71.偽英雄と取引
静かな村の夜に、被さる雑音。
穏やかな酒場の景色に、割り込む影。
リンドの安息は、叶わないらしい。
「邪魔するぞ」
と言って、彼に話を持ち掛けてきた相手はこちらの応答を待たずに扉を開いた。
「俺の話を聞いていないのか? 朝まで待てなければこの家の住人の命は―――」
言いかけて、リンドは言葉を途切れさせる。
扉を開いて彼を見上げた人物が、思いの外若い娘だったからだ。
暗い茶の外套に付いた頭巾を被った彼女は丸っこい眉と八重歯が特徴的で、両の側頭で長い金髪を結っている。恐らく、十五歳くらいの娘だ。
その彼女は視線を一度家の中へ向けてからリンドへ戻して、その小さな口を開く。
「構わん」
「は?」
「殺して構わん、と言ったのだ」
眉根を寄せたリンドにそう言い放つと、彼女はリンドを押し退けずかずかと酒場に入ってきた。
それで止む無く、リンドは右の腰に携えた剣の柄に手を掛ける。―――が、そこで彼の手は止まった。
店に踏み込んでくる娘の姿を追った目の端―――店の入口に、別の人影を見つけたからだ。
そちらへ顔を向けると、既に踏み入られた娘とは対照的に大柄な中年の男が彼女と同様の外套を身に纏い頭巾を被った姿でゆっくりと部屋に入ってきた。
その眼光は鋭い。リンドが剣を抜けば、その瞬間に襲い掛かってきそうな雰囲気だ。
そして、そんな殺気を纏っているのは彼だけでなかった。
この家の周囲を殺伐とした空気が囲っていることにリンドは気付く。
何人かまでは分からないが、少なくない人数が確実に外で待機している。
先の言葉が嘘で無ければ、迂闊に行動は起こせない。
そんなことをすれば、彼らはこの家ごとリンドを焼き払おうとするかもしれない。
それは防げたとしても、突入されればここにいる家族が巻き添えを食うことになる。
「どうした。殺さんのか?」
とリンドを煽りながら、入ってきた娘は酒場のテーブルの一つに着く。
そして、傍のテーブルで固まっている家族に目を向けた。
「おい、この店はエールも出せないのか」
「すみません……。その、今日はもう店を閉めてまして……」
店主である男が告げると、彼女の丸い眉がぴくりと動く。
そしてその口が、静かに開かれた。
「燃焼」
その声の直後に、店主の身体に火が点く。
「うわッ……!」
と店主が悲鳴を上げた。
だがそれとほぼ同時に、火は幻のように消え去る。
無論、リンドの力だ。
「―――何をしている」
リンドの射貫くような鋭い視線を受けて、娘はびくと肩を揺らす。退魔の力による恐怖も感じているはずだ。
しかし、それでも彼女は笑んで見せた。
「貴様こそ、何をしている。我らが入ったら、其奴らを殺すのでは無かったか?」
「……」
その問いには答えずに、リンドは別のことを口にする。
「お前、ソートリッジか?」
先の魔法には、綴る動作が無かった。前もって準備していた風でも無い。
綴り無しで魔法を使えるとすれば、そんなことができるのは魔法王家ソートリッジの人間くらいだろう。
その特別な力について、リンドは以前に無綴無唱の魔法を使う魔女から聞いたことがあった。
それに彼女の他者を見下す傲慢な態度は、リンドがよく知る純人王国の王家の人間の姿と似ていた。
リンドの問いかけに、果たして彼女は頷きを返す。
その顔に、先ほどまでの笑みは無い。
「私はミネア・ソートリッジ。十年前、アルバートらに殺された魔法王の娘だ」
そう言って、彼女はぎろと睨むような視線を火傷を負った酒場の店主の方へ向ける。
「分かったら、エールを出せ。できないとは言わせないぞ」
「は、はいっ……!」
と店主の男は応え、傷を手当てする妻と共に店の奥にある調理場へ向かう。
その両親に呼ばれて、しかし幼い少女は一人席から動かなかった。否、「動けなかった」のだろう。
彼女の顔は怯えた様子のまま固まっていた。身体も硬直しているようだった。目の前で父が焼かれかけた上に、退魔の力を浴びたのだ。彼女が感じた恐怖は計り知れないものだったはずだ。
「―――大丈夫だ」
と、リンドはそんな少女に歩み寄って言った。
そして不安げにこちらを見上げる彼女に、伝える。
「お前も、お前の家族も、必ず俺が守る。―――だから、大丈夫だ」
幼き日に見た最悪の光景を、もう決して繰り返しはしない。
