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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第3章 境界の街を目指した彼らは
44/106

44.偽英雄(後編)

「―――燃焼(フィーレ)


 静かな詠唱の直後に、しゅっと巻き起こった火が地を這うようにしてリンドたちに向かってくる。

 迫る間にごうと大きく燃え上がる、その炎の色は青。

 対して即座にリンドはその左手を差し伸ばし、発動した退魔の力によって炎は一瞬にして消失する。しかしその彼の後背で、フレアは戦慄(わなな)いていた。


「何、今の……!?」

「何でもいい」


 とリンドは即返す。


「それより、もう穏便には済ませられなそうだから―――」

「分かってる! 準備はもうできてる!」


 フレアも彼の言葉にすぐ答えを返してきた。

 しかし彼の後ろにいたもう一人は、もっと速かった。


 一駆けでさっとリンドの横を通り抜けた彼女は、あっという間にマーシャルの眼前に迫る。


「……!」


 不意を突かれた彼は、その小さな少女の回し蹴りを右腕を上げて受けることしかできない。

 当然、受け止めることなどできない。彼女の蹴りを受けたマーシャルの身体は撥ね飛び、奥の砦にどんと派手に突っ込んだ。

 石造りの砦の一部が損壊し、粉塵を舞い上げる。


「ニーナ……」


 と呆れ交じりの声を漏らすリンドに対し、彼女は珍しく真剣な声を返してきた。


「リンドさん、アレ普通じゃないですよ。蹴った感じが凄く重い」


 今の一撃では決まっていないということだろう。それは理解した。

 だが、相手はその一人では無い。すぐにざっと広く布陣していた兵士たちが、その弓を引き或いは右手を差し向けてくる。魔法だけなら防ぐのは容易いが、矢も交じっているとなれば簡単にはいかない。

 しかも兵が広く布陣しているため、退魔の力で一気に動きを止める―――というのも難しい。


「ニーナ、下がれ―――」


 声を掛けるのとほぼ同時に、損壊した砦から上がっていた粉塵がばっと裂ける。

 次の瞬間には、ニーナの目前にマーシャルの姿があった。リンドが駆けつける間も無い。

 まるでニーナの攻め手を真似るように身体を勢いよく捻ったマーシャルの膝蹴りが、彼女が防ぎに回した左腕を打つ。

 蹴り飛ばされたニーナは、川沿いの建物へ派手に打ち当たる。どんと音立てて灰の粉塵が上がった。


「ニーナっ!」


 とフレアが声を上げるのと、リンドがマーシャルに向かって右手に握った剣を振り薙いだのとはほぼ同時だった。


「……ふざけてるのか?」


 鞘に収まったままの剣を右腕で受けたマーシャルが、こちらを睨む。

 だが勿論(もちろん)、リンドは本気だった。


「こっちの方が迷わなくていい」


 返して、さらに後背にも声を向ける。


「ニーナのところに行け」

「でも、リンドは―――?」

「問題無い」


 フレアの声に答えると同時に、リンドはその剣を素早く振るう。

 反撃を受ければ、ニーナのように撥ね飛ばされる。そしてそうなれば、頑丈なニーナのように軽傷では済むまい。

 しかし距離を取れば後方で弓や魔法を構える兵士たちの攻撃を受けるので、間は詰めるしかない。幸いと言うべきか、マーシャルから距離を取る気配は無い。


 その動きから見るに、目の前の青年は兵を率いている感じでは無かった。戦い方が完全に個人だ。

 それに文句をつける者が無いということは、地位を得ながらそれを使えていないということだ。もしかすると兵を率いた初陣(ういじん)なのかもしれない。個人としては優秀なものの、最前線に置くには随分と心許無(こころもとな)い隊長だ。

