2008年夏の物語
息子たちが活躍した2008年夏、あれから12年、タイムカプセルを掘り出してみた。息子たちの躍動の姿と、彼らを見る私・母親の眼差し、これは私が彼らの母親だったことの証の物語。
登場人物 2008年植中サッカー部員
駿祐・・・3年生、GK
舜一郎・・・2年生、GK
雅也・・・3年生、DF・チームの要センターバック
晃太・・・3年生、DF・右サイドバック
秀俊・・・3年生、DF・センターバック
輝典・・・3年生、DF・左サイドバック
剣人・・・3年生、FW
修・・・2年生、FW
貫太・・・3年生、MF
慎也・・・3年生、MF
大記・・・2年生、MF
翔・・・2年生、MF
和也・・・3年生
翼・・・3年生
良磨・・・3年生
窮地に駆けつける救世主、華麗なるディフェンダー雅也
中体連市大会決勝戦、相手チームはフォワードにボールが通った。晃太必死に寄って行くが間に合わない、二人の体は並んでいるが、ディフェンスの晃太より相手チームのフォワードの方が足が速い、晃太抜かれる、晃太を抜いたら相手はシュートを放つ、そんな絶体絶命、目を覆いたくなる場面に、雅也が滑り込み・スライディングでボールをカット、どこからともなく現れる救世主雅也。
準決勝の対北中戦では、雅也レッドカードで退場か、なんて場面もあった。「雅也落ち着け、雅也落ち着け」応援席の母親たちも叫んでいた。雅也が相手に握手の手を差し出し、どうにか収まった。この次はレッドカードだぞ、警告を受けた。ディフェンスの要である雅也が抜けたらどうなるの、ひやりとさせられる。ディフェンスなのに華々しいのが雅也なんだよね。時にボールを持って中央突破、一気に上がる、また、ゴール前では、コナーキックで上がったボールをヘディングでゴールに押し込む、そんなプレーをするのが雅也だ。窮地に駆けつける救世主、華麗なるディフェンダー雅也。
俊足ゴールキーパー駿祐
決勝戦の対南中戦、あの展開で「無失点」とは、キーパーの駿祐は大活躍でした。駿母も、今まで上手だと思ったことなかったけど、今日は初めてすごいと思った、と涙ぐんでました。実を言うと私も、駿はキーパーに向かないんじゃないか、って思ってた。俊足で陸上部からも引っぱりを受けていたのを蹴って、サッカー部、一年の時はかけもちしてたんだよ、ご立派。キーパーって獲得が難しい、小学校では誰もやりたがらなくて、その誰もやらない役を引き受けたのが彼、って感じ。中学でもやっぱりキーパーっていないから、経験者ってことで駿君。その俊足を生かしてフォワードとかの方がいいんじゃないか、足がもったいない、なんて思ったけど。ごくたまに練習試合なんかで、駿がフィールドを走ると、「速いよ、速いよ。あの10番速いよ」と、相手チームには警報音が鳴ったとか。だけど、あの決勝戦は、駿が「キーパー続けててよかった」って思った瞬間だったんじゃないかな。
魂のディフェンダー秀俊
準決勝での一失点はディフェンスの秀俊、トラップしたとこに相手が来て、ボールを持って行かれた。必死で追うが、「遅いよ。足が遅いんだよ」応援席で秀俊母は叫んだ。だけど、足が遅いのは直らない。私の頭を、去年の三年生(先輩たち)の中体連の試合が思い出され、嫌な予感がよぎった。あの時は、ディフェンス中央を守る選手の頭上を高いボールが飛び越え、それをゴールに入れられた。その同じパターンが二回続き、2―0で負けたのだった。準決勝戦の後、私は、息子の輝典に耳打ちした、秀俊君の足の遅いのは直らないよ。決勝戦の相手はもっと強敵だ。そこが弱いと知れば相手はパターン的に攻めて来るかもしれない、そうなるようなら「お前は自分の役を考えろ」。雅也が晃太のカバーに入るように、弱い部分を攻めさせない、雅也に晃太への心配りがあるように。要するに、同じパターンで点を取られることだけはするな、ってことだよ。
決勝戦が始まり、私は自分の心配が杞憂・あらぬ心配であったことを知らされた。秀俊は抜かれなかった。走り込み、相手の運ぶボール一点に集中、そのボールに自分の足が届くことだけを思って、スライディング、カット。彼の足は手応えを持ってボールを捕えた.スライディングでも何でもして止める、って気迫が感じられる。彼のそんなプレーは足の遅さって欠点をカバーしてるんだ。彼が、足が遅いって自分の欠点を補うために自分で編み出した、自分のスタイルなんだ。自分のために、自分で編み出した、自分のスタイル、彼のヒーロー芸なんだよ。そう考えると、足が遅いというのは欠点なのか、いや、それは最早欠点ではない、その欠点のおかげで・それがあったから、彼は「自分流」・自分のプレースタイルというものを確立させたのだ、負がプラスに転じているのだ。「負」という日本語は「マイナス」とは違うニュアンスを含んだ・含蓄のある言葉だ。
「負」の特効
駿祐においても秀俊と同じことが言えるんじゃないかな。私は前に、Bチーム(下級生チーム)の試合を見た。舜一郎という新入部員・一年生部員がキーパーをつとめていた。小柄な彼は、脚を開き、腕を広げて、ゴールの前に立っていた。彼は随分どっしりと見えた、彼の身体は小さいはずなのに、彼がゴール前に立つと(立ちふさがるという感じだ)、ゴールゾーンが狭く見えた、舜一郎はキーパーとしての存在感があった、これがキーパースタイルか、私は思った。舜一郎は相手フォワードの足下でボールを抱え込んだ。しっかりとしたプレー、なかなか上手だな、と思った。駿はそうじゃないんだよね、駿のゴール前の構えはちょっと腰が高い、舜一郎の低い構えに対して、体勢が高いのだ。駿のすらっとした体格が余計にそう見せるのか、キーパーとしてはちょっと立ちんぼに見える。私が駿はキーパーに向かないんじゃないか、と思ったわけです。多分そうだよね、駿にはキーパーよりもっといいポジションがあった。自分の俊足・長所を生かせるような。自分の華々しさをアピールできるような、だけど駿はそんな舞台をあきらめ、チームのためにキーパー。キーパーってポジションは彼にとって自分の身体に合わないというか、「負」なんですよ。本来彼の身体能力はキーパー以外でもっと楽に発揮できるものだったんです。だけど、決勝戦・対南中戦で私は見ました。駿の体勢の高い構え、あれは彼のスタイルだったんです。体勢を低くとらないことによって、彼はとっさの飛び出しが早く出来る、彼の瞬発力や反射神経が生かされるわけです。彼はきわどいボールをゴールポスト上に弾き飛ばした。至近距離からのシュートを横っ飛びのダイビングでがっちりキャッチ。彼だから出来るんですよ、彼の瞬発力と反射神経、そして高めの構え。あの試合で、彼は地面に這いつくばって、ボールを抱え込んでいました。それは今までの彼が得意じゃなかったことです、だけど、まぐれじゃありません、彼はその日何度もフォワードの足下でボールをキャッチした。フォワードの足下に突っ込んでボールを抱え込む、駿捨て身だね。秀俊と駿は同じなんだ、「負」という要因を転じた。負がゼロになるんじゃなくて、負はプラスになるんだ、負はプラスをつくる元である、彼らの原動力はそこにある。負という要因を転じて、自分流・自分のプレースタイルを確立する、そこに誰にも真似の出来ないヒーロー芸が生まれるのだ。私が駿がこんなに完成しているのを知らなかったのも、駿母が「今まで上手だと思ったことなかったけど」と言ったのも、当たり前、駿というゴールキーパーが完成した・誕生したのは正にその日だった、私たちはその目撃者だった、誰もがその出来事に感動したわけだ。秀俊は必死だ、必死に走らなければ間に合わない、中学サッカー三年間の集大成とも言える舞台で駿も必死だ、そんな彼らの必死、捨て身とでも言うものが、彼らの秘められた能力を開花させたのだ。自分に与えられたもの・身体能力の120%を引き出しているのが秀俊だ、100を90出すのじゃなくて、100しかないものを120出している、そんなことが可能なのだ、負がプラスに転じたときの特効である。
完成・誕生
駿というゴールキーパーが完成した・誕生した、とはどういう意味かと言えば、今まで皆、レギュラーとしてポジションをもらっていたが、それらは彼らに仮に与えられているものだった。もっと上手い者が来れば、奪われる恐れのあるものだった。あの決勝戦で、「あっちはキーパーが上手だからいいよな」後ろの席で見ていた他校の生徒たちが言っていたとか。駿は誰もが認める正真正銘のキーパーになったのだ。そのポジションを自分のもの・確固たるものとして獲得した。秀俊についても同じだ、自分の役目・ポジションは誰にも渡さない(おれの役目はおれが果たす)、死守する、そういう彼は、植中サッカー部のディフェンダーなんだ、こうして彼はその地位を我がものにした。おれは植中サッカー部のキーパーだ、おれは植中サッカー部のディフェンダーだ、彼ら(のヒーロー芸・名人芸)はそんな地位を獲得した・不動のものとしたのだ。私は、駿はキーパーに向かないって思ったけど、キーパーは過酷だ、忍耐力がなければならない、不屈の精神力がなければならない、度胸がなければならない、穏やかで陽性な性格でなければいけない、チームのムードメーカーだから、冷静な判断力がなければならない、駿はそんな資質を備えていたのだ。彼が負を転じて得るものは、あんなキーパー見たことがない、そんなスーパーゴールキーパーなのかも。完成された彼らはますますその完成度に磨きをかけていくだろう、「完成」が終わり・到着点ではなくて、完成が「誕生・始発点」なわけである。私が「県大会」・彼らの新たな幕開けの舞台が楽しみなわけだ。表彰式では、「キーパーの佐藤君を中心とし」と駿君の名前が出された、「誕生」という瞬間に立ち会った者は誰もが感動するんですよ、駿は照れて下を向いた。