使用人の彼女のような思いをする人間を、もう決して出さない。
それはリンドの胸の深いところにある、固い誓いだ。
彼の思いが届いたのか、少女はようやく拘束を解かれた様子で席を立つ。
そして両親を追って―――行こうとして、ちらとリンドを見た。
「―――お兄ちゃんもね」
「うん?」
「お兄ちゃんも、助かってね」
向けられた言葉に、リンドは知らず表情を和らげる。
「……ああ」
頷くと、少女は今度こそ両親の元へ向かっていった。
その背を見送っていると、後背から鼻で笑う声が聞こえてくる。
「アルバートの癖に、人間ぶった台詞を吐くんだな」
「人間だからな」
言いながら振り返れば、そこにいる娘は憎しみの込もった目をこちらへ向けていた。
「ソートリッジをあれだけ殺し、ここまで貶めておきながら……善く言う」
「ダート・アルバートの件はともかくとして、二年前に王座を奪われたのはお前らが民を蔑ろにしていたせいだろ」
「貴様ッ……!」
ばんと机上を叩いて、ミネアが席を立つ。同時に側近と見られるもう一人の魔法人の男が、携えた剣の柄に手を掛けた。
だがリンドは動じること無く、立ち上がったミネアの元へと歩む。
「俺と取引するんじゃなかったのか?」
言うと彼女はぎりと歯噛みして、それからふーっと息を吐き出す。
そしてちろっとこちらを睨んだ。
「……口の利き方には気をつけろ。私の指示でこの家を今すぐ焼き払うこともできるのだからな」
しかしそんな彼女に、リンドも鋭い視線を向けて言葉を返す。
「そんなことをすれば、俺はお前の首を刎ねるぞ」
「我らがそれを許すと思うか?」
とそこに側近の男が割って入ってくるが、リンドの冷たい視線と声音は揺らがない。
「当然、あんたらの首もミネアと一緒に並ぶことになる」
「調子に乗るな若造が……!」
「やめろ。そこまでだ」
ミネアが言って、側近のそれ以上の行動を制した。
「此奴の戯言に付き合うな。それより、議会派の連中を潰すのが先だ」
そう口にしながら彼女は再び席に着き、リンドにも座るよう視線で促してくる。
それに従って、リンドも彼女の向かいの席に座した。
「……おい、早くしろ」
それは奥でマグを持って様子を窺っていた店主に向けられた声だった。
その声に店主が「はい!」と応えて駆け寄り、マグを机上に置く。
店主がすぐにその場を離れると、ミネアはまた怒りを鎮めるように息を吐き出す。
その後に、静かに話し始めた。
「―――貴様は、この国の現状をどこまで知っている?」
「二年前にマーシャル・イージスがソートリッジから王座を奪ったことは知っている」
とリンドは答える。
「ソートリッジはその戦いで全滅したと思っていたが……」
「私は生かされたのだ」
とミネアは語る。
その表情は、苦渋に満ちていた。
「母様と、裏切り者の剣士によってな」
何やら、込み入った事情があるらしい。
だがそれは、リンドにとってどうでも良いことだ。故に彼は、話を先に進める。
「それでお前らは、王位を取り戻そうとしているんだな?」
「あんなイージスの拾いものが王になるなど、我らは認めていないのだ! 王位は代々ソートリッジにあり、代わる者など―――」
「俺に、何をさせたい」
話を遮って簡明直截な問いを向けると、ミネアは不愉快そうな顔をした。
しかしエールを一飲みして間を置いてから、その答えを口にする。
「貴様はただ、マーシャル・イージスを討てば良い。奴は恐らく、真っ先に飛び出してくる。それを貴様が迎え撃つのだ。そしてその間に、我らは王城を攻め落とす。貴様は王城にいる連中から邪魔されること無く魔法王の首を持ち帰ることができ、私は王座を取り戻せる。―――悪い取引ではあるまい」
リンドはその彼女の提案を、瞑目し黙って聞いていた。
そして話が終わると、目を開いてすぐに言葉を返す。
「―――何故わざわざ、そんな話を持ち掛ける」
「何故?」
とミネアが質問の意図を図りかねるように首を傾げたので、リンドは補足する。
「そういう話なら、取引なんてしなくても俺は魔法王と戦う。お前らは、俺が暴れた後に城を攻めれば良いはずだ。隠れて機を待たず、今出てきた理由は何だ」
「こそこそと隠れてアルバートが暴れた後を貪るなど、王のすることでは無いわ!」
と彼女は語気荒くそう答える。
すると、その後ろに控える男がさらに言葉を付け足した。
