85.現王の選択
魔法王を討ったギルトの帰路は、静かだった。
障害が無かった、と言う意味では無い。
魔法王都から抜け出す時にも、仇を討とうとする兵たちの猛攻に遭った。その後最短で魔法王国を出ようと西の境界の町へ向かった時にも、それを読んでいた魔法王国軍が兵を集めていたために追撃を退けながら東の方へ大きく迂回することを余儀無くされた。
東の境界の街の大橋を渡り切るまで、周囲は実に騒がしかった。
だがその騒ぎの中心にいたギルトたちは、静かなものだった。
交わす言葉は最小限で、目も合わせない。尤もギルトの方は元からそういう態度であり、特に変わっていないのだが。
変わったのは、グレイの方だ。彼は、魔法王都でのギルトの仕打ちが許せなかったらしい。
元から折り合いは悪かった。故に行きは散々文句を付けられたが、帰りはその文句も殆ど聞かなくなっていた。矯正は無理だと諦めたのかもしれない。
ギルトとしても自分のやり方を変える気は毛頭ないので、向かい合う対峙よりも背を向ける対立の方が寧ろ都合が良かった。
そんな訳でギルトは誰に合わせることも無い速い足運びで境界の街を抜け、港町へ向かった。
グレイはやや距離を置いた後ろから、布の包みを肩から下げて付いて来る。包みの中身は、魔法で氷漬けにした魔法王の首だ。ギルトは興味がある紅い石だけを、腰の袋に入れて自身で持ち歩いていた。
ギルトが港町を訪れるのは、今回が最初だった。
行きは王都から旧都方面へ出て西の境界の町を抜ける最短の経路を取ったため、東部の町を通ることは無かったのだ。しかし帰りは結果的に東の境界の街まで来てしまったし、それならば序でに「自由の町」と揶揄される港町を見ていくのも悪くない……と、ギルトの考えはその程度のものだった。
そこに何ら、特別な理由など無かった。
「―――おい、兄ちゃん」
宿を探して夕暮れ時の町の中程に入った所で、見るからに金も知性も無さそうな男たちが突っ掛かってきた。
「立派な剣持ってんなァ。それ、俺にくれよ」
「……俺のことが、分からないのか?」
「あァ?」
ギルトが言っても、相手はぴんと来ない様子だ。
アルバートが捨て置いた町とは言え、その町の人間が白の鎧や剣を身に着けたギルトが何者であるかも分からないとは予想外だった。
或いは、目の前の連中の頭が極端に悪いだけなのかもしれないが。
ふうと呆れ交じりの息を吐いてギルトが動こうとすると、その前にグレイが割って入ってきた。
「この男に手を出すのは止めた方がいい」
「何だお前?」
「グレイ・クリストンだ」
と言って彼が右の掌を見せると、流石に相手も怯む。
「魔法人……!?」
「良かった、それくらいは分かるな。なら、その魔法人と行動を共にしている人間が誰かも分かるだろう」
グレイが言葉を向けると、彼らの内の一人が「おい、やべェよ……」と口にする。
そしてそれを切っ掛けに、彼らはそそくさとその場を去っていった。
「ご苦労」
とギルトが言うと、グレイは「お前のためじゃない」と冷たい声音で返してきた。
無論ギルトもそんなことは分かっているので、それ以上何も言わずにまた歩き出す。
すると、近場から怒鳴り声が聞こえた。
「あるだろう! 早く出せッ!」
低い、男の声だ。
その声に、高い女の声が続いて聞こえた。
「ありません」
男の声に比べれば小さく、叫ぶような声でも無い。
だが不思議とよく通る、芯の強い声だった。
それでギルトは、声が聞こえたその方向へ足を向けた。
その間も、声の応酬は続いている。
「隠しても無駄だ! 俺は店の主人からお前に渡した額を聞いてるんだ! 今出した額じゃ、足りてねェんだよッ!」
「……そうでしたか」
声を荒げる男に対して、女の方は冷静に対応しているように聞こえた。
怯えてあまり声が出ていないと言う可能性も有り得るが。
しかし内心はどうであれ、少なくとも女は黙らなかった。引き下がらなかった。
「ですが、答えは変わりません。今お渡しできるお金は、もう無いんです」
「何言って―――」
「残りは、これからの分です。これからのために、少しは貯めておかないと―――」
そこで、ごっと鈍い音が響いた。
ギルトが路地を何度か曲がって現場に行き着くと、そこには家の壁際に倒れている長い黒髪の若い女とそれを見下ろす所々跳ね上がった黒い短髪の若い男がいた。
「殴られんのはもう嫌だろ。早く出せ」
「……」
男に声を向けられて、女は口元の血を拭ってから身体をずると起こす。
そして言った。
「あなたのためにも、言っています。あなたの目的を果たすためにも、私は無駄遣いすべきで無いと思います」
「このアマッ……、調子に乗んな―――!」
