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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第1章 旧都で出会った二人は
8/106

8.少女の魔物討伐

 ニーナがやや古ぼけた服飾店を出ると、リンドは近くの建物の壁に寄り掛かって薄曇りの空を見上げていた。その彼の前に、ニーナはくるりと身を翻しながら躍り出る。


「どうですか? 結構可愛くないですか?」


 鮮やかな青の衣を見せびらかすようにリンドの前でくるくる回り、問いかける。対してリンドは、鬱陶しそうにしながらも答えた。


「そうだな。濡れ布巾で拭いたお陰だな」

「それ服の感想じゃないんですけど」

「服も良くなった。前のは服なのかも怪しかったからな」

「それだとどの服でも良かったって聞こえますけど」

「……面倒だな」


 納得しないニーナに、リンドはぼそりと溢す。

 しかしそれでも、彼女は食い下がる。


「そんなこと言ってると、女に嫌われますよ?」


 するとリンドの目が、嫌そうにこちらに向けられる。


「使用人にもか」

「はあ? 知りませんけど、女の人ならそうなんじゃないですか?」


 言うと、彼は肩を竦める。


「……昔も、そんなことを言われたことがあった」

「へえ。変わらないんですね、あなた」

「まあな」

「……褒めてないですからね?」


 念押ししてから、ニーナは話を戻す。


「ていうか、私を褒めてくださいよ!」

「服じゃないのか」

「その服を着てる私です」

「……」


 リンドは煩わしそうに、しかし腕組してニーナの姿を見定める。それから、口を開いた。


「……金ができたら、もう少し良いものを買ってやる」

「それ似合ってないって言ってます?」


 ちろっと睨み口を尖らせるニーナに、リンドは首を横に振って見せる。


「そうは言ってない。―――ただ、それだけだと少し物寂しいかと思って」

「なら、『似合ってる』で良いんですよ……」


 呆れ交じりの声でニーナは言う。


「それに、『それだけ』じゃないじゃないですか。―――ほら、この髪紐」


 と、彼女は後頭部のそれを(つま)んで彼に示す。


「私嬉しかったですよ。こんな風に誰かに何か買ってもらったこと、無かったので」

「そうなのか」

「そうですよ。……ま、銅貨四枚をケチって私の服売ったのはどうかと思いますけど」


 照れ隠し半分に言ってやると、リンドも多少悪いとは思っているのか目を逸らして頬を掻く。


「天下の英雄サマがお金ケチるなんて、格好悪くないですかねェ」


 さらに言葉を付け足すと、ややむっとした様子のリンドがちろっとこちらに視線を戻した。


「金が無いんだから、仕方ないだろ」

「またまた。あなた王子サマなんでしょう?」


 服を買う時にも何やら言っていたが、彼は王家アルバートの人間だ。金に困るということがニーナには想像できなかった。しかしリンドは、真面目腐ったいつもの無表情で問うてくる。


「―――俺が今回の旅に出るにあたって受け取った資金は、いくらだと思う」

「さあ? 全然分からないですね」


 ニーナは特に考えることなく答える。


「何せ、私は金貨銀貨の価値も分からないような人間ですから」

「それなら心配無い」


 と、それにリンドが返す。


「俺が旅に貰った資金は、銅貨の一枚も無いからな」

「……は?」


 ニーナが目を丸くして見上げると、リンドは澄まし顔で続けた。


「極論、アルバートの旅に金は必要ないんだ。現地調達できるから」

「現地調達……ああ、なるほど」


 その言葉で、ニーナは納得する。現地調達とは、詰まる所町の人々に宿や装備を提供してもらうということだろう。無論、退魔の力を使って強制的にだ。それならば、確かに金は必要ない。