「これは王国民に見せる王家復活の戦いだ。アルバートをも率いて王座を取り戻す様を見せれば、民にソートリッジ王家の復活を印象付けることができる」
「……なるほど」
とリンドは呟く。
話にも納得したが、それとは別に分かったことがある。
この計画は目の前の娘が立案したものでない、ということだ。
無論、「王座を取り戻す」と言う彼女の意志は本物だろう。だが、この計画自体は彼女を囲う者たちが仕立て上げている。
王の下で側近たちが策を講ずることに不思議は無いが、リンドの目に今の計画は側近たちの策の上に王が担ぎ上げられているような構図に見えた。
「―――他に質問が無いなら、貴様の答えを聞こう」
考えていて知らず黙り込んでいたリンドに、ミネアが問うてくる。
それでリンドは、首を横に振って見せる。
「いや、もう一つ訊きたい。―――俺がお前らの計画に付き合ってマーシャルを討つことに、何の益があるんだ?」
言うと、ミネアは怪訝そうに眉根を寄せた。
「言っただろう。貴様は王城の連中から邪魔されること無く、マーシャルの首を取れる。―――それに望めば、我々から多少の兵を借りることもできるぞ。貴様は以前に、マーシャルに敗北したと聞いた。我らの助力があった方が良かろう」
「……そういうことか」
とリンドは呟き、そして顔を上げる。
「俺を先行させたとしても負けてしまっては何にもならないし、どうせならあんたらの復活劇に使おうとなったわけか」
彼の視線の先にいるミネアの側付きの男は、しかし瞑目して応答しなかった。
そこへミネアが、不快そうな声を向けてくる。
「おい、どこを見て喋っているのだ」
「失礼」
とリンドは言葉だけの謝罪をしてから、話を戻す。
「お前の言う、それは俺にとっての益にならない」
「何?」
「俺はお前らの手を借りる気なんて更々ない。俺と、仲間の力があればそれで十分だ。だからその提案には、魅力を感じない」
言い放つリンドに、ミネアが腹立たしそうにこちらを睨んだ。
そして、その小さな口から尖った声を出す。
「……それなら、どんな見返りに魅力を感じると言うのだ」
そう問われて、リンドは魔法王の首より欲しいもののことについて口にする。
「情報だ」
「情報?」
「魔法の起源に関する、情報」
言うと、ミネアの目がほんの僅かばかり大きく見開かれたように見えた。
それからその目が今度は細められて、彼女の視線はテーブルの端の方へと流れた。
やや間が空いて、その後に彼女の目が再びリンドに向けられる。
「……良いだろう」
「ミネア様!」
と側近が声を飛ばしてくるが、彼女はそちらをちろっと睨む。それで男は、ぐっと歯噛みするように口を閉ざした。どうやら彼女のこうした主体的決断は想定に無かったらしい。
ミネアはこちらに向き直ると、改めて提案する。
「王座へ辿り着けたなら、その時貴様には魔法の起源について話してやろう」
「何か知っているんだな?」
とリンドが確認すると、彼女は頷きを返す。
「知っている……と言うか、正確にはそれについて書かれた書の在り処を母様から聞いている。アレの在り処はソートリッジの人間しか知らず、実際に手にできるのは王になった者だけなのだ。―――二年前までの私はまだ実権を母様に委ねていた身で、書を見ることも無かった。見ることが無いまま、王座を奪われた……!」
ぎゅっと、ミネアのマグを握る手に力が籠もる。
その彼女の無念をリンドが理解することはできないが、彼女が嘘を吐いていないことは確かだろう。
それでリンドは、うんと一つ頷く。
そして決断した。
「―――お前の提案に乗ろう」
言って、その左手を彼女に差し出す。
だが彼女はそれを見て、ふいと顔を背けた。
「アルバートと握手を交わすつもりは無い」
「取引を持ち掛けてきたのはお前だろ……」
とリンドは呆れ交じりの息を吐くが、彼女の素振りは変わらない。
「私は父様たちを殺したアルバートらを許したわけでは無い。貴様とて、ソートリッジと仲良くする気はあるまい。貴様は私を利用し、私は貴様を利用する。それで良いだろう?」
「……俺は」
と言いかけて、リンドは口を噤む。
今ここで何を言っても、彼女には響かないだろう。
それならば、今は。
「お互い、役を果たそうぞ」
リンドの心の内を、ミネアが口にした。