憧れのフォワードを射止めた、剣ちゃんはフェアプレー
キーパーが活躍したからって言って、うちは手負いだったわけではない、先制点を入れたのはこっちだった。その日点を入れたのは剣人じゃなかったけど、剣人も確実に自分のポジションを得ている。フォワードがやりたくてやりたくてたまらなかったポジションだものね、サッカー始めたときからそうだった。ボールを持ったら放さない、そんなスタンドプレーを非難されたこともあったけど、「剣人、ちゃんとボール回せ、パス出せ」なんて、だけどボールが好きで好きで放したくない・放せない、それが小学校の始まりの剣ちゃん。今は落ち着いた、貫禄のフォワードだよ。最初小学校でサッカーを始めるとき、コーチたちは子供たちにポジション・持ち場を与えない、子供たちがそれぞれ好きなところに散ってって、かっこよくシュートを決めたい剣ちゃんは自ずとフォワードになり、秀俊君はいつもゴール前に陣取った、外は、特にうちの輝なんかは、どこでもいいやって感じで適当に構えてる、その頃から決まってたんだね。だけど、剣ちゃんはフォワードを外された。剣ちゃんについては印象的なことがある。運動会での出来事だったけど、剣ちゃんはリレーの選手だった。背が低いってこともあって大きい子には抜かれちゃうんだよね、抜かれそうになったとき剣ちゃんは肘を出した、肘を突っ張って突っ張って相手を妨害した、到頭相手も剣ちゃんも重なって転んだ。剣ちゃんって子がどんな子か分かるでしょう。絶対に自分の前に人を出させない、その根性は表彰もの、そのくらい負けん気が強い。それがよい方に転べばいいけれど、運動会のリレーのような転び方したらどうだろう。まだ木が細いうちに、その木が伸びる好きな方向に伸ばしておいたらどうだろう。その木は地べたをはうように曲がって伸び、背の低い不格好な木になってしまうかもしれない。そのまま幹が太くなれば、木は一生そのままの姿、奇形のように曲がり、背が低い。細い木を針金で縛ってでも、根元の部分で正してやれば、幹が少し太くなったとき固定の針金を解いてやって、好きな具合に伸びて行けと言ってやる、固定を解かれた木は自由にのびのびと成長して行くか、地べたをはう奇形のような木にはならない、頭を上に上げた背の高い木になる。「うちの剣人なんか一人っ子だからわがままで」よく剣ちゃんのお母さんが言ってたけど、自分の思いが通らないと面白くないのが剣ちゃんだったかもしれない。みんなで一緒にサッカーやってても、面白くないこと・気に入らないことがあると、ぶーっとふくれっ面した。おれは面白くないぞ、って顔や態度に表わした。フォワードというポジションを得られなかったことは、彼が自分の思いが通らないくやしさを知った出来事だったかもしれない。そんなふうにして、剣ちゃんという若木が矯められたことは、剣ちゃんにとっての「負」だったかもしれない。「負」というのは「マイナス」じゃなくて、「負わなきゃならない宿命」ってことかもしれない。剣ちゃんがそれ・自分にとって望ましくない「負」を負うことで、剣ちゃんという「人」が成る・生る、以前とは違った剣ちゃんの人格が形成される・新しい人格の剣ちゃんが生まれる。その時それを負わなかったら、今の剣ちゃんはいなかった。剣ちゃんはもうぶーっとふくれたりしない、頭掻いたり、舌出したり、おどけの仕草で自分に「ドンマイ、どうってことないさ、気楽にいこう」って言ってるみたいに見える。以前のわがままな剣ちゃんはもういない、サッカーやることで剣ちゃんの「人」も成長した。背の高い木になった剣ちゃんは、周りをちゃんと見渡せる、一人でボールを持って突っ走ったりしない、チームプレイをしている。だけどね、剣ちゃんはぶーっとふくれても、フォワード外されても、「つまんねぇ、おれもうやーめた」ってフィールドの外に出て行くことはしなかったんだ。剣ちゃんを思いとどまらせる、剣ちゃんのサッカーへの愛、本当好きなんだね。そんな剣ちゃんが中学になって、フォワードに抜擢された。それまで抑圧されていた分、一気に爆発した感じー―ここでもやはり負が転じている、彼の負は爆発した力・膨大なエネルギーになっているんですよ。ある部分は非常に秀でている・発達しているが、外の部分はまるで未熟・未発達、いびつでバランスの悪い人だよね。サッカーばかりが上手くたって、外がわがままな子供では、剣ちゃんって「人」が変わったから、彼のサッカーも人に認められるようなものになった。昨年末の大会では「最優秀選手賞」に選ばれたよね。だって彼は、自分の前には誰も出させないもの、ボールを取りに来た相手を転ばせ――転ばせたらファールだから、相手は勝手に転んじゃうんだよね、剣ちゃんはフェアプレイ――自分は一緒に転んだりしない、転んだ相手の上をピョンと飛び越してボールを運ぶ、お馴染みになった、彼のヒーロー芸。古くてゴメンだけど、「キャプテン翼」の翼君なんかを思い出させちゃうんだよね。負けん気剣ちゃん気ばかり焦る、焦ってシュートが決まらない、ってのが昔だったけど、今は余裕と貫禄、無理なんじゃないかなと思う角度や体勢からのシュートもからだをひねって、上手く決める。負けん気に、確かな技が加わって、憧れのフォワードを射止めたよ。だって一番の練習熱心が彼だから。あの「最優秀選手賞」は監督・コーチが自分のチームの子にくれるものだと聞いた。監督・コーチの目にはちゃんと留まっていたんですね、剣ちゃんがプレーヤーとして完成した・フォワードとして誕生した、と。剣ちゃんの誕生を誰が気づかないうちにもいち早く気づいていた、指導者の指導者としての眼力の確かさ、そんな下で選手たちは育て行くんだね。
サンキュー、修
もひとつリレーの話だけど、小学校六年生のとき、サッカーチームのメンバーを二手に分けてリレーをやった。試合に負けた後で、そのリレーに負けた方のチームが罰ゲームで更にグランドを何周かする、そんなのだったと思う。試合でへとへとなのにリレー? 更に負ければグランド回らされる? 負けてなるかと、みんな必死に走った。第一走者は確か、一方は五年生の高桑君で、もう一方は誰だっただろう、どっちも早かったんだよね、負けず嫌いの混血児・高桑君(部活やめてクラブチーム行っちゃったね)は目一杯力を出し、あれだけ力を出せば最終コーナーはきつかったはず、が最後まで迫力ある走りでバトンを渡した、すご、ド迫力って思った、彼のスパイクが蹴る砂の音が違うわよ。そのリレーのアンカーが駿と晃太だった。チームで足が速かったのが、駿と、うちの息子輝だったと思うが、輝は第一走者もアンカーもやらない、って分かってた。第二走者という安全地帯を取った。私から見れば、どうして晃太より足の速いあんたがアンカーやらないの、晃太に振ったな、って思うよね。晃太対駿か、この戦いは、そこ・最終走者にバトンが渡った時点で、晃太アンカーのうちのチームがどれだけ稼いでいるか、どれだけ稼いで晃太にバトンを渡すかにかかっていた。稼ぎなく晃太にバトンが渡れば、駿に抜かれる、結果はもうそこで見えているのだ。晃太が抜かれるって分かっていたら、その前のやつらはもっと稼いでおかなければならなかったのだ。だから、結果がどうあれ、誰も晃太を責められない、強者相手に最後まで戦った晃太に「晃太、ご苦労様」って言ってあげたくなる。サッカーの試合もそのようだ、晃太が抜かれても、秀俊が抜かれても、輝が抜かれても――一番心配なのがお前だよ、余裕ぶっこいて優雅にフィールドに立ってるお前だよ。お前が小学校のとき一度ばあちゃんが試合見に来たことがあったな。あの時ばあちゃんは何て叫んだ、「てるー、田んぼのかかしかー」、あの田んぼの中で立ったまま動かない「かかし」ですよ――誰が抜かれても、そこで結果が見えた、とならないように、点を稼いでおかなければならない、「備えあれば憂いなし」そのための貯金ですよ。準決勝の対北中戦では、前半開始間もなく、二年生の修が得点した。「あれがあるのとないのでは後が全然違うわよ。サンキュー、修、だよね」翔母が言った。本当にそうだ、「サンキュー、修」チームの誰もが思ったよね。
パッチワーク
決勝の対南中戦、これには「リベンジ」戦・因縁の対決って側面があった。昨年の新人戦の決勝では、植中は南中に負けているのだ。私は、新人戦のときの植中の負けが必然であった(我がチームは負けるべくして負けたのだと思う)ように、中体連の植中の勝ちは必然であったように思われる。新人戦のとき、我がチームは出来上がっていなかったのだ。このチームの成り立ちを言えば、去年三年生が抜けた時点で、その三年生と共に(去年の中体連に)レギュラー出場していた二年生が、貫太、慎也、雅也だった、彼らは実力があった。うちの坊ちゃんたち(私は敢えてこんな言い方をするのだが)――秀俊、晃太、駿祐、剣人、輝典は、一年まではクラブチームにい、二年からサッカー部に入った「合流組」だった。夏の大会(中体連)が終わり三年生が引退すると、「合流組」にもポジションが回ってき、そこに選ばれた(特に優秀な)一年生が加わって出来たのが現在のチーム。優秀だったのは一年生、「市で一、二に実力のある一年生が入って来たんですって」彼らは入部当初から期待の存在であった。それに対する「合流組」は、ぱっとしない存在であったろう。それが新人戦であった。うちのチームはまるでパッチワーク(端布を縫い合わせて作る手芸)だったのだ、真ん中に配置されたのはゴールドの布(貫太、といううちのエース)、その回りは目立つ色と目立たない色の布を交互に配置、それら端切れを針で縫い合わせて一枚の布模様とする。