「―――なら、さっきの銀貨は?」

「他の機会に貰ったものを貯めていた」


 とリンドは答える。


「これでも王位継承順位は二位だからな。すり寄ってくる連中もいたんだ。アルバートの中じゃ俺は断然不人気だが、それでも銀貨十枚は貯まった」


 そしてその両手を広げて、指折り数え始める。


「その内六枚は今着てる服に使って、三枚はお前の服に使った」

「あと一枚は?」


 ニーナは残った彼の右手の人差し指を見つめながら問う。

 するとリンドは、その人差し指で頬を掻く。


「……使用人にやった」

「えぇ……」


 呆れ顔のニーナから視線を外して、リンドは話題を転換した。


「―――まあとにかく、貯めてきた分はこれで全部使い切った」

「じゃあもう、あなた全くお金無いんですか……?」


 不安になって訊くと、彼は(かぶり)を振る。


「王城を出てから多少は稼いでる。主に『依頼』で」

「依頼?」


 首を傾げたニーナに、リンドはやや意外そうに視線を向けてくる。


「酒場を出入りしてたなら知ってそうなもんだが。裏通りの酒場だと依頼も入らないか」

「……?」


 彼の言っていることが理解できず、ニーナは逆向きにまたくりっと首を傾げる。それを見て、リンドが説明してくれた。


「酒場の収入源は、大きく二つある。一つは飲食の提供。でもう一つが依頼の仲介だ」

「ちゅーかい……」

「酒場には人が集まるだろ。そいつらに何か頼みたいことがある人間は、酒場に金を払って依頼書を掲示してもらうんだ。―――見たこと無いか?」

「あー……」


 問われてニーナは、思い当たる。ただ、依頼書であったかは定かでない。


「見たかもしれないですけど、でも私字読めないので依頼書だったかは分からないですね」


 答えると、―――返答が無い。沈黙に違和感を覚えてリンドを見上げると、彼もまたニーナを見下ろして目を瞬かせていた。


「……文字が、読めない?」

「え? ええ、そうです。何も教わってこなかったので」

「全く?」

「全くです。―――あぁ、数字はちょっと分かるかな」


 ニーナが淡々と答えると、リンドはまた目を瞬かせる。彼女にとっては普通のことだが、彼にとっては驚くべきことらしい。


「……そうか」


 やや間をおいて、ようやくリンドは口を開く。


「分かった。教える」

「はい?」

「時間のある時に、俺が最低限の学問くらいは教える」


 リンドの言葉に、今度はニーナが目を瞬かせた。


「え……ホントですか?」

「嘘は吐かない」

「―――やった!」


 驚きに見開かれていた目に、光が灯る。


「ありがとうございます!」


 前のめりになって礼を言うニーナに、リンドはやや困惑気味ながら応える。


「ああ、取り敢えずは宿に戻ったらな」


 そして、腰に下げた袋をごそごそやり出す。

 袋から出てきた手に摘まれていたのは、折り畳まれた一枚の紙片。


「それ何です?」


 問うと、リンドはそれを開きながら答える。


「依頼だ。お前が服を選んでる間に探してきた」

「あぁ、ルイスの酒場でしたっけ」

「……ああ」


 リンドの返答は、やや遅れた。先ほどの服飾店の老人の話を引き摺っているのかもしれない。

 そこには触れずに、ニーナは話を先に進める。


「それで、どんな依頼なんですか?」

「魔物の討伐依頼」


 とリンドは答える。


「北の旧街道に大きな猪の魔物が現れて、鍛冶町との行き来ができなくなったらしい」

「ふうん……。それ討つといくら貰えるんですか?」


 彼が持つ紙を引き寄せ覗き込みながら訊く。無論、見たところで内容のほとんどは分からない。ただその中に、大猪の絵と「四十」の数字だけは確認できた。


「四十! ―――銅貨ですよね?」

「銀貨だったら相当な太っ腹だな」


 リンドは呆れ交じりの声で返す。そしてそのまま依頼書をニーナに見せ文字をなぞりながら、それを読んでくれる。


「依頼書、大猪の討伐。旧都北の街道に魔物が居座っている。これを討伐されたし。報酬、銅貨四十枚。依頼者、マストロ・マークス―――」

「ますとろ?」


 聞き覚えのある名だ。しかし、頭の中で情報と結びつかない。

 ニーナは物覚えが良い。ただ不要と判断したことについては、覚えることをしないのだ。つまり逆に言えば、思い出せないことは彼女にとってそれほど重要なことではないということだ。