男は女の腹を蹴付けようと足を引き、対して女は防ごうと身を伏せる。
だが蹴りを放とうとした所で、男の動きはぴたと止まる。
路地の角から様子を見ていたギルトが、くっくと笑ったからだ。
「……何だ、てめェ。何が可笑しい」
男はギルトに向かって詰め寄ってくる。
だが対するギルトは、笑いを収めなかった。
「いや何……、実に肝が据わった女だと思ってな」
そう言ってから彼は、男の顔を見る。
「それに比べて男の方は、詰まらないな」
「何も知らねェ赤の他人が分かったような口利くなッ!」
「分かるさ」
とギルトはそれに言い返す。
「男が女に金をせびる場面だ。しかも男は既に金を受け取った上で『まだある』と駄々を捏ねている。男は女が働く店で幾ら貰ったかを確認していて、その上で『まだあるはずだから寄越せ』と子供みたいに我が儘を言っていると言う訳だ」
彼の言は的を射ていたようで、男は一瞬気勢を削がれたように見えた。
だがすぐに、わっとがなり立ててくる。
「こいつの父親は俺から金を借りている立場だ! それでも同じことが―――」
「『俺から』?」
とギルトは言葉を返す。
「違うな。貸せる金があるならせびってない。大方、貸したのはお前の父親なのだろう。お前はただ、その立場を利用しているだけ。そうだろう?」
「……っ、勝手なことを―――!」
「直接その父親から金を借りられないことから察するに、お前はほとほと愛想を尽かされているようだな」
その言葉に男はもう声を返せなかったようで、代わりに拳を振り上げた。
しかしそれよりも早く、ギルトの左手が男の首を掴んで家の壁に押し付けた。
ぐげっと男が苦しげな音を漏らす。
「ギルト、殺すな!」
とグレイが腕を掴んでくる。
そんな彼を余所に、ギルトは女の方へ顔を向けた。
「おい。俺がこの男を殺してやると言ったら、お前はどうする」
ギルトの問い掛けに、女は驚いた様子で目を見開く。
だがすぐに、その目は落ち着きを取り戻した。
「……それは、お止め下さい。こんな降って湧いたような話で助けられては、私も納得がいきません。自分の力で、何とかしたいんです」
それを聞いて、ギルトはまたふっと笑う。
そしてグレイの手を払うと同時に、締め上げていた男を地面に転がした。
男はげほげほと噎せ返った後に、身体を起こして「何しやがる」と睨んでくる。
だがその彼に、ギルトは左手を差し向けた。それと同時に、退魔の力を発動させる。
「あッ―――、アルバート……!?」
驚き尻餅をついた格好のまま固まる男を余所に、ギルトはグレイの方を振り返って彼の手から布の包みを奪い取った。
「おいギルト、何を―――」
彼の言葉には耳を貸さずに、ギルトは包みを開く。
そこに今の力で氷結状態が解けた魔法王の首を見て、男が「うわッ……!」と怯えた声を出した。
一方のギルトは淡々とした様子で魔法王の頭に戴かれたままだった王冠を取ると、男の方へ放り投げた。
そしてその行動に戸惑う男を見下ろして、言った。
「そこの女を、借金ごと買う。その王冠があれば、十分だろう」
「えっ」
と、男とその後方にいる女がほぼ同時に声を漏らす。その後には、「はい」も「いいえ」も続かなかった。
ギルトとしてはそれで構わない。彼の言葉は了承を求める問い掛けで無く、ただ決定事項の宣告なのだから。
ギルトは、困惑する女の方へ歩み寄る。
「お前の度胸が、気に入った。これからお前は、俺に借金の分尽くせ」
「……」
「ギルトっ、そんな軽々しく人の人生を狂わせて良いわけが無いだろう!」
と背後からグレイが声を向けてくる。
「王冠だって、魔法王の首を証明する由緒正しきものだ。お前の気紛れで人に遣って良いものでは―――!」
「『石』があれば、今度の旅の成果としては十分だ」
ギルトはそう淡々と返した。
「それに気紛れでも軽はずみでも無い。―――この女は、俺の妻にする」
「なっ……!?」
言葉を失うグレイを余所に、ギルトは視線を女に戻す。
「俺はギルト・アルバート。次代の純人王国国王になる男だ。お前はその妻として、俺を支えろ」
「……」
彼の言葉に彼女は、すぐには声を返さなかった。
その華奢な肩は小刻みに震え、呼吸も浅く早いように見えた。
突然王妃になれと言われたのだ。戦慄くのも無理は無い。
だがそれでも、ギルトの見込んだ彼女はギルトから目を逸らさなかった。
そしてやがて呼吸が整えられると、彼女は小さな口を開く。
「―――はい」
小さく震えた声だったが、確かに聞けた。
それでギルトはふっと息を吐くと、壁に凭れたままの女に手を貸すこともせずに踵を返す。
そこには尻餅をついたままの男の姿もあったが、彼はもう王冠しか見ていない。異論がその口から出ることは無かった。