目立つ色は優秀な一年生、目立たない色は「合流組」の二年生、目立たない色の部分は穴開きなのだ。秀俊は「ポロリ」ボールを取り落とす、晃太は「コロッコロ」あっさり抜かれる、輝は横にいる優秀な一年生に「チョロ」パスを出す。剣人も芳しくない、駿も上手いとは言えない。輝、パスって言うのは、相手が取り易いのを出さなくちゃ、取りやすい場所に取りやすいタイミングを見計らって、出さないとだめだよ。お前のパスを受けるのが翔君(優秀な一年生)だからいいけど、外の人だったら外してるよ。「おれ、今日は抜かれなかっただろう。抜かれたのは晃太だよ」、晃太に振るな、って。晃太の負けはおれが挽回する、それが美しい友情というものだろう。晃太が抜かれたんだから、おれが抜かれても大丈夫、なんて気でいるようではだめなんだよ。抜かれないのがディフェンスの役じゃないよ。次につながるパスを出す、そこまで出来て自分の役を果たしたって言うんだよ。お前は翔君に頼り過ぎ、翔君にチョロパス出せばいいよな、ちゃんと翔君がつないでくれるから、だけどそれじゃお前の役はないんだよ。母は見ていて、翔君すみません、って気になるよ。翔君は先輩に向かって、ちゃんとしたパス出して下さいよ、とか言えないもん、どんなパスが来てもさばくしかない。そうなのよ、それが翔君、どんなボールが来ても上手くさばく、翔君のところで、ボールが生き返る・復活する、そんな中継地点、反撃への折り返しスポットを守るのが翔君――エース貫太(怪我で欠場)の抜けた中体連での彼のポジションはそれだった、中央のゴールド貫太のポジション・トップ下に主将の慎也が入り、その後方・ボランチが翔、ディフェンスから上がるどんなボールも翔は中継した、頼もしい存在なの。
スター性と言えば大記/「負」のない息子
だけど実力ナンバーワンと花形・スター性は別なんだよね。スター性と言えば大記だろう。大記のシュートシーンには、大記、かっこいいー、最高、女の子たちがいたとしたら、そんな黄色い声が飛んじゃう、そんなのが大記だろう、大記はマスクもジャニーズジュニア。応援に来ていた大記のおばあちゃんも、私も年甲斐もなく声を張り上げちゃいました、と言ってた。二年生の大記は、この大会(中体連)が始まってから、準々決勝、準決勝、決勝と、フル出場している、準々決勝でも点を入れ、快進撃だ。ボールを追いかけるファイトは大記が一番。小さい身体を目一杯開いて、走るときの脚の開きを見てよ、ジャンプするときの腕の開きを見てよ、小学校の頃からそうだった。私はいつも輝に言ってた、大記君を見なさよ。身体小さいから、あんなに脚伸ばして、つま先ででもボールに触ろうとしてるでしょう。大記のつま先は伸びるんですよ。そうなんだよね、みんな自分の「負」が転じている、「負」という活力剤を持っている。大記はすばしっこいのか、右に行ったと思ったら、今度は左、ボールの動きの合わせて身体もポンポンクルックル、前に走ってたと思ったら、急旋回・急ターンで後ろに走る。大記はこれから大きくなるんじゃないかな、選手としても身長も。「うちの翔は、おれはもうお終いだ、もうこれ以上背が伸びない、って言ってるのよ」翔母が言ってた。翔は声変わりも早かったって言うし、大記がこれからなのとは違うかな。部の重たいテントを運ぶとき、おれこれ持ちたくねー、これ持ったら背が縮みそうだ、と翔は言った。翔の憂い。だから、うちの輝はなんなんだ、って言いたい。背はサッカー部で一、二に高い、走るのだって「輝くん走るの早いんだね〜、この間の試合見てびっくりした。あんなに早いって分からなかったよ」と後輩の母親に言われた。褒め言葉だったんだけど、私には、普段なかなかスイッチの入らない息子であるので、スイッチの入った息子の姿は人が驚くほど稀にしか見られないものだったのだろう、後輩の母親が「分からなかった」のも当然、などと思われた次第。外から見たら羨ましいと思うものを持ってるんだよ、なのに、全くそれを生かしていない、要するに恵まれてるんだよね、「負」がないんだから。それが彼の「負」けなのよ。お前の負けは、もう見えてるんだよ、今のままだと絶対負け、私はいつも言う。ウサギとカメのウサギさんみたいにのんびり昼寝していて、最後に来てみんなに抜かれちゃう。サッカーだけでなく、勉強もそのよう、だから母はそれでは息子がかわいそう、と思い、高い金出して塾に行かせたのに、あの塾では成績が伸びない、塾のテキストが古い、終いにあの塾行っておれは成績下がった、全く何なのでしょう。彼は自分に責任を持つということがないのでしょう、自分に荷(重荷・負担・労苦)を課さないタイプなんです、無責任な逃げ、それはサッカーにも見え隠れしますよ。
ベスト・イレブン
南中との決勝戦、この試合のポイントは翔絡みの大記だな、さっきもそのパターンで点が入ってる、翔君のスポ少時代のコーチだろうか、翔母と話をしていた。そう言えば準々決勝のときも、そんなようなパターンで、右サイドの大記にボールが渡り、大記のミドルシュートで得点だった。大記をかっこよく見せる裏方さん・仕掛人が翔か。仲間を生かす、ボールを生かす、それが翔君のスタイルだね。私には、翔君はうちの息子の守り神・守護者、うちの息子のミスが目立たなくなるようフォローするのが翔君、そんなふうに見えてました――それが新人戦の頃でした。それから一年経って、うちの息子の何が変わったかって、「ビミョー(微妙)」なんだよね。このまま息子を責めきっちゃうのも何なので、切り替えます。実力、スター性共に兼ね備えた、うちのエース・花形選手が、真ん中のゴールドの布で例えられた貫太です。県の優秀な選手に選ばれて、フランスまで遠征したのよ。だけど、中体連市大会、この大会に貫太は出てない、じん帯損傷の怪我で出られなかったんだよね。どうしても出たくて監督に直訴したのか――「貫太が出たいって、コーチに頼むつもりでいるみたいなの」母は心配げ、貫太は決勝戦の後半残り何分間か出たけれど、出番という出番・見せ場はなかった。上位二チームが県大会に出場出来る、だから、準決勝が終わったときには、胸をなで下ろす思い、私だけだろうか。貫太が出られない、貫太にとってもどの三年生にとっても中体連は中学三年間の集大成の舞台だ、そこに貫太が出られない、そんなかたちで終わらせたくない(のは貫太本人だけではない)、チームのみんなは貫太が出られるようになるまで(県大会まで)勝ち進まなくちゃならなかったよね。貫太なしで優勝、昨年の新人戦では貫太があれだけがんばったのに敗退、象徴的ですね。サッカーがチーム・プレーであることを分からせるような出来事です。だから、ベスト・イレブンは「最も優秀な十一人」ではなくて、やっぱり「最も優秀なサッカーチーム」なんです。最も優秀な十一人に貫太が入ってないってのはおかしいし、同じ十一人がフルで出ていたわけでもない。うちの輝は決勝戦後半開始間もなく足を痛め、交代。和也と二年生が出た。和也は近頃の試合では毎回出番がある、「準レギュラー」ですね。和也は中学からサッカーを始めた、小学校のときはご商売やってる父母が忙しいためだろうやらせてもらえなかった、彼はよく妹の面倒みてましたよ、うちに遊びに来るときもちゃんと妹連れて来た。中学になっても試合の度学校まで送り迎えのうちの坊ちゃんと違って、和也君はちゃんと自分で歩いて来る、朝寝坊して集合時間に遅れそうなときなんか、校門入らないで、鞄下げてフェンス乗り越えて直接グランドを突っ切って来た。和也君見なさいよ、やわなあんたと違うのよ、だからサッカーだって上手くなるのよ、そのうちポジション取られるよ、息子に言った。周りより出遅れてるってのが和也の「負」だったけど、「和也君当たり強いよね、負けないよね」と言われるくらい、そんなファイトが技術面をカバーしていた。フィールドに出ているときの和也君は、普段よりずっと早く走ってる、って見える。やる気のない者はだめね、とまた私は息子に言いたくなる。私は時々、うちの息子はなんでサッカーやってるんだろう、と思う。晃太(親友)がやってるからか? 和也の外に、三年生には翼と良磨がいる。翼は余り出番がないが、たまに練習試合なんかで彼のやっている姿を見かけることがあったが、それほど悪くない、それなりにしっかりしたプレーをすると思った、足が遅いので出してもらえないのだろう。「部活終わった後に背が伸びた。もっと早く伸びてたらよかったのに」と翼母が言ってたが、小学5、6年から中3の時期、変声期(成長期)の早い子も遅い子もいるんだよね。変声期を迎えた子と迎えない子の筋力って全く違うんだよね、変声期を迎えた子たちは脚の速さも違ってくる。良磨について言えば、彼は完走したマラソン・ランナー、三年間という長い道のりでは途中でリタイアしちゃう者だって出て来るのだから。レギュラーになって試合に出るだけがベスト・イレブンのメンバーの役じゃない、翼や良磨がいることで、ここがレギュラーの座を争い蹴落とし合いをする場所ではない、仲間の栄光を称えられる場である、共に分かち合う場である、ということが証されるのだ、彼らはそんな大切な存在だ。だから、道具運びや水汲みをしてくれる一年生も含め、ベスト・イレブンとは「われわれ植中サッカー部」なのだ。