 逆に考えると、その分この先には指揮に()けた熟達者が待ち構えている可能性がある。


 頭を回転させながらも、手は素早く動かし続ける。

 マーシャルもリンドの素早い剣捌(けんさば)きにはついてきているが、反撃は無い。


 一方のフレアにちらと視線を向ければ、彼女もニーナの元へ無事行き着いたようだった。

 そこへ、周囲の魔法人たちが矢を向ける。


製鉄(イローネ)!」


 その詠唱でフレアの前には鉄の壁がそそり立ち、兵士たちが放った矢が弾かれる。

 すると直後に、壁の横からばっとニーナが飛び出す。その駿足で矢を放った兵たちの懐に飛び込むと、素早く足払いを掛ける。さらに跳んで、彼らの頭を踏みつけながら攪乱(かくらん)する。

 間を詰めてしまえば、ニーナの独擅場だ。


「―――どこを見てる」


 不意に間近でした声に視線を戻せば、マーシャルがその左手に握った剣で突いてくる。

 それをさっと躱してまた勢いよく剣を振り薙ぐ。受けさせていれば主導権はリンドが握ることができる。


 ―――しかし、マーシャルは受けなかった。

 否、防ぐことなくその身で受け止めたのだ。リンドが振るった鞘に収まったままの剣はマーシャルの左の脇腹に食い込んだ。

 しかし同時に、防ぐことをせずに振り抜かれたマーシャルの剣がリンドを捉える。

 咄嗟にばっと退いてその軌道から外れるが、間合いが足りない。


 ひゅっと高速で抜けた刃の後に、ぶしっと血が撥ねる音がした。

 斬撃は、リンドの左の脇腹を裂いていた。


 ぐらと蹌踉(よろ)めくリンドの前で、マーシャルはその右手をニーナたちの方へ向ける。

 その指が魔法を綴る。


 ―――守らなければ。

 とリンドは、素早くその左手を差し向ける。その手を中心に起こる退魔の力は、マーシャルの魔法を消し去る。……はずだった。

 ところがマーシャルは、魔法を使わなかった。ニーナたちの方へ差し向けた右手を握り、ぎろとこちらに即座に向き直る。

 始めからそうするつもりだったのだ。


「俺は……、その力を知っている」


 握り拳を引きながら吐く彼の声は苦しげだが、しかしその動きは止まらない。


「恐れるものかッ……!」


 振り抜かれた右拳が、リンドの右胸を捉える。

 直前に後方へ跳ぶも、衝撃を和らげるには全く足りない。

 リンドの身体は撥ね飛び、そして石敷きの道を派手に転げた。


「リンドさんッ!」


 激しく転がって方向が分からなくなった上に呼吸が上手くできずに意識が朦朧(もうろう)とするが、遠方からしたニーナの声は聞き取れた。

 それにがばと身体を起こして声を返す。


「戻れ……! 橋の向こうまで!」


 しかし呼吸が乱れたせいで、思いの(ほか)声が出ない。

 声は届いたのか。

 リンドはすぐに立ち上がり、周囲を確認して自分の位置を把握する。

 砦の傍まで転がされ周りを魔法人の兵たちに囲まれている彼に向かって、ニーナとフレアが駆けて来るのが見えた。

 そしてその間には、マーシャルが立っている。


 マーシャルは、その右手をニーナたちに向けた。

 魔法は、先に綴られている。


「ニーナっ……」

燃焼(フィーレ)!」


 リンドが声を上げ退魔の力を発動させるのと、マーシャルが詠唱するのとはほぼ同時。

 しかしリンドの力は、周囲の兵たちを硬直させただけ。

 退魔の力の範囲に、マーシャルが放った炎は収まっていなかった。


湧水(ワテラ)!」


 先行するニーナに襲いかかる青い(ほむら)に、フレアの放った流水が打ち当てられる。

 それが炎をじゅっと消すが、その温度が高かったのか大量の流水も一瞬にして蒸気に変わる。

 ぶわと高熱の空気が一気に広がった。


「熱ッ!」


 とニーナが翻筋斗(もんどり)を打って地面に転がる。

 顔を押さえているところを見るに、目に蒸気を受けてしまったのかもしれない。


「ニーナ!」