「知り合いか」

「いえ、知らないです」


 ニーナはそう結論する。


「それより、早く行きましょう! 他の人に先越される前に!」

「―――まあ、そうだな」


 と、リンドも同意する。


「アルバートや王立兵団が重い腰を上げる前に、片付けに行こう」


 *


「うわ……ちょっと」


 ニーナは俯きながら、リンドの傍らに張り付く。

 旧都北門。門衛とは顔を合わせ辛い。ニーナが街に入ったのは南門からだが、「消えた少女」の話がこちらにも届いていると厄介だ。


「何してるんだ」

「いいから。このまま抜けます」


 怪訝な様子のリンドをよそに、彼女はぴたとその横に引っ付いて門を抜ける。

 幸いにして、門の両脇に立つ兵士が声をかけてくることは無かった。他の町の時もそうだったが、門衛は「来る者拒み去る者追わず」が基本的な姿勢のようだ。


 無事門を抜けたニーナが顔を上げると、平坦な若草色の野原と真っ直ぐに続く石敷の旧街道が目に飛び込んでくる。東方には、深い緑が広がる森も見えた。珍しい光景ではない。旧都に来るまでにも目にしてきた、この地域ではよく見られる景色だ。


「お前、何かしたのか」

「いや別に、大したことじゃないですよ」

「何かしたんだな……」


 ちろとリンドから視線を向けられ、ニーナは逃れるように彼から距離をとる。

 そして、話題を逸らした。


「―――ところで、「魔物」と「獣」ってどう違うんです? 私区別ついてないんですけど」


 問うと、リンドはふむと考える姿勢になる。上手く誤魔化せたようだ。


「……確かに今だともう、明確に区別できるものは少ないかもしれないな」

「つまり、そんなに違わないってことですかね」

「そうじゃない」


 とリンドは(かぶり)を振る。


「そもそもの定義は明快だ。魔法の実験に使われて変異した獣が魔物なんだ」

「実験って、何するんです?」

「詳しくは知らない」


 ニーナは訊いてみるが、彼の答えは曖昧だった。


「城の書庫には詳しい記載が無かった。魔法王国に行けば分かるかもな」


 そう言って、彼は話を当初の疑問に戻す。


「とにかく、魔物の定義ははっきりしていた。―――だが、そのうち野放しになった魔物が獣と交配してどんどん混血が増えた。魔物の血は世代を経る毎に薄くなるから、第四第五世代くらいになってくると区別がつきにくいらしい」

「ふうん……」


 と、ニーナは適当な相槌を返す。話の内容は、ある程度理解できた。しかしながら、大切な部分が聞けていない。


「……それで結局、魔物は何が違うんですか?」

「魔法の実験で―――」

「いや、そうじゃなくて」


 同じ説明を繰り返そうとしたリンドを制して、ニーナは問いかけを変える。


「見た目が違うってことなんですか? 見た目だけ?」

「世代が若いほどでかくて凶暴だと思っておけば、大体合ってる」


 リンドはそう答える。


「今回の魔物に関してはそういう情報が無かったから、一応警戒して―――」

「あの、ちょっと」


 足を止めたニーナは、それで彼に自身の直感を伝える。それに対して首を傾げたリンドも、すぐに空気の変化に気付いたようだった。


「……勘が鋭いな」

「私、結構敏感なんですよ?」


 不敵に笑って見せたニーナは、すぐに視線を東の森の方へと向ける。

 やがて、たったと地を蹴る足音がはっきりと彼女の耳にも届いてくる。そしてがさと音立てて、それは薄暗い森の中から飛び出してきた。


「狼……」


 ニーナよりも一回りほど大きなそれは、一頭だけでない。次々と森から飛び出しこちらに向かって駆けてきたその頭数は、五だ。


「やれるか」


 右手で剣を引き抜きながら、リンドがその視線をちらとこちらに向けてくる。それににやと笑みを返して、ニーナも戦利品のナイフを皮の鞘から抜いた。


「当然です」


 逆手に構えたナイフの感触を確かめるように二、三度空振りしてから、彼女はリンドに先んじて風のように駆け出す。向かってくる狼の群れは、恐れるに足りない。まずは正面から先陣切って襲いかかってくる一頭の目元をナイフで一閃。怯んだところで下顎から蹴り上げて引っ繰り返す。