パッチワーク(端布手芸)は別の例えで言えば、あちこちから手や足などの身体の部位、内蔵などの臓器を集めて来て造った「人造人間」――元気のいい心臓に、機能障害を起こした肝臓、働きのない腎臓、をくっつける、胴体に手足を縫い付ける、そんなふうにして造られた「人体」のようだ。「人体」のかたちは整えられても、「人体」としての働きをしていない、機能障害を起こしている、そんな感じだった。チームを人に例えるなら、自分の手足を上手く動かせない人、障害のある人のようだった。それが新人戦の我がチームの姿。一年が経ち、細胞と細胞がくっつき出した、糸なしにも・抜糸しても、皮がつながり、肉もくっついている、自分の身体を自分でなんとか動かすことが出来る、そんなふうになってきたのだ。チームという一つの身体、選手各人はその身体の部位、皆で集まって一つの身体をつくっている・形成している、彼らは一人の人のからだのように機能する。片方の足が右に行こうとするのに、もう片方の足は反対の左に行こうとする、そんなことのないなのが一人の人のからだである。チームはそんな方向に動き出したのだ。閉会式で頂いた講評――「キーパーの佐藤君を中心として・・・」は、我がチームのチームワークのよさを称えるものだったのだろう、と思う。対する南中への講評は「完成されたフォーメーション」。
ドリームチーム
うちの息子たちが小三で初めてスポ少に入ったときのおじいちゃんコーチが言っていた、「南米のサッカーはファンタスティックなんだよな。プレーヤー一人一人の個人技が冴えるんだ」って。対するヨーロッパのサッカーはフォーメーションだという、ロングパスを効率よくつないでいく、日本のサッカーもその傾向にある、そうだ。植田中対南中この決勝戦は、そんな対照的なチームの戦いだったんじゃないか。うちのチームの選手たちは、皆それぞれにヒーロー芸を持っている。慎也のユニーク(独特)で、器用なボール転がし、フェイントが上手いの、それは大道芸師がお手玉を操るよう。彼は足でお手玉が出来るんじゃないか。また、小学校ではキーパーをやってたってことで、その脚力を生かした弾丸ミドルシュート、これも決まるんだよね。ありがたい一点を入れてくれる存在よ。たとえ入らなくても、あのシュートが放たれると思うだけで相手は冷や汗もの・警戒するでしょう。一人一人のプレーに個性が出てるのよ。ディフェンスの雅也がボールを持って上がってもいいし、同じくディフェンスの輝がサイドをオーバーラップ(と言うそう)、ディフェンスだから守りに徹せ、ってのもない。シュートを決めるのもフォワードばかりに任せておかない、右サイドの大記であり、中央の慎也であり、ミドルやロングのシュートがよく決まる。彼らには自分たちの定位置・ポジション(そこでまぶってろ)というのがないのだ。何でもありなのだ。だけど約束事はある。いつだったか、ディフェンスの秀俊が中央から上がって行ったことがあった、普段の彼がしない珍しいプレーだったので私は目を奪われたが、私は家に帰ってから輝に言った、秀俊君がボール持って上がったときあったよね、あのとき、秀俊君のポジションが留守になった、誰もその穴に入ってなかったよ、返り討ちされたら大変だぞ。コーチにも言われたよ、と息子。攻めのサッカーなのだ。ディフェンスがボール持って上がってもいい、だけど、その留守は誰かが守れよ・穴埋めしろよ、穴が空いたら埋める、ただそれだけ(の約束事)、シンプルなのだ。そう言えばコーチはいつも試合中、選手たちに「シンプルに行け、シンプルでいいぞ」と声をかけている。対する南中の「完成されたフォーメーション」、ディフェンスラインがきっちり上がっている。あれだけラインが上がっていると、うちとしてはなかなかチャンスが回って来ない、オフサイド取られっぱなし。だけどチャンスはちゃんと来るんだよね、どんなにディフェンスがまぶってても、必ず風穴が開く。「少ないチャンスを確実にものにした」翔母は言った。彼ら(南中のディフェンス)にふさわしい言葉は、守るよりも、「まぶる」、彼らはそのラインを崩さないよう、いつも定位置に構えていた。守るってのは何か、もっと積極的なメージがあるよね、例えば、ボールを運ぶ相手の足下を狙いスライディングする秀俊のプレーのような。晃太が肩ぶつけて相手とボールを競ってるとき、それも「守る」にふさわしい。攻められているのを「守る」果敢さ、南中のディフェンダーには「攻められてる」って切迫感がないんだ。彼らは「まぶってる」でしょ。はっきり言って、見てて面白くない、スリルも何にもない。家へ帰ってから私は輝に聞いた、うちのチームの方が一人一人の技量が上なんじゃないの? いや、違うよ。相手もかなり上手いよ。うちはかなり押されてただろう。やっぱりそう、彼らは技量を持っているのだ、ただその技量を発揮する場が与えられなかったのだ。「完成されたフォーメーション」その枠組みの中で、彼らは身動きが取れなくなっていた。「完成されたフォーメーション」はディフェンダーたちを、呪縛のように、定位置に縛り付けていた。外のプレイヤーたちも、狭められたフィールドの中で、縦横無尽に走り回ることが出来なかったのだ。表彰式の彼らの表情は冴えなかった、おれたちどんなミスもしてないのに、いつも通りにやったのに、なんで負けたんだ、それはちょっと狐につままれたような思いだったかもしれない。自分たちの身体能力を極限まで出し切ったうちと違って、彼らは不完全燃焼(後味の悪い負け)、だったのだ。「完成されたフォーメーション」は攻めに対して、「守り」のサッカーだったのだ。うちの選手たちはラッキーだ、何故このチームで選手の個人技が冴えるのか・彼らのヒーロー芸が飛び出すのか、彼らはそんな場を与えられているからである。うちのコーチは、自分のサッカースタイルとか、サッカー理念とか、そういったものを選手に押し付けないのだ。おれの色でなく、お前たちの色を出せ、お前たちのやり易いやり方で行け、お前たちのスタイルをお前たちで見つけていけ・探せ、そんなふうなのだ。去年の(先輩たちの)チームと今年のチームでは、そのスタイルが違っている。今年のチームは皆小学校からサッカーを続けて来た者たちばかり、経験者集団だったが、去年のチームはそうでなかったらしい・初心者が多かったらしい。去年の三年生のお母さんたちが言っていた、「最初は本当にどうなっちゃうのかと思ったわよ、これでサッカー出来るの、みたいに。だけどここに来て(最後は)どうにか様になった・かたちになったわね」と。先輩たちのチームは細々した技は一切なし、大ぶりのパスを出してダイレクトにつないでいく、そんなかたちだった、サッカー歴の浅い彼らにはそっちの方が向いていたのだろう、それが彼らの選んだスタイルだったのだ。注目すべきはお母さんたちの言葉、「ここに来て(最後は)どうにか様になった・かたちになった」、それなんですよ、今年のチームも「ここに来てかたちになった」同じようなんです、ここに来て彼ら自身の姿が現れ出た。コーチは目先の勝ちを見ていなかったんですね、最後のかたち・選手たち自身が見つけ出し作り上げていくかたち、を辛抱強く待っていたわけです。それがドリーム・チームを生む秘訣だったんです。そうです、ドリーム・チームですよ。
「ドリームチーム」誕生秘話
サッカー・チームには人格がないでしょう、その人格のないものにチームの選手の一人一人が個性を与えている、サッカー・チームはまるで人格・個性のある「人」のようだ。チームに血が通っている、人の身体に血が通うと同じように、そんな生命の息吹・生命の躍動が感じられる、ドリーム・チームはそうして産声を上げたのだ。ねえ、このチームが生まれる過程、胎の中で(そう誰にもその姿を知られずに)形造られていく様子を、見てみたいと思わないかい。まずはパッチワークだったんだ。目立つ色の端布と、目立たない色の端布があって、目立つ色は後輩たちだった、目立たない色は先輩たち(「合流組」)だった。後輩に負けていちゃ、先輩の面子が立たない、そうして先輩たちはがんばった、先輩としての意地を見せたんだね。目立たない色は段々と色づき始め、そのカラーが目立つようになった。彼らは自分の持ち味を出し始めた。先輩の彼らが後輩の彼らに追いつくには、先輩たちは我武者らにならなければならなかった。後輩は優秀だったんだね、優秀な後輩たちは、どこか優雅だった、シュートも弧を描くようなのを「スポン」とか「ストン」とか楽に決めた。後輩の持っていた技術面の上手さという「+」が、先輩の技術面の不得手という「−」を食べた・浸食した、上手い者とやっているうち下手な者も上手くなる、レベルの高い中に身を置くことで自分たちも向上した、ってことです。だけどね、ただそこにどっぷり浸かっていればいいわけではなかった、先輩たちは必死で追いつこうとしたんですよ、そこで先輩たちの下手(−)は上手(+)になった。先輩たちは優雅な後輩たちに言った、上品すぎるぞ、もっとがっつけよ――「言った」ではなく自分たちのそんな姿を「見せた」・身を以て教えたんですね。近頃ではフォワードの伊藤君などボールを追いますものね。優秀な後輩たちには、ボールに対する欲・食らいつきがなかったんです。食らいつきを持っていたのは、後輩の後を追う先輩たちだったのです。技術面で劣っているというのは先輩たちの「負」の要因のはずでしたが、「負」はパワーの源、彼らの食らいつき精神(という「+」要因)を生んだのでした。両者は互いに互いを浸食し合った・互いの「−」を食べ合った。「−」が消え、「+」の二重構造――後輩が持っていた「+」(技術面の得手)に先輩に芽生えた「+」(食らいつき精神)が重なった「+」の二重構造が出来た。器に外張り・コーティングが施してある、そんな二重構造です、その器は壊れにくい、彼らがピンチに強いわけです。ピンチに強ければ、それを恐れず、果敢な攻めが展開出来ます。穴が空いたら埋める、相手の穴にはすかさず入る、うちのチームにもちゃんとフォーメーションがあるんじゃないか、流動的・流れるような美しいフォーメーション、そんなのが完成されつつあるんじゃないか。