでパスは反って危険だった、春希が蹴り出したボールが相手チームに渡り、ひやり、そんな場面も多々である。だから、まだサッカーの左の字も知らないこのチームにコーチは、ボールを持ったらぐんぐん前へ行って下さい、何人抜いて行ってもいいです、そんな指示を出したのだろう。
そんなチームの中で目を引くのが、独走型プレヤー俊也であった。俊也はとにかく、自分がボールを持ったらシュートするまで離さない。自分の周りにどんなに敵がいようとも、突破あるのみ、ボールが奪われるのが目に見えている、そんな場面で、大洋がゴール付近、絶好のスタンスでフリー、『俊也、大洋にパスだ!」俊也の父が叫ぶ、俊哉の耳には入らない、彼に見えているのはボールとゴール、そこへゴールを決めたときの自分のかっこいい姿と満悦感。その日の試合で、俊也の独走プレーは功を奏さなかった。それが功を奏したのは大会二日目である。その日も、俊也はいつものごとくにビュンビュン飛ばしていた。ひぇー、あの2番ガッツあるね、隣で見ていた男性が言った。だけど、俊也はコーチの言うこと聞かないよ、応援席の子供たちの一人が言った。そのくらいの方がいいんだよ、男性は言った。男性は試合が始まる前に子供たち相手に話していた、一人で三点入れるのはハットトリックだろう、一人で四点入れるのは何て言うか知ってるか? なんて。俊也はその日正に「ハットトリック」だったんじゃないのか。だけど俊哉のプレーには難点が目立つ。ボール欲しさに仲間のボールまで奪ってしまうのだ。毎回そうだったが、その日は確かにそれを目撃した。春希独走、右サイドから緩やかな回り込みでゴールに向かう、昨日と同じようなのが「ストン」と入るかな、私は見ていたが、ボールを運ぶ春希のもとに中央から俊也が追いついてきて、さっとボールを奪って行った。「おっと、横取りか」隣の男性が言った、あれは誰が見ても確かに「横取り」だった、結果俊也は外した。その大会二日目、春希は前日よりも良く動いた、積極的だった。すると、直輝や大洋の積極性が消えてしまうのだ、今度は彼らが目立たなくなる。そこで私は、ある相殺効果に気づいた。俊也が来ると春希は引く、「俊也にお任せ」プレーとなるのだ。このフィールドに俊也と春希がいれば、直輝と大洋はいなくていいのだ。直輝と大洋がいれば、春希はいなくてもいい、それが春希の引きだったのだ。そこで春希は群れから飛び出しボール・こぼれボール処理係を引き受けていた。つまり、彼らにとって、この四つ切りフィールドは狭すぎた。中学生の長男たちは、このグランドの全面を使って試合をする。ところが、小学生のこの大会は、そのグランドを四つ切りにしている、それが彼らに与えられたフィールドだ。直輝は勿来一小だが、同じ勿来一小の同じクラスの子がここに三人来ている、そのいずれもが運動会ではリレーの選手、「クラスのリレーの選手四人のうち三人がここでサッカーやってる子なの、運動会はサッカークラブでバトン渡してるって感じよ」と直輝の母親が言っていた。大洋は錦小だが、勿論リレーの選手だろう。春希もそうだ。とすると少なくとも、8人(制のメンバー)のうちの五人はそのくらい足が速いということだ、ほかも「選ばれた子たち」だったーー子供たちがポジションで不平を言ったときにコーチはそう言った、「君たちは今日ここへ選ばれてきているんです。あとの半分の子たちは来たくても来れなかったんです。選ばれて来た君たちなんですから、(ポジションがどうこう)そんなことを言わないで下さい」。つまり、彼らの勝れた身体能力からすれば、狭すぎるフィールド、この試合、俊也と春希二人いれば十分だ、大洋と直輝はあぶれたのである、二人ともすごく能力のある子たちである。私は、このチームもしかしたらいい線まで行く(上位ブロックに食い込む)んじゃないかとも思っていたが、結果はそれほどでなかった。それは試合経験がない、それだけではなかった、「力余り」それがこのチームの敗因だった。全開は俊也だった、俊也は力を120%出し切っていた、すると春希は自分の力を70で抑える。