32.偽英雄と少女の罪
雨降る宿場町の一角で、リンドとニーナは対峙する。
「ちょっとリンドっ!」
と傍らでフレアが叫ぶ。
「それにニーナも! こんなこと止めなさいよっ!」
叫ぶ彼女に、ニーナは反応しない。
一方のリンドは、指示を飛ばす。
「アニーを介抱してやれ。落ち着いたら話を聞く」
「勝手なことをしないでください」
とそこに、ニーナが苛立ちの交じった声を向けてくる。
そしてその声を追い抜く勢いで、彼女はリンドに突っ込んできた。
ニーナの一閃が、リンドの脇腹に向かって飛んでくる。
リンドはそれを剣で受けると同時に、素早く身を引く。重過ぎる一撃は、逸らさねば撥ね飛ばされる。
しかし斬撃を逸らしたかと思えば、彼女はすぐに跳び上がってリンドの顔面目掛けて足を飛ばしてくる。
逸らすには間が足りない。剣を引いて受け止める。
だが、受け止められる威力ではない。リンドの身体は地を離れ、家の壁に叩きつけられた。木造の建物がみしと音を立てる。
そこへさらに、ニーナが跳び込んでくる。
躱しても、状況は変わらない。―――何より、
「家が壊れるだろ」
言いながら、リンドは両手で握った剣を振り薙ぐ。
それは勢いよく跳んできたニーナの腹を捉えて―――いたが、彼女は身を丸くして両膝でその打撃を受ける。がっと音がしてニーナの表情も一瞬痛みに歪むが、それくらいで彼女の動きは止まらない。
リンドはよく知っているのだ、彼女がどれだけ強いかを。
力が強くて、俊敏で。
辛抱強く、痛みを恐れない。
そして、不条理を嫌い真っ直ぐに生きている。
リンドの剣にぶつけた膝を勢いよく伸ばして、ニーナは高く跳び上がる。
それから、彼に向かって落下しながらその踵を落としてきた。
それをリンドは剣で受け流し、落下点を逸らす。
どんと彼女の足が濡れた土の地面を叩き、大地を揺らしながら土砂を撥ね上げた。
そこに向かって、リンドはもう一度剣を薙ぐ。
手加減できる相手ではない。思い切り彼女の頭に向かって鋭く振った。
その一撃は反応の良い彼女の左腕によって防がれる。しかしそれは、彼が信じた通りだ。強打は直接ニーナの頭を打たない。その衝撃だけが、彼女の頭を揺す振れば良い。
そして彼の想定通り、ニーナの身体はくらっとふらついた。
一時安定を失った彼女を支えようと左手を伸ばした時、彼女が右腕を振り抜いた。
「―――っ!」
リンドが反応するも、もう遅い。
ナイフは既に、彼女の手を離れていた。
それはリンドの脇を抜け、その向こう側へびゅっと飛んでいく。
「危ないっ……!」
声がしたと同時に振り返れば、ナイフはアニーを庇ったフレアの左の肩口を裂いていた。
赤い血が撥ね、彼女の白い上衣を汚す。
失敗を見たニーナが、ちっと舌打ちする。
そしてすぐさま、その腰に差したナイフを抜いた。
しかしその手首を、リンドはがっと強く掴む。
「ニーナ!」
彼の強い口調に、彼女がびくと肩を弾ませる。
その彼女に、リンドは努めて冷静に抑えた声を向けた。
「―――何してる。そのナイフは、仲間を傷つけるために貰ったのか?」
問うと、彼女は視線を逸らす。
「……庇うのが悪いんです。私は、ただバリスタを―――」
「あの子供を殺すことは、『繋がってる』ことなのか?」
以前に彼女から聞いた言葉を向けると、彼女はぐっと口を引き結ぶ。
「殺されて当然のことをしたから、『もやもやしない』のか?」
「……」
彼女は顔を俯け、口を噤む。
そんな彼女に、リンドは静かに伝えた。
「分かり合えるように話そうと、そう言った。―――だから話してくれ。何をするにも、それからだ」
その言葉に、声は返ってこない。
しかし見下ろせばニーナは、その大きな眼からぽろぽろと涙を溢していた。
そうして暫く、彼女は呻くように泣いていた。
*
「いいってば。自分でやるから。―――痛っ」
拒むフレアを無視して、リンドは彼女の肩口の傷に亜麻布を巻きつける。襟巻から切り取ったものだ。魔法布を生成する方法もあるが、リンドの傍ではいつ消えるとも知れないので止血には向かない。故に、長く繕ってもらった襟巻が役に立った。
幸いにして傷は深くないので、そうしておけば問題は無いだろう。リンドはふうと安堵の息を吐き出す。
「……ありがと」
リンドの押し売りの気遣いに、フレアが小さな声で礼を言った。