フォーメーションの「完全性」を褒められた相手チームであったが、その「完全性」(完全に近いかたち)を打ち破った我がチームは、「完全性のある」チーム・より完全に近い存在なんじゃないか。こんなことが分かるんじゃないか、完全を模すのが「完全性」ではない、「不完全な者」たちの集まりが「完全性」を生むのである。誰かに欠けているものを、ほかの誰かが持っている、一方に欠けているものを、他方が持っている、全体で見ればバランスが取れ、「完全性がある」のである。人は一人では「完全」とは言えないのだ。私たちは誰も一人では何も出来ない不完全な者である、だが、その不完全な者たちが集結・結束したときに、「完全」に近いかたち・「完全性」を得ることが出来る。独裁政治(一人の強者の支配)は不完全なもの・過ちに陥りやすいものである、が、民主主義(不完全な者たちが多数集まったかたち)は過ちを回避出来る・偏った見方に陥る危険を避けるという面で独裁政治より「完全性」があるのである。また、こんなたとえ話をしてみよう、ジグゾーパズル、フィールドをパズル版として、十一の違った形のピースがある、色も形も大きさもそれぞれである、その十一ピースが全部はまった・板に着いたとき(十一人全員がはまり役を演じる・自分のポジションが板に着いたとき)、フィールドには穴がないのである、「完全」なのである。一方、これが「完全性」のあるかたちです、とその「完全性のある」同じかたちのものを何枚も集めて来る、例えば○なんかを持って来られたとしよう、これで円く収まりますよ、嘘言え、でしょう。○を十一枚持って来られたって、四角いパズル板は埋まらない、フィールドに穴が空いてるんですよ。それでは四角いのを(正方形はいかがでしょう、律儀で安心感・安定感のあるスクエアは翔君か)十一枚持って来ましょうか、この十一枚ってのが曲者だな。九枚や十二枚ってのなら何とかなるって気もするが。ハート形はどうですか(熱いハートの秀俊君か)、それともスターでやってみますか(大記ばっかりでも困るな)、花形はどうでしょう(貫太ばっかりもな)、六角形・蜂の巣形ってのが最も隙間がない形だと聞きましたが、どれもだめだ、一枚一枚違った形のを持って来い、それが一番だ。ね、個性ってのがどんなに大事か分かるでしょう。自分も生き(生きと輝き)、他人も生かすのが個性、その個性が殺されていてはチームとしてだめなんですよ。いくら「完全性のあるかたち・完成されたフォーメーション」なんて取ってても。彼らはシステマチックだ、組織に人間が取り込まれている現代社会の縮図のようでもある。そんな中で彼らは疲労困憊・消耗させられる(消耗品のようにこき使われているんじゃないですか、会社なんかで)、彼らの憂いである。私は敢えて、うちのチームを一人の人のからだ、とたとえ、その対極にあるものを「システム社会(組織化された集団)」とたとえた。チームが一人の人のからだであり、そのメンバーがからだの部位・パーツだと言うことは、からだの一部が痛めば彼らという存在自体が痛い、からだの外の箇所も共にうめくわけです、痛みのある部分を労るわけです。システム社会は、痛む箇所を切り捨てます、企業の不祥事発覚、一人の人に責任を押し付けて(彼は一人責任を取らされ、辞職します)、それで、我が社の病巣のある部分を切り捨てました、以後ご安心あれ、我が社はクリーンでございます、ってなわけ。だけどそんなことするようでは、癌は外の部分にも転移しているよ、それが腐ったシステム社会である。個々人は腐っていない・腐りたくないのです、が、そのシステムが腐っているので、その中にいる人が腐ってしまうのです。つまり、そのシステムは旧式である、高度に発達した文明社会にはそぐわないものである、そのような証明がついたのである。そのシステム自体は悪くなかった、それ(高度な発達)以前の段階では上手く機能していたものなんですよ、古くなった・新しいやり方を模索する段になったんです。
ニューウェーブ
「中田は旅に出る」そんなコマーシャルがあって、あの人今はサッカーやってないんだ。なんで彼はやめちゃったんだろうな、サッカーって彼にとって、やりたくてやりたくて仕方ないものじゃなかったのか。やめるなんてこと出来ないだろうに。だったらなんでやんないんだ、なんて思った。サッカーというスポーツはもともと頭脳プレーという側面のあるスポーツなんだけど、その頭脳の面が発達しすぎた。外国の偉い監督がチェス版の上で、チェス駒を動かしているようではスポーツと言えないんです、監督はチェス駒に意思なんか持たれちゃ困るんですよ。元来スポーツとは、身体と身体のぶつけ合い、技と技との競い合い、だったはずなんです。頭脳の面が発達しすぎて来ると、それが削がれてしまうんですね。身体と身体のぶつかり合い、技と技の競い合い、そんなスポーツのエッセンシャル(本質的)な部分を、うちのチームは思い起こさせた、要するに懐古的なんです、見るものをなんだか懐かしい気持ちにさせる、初心・原点を思い起こさせる、そんなところでしょうか。懐古的であるということと、時代遅れはちょっと違う、いや明らかに違う、懐古的、なんだか懐かしい気持ちになる、ということは、そこに物事本来の意味があった・原点がそこであった、そこへ帰りたいという人間の帰巣本能が働く、ということであって、物事の本質がそこにあるということ、つまり覆しの利かない根底の部分であり、普遍的真理とでも言うべきものである、決して廃れない・時代遅れになることのないもの、という意味である。それは古くて新しい。どんなに文明が発達しても、人の生活様式が変わろうとも、人の精神(心)は変わらない・普遍性のあるものである。ルネサンス(文芸復古)ですよ。豊かになった人たちが、人間性の追求を始めた、失われた人間性を回復させよう、今後そんな社会気運が高まってくるんじゃないでしょうか。もうその足音が聞こえてますよ。そんな新しい波・「ニューウェーブ」が息子たちのサッカーには感じられたんです。懐古的・「レトロ」とは、自分たちが古いと捨てたものが、もう一度振り返って見直してもいい、そこへ立ち返ってみることで新たなものが見えてくる、そんな意味じゃないかな。「懐」は「ふところ」、「懐」に抱く・大事に抱え込む、そんなもの。どんなにかたちが変わっても、そこにある精神は変わらない、サッカーというスポーツのかたちが変わり、システマチックになろうとも、そこにある精神は変わらない・変えることの出来ないものである。スポーツマンにとって・彼が真のスポーツマンであれば、いつもその思いが頭をもたげて来るのである。サッカーのサの字も知らない私が言うのも気が引けるが、中田君は、きっと、身体と身体のぶつけ合い、技と技との競い合い、そんなフィールドが懐かしくなっちゃったんですよ。彼は高度に発達した、その高度に発達した彼が行き着いた場所が、そこ(スポーツマン精神)だったんですよ。それがないフィールドには夢がない、彼が子供たちに夢を伝える手段としているものが、夢のないものになってしまった、そんなサッカーを子供たちに教えられない、彼がサッカーを遠退いたわけじゃないかな。高度に発達した彼にとって、システムは旧式になった・彼の意にそぐわないものとなった。器から中身が飛び出してしまったのでしょうね、高度に発達した彼を受ける受け皿がなかった、彼は行き場を失って、旅に出たんです。彼は模索しているんですよ、新しいサッカーを。中田君は、きっと君たちを羨ましく思ってますよ、流れるような美しいフォーメーションを可能にするチームワークを持っている君たちを。いい選手を集めてつくるチームは、どこかパッチワーク的だったんだね。見た目ゴールドの一枚岩に見えたのが、近づいてみたら亀裂がはいっていた、亀裂どころかゴールドの端布を縫い合わせたパッチワークだった。ゴールド一色も悪趣味だな、パッチワークは色や柄の取り合わせが勝負・それを楽しむものですよ。ゴールドの一枚岩は布のように薄っぺらで、人間模様・人間味のない貧相なものだった、人間模様というドラマチックな劇に欠けていたんですよ。息子たちの自由奔放な活躍劇を見た後では殊更に。強い手札ばかり集めて勝負しても面白くないでしょう、ランダムに配られた手札を上手に使うのが名勝負師なんじゃないですか、その辺りうちら(庶民)の監督の方が格付けある監督より心得てると思うんですが。うちのチームのコーチはほんと選手本意だな、って分かる、それがチームのカラーとして出ている。チームのカラーは個性取り合わせた七色、レインボーカラー。修正させていただきますが、プロサッカーが面白くない、と言っている・けなしているわけではないんです。最高度な技能(能力と技術)の結集、面白くないわけないんです。本来もっと面白くなるはずのものだ、と言っているんです、そこに中田君の模索があるわけです。プロサッカーと少年サッカー、両者を並べて比べること自体が間違っている、両者はそれぞれ別のジャンヌとして分けて考えられるべきもの、両者はそれぞれ違った役割を担っているのだから。と本当は私も知っています。