「無理するな」


 リンドの声が飛んでくるが、ニーナは退()かない。


「こんなの、無理の内に入らないですよ」


 言って、狼たちの張った包囲網に跳び込む。

 すると即座に、右から一頭が突っ込んでくる。ニーナはナイフを振り抜き、その猛獣の喉元を掻っ(さば)く。しかし同時に、左からも別の一頭が牙を剥く。その大口は、ニーナの頭も悠々収められるほどの大きさを持っていた。


 それでも、彼女に動揺は無い。逃げるどころか、思い切り踏み込んでその左腕を狼の口内に突っ込む。

 がっと閉じられる牙が、ニーナの上腕に食い込む。だが、それも一瞬のこと。直後に狼は、血を吐きながら悲鳴を上げた。

 彼女はにっと不気味に笑って、引き抜いた舌を投げ捨てる。そして呻く猛獣の喉を、ナイフで一突きした。


 残された二頭の動きが、明らかに鈍る。血に塗れた目の前の少女の姿に、(おのの)いているようにも見えた。


 そんな二頭に襲いかかろうとニーナが一歩踏み出すと、その背後からぐわと向かってくるものがある。最初にニーナが(かえ)した一頭。下顎は砕かれたが、意識は戻ってきたらしい。振り返るニーナに向かって、その狼は跳びかかっていく。


 ―――が、その横っ腹に突進するようにリンドが剣を突き立て、止めを刺した。その動きはニーナを守るというより、彼女に先んじて仕留めんとするかのようだった。


 ニーナの注意が背後に逸れた隙に、残りの二頭は西方に逃げ去って行く。追おうとすると、その肩を強く掴まれた。


「もういい。追うな」


 ちろっと視線を向けたニーナに、リンドはやや強い口調で言う。


「……はあい」


 それに素直に応じ、彼女はふーっと息を吐き出した。

 そこでようやく、自身が血を浴びていることに気付く。


「あぁ、早速汚しちゃったなァ……」


 呟いて、リンドの方をちらと窺う。


「すみません。汚しちゃって」

「傷は大丈夫なのか」


 しかしリンドが関心を寄せているのは、そこでは無いらしかった。彼の視線の先、ニーナの左の上腕の辺りは服に穴が空き血に染まっている。それを見てニーナは、また「あぁ」と声を漏らす。


「穴空いちゃいましたね。直せるかな……」

「傷は」


 リンドに再び問われて、ニーナはにへらと笑う。


「いや、全然問題無いです。こんなのすぐ治りますよ」

「……」


 なおも訝しげな視線を送ってくる彼に、ニーナはその左腕をぶんぶん振って「ね?」とアピールする。痛みが無いわけではない。しかし治癒が早く、多少の怪我では問題にならないというのも本当のことだ。


「―――それより、」


 と言って、ニーナは再び森の方を見やる。


「主役が来ますよ」

「さっきの狼を追い立てた(・・・・・)魔物だな」


 彼女が鋭敏な察知能力で捉えた存在に、リンドも推測で気付いていたようだった。

 二人がそれぞれに導いた結論が証明されるまでには、そう長くかからなかった。すぐに、遠く地響きが耳に届き始める。


「……さっきの狼ですけど、あれ魔物でした?」

「第四世代ってところだな」


 ニーナの問いに、すぐリンドが答える。

 それを聞いて、彼女はふっと破顔する。


「なら、これから来るのはきっとそれ以上の怪物ですね」

「それ以上どころか……」


 リンドが言葉を濁す間にも荒々しい音は迫り、地を揺らし始める。さらに、木々がへし折られる轟音。そして、けたたましい唸り声。


「―――第一世代だ」


 木々を押しのけその合間から頭を覗かせた巨大な猪を前に、リンドが呟く。


「『カリュドン』の討伐なんて、銅貨四十枚じゃ割りに合わないな……」


 それはぼやきに近かった。

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