そんな彼女に「うん」と応じてから、リンドは彼女の傍らに立ってそっぽを向いている少年の方へ目を向ける。
「そっちも、問題無いみたいだな」
「……」
「そうね。無事で良かった」
黙っている少年―――アニー・バリスタの代わりに、フレアが答える。
それから、彼女はアニーに問う。
「どうしてニーナを殺そうとしたのか……詳しく聞かせてくれる?」
「……」
しかし、彼は顔を逸らしたまま答えない。
そこで今度は、リンドが声を上げる。
「何があったのか聞かせてくれ」
その声を向けた先は、空き地の反対の端。アニーから距離を取る様にして立つニーナに向けたものだった。
彼女も、リンドから顔を背けていた。だがそれでも、小さい声ながら語る。
「……その子供は、私の父親の愛人の子供なんですよ」
「愛人……!?」
と目を見開くフレアの方へちらと視線だけ向けて、ニーナはにやと力無く笑む。
「結婚相手とは別に関係を持ってる人のことですよ」
「それは、知ってるわよ……」
普段のような勢いの無い彼女に対して、フレアが若干返しにくそうに言う。
そんな彼女を余所に、ニーナはまた視線を明後日の方へ向けて語り出す。
「―――私は一人っ子でした。父親は息子を欲しがってたみたいですけど、母親との間に生まれたのは私だけ」
「それで、他の女にも手を出したのか」
リンドが言うと、彼女はこくりと頷く。
「五年くらい前に、私は他の家に売られました。急だったので驚いたんですけど……、息子が生まれてたんなら納得です。―――私は要らなくなったんだ」
感情を抑えつけたようなニーナの声に、フレアはぐっと唇を噛んでいる。
静かな声は、さらに言葉を継いだ。
「売られた私は、身勝手な両親と愛人の破滅を願いました。―――そしてそれは叶った」
「願いが叶ったってことはつまり、その人たちは事故か何かで―――」
「違いますよ」
フレアの好意的な解釈に、ニーナは首を横に振った。
「神サマが願いを叶えてくれるなら、そもそも私は売られなかった。家に閉じ込められて暴力を受け続けることもなかった。でもそうじゃなかったから―――」
彼女が言葉を切った僅かな間に、フレアの瞳が不安げに揺れる。そこからは「違うかもしれない」という希望……或いは願望に近いものも覗けるが、しかしリンドの冷静な思考は一つの結論しか導かなかった。
そしてニーナの言葉が、それを確定させた。
「私が、両親と愛人を殺したんです」
「……!」
フレアが、痛ましげに顔を俯かせる。
その隣で、アニーがぐっと歯噛みした。
「この悪魔め……! 俺は見てたんだ。母さんに匿われた部屋のベッドの下でお前が二人を殺すのを……。お前が何もしなければ、俺たち家族は―――!」
「悪魔?」
とニーナが繰り返して、冷たい視線をアニーに向ける。
「悪魔なのは、あなたの両親でしょう。あの二人がくっつかなきゃ、私が売られることは無かったんですから。―――まァ、それで幸せになれたかは分からないですけど」
「二人のことを悪く言うなッ! 大体あの二人が一緒にならなかったら、俺は生まれなかったんだ!」
「だから、あなたが要らないと言ってるんです」
「お前ッ……!」
再びニーナに襲い掛かろうとするアニーの前に立って、リンドは彼を止める。
フレアも後ろから彼を抱くようにして捕まえる。
「駄目っ! こんなことしても何にもならないわ!」
「離せ! お前らなんかに分かるもんかっ!」
「―――なら、分かる人間の話を聞いてみよう」
リンドが言うと、彼は怪訝な顔をしてぴたと動きを止める。
それを確認してから、リンドはニーナの方を見た。
「復讐して、気は晴れたか?」
「……」
沈黙するニーナに、彼は言葉を継ぐ。
「出会った時の自罰的な戦い方が、ずっと気になっていた。―――あの自分から傷つきに行くような行動は、その復讐に対する罪の意識からやっていたことなんじゃないのか?」
その問いに、ニーナは顔を俯ける。
それから、ふっとその口元を緩ませた。
「一部は正解です。でも一方では、やったことに後悔してません」
「……」
リンドは口を開かず、その意味の説明を待った。
しかしそれ以上、ニーナは語ることをしなかった。
それでリンドは、諦めて後背を振り返る。そしてフレアに捕まったままのアニーを見下ろした。
「お前も後悔することになる。だから止めておけ」