(2020年追記) 平成5年生まれの長男が小三でサッカー始めた頃にはまだ中田選手が活躍していた。もてはやされていましたね。あの頃のサッカーはシステム・フォーメーションのサッカーだったんです。一人一人の技や発想の面白さってのは、おじいちゃんコーチが言ったように、なかったのかもしれませんね。ヨーロッパのサッカーと比べて、南米サッカーは一人一人の個人技が冴えてファンタスティックだ、っておじいちゃんコーチは言ってたんですよね。平成11年生まれの次男の時代になるとちょっと変化が見えてきた。次男が小学5年生の時にはワールドカップに日本が沸き立ち、本田選手の人気が凄かった。本田選手のような個性の強い選手が出てきたし、長友選手のようなディフェンダーの華々しさを見せる選手も出てきた。メッシとかやっぱり見ていて爽快ですよね。個性や個人技が注目され、スーパースターやスター選手が続々出てきて、世界のサッカーは断然面白くなりましたよね。来るべきそんな未来を、2008年夏の息子(長男)たちは、予感させていた。次は、個々能力のある者たちが集団で戦ったとき、どんなパフォーマンスが出てくるか、次男たちは予感させてくれます。
私は小三の次男のサッカーの試合(大会)を見に行ったんです。長男の植田中の県大会出場が決まった後の週末で、私は楽な気持ちで見に行った。気づいた点をいくつか、一つ、天候にも恵まれ、お父さんお母さんが一緒に我が子の試合を見に来ている、おばあちゃんや親戚のおじさんまで来てる、ベビーカー押して来てる母親もいる、兄の試合を見に弟や妹が来ている、校庭の遊具場や砂場はそんな子供たちでごった返してた。これって、長男たちの頃には見られなかった風景なんだよね。ベビーカー押して、子供引き連れて来るのは、うちと高桑家くらいだった。二つ、「スポ少」(スポーツ少年団)が消えているんじゃないか、クラブチームばっかりだ、勿来地区で残ってるスポ少は「植田」くらいじゃないか。うちの長男たちを最終卒業生に「汐菊」(汐見小・菊田小合同)スポーツ少年団は消えた、「なこそSCS」(クラブチーム)とかたちを変えて、そこに吸収合併されるかたちとなった。次男はこのなこそSCSに所属している。「スポ少」というのは、いつも一緒にいる同じ学校・同じクラスの仲間で集まって、放課後、サッカーやろうよ、が本旨であった。「同じ学校」の仲間という枠があった。クラブチームは、どこの学校・どこの地区の子がどこのどのクラブチームを「選んで」入るも自由、そこでサッカーの上手な子・上手くなりたい子は、強い先輩やチームを勝たせてくれるコーチのいるチームを選び、そこで自分をレベルアップさせることも出来る、いつも負ける弱い仲間とチームを組んでちんたらやっている必要もなかった、クラブチームの利点である。中学校の部活動は「スポ少」と同じで、同じ屋根の下同士の放課後サッカーである。手札がランダムなのは「スポ少」や「部活動」である、強い手札を集めることが出来るのがクラブチームであるから、「部活動」よりクラブチームが強いのが常識である。中体連は部活動の大会であり、クラブチームは参加しない。だから私は、中体連県大会は然ることながら、もう既に地区予選が始まっていると聞いたが、「労金杯」という部活動とクラブチームが共に参加する大会が楽しみなのだ。植田中と南中(中体連市大会上位二チーム)、同様にクラブチームではクラブチーム同士の先の大会での上位二チームは、予選免除、途中県大会からの参加となるそうだ。春の同様の大会では、植田中は「古河電池」(企業のクラブチーム)に負けている。あの試合も、印象に残るものだった。その「リベンジ」なるか、私は見たいのである。いつも負ける弱い仲間とチームを組んでちんたらやる必要がないのがクラブチームの利点だ、自身のレベルアップの近道だ、と私は言ったのだが、植田中サッカー部・我らが「ドリーム・チーム」がどのように組み立てられて行ったか、優れていた下級生の+と弱かった先輩の+、−の浸食作用の話をまた思い出して欲しい。私は「ショートカット(近道)なクラブチームと「急がば回れ」のドリーム・チームの対決を見たいのだ。
クラブチームはプロサッカー的要素を含む(手札集めがある、強いチームには強い者が集まる)のである。ここにクラブチームの参入により、少年サッカーにあるシステムが打ち立てられて来たのが分かるだろう。「システム」の本旨は「効率化」である、「システム」と「少年サッカー」、両者はどこか対立関係にあると思うのだが。私は、我が「ドリーム・チーム」が、この「システム」という社会の化け物を打ち砕いてくれることを、心密かに期待しているのだが。
次男の試合を見に行って見た風景――父母、祖父母、叔父、弟妹、家族連れで楽しむ週末イベント・「行楽」、そんな感がある。なぜ、その日曜日、グランドにこんなに見物人が集まるのか、それは少年サッカーが面白いからである。我が子のプレーに一喜一憂する父母、大声で怒鳴る叔父、テレビでプロサッカーを見ない母親やおばあちゃんが見ても、面白いからである。親しみやすさや愛嬌がある。息子や孫がプレーしているとなれば、家族は興味を持つのである、彼らにとって、少年サッカーはプロサッカーより親しみ易く、面白いのである。「サッカー入門書」「サッカーの手引き」、のように、サッカーを知らない者にサッカーを紐解いてくれる、その楽しさを教えてくれる、私自身そうであった。そのうち、テレビでプロサッカーがやっていれば、見てみよう、って気にもなる。そんな誘いの書、サッカーへの入り口、が息子たちのサッカーである。今のサッカー・グランドの賑わいはそれなのである。日本におけるサッカーファン増大の兆しはこんなところにあった。
日曜日のグランド模様を見ると、サッカーは庶民に浸透したスポーツとなったのだ、小学生に何習ってるの、と聞くと、多くの子が「サッカー」って答える、そんなポピュラーなスポーツ・大衆スポーツとなったのだ。かつて子供たちは野球をやっていたが、今はサッカーの方が断然人気がある。長男の頃は「スポ少」も今やってる「部活動」もそうだが、二学年集めないと一チームにならなかったが。次男たちは、一チームの二倍も三倍も人がいるので、今回試合に出ているのはその半分、という具合。残り半分の子は試合に連れて来てもらえないのである。残りの子は、夏にまた試合がありますのでそのとき参加させます、とプリントにはあった。お母さんたちの間からは、今回は上手な子だけ連れて来たんだよね、と囁きがあった。次男は三年生だけど、駐車場の立て板に「四年生大会駐車場」となっていたところを見ると、四年生主体の大会なのだろう。四年生になると外のチームは皆、ポジションが割り当てられているようだった。うちのチームは四年生でもまだポジションの割り当てがない、私の妹の子は四年生だが、今度はお前前に出てみろ(何も言われなければ妹の子はいつも後ろ・ディフェンス側に立つ)、そんなふうにローテーションしているらしい。キーパーもやりたい子がいなければジャンケンポン、この間のフットサルなんかうちの侑哉じゃんけんで負けちゃって、侑哉あの調子だから半泣き状態でやってたわよ、うちの妹が言った。それでいいと思う、得意じゃない場所を泣き泣きやるのもいいし、あんまり早い時期にポジションなんて決められちゃうのもかわいそう。この大会、うちのクラブチームは Aチーム(四年生チーム)とBチーム(三年生チーム)の二チームが出場していたが、四年生がポジションをもらっていないということは、勿論三年生もポジションをもらっていなかった。だけど、みんな自然とそこに行くんだよね、私がそんな話をすると、そう言えばうちの直輝はいつもそう、いつも同じところに立つんだよね、ほらまたあそこにいる、直輝君のお母さんが言った。開始の合図のとき、直輝くんは自陣ゴール前にいた、だけど直輝は秀俊(植中ディフェンダー、彼もサッカーを始めた三年生のときからいつもあの位置に立ったよね、あの頃から決まってたんだね)とはちょっと違う、試合が始まると自分がボールを奪って前に行く、フィールド上を駆け回ってボールを追う、「ボン」という大きな音でボールを弾き返したとき、隣で見ていた四年生のお母さんが、「あれが小学三年生が出す音? やっぱ三年生上手いわ」と言った。私はその音を聞いて、直輝君は華麗なるディフェンダー雅也(植中センターバック)だ、って思った。大洋君は前へ、前へと行く。あの子学校の持久走大会で二位になると、口惜しくって泣くんですってよ、彼は負けん気剣ちゃん(植中フォワード)だ。誰かカットマンがいると、大洋君は前に走った。大洋君が前でボールを待つ姿を見て、そうだよね、フォワードって「待ち」のポジションなんだよね、って思った。剣ちゃんはそんなボールが来ることを、待ってるんだよ。準々決勝、決勝、ずっと点を入れたのはMF右サイドの大記だった、大記のかっこいいシュートシーンを陰で支える翔君。そうだよ、剣ちゃんにもそんなアシスト役が必要、左サイドから点が入らないのは、剣ちゃんにそんなボールを上げる者がいないから、輝本当はそれはお前の役だよ。あそこまでボール持って上がって、どうでもいいようなパス出すな、ちゃんと剣ちゃんに上げてやれ。大記にばっかりにお株を取られる剣ちゃんの気持ちを考えろ。
チームの頼もし君、翔