 と駆け出したリンドとフレアの声が重なる。

 その声に反射的に跳ね退いたニーナの肩を、マーシャルが振り上げた剣が掠めた。


「ッつ……!」


 間一髪のところで致命傷を逃れたニーナだが、そこへマーシャルの回し蹴りが入る。

 もろに腹に食い込んだ一撃に、ニーナがその中身を吐いた。


 そのまま、彼女の身体は勢いよく蹴り飛ばされる。

 その先は、荒れ狂う大河だ。


「っ―――!」


 咄嗟に跳んでそれを受け止めたのはフレアだ。

 だが、勢いを止められない。

 ニーナと一緒に地面を転げ、そして大河に放り出される。


 フレアが伸ばした右手がニーナの右腕を掴み、左手が川岸を掴んだ。


「ぐ、うぅ……!」


 岸に見えるか弱い手と共に、苦しげな声が聞こえてくる。


「フレア!」


 声を上げ、リンドはそこへ向かって一直線に駆ける。

 中途に立つマーシャルは、全力で剣を振り薙いで退かしにかかる。


 だがマーシャルは、その一撃を腕の一振りで弾き返す。

 彼の腕力も圧倒的に強いが、リンドの振りも雑になっているのだ。


「ニーナっ!」


 しかし、リンドの目に映るのは目の前の男では無い。

 彼女らを救うために、ただ剣を振るう。

 撥ね返されても、弾き返されても、剣を振り薙ぐ。叩きつける。


 しかし、道は開けない。

 撥ね返される度に、リンドの脇腹はじわじわとその血の染みを服に広げていた。


 足元がふらつき始める中で、リンドはその剣を鞘から抜き去る。

 そしてその剣を、マーシャルに向かって大きく振り下ろした。


「道を開けろっ……!」


 しかし剣は躱され、刃が虚しく石の地面を叩く。

 それでも、リンドは抜き身の剣を振り薙ぐ。突き出す。打ちつける。

 その度、空ぶった剣身が石を打って悲鳴を上げた。


「―――アルバートが、聞いて呆れる」


 もう何度目かの斬撃を剣で打ち払って、マーシャルは言った。


「こんな人間の一族に蹂躙(じゅうりん)されたのか、俺たちは……」

「アルバートじゃない……」


 とそれにリンドは言い返す。

 顔は青褪め、呼吸も荒い。目の焦点も合わなくなっていた。


「俺は、あいつらとは違う……!」

「ああ、そうか」


 とマーシャルは、合点がいったように冷たい視線をこちらへ向けた。


「―――お前は、アルバートですらないのか」

「……!」


 リンドは、また剣を振り下ろす。

 しかしそれも躱したマーシャルは、その手の剣でリンドの剣を上から叩きつける。

 がっと地面に突き立った刃は、ばきっとその中ほどで()し折れた。


 剣は折れてしまった。

 もう、戦えない。

 判断したリンドはぴたと動きを止め、―――そして同じく決着を判断して動きを止めたマーシャルの脇を転げるようにして抜けた。


 そのまま、フレアたちの元へ駆ける。

 ……だが。


 川岸を必死に掴んでいたはずの白い手は、消えていた。


「フレア……」


 知らず、視線を彷徨わす。


「ニーナ……!」


 後背に目を向ければ、マーシャルの斬撃が迫っていた。

 それを辛うじて身を投げ出して躱すが、そこを今度は蹴りつけられる。

 鋭い一撃を腹に受けたリンドは、地を転がって砦に叩きつけられる。


 朦朧(もうろう)とする意識の中で、リンドはずるずると身を起こす。

 右手に、剣は無い。取り落とした。


 視線を彷徨わせながら探し、折れた退魔剣を見つける。近い距離だが、ぼうっとした意識の中では矢鱈(やたら)と遠くにあるように見えた。


「……まずは一人目」


 マーシャルの声を余所に、リンドはその剣に左手を伸ばす。


「この世界を腐らせた連中は、俺が全て潰す」


 マーシャルが振り下ろす剣には、一切の迷いが無い。

 そうしてリンド・アルバートは、全てを失った。

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