「うるさいっ!」
としかしアニーは反発する。
「俺は後悔なんてしない! その女さえ殺せれば―――」
「殺せば、またお前のように別の人間がお前を殺しに来る」
「そいつにもう身内なんていない! 自分で殺したんだから!」
「……もっと分かりやすく言おうか」
荒々しく言葉を吐き続けるアニーに、リンドは溜息交じりに言う。
その後に彼が続けた言葉は、冷たい響きを持っていた。
「ニーナに手を出せば、俺がお前を許さない」
リンドの冷淡な視線と声に、アニーの肩がびくりと弾む。
それきり言葉は返ってこず、ただ彼はぎりと歯噛みしていた。
説得のつもりが、脅迫になってしまった。
リンドはがしがし頭を掻きながら、ふうと息を吐き出す。
それから、気持ちを切り替えてこれからのことを口にした。
「お前はまだやり直せる。どこでやり直したい? 鍛冶町の教会か?」
「……」
黙り込むアニーに、リンドは別の提案もしてみる。
「或いは、鍛冶士の家の養子になるって選択もある。その家ならお前と捕まってた子供もいるし、『もう一人いても良い』とも言っていた。だから―――」
「嫌だ」
とアニーは拒絶した。
「俺はバリスタの子だ。他の家の子になんてならない」
「……」
彼の言葉に、リンドは腕組して一思案する。
その彼の代わりに、フレアが声を上げた。
「なら、教会に行きましょう。この町にも確か―――」
「行かない」
としかしアニーはそれも拒絶した。
そして、無念そうに呟く。
「……港町に、帰る」
「港町……!? あなた、港町から一人でここまで来たの!?」
フレアが驚きの声を上げる。
港町は、純人王国の東端に位置する町だ。広い国ではないので距離的に不可能ということは無いが、魔物獣との遭遇の可能性を考えると子供の一人旅は無謀と言わざるを得ない。
「港町を出る荷馬車の荷物に紛れて鍛冶町まで行ったんだ。―――でも、そいつらが純人教団だった」
とアニーは説明する。彼なりに上手く立ち回ったようだ。もっとも、魔物の代わりに賊に捕まってしまったわけだが。
「港町にも教団がいるのね……」
フレアが辟易した様子で呟く。
「あそこは事実上の無法地帯だ。過激な連中にとっては、むしろ居やすい場所だろうな」
言いながら、リンドは自身の中の考えを纏める。
そして、それを口に出した。
「―――よし。それなら、これから港町に向かおう」
「はっ?」
「え?」
ニーナとフレアの声が重なる。アニーも目を見開いて固まっていた。
「ええと、確かに私もこのまま彼を放っておくわけにはいかないと思うんだけど……」
とフレアが控えめに発言する。
「でも、逆方向よ……」
鍛冶町から西の境界の町へ行き、そこから北上していく経路が、最も早く魔法王国の王都へ辿り着ける道だ。
これから反転して鍛冶町へ戻り、そこから東端の港町に向かい、さらにまた反転して東の境界の街へ行くとなると、当然今より大分時間が掛かってしまう。
家族の身を案じるフレアとしては、躊躇うのも無理はない。
しかしそれでもリンドは、救うことを放り出して進むことはできなかった。
それは、サーシャと交わした約束でもある。
「クリストンの全滅はアルバートも望まないことだ。安易に殺すことは有り得ない」
とリンドは説く。
「それに、東の境界の街にはダート・アルバートがいる。俺の前に魔法王の討伐を成した男だ。魔法王国についての新しい情報を持っているかもしれない」
「……」
説明すると、フレアは腕組して顎に手をやり考え込む。
しかしやがてそれを解くと、こくりと頷いた。
「……分かったわ。そうしましょう」
「私は嫌ですよ。そんな子供のお守なんて」
「俺だってお前に守られるなんて御免だ!」
口々に文句を言うニーナとアニーには、リンドとフレアがそれぞれに説得の言葉を向ける。
「行きたくないなら、行かなくていい。境界の街で待っていろ」
「あなたのことが心配なの。だからお願い。守らせて」
リンドの方は説得と言うには少々乱暴だが、それ対してニーナは不満げに口を尖らせるだけで反論はしない。
アニーもフレアに後ろから抱かれながら微笑まれて迷惑そうにそっぽを向くが、何も言葉は返さなかった。
それでリンドとフレアは、互いに視線を交錯させて頷き合う。
「港町に行こう」
リンドは、改めて宣言した。