うちの次男・春希がどうか・誰か、って言ったら、翔君。私は、春希はもっと出ずっぱりかと思ってたら、違うんだよね。ポジションがないから、子供たちはみんながボールを取りたくて、ボールのある真ん中へ真ん中へと寄って行く。春希は少し引いてるんだよね。だけどボールをよく見ている、決してボールから目を離さない。だからボールが飛び出すとき、真っ先にそこに行くのが春希だ。私は輝(長男)がボールを持つと、大丈夫か輝、って思っちゃう、ボールを持った彼が危なっかしく見えちゃうんだけど、春希がボールを持つと安心感がある。群れから飛び出したボールを、春希はきっちりサイドライン(タッチライン)まで追っていく、決してボールを見捨てない。試合経験のない小学三年生には出来にくいプレーだ、彼は上手なのだ。すごく上手なのに、決して出ずっぱりじゃない・自身を全面に押し出さない翔君(植中MF)、チームの頼もし君。春希は走り方も翔君に似ていた、大股で歩幅を大きく伸ばしてしっかりと走る、重心が低く倒れにくいボール運び。私は、春希のことを見ていて、なんだか翔君のことが分かったような気がした。翔君はボールが好きなのだ。ボールがどこにあっても、ボールから目を離さない、そして、決してボールを見捨てない。おれのところに来たら、ちゃんと受け止めてやるよ、ちゃんと飛んでけよ、翔君はきっと、そんなふうにボールと対話しているのだ。無機質なボール・いのちのないボールが、翔君の前に出ると、そんなふうにいのちのあるものとなるのだった。あたかもボールは翔君の言葉が分かるように、それ自体が意思のあるもののように、飛んで行くのだった。「神は、土地のちりで人を造られ、それにいのちの息を吹き込まれた、すると人は生きものとなった」、そんな聖書の記述が思い出される。翔君の足は「神様の足」なんだ。その翔君と自分の息子が被っちゃうっていうんだから、私って母親もあきれるわね、親バカ。どんなボールもここへ来れば「復活」する、いのちを与えられ再び飛んで行く。翔君にとっては、どんなボールもまだ生きている、ここへ来たら生き返るボール、見捨てられない存在なのだ。そんな翔君のボールに対する深い愛情が伝わってきて、私はほろりとさせられた。翔君のプレーに感じる「律儀さ」、それはそんなところにあったんだ。翔君、あなたまだまだ大きくなるよ、すごくいいプレイヤーになるよ。あなたが何かを、誰かを、心から愛したとき、そのあなたと共に神様がいる、翔君の愛の中に神様が宿る、翔君のあしは神様に与えられたあし。私は、翔君に会ってまだ一年やそこいらだけど――翔君には秘密があったのです。翔君は不思議な能力を持つ男の子で、ボールとお話しすることが出来たのです。ちゃんと弾めよ、だめだ弾みすぎだ、ちゃんと言うこと聞けよ、もう一回だ、今度は上手くやれよ、僕と一緒に練習だ、一人っ子の翔君は、そんなふうにボールがおしゃべり相手のお友達だった――小学校時代の翔君は多分そんなだったんじゃないかな、なんて思った。
帰ってきた大黒柱 貫太
翔君がボールが好き、というのと、私が言葉が好き、っていうのはちょっと似ている。一つ一つの言葉には奥深い意味があり、その言葉でしか表わせない意味がある。すると、一つ一つの言葉、この世に存在する無数の、全ての言葉がとても大切な存在に思える。この世の中には無数の人がいるけれど、その人にしか表現出来ないこと・その人にしか見出せない存在意義がある、つまり、無数にいる人間、ひとりひとりに存在価値があるということ、神様は人をそのように認めておられる。神にとって人はそのように大事な存在、見捨てられない存在、ひとりとして欠けてはならない、ひとりが欠けるということは「われわれ」全体に欠けが出ることになる。神様は万能の方である、サッカーも上手、相撲も強い、絵も上手い、歌も上手、数学も科学も得意、詩も物語も書く、漫才師でもある、ひとりひとりの人は、その神様という自己の表現手段なのだ、神様は一人一人にそのような役を振り当てておられる、それが欠けるということは、神様自身が欠けるのと同じ、とても困ることなのだ。そんなわけで、一人一人の人は「われわれ」という神様の一部なのである――「われわれ」・複数で単一・複合単一体、それが神様の存在形態である。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」(聖書・創世記)――人は神様と同じかたち・「われわれ」のかたちに創造された。神様はご自分の豊かな才能の一部をある人に、ほかの一部をある人に、分け与えられたのである。神様は広大な存在であるから、それを入れるには星屑ほどたくさんの・無数の器が必要だったのである。一つの器に、少しずつ、全部の器に中身が入っているのである。翔君という器はおれのサッカーするためのあしにしよう、同じサッカーをするためのあしでも、器のふちまで満たされた・才能豊かなものもあれば、器の半分まで満たされたもの、器の底程度のものもあるが、なんせ大事な中身、神様ご自身のものが入っているのですから、大事にされなくてはならないものである。器の底に少し砂金があったからって、誰が捨てる、砂金だ、と言って喜び大事にするだろう。この言葉がなかったら、私はすごく困る、似たような意味を持つ言葉なのに、こっちの言葉では言いたいことが正確に伝わらない・代用が利かない、たとえ代用出来たとしても、思ったような美しい響きを奏でない。だから、全ての言葉が大事なのだ。私はこの言葉が好きだからって、その同じ言葉ばかりを何度も、繰り返し使うことはしない、その言葉自体がいくら素敵でも、配置される場所が正しくなければ、その言葉のよさは出ない。どこの場所に、どんな配列で、もしかしたらこれとこれは前後が逆の方がいいかなど、どんな場面で、この言葉はよくて使いたいんだけど、この場面にはふさわしくないな、後で必ず出番が来るから待ってろ、これとこれの組み合わせ・相性・コンビネーションはいいな、一緒に使うどっちも冴える、そんな具合だ。私はなんだか、サッカーチームのコーチ・監督になった気分だ。コーチは多分こんなふうに考えるんですよね、あの選手がよくないから使わない、じゃないんですよね。何故こんなことを書くかって言うと、息子が新聞記事のコピーを持って帰って来た。植田中優勝の新聞記事(写真入り)だったが、記事の中では――チームの柱であるMF貫太(三年)が、六月初めに右足のじん帯を損傷。「貫太を県大会に連れて行こう!!」を合い言葉に、イレブンは一致団結。続いて、「帰ってきた大黒柱 貫太 得点量産だ」の小見出し。かなり貫太のことを取り上げていた、新人戦のとき貫太に執心らしい記者がいたが彼の記事か? そうだよね、貫太が入ったら、誰か抜けなくちゃならないね、誰も抜けないよな、みんないい選手だものな。以前抜けてた・フルで出ていなかったのは二年生の大記だったが、今回大記は快進撃、翔は二年でも抜けるわけないから、修も二年だけど「サンキュー」な一点入れてるぞ。輝お前危ないんじゃないのか、と私は脅しをかけた。
晃太の魅力
私も彼らをどこで、どんな順番で、この物語に登場させるか、トップはやっぱり雅也のスーパー・ファイン・プレーがいいだろうなどとね、考えるわけだけれど、さて、晃太出番だよ。これはサッカーど素人の母の息子たちに対するスコア帳とでも言うものなんだけど、結局、みんなよくやった、言いたいことはそれだけなのよ。晃太もほぼ完成している。晃太のあのポジションに、晃太以外の誰かほかの人を置くとして、晃太以外で様になるのがいないんだよね。誰を置いてみても、どこか頼りげない。だからやっぱり、あそこは晃太のポジション。晃太にあるのは卓越性・他に群を抜く上手さではない。私が晃太を見て感じるのは、「精悍さ」。晃太はとてもシンプルだ。例えば、鎧兜で馬乗って、そんな重装備をしない、さむらいが腰の刀を一本すっと取って前に出て行く、そんな酔狂、そんな冷涼感。鎧兜の戦国武将がむさい(暑苦しい・むさ苦しい)のと違って、粋で涼しげなのだ。どんなに晃太が必死な顔で走っているときもそれは変わらない、どこか凛と(燐と)涼しげに見えるのが彼だ。卓越性がないということは、彼が瀬戸際のプレーを強いられるということ。晃太大丈夫か、そんなふうに思われる場面だ。だけど、以前の晃太と違って、今の晃太はあっさり抜かれたりしない。力が互角であれば、いやそれ以上の相手にも、晃太は競り勝っている。強い相手と競い、それを制す、そんなプレーが出来るようになったのだ。小学校六年生の頃、晃太、秀俊、輝、カルロス(私の二番目の夫)でグランドで練習をしたことがあった。カルロスが彼らに何を教えているのかなと見ると体当たりの練習だった。もっと強く押せ、このくらい強く押せ、このくらいだ、とカルロスはドカンと肩で晃太を突いた。肘で押したらファールだけど、肩で押してもファールにはならない、このくらい身体をぶつけないのはサッカーって言わないんだ、って。今は、晃太、それをやってるよね。小学校三、四年生の頃、晃太がうちに遊びに来ると、「二人(晃太と輝)でボール遊びでもしたら」と私が言う。しばらくして、彼らが何をしているのかなと庭先をのぞくと、二人は砂場に座って団子づくりのおままごとしてる。だから、晃太、男になったな、と思うのだ。秀俊の闘志を赤い炎に喩えると、晃太は青白い炎なのだ。青い炎が赤い炎より熱くないかと言えば、そうでない、青い炎の方が高温なのだ。眉目秀麗、涼しげに見える晃太は、実は熱い男だったのだ。晃太がうちに秘めるのはそんな熱い闘志。秀俊も晃太も、瀬戸際(ここで守らなければお終い)に強いのだ、彼らを見ていると、スポーツというものが、肉体の強さのみでなく、強靭な精神力をも競うものであることが分かる。彼らは精神性の高いプレーヤーである。彼らのプレーにある精神性の高さは、スポーツという肉と肉とのぶつかり合いに、芳しさを添え、高尚なものに引き上げるのである。スポーツの真の成熟の姿がそこにあると思う。肉体と精神、それは「人」の両側面である。肉体を鍛錬すると共に、精神を磨き上げるのである。ギリシャ彫刻を思わせる端正な造りに、周囲・邪・雑念を沈めるようなほの白い炎の闘志(侍魂ですね)、晃太にあるのはその古風・古典的な「男の粋→男いき→男気」(つまり、「粋な男らしさ」)ですよ、私が彼に「精悍」を冠したわけが分かるでしょう。ギリシャ彫刻と侍はミスマッチだって? だけど、はにかみ笑いでうつむく晃太、輝とこしょこしょ話する晃太、と、フィールドの男らしい晃太は、「ミスマッチ」、それが晃太の魅力でしょう。