男を放置してその場を去ろうとすると、後背から女に声を掛けられた。
「あの! 一言だけでも、父と話をさせて下さい」
「俺に足を止めさせるのか」
「母は既に亡くなり、父は唯一の家族なのです。父との別れは私にとって、あなた様の足をお止めする罪を背負ってでもすべき価値がございます」
その回答は、ギルトにとって満足のいくものだった。
故に彼は「長くは待てない」と言った。
「すぐにそこへ向かうぞ。―――そう言えば、名を聞いていなかったな」
言って振り返ると、彼女は背筋をぴんと伸ばした立ち姿でそれを口にした。
「私は、シエナと申します。どうぞよろしくお願い致します……、ギルト様」
それが、後の純人王国国王ギルトと王妃シエナとの出会いだった。
*
謁見の間の中で、どこから入ったのか分からない冷たい風を感じた。
「―――ギルト、聞いているのか。おいギルト!」
その喧しい声に、ギルト王は王座の肘掛けに頬杖を突いたまま視線を前方に向けた。
そこには、彼の兄であるレイドがいる。
「聞いている。他の町は放っておけ。王都の準備を予定通り進めろ」
ギルトが指示すると、レイドは「本当に聞いていたのか」とばかりにちろっと視線を向けてくる。
しかしそんな視線で弟が動じないことはよく分かっているようで、すぐにふうと諦めの交じった溜息を吐いた。
「……魔女アリアはともかくとして、リンドに関してはまだ境界の町まで帰って来たと言う報告も受けていないのだぞ。私にはあいつが魔法王を討てたとは到底―――」
「アレが本当に無能なら、境界の街を越えられずに死んでいる。そこを越えたのなら、必ず戻る」
と、ギルトは断定的にそう言う。
嘗て同じように魔法王を討つ旅に出た者として、そしてリンドと言う人間をよく知る父として、ギルトには確信があった。
「子を信じる親の愛だな」
レイドが棒読みの台詞を吐く。
「それなのに帰る子を全力で叩こうとは……、歪んでいるな」
「信じるが故、だ」
とギルトはそれに言葉を返した。
「私は、アレが信念を貫くことを信じている。―――だからこそ、全力で叩き潰さねばならん」
リンドは、アルバート王制を崩壊させる恐れのある存在だ。
ギルトは純人王国を支配するアルバート王家の当主として、それを絶対に許さない。
リンドがそれを選択すると言うのであれば、全力を以って彼を排除する。
「……あなた」
と不意に、背後から声を掛けられた。
振り返ると、そこには妻シエナと次男アルトがいた。
「兄さんと戦うの?」
アルトが言う。
「それなら、僕も―――」
「お前が出る必要は無い」
ギルトが返すと、彼は不服そうにぐっと歯噛みした。
その隣で、シエナは悩ましげな表情を浮かべてこちらを見ていた。
「これで、良かったのですよね?」
彼女からの問いに、ギルトはくっと笑う。
「当然だ。私が選択したんだ。間違っているわけが無いだろう」
言ってから、ギルトは内心で「そうでは無いな」と思い直す。
そもそも「間違い」なんてものは無いのだ。
選択に間違いなど無い。ただ己が選んだか否かと言う、意識があるだけ。
自分で選んだと思えば運命も受け入れやすくなるものだが、つまり主体的に選ばなくても自然と道は選択される。
ギルトはそうした選択の全てを受け入れ、一切後悔していないのだ。
「―――人にはそれぞれ、与えられる役というものがある」
ギルトは、独り言つ。
父に幾度も言われてきた言葉だ。その父も、ギルトにとっての祖父から聞かされてきたと言っていた。
アルバート家の中で伝えられてきた言葉だった。
「伝統」などと言う言葉をあまり好かないギルトも、ここから続く一連の言葉は気に入っていた。
「……私の役は、何だろうな」
ギルトは口の端を持ち上げながら、呟いた。
■登場人物(キャラクターデザイン:たたた たた様)
【シエナ・アルバート(青年時代)】
港町に暮らす娘。十七歳。唯一の肉親である父親が借金した家の息子に翻弄されていたが、ギルトに借金ごと買われて彼の妻となった。物静かだが、強い者に対しても卑屈にならず声を上げられる度胸を持っている。
【レイド・アルバート】
ギルトの兄。四十歳。長男として厳しい教育を受けたこともあって、伝統や格式に煩い。武術では弟たちに劣り、三兄弟の中では唯一魔法王討伐の旅に出なかった。故にギルトに王位継承権を奪われ、現在は彼を補佐する立場にいる。
【アルト・アルバート】
ギルトの次男。十六歳。兄リンドが「忌み子」だったため、王位継承順位第一位の座についている。そのこともあって未だに両親の後ろに立たされており、本人はそのことを少々不満に思っている様子。