120+70=190、これが二人の合力だった、100+100=200を下回っている。80出して衝突したら大変だ、この辺で止めておこう、春希の心積もりである。このフィールドの許容量は200、直輝と大洋の出る幕はない。無理に彼らが出れば、力と力が衝突し、半減である。この試合は春希がボールをカットし、俊也に渡してやれば、後は俊也の一人舞台である。前日俊也はそれが出来なかった。相手が強かったからである。初日に2試合勝ったチームは二日目は上位決定戦、二試合勝てなかったチームは下位リーグ、二日目、我がチームは下位リーグだった。要するに初日強敵と当たったときは、俊也の「一人ボール持って行き」作戦は成功しなかったのだ、二日目は俊也の「一人ボール持って行き」が通用する相手だった、ということである。私がこんなシニックな見方をすると、自分の息子より目立つのがいたからだろう、春希の父親はからかいがてに笑ったが。私は俊也をどうこう言いたいわけではない、俊也はまだ子供だ、彼がどうなるかもこれからだ、わがままな剣ちゃん(植中FW)が変わったのと同じことが、俊也にも起きるということだ。1年後、3年後、5年後、10年後の俊也を見てご覧、見たいと思わないかい。1年後の俊也がどうなったか、そのお話はもう少し後で、ちゃんと教えますよ。
大会2日目、下位リーグ。この試合の前半、コーチは「今回のフォワードは大洋」と言った、「中盤は、春希が真ん中で、直輝、俊也」。「えっ、フォワード大洋だけ?」子供たちから声が上がった。「そうだ、大洋一人だ」。大洋は言われた通りのフォワードのポジションにいたが、中盤の俊也がボールを取れば、もう出る幕はない。フォワードの大洋にボールが上がってくることはなく、結局ほとんど出番がないまま終わった。後半、コーチは少し配置を変えた、「フォワード大洋と俊也」、春希は同じく中盤真ん中、その隣が直輝だった。前半俊也は大洋にボールを渡すことなく、フォワード役をやっていたから、コーチもやっぱり俊也をフォワードに戻したか、最初私は単純にそう思った。が、違っていた。開始間もなく、コーチは春希の隣にいた直輝を外し、控えでいた晃樹を出した。それがこの試合の展開となった、春希がカット、それを隣にいる俊也が持って行く。いや、春希に頼ることなく、俊也は自分でボールをカットした、それを自分でゴールに運んだ。つまり、俊也にはポジションがないのだ、前半、中盤と言われておきながら、フォワードの大洋にボールを上げないーー「フォワードの大洋にどんどんボールを集めろ」昨日の試合でコーチは指示を出していた、フォワードの大洋に一つもボールが行かないというのは、応援の子供たちが言っていたように、やはり俊也はコーチの言うことを聞かないのだ。後半、フォワードと言われているのに、中盤まで来て、自分でボールをカットしている。俊也にはポジションがない、ボールのあるところがポジションなのだ、だから、味方のボールまで奪い取ってしまう。一人でカットし、一人でゴールに運ぶ、これはサッカーではないのである。フィールドがこの2倍、4倍になった場合、俊也のやり方は通用しないのである。試合時間も12分ハーフではなく、中学では30分ハーフである。俊也はこの4倍のフィールドを、全速力で30分走り続けられるのだろうか。つまり、俊也が壁にぶつかることは目に見えているのである。壁にぶつかり、そのとき俊也は考えるだろう、今はまだ、考えることが出来ないのである。長男の中体連の決勝戦、植中対南中1−0、その表彰式でのコメント・講評は「一点を争う好ゲーム・高ゲーム」。彼らはその一点に凌ぎを削ったのである、サッカーは一点を取るのが大変なスポーツである。点がコロコロ入るようでは、一人でハットトリックを決められるようなのは、サッカーとは呼べない初歩的な段階・レベルの低いサッカーなのである。俊也は、どうにかサッカーのかたちを整えようとしているほかのメンバーの邪魔をしていた。直輝に続き、後半の途中では大洋も外された。最後は春希も外された、俊也のライバル・敵は誰もいない、彼はシュートを決めまくった。これはコーチの故意の演出なのか?