母と息子は一心同体
さて、週末の四年生大会のグランドに飛んで、私もあっちこっち忙しいのよ。やっとこれで長男が終わると思ったら、次は次男の番、週末ごとの応援や当番だ送迎や何だ、また大変。三男も控えてるし、休む暇なしよ。だけど、それが幸せなのかもね。長男の中体連の応援には、去年の三年生・卒業して行った先輩たちの母親の姿がちらほらあった。大変だってやってたときの方がよかったわよ、高校になったら親の出番は何にもなくって(息子はアルバイトをしているらしい)、私はほんとぽっさりしちゃったわよ、ほんとよ、こういうのも嫌だわね。だから、こうして他人の子の試合を見に来ているわけ。先輩の母親たちは言っていた。翔母なんか見てると、ほんと母と息子は一心同体、って感じがする。自分の息子の試合は必ず見に来る、翔君は上手いから「トレセン」という選ばれた子たちの練習にも行っている、その送迎も大変だろう。翔母だけでなく、サッカーやってる子のお母さん方はみんなそうなんだよね、北風の寒い冬の日も、夏の暑さの中も、朝から夕までグランドにいるんだから、当番には出なくちゃならないし、送迎だってある、そうして息子たちを応援している。そういえば、決勝戦のとき、応援席に秀俊母の姿が見えなかった。まさか帰るはずないよな。試合終了の合図の直後、秀俊母は「やれやれ、どうにか」(これで私もほっと出来る、とでも言うように)と、皆のいる場所に来たが、心なしかその顔が年取って見えた。「『あっちはキーパーが上手いからいいよな』って、他校の生徒たちが後ろで言ってたよ」ということは、秀俊母はちゃんと試合を見ていた、みんなとは離れた場所で。またうちの坊ちゃんがさっきみたいなことしたらどうしょう、秀俊母は皆と一緒の席で見ていられない思いだったのかもしれない。いつも元気なあの母がね。母と息子は一心同体、なのよね。後半戦の出だしでずっこけ、あしの痙攣を起こし途中退場した息子の母だから、私は案外のんきに見ていられたのかもね。だけどあの決勝戦には、翔母の「はらはらしちゃう。胃が痛くなりそう」って声がなかった。点差は一点、いつひっくり返されてもおかしくない状勢だったけど、胃が痛くなるようなじりじり、はらはらする試合ではなかったのではないか。誰もが、彼らはやってくれる、不思議とそんなふうに信じられる試合だったのではないかと思う。それとも、上位二チーム・県大会出場が決まってからの試合だったからか? いや、観客は試合の勝ち負けを見ていなかった、それ以外の何かを見ていた、勝ち負け以上に心を奪われる何かがあった、産声を上げた「ドリーム・チーム」の姿に心奪われた。
チームの「肝」
実際に戦ってる本人は過酷だけど、それを見ている母もそれ以上に過酷なのよね、秀俊母を見て思った。実際に戦ってる本人は、自分がまたやるなんて思っていない、今度は絶対にやらせない、って思ってる。秀俊も晃太も、そんな瀬戸際に強い、それを制す。瀬戸際プレーに強い、彼らは胆が据わってる、腑抜けじゃないのよ。彼らが持っているものが「腑」、だから彼らがいなければこのチームは「腑抜け」になる。彼らはチームの「肝」どころ、肝心要。彼らの瀬戸際プレーがあって、それを見て、チームに気合いが入る。彼らのプレーはチームの士気を高めるのである。そういうわけで、弱いと思っていた彼らは、実は強かったのである。晃太(あるいは秀俊、または外の誰か)が抜かれて点が入った、それはディフェンダーの宿命である、プロ選手だってさようである。絶好のシュート・チャンス、フォワードはそれを外した、と、ディフェンダーが抜かれた、これを量りにかけることは難しい。お前が抜かれたから点が入って負けただろう、いや、お前があの時シュートを決めていれば負けなかった、いや、中盤がちゃんとやっていたら、いや、結局最後はキーパーなんだから、キーパーがちゃんと止めれば問題はなかったんだ、おれはスーパーマンじゃないぞ、ゴールキーパーだ、駿は言うだろう。世の中ではさようなことが行われている。いや、それはうちの管轄ではない、向こうへ行って聞いてくれ。いや、それは下部の者がやったことで、われわれ上層部はそのようなことは分からなかった。私たち下の者たちはただ言われたことをやっただけです、とは誰もなかなか言わない・言えない。責任転嫁や責任のなすり合い、そして弱者への虐げ。それはうちの管轄ではない、向こうへ行って聞いてくれ、とは、自分の持ち場・ポジション以外の仕事はやらない、それはわれわれには関係のないことだからわれわれは知らない、向こうへ行ってくれ、と言うことか。役所に行ってもどこに行っても、そんなふうにやんわりと断られちゃうんだよね、連携がなってない。サッカーや野球なんかでは、ポジション・守備範囲は被ってるのにね。私たち下々の者はただ言われたことをやっただけです、とは誰も言わない、下の者は上の者に言われればどんな間違ったこともするしかないのか、歯向かったりすれば、「とんとん」と肩を叩かれ、「ちょっとお前生意気なんだよ、外へ出てくれないか」と連れて行かれる不良の世界か、「ちょっと顔貸せよ、テレビに出す顔写真が欲しいんだよ(おれの代わりにちょっくら濡れ衣着てくれよ)」、おっとここはヤクザの世界か。今朝の「いわき民報」の市中体連写真特集、その一面の一番大きな写真、そこに載っていたのは晃太と雅也だった。真ん中が南中の選手、その両脇が晃太と雅也、三人は横一線に並んで必死にボールを追いかけている、ボールは真ん中の南中の選手の頭上、「先に追いつくのはだれだ!」の太文字。晃太の危機にはおれが行く、雅也にはそんな心積もり(配慮・気配り)があるんだね。雅也は晃太より強いのだ、強者はいつも弱者に気を配る・気にかけて顧みる、助けが必要とあらばすぐさま駆けつける(スーパーマンみたいだろう、アンパンマンみたいだろう)、だから、晃太が抜かれる寸前で雅也が滑り込みカット、そんなスーパー・ファイン・プレーが出てくる。雅也がそんな手柄を得られるのは晃太がいるからだ。弱者がいるからそれを助ける強者はかっこいいのだ。世の中もさようであるはずである。なぜに、強者は弱者を虐げるのか、それでは強者であることの意味が見出せないであろうに。世の中というのは全てがあべこべなところである。彼らは、大人になって、世界(世の中)というフィールドに立ち、そこがかつて自分たちが立っていたフィールドとは違うことに気づくだろう。「広いフィールドはみんなで守るんだ」そんなふうに走った日々を懐かしく思うだろう。肯定すべき世界のありよう・自分たちの帰りたい場所がそこであることを、知るだろう。
1点の重み
あの試合が1対0で植中勝利に終わったことを思えば、ゴールキーパー、駿の手柄は大きかった。「駿、大活躍だったんだって。うちの息子が言ってたよ」子供会の回覧を持ってきた飛也の母が言った、ということは、駿は学校でも噂の人となった? バレー部の女子が数人見に来ていた(学校では授業があるはずなのに、ちゃんと許可を得て来たって言ってた)から、そんなところから噂は広がったのか。飛也は息子たちと同級で陸上部、駿も以前は一緒に陸上部やってた。植中ビンチ、ゴール前怒濤の攻撃の場面――駿は至近距離からのシュートを低い体勢で抱え込んだ、それがポロリとこぼれる、すかさず相手はボールを蹴る、駿伏せの体勢からダッシュ、ボールに飛びつきキャッチ。体勢を立て直す間もない状況の中、駿が見せたスーパー・プレー、あの伏せからのダッシュは何か陸上部の練習風景に重なった、駿が一年間陸上部とサッカー部を掛け持ちしたことは無駄じゃなかったんだね。人のどんな努力も無駄になることを惜しまれるのが神です、あなたが今しているすべてのことはあなたの未来・将来に役立ちます。何でこんなことしなくちゃならないんだ、やりたくない・役に立つとも思えないこんなことを、何故やらなくちゃならないんだ、と思われることでも、そんな状況に置かれたときにも、一生懸命やることだ。フォワードがやりたかった剣ちゃんが別のポジションに置かれたとき、それでも剣ちゃんは一生懸命やった、それは剣ちゃんに役立った。完成されたフォーメーションというそり立つ城壁の前で、我がチームには得点チャンスが与えられない、「ワンチャンスをものにし」と新聞記事、ワンチャンスをものにした前衛、また、その大事な一点を最後の砦で守りきったキーパー駿。貴重な一点、大事な一点、失えない一点だったんだ。1対0、一点の重みを噛み締める。
融合美 / 舜一朗
私は息子輝に、舜一朗(二年生キーパー)はキーパーがなかなか上手いよね、と言った。「ビミョー」と輝は答えた、だって舜一朗は横に行ったボールに飛びつけないよ。背が小さいしね、私は言った。だけど、舜一朗はこれから大きくなるかもしれないしな、輝は言った。横で聞いていた次男の春希が、あの人キーパー上手いよ(舜一朗は小学校時代は春希と同じクラブチーム・なこそSCSにいた先輩だ)、県大会で二位になったときのキーパーだよ、そういう大会で活躍した人にはコーチがスパイクとか、何か一つあげるんだけど、キーパーが上手かったからってあの人がスパイクもらったよ。やっぱりそうなのだ、舜一路はキーパーとして優秀であり、また、駿とは違ったタイプのキーパーなのだ、そしてまだ「未完成」「これから」なのだ。駿と舜一朗、対照的なスタイルの二人が一緒に練習していたことはよかったろう。私は、駿が低いボールを地面で抱え込む姿に舜一朗を見たのだ、駿の中に舜一朗がい、舜一朗の中に駿がいるようになる、二人が融合して完全無欠なキーパーが生まれる、対照的なものの中にある融合美、舜一朗は「これから」そんなキーパーになる「可能性」を秘めている。