初日にもコーチは同じことをした。8人制に11人連れて来ているから、3人は控えなのだ。前半優勢で点を取った試合だった(そのとき俊也は外されていた)。その後半に俊也が入り、「大洋、春希、直輝、休み」とコーチは言った。子供たちから「えー、3人休みなの?」と声があった、「そうだ、3人休みだ、がんばってやって来い」。前半の優勢とはまるで逆の展開、本当に逆転されるんじゃないかとハラハラした。結局このチームの三本柱は直輝、春希、大洋なのだ。ハットトリックでガッツポーズをした俊也ではなかった。初日のように、強い相手と戦うとき、3人が抜けると、俊也は一人で何も出来ないのである。敵のボールをゴール前で迎撃する直輝、ボールをカットして俊也に渡す春希、ボールを運ぶ俊也をフォローする大洋、彼らがいなくて俊也はどんなことも出来なかったのである。初めの一歩を踏み出した俊也、これから先、どんな劇的変化があるか、お楽しみに。
ポジションについてどうこう言う子供たちに、四年生コーチの父親(彼は総監督とでも言うべき立場なのだろうか)は、「お前らポジションなんてないも同じだろう、最初の立ち位置だけだ」と言った、母親たちもどっと笑った。「ディフェンスやだなんて言ってるけど、試合が始まればディフェンスなんて誰もいないだろう」。ディフェンスが誰もいない、これもまた効果があった、相手はオフサイドを取られっぱなしである、「完成されたフォーメーション」と同じ効果を発揮していた、私はおかしくなって笑った。春希は、ボールタッチの多く、多彩なプレーの出来るミッドフィルダーの方が楽しいらしい。フォワードはやりたくないと言った。ディフェンスは出来上がるのに時間のかかるポジションなので、今の春希には到底。彼はまだ、サッカーを勝ち負けのあるものだとは思っていない、ボールに触れるのが楽しい、試合に出られて楽しい、勝ち負けは二の次、そんなところが彼の余裕のよっちゃんスタイルになっているのだろう。そのうち本格的になってくれば、彼も勝つことの喜びや負けることの悔しさを知るだろう。
私は、こうして長男のチームと次男のチームを比べるわけである。雅也(植中DF・センターバック)にとって、自分のポジションは狭いのだ、力余りなのだ。一方の晃太(植中DF・サイドバック)にとっては、自分のポジションは広いのだ。春希の父親が言った、おれは晃太に言ったことがあるんだ、相手のすぐ側でマークしろ、1メートル以内にいて離れるな、そして相手の前に出て先にボールをカットするんだ、って。晃太はそれ以上離れていると間に合わないんだよ。雅也は、私の視界の外から飛び込んで来て、晃太の抜かれる寸前でボールをカットする。晃太はチームのみんなに迷惑かけられない、そんな思いでいるから自然120の力を出す。雅也は晃太をカバーすることで、広いポジションを得る・自分のフィールドを広げることが出来る、力余りにならずに済む、こうして雅也もまた120の力を出し切ることが出来る。120+120=240の力が生まれるのである、200を下回った次男のチームの逆である。とすると、雅也と晃太はいいコンビ、互いを生かす関係にある。長男のチームは、強い者ばかりを集めた次男のチームより、バランスがいい、全体としてバランスが取れているのである。次男のチームは強い者と強い者が組み、力の相殺しがされている、強い者同士が組むことがよいとは限らないのである。自分が思い切りプレーしようとすれば、チームメイトとぶつかっちゃう、これではチームの連携が取れない、中田(英寿)君(日本を代表するプロサッカー選手でしたが)にとって、フィールドは色々な意味で狭いもの・窮屈なものになったんでしょうね。
(2020年追記)人材不足だった長男たちのチームと対照的、次男のチームは、狭いフィールドに才能が溢れている。日本のプロサッカーも、才能・優秀な人材が溢れている、そんな成熟期を迎えようとしていた、次男たちのチームはそんな日本サッカーの未来を予感させた。日曜日毎の少年サッカーグランドの賑わいも、来たる(次男たち小5の)2010年W杯の盛り上がりに重なった。子供たちの姿を見ていると、世の中で次に何が起こるのか、その未来を予言できるような気がする。