3.少女が目指す場所
(キャラクターイラスト制作:たたた たた様)
「純人王国」は、広大な島の南方を領地として有する国である。「純人」という表現は、「魔法人」に対する言葉として用いられる。
人法の枠に収まらない概念を人々は「魔法」と呼び、魔法という枠の中で生きる人々のことを「魔法人」と呼ぶ。彼ら魔法人は島の北部に「魔法王国」と呼ばれる国を築いており、純人王国と魔法王国とはしばしば境界線上で領土を巡る争いを繰り返していた。
魔法が歴史に登場し現在の国の構図が出来上がって、およそ三百年。時代は膠着した状態にあった。
さて、島の南部に位置する純人王国の「王都」は、更にその南端にある。そしてその王都から旧街道に沿って西に歩くと、三日程で隣街まで行き着く。
少女ニーナは正にその道程を経て、日が傾き始めた頃にその街「旧都」までやってきていた。
やってきたのだが、入口で足止めを食っていた。
「―――なんで入っちゃいけないんですか」
「お前が何者か分からないからだ」
剥れる十歳過ぎくらいの黒髪の少女に、急所を覆うだけの簡易な鉄鎧姿で槍を握る門衛の男は疑惑の入り混じった視線を向ける。
「印の確認はしたじゃないですか。私魔法人じゃないですよ?」
「それはもう分かった」
ぱっと両手を開いて見せるが、門衛の反応は鈍い。
彼の関心事は、そこではないようだった。
「『港町』から歩いてここまで来た? しかも一人で? ―――そんな話を信じられるか」
「でも、ホントだもん」
ニーナはぷくと頬を膨らませる。目も潤ませる。やや吊り目がちではあるが、ぱっちりとした大きな目なので訴える力はある。しかも身体は小柄なので、そうしていると小動物のような愛らしさが無いでもない。
それを見て門衛は、はあと溜息を吐いた。
「……分かった分かった」
―――成功だ。
と、内心でニーナはほくそ笑む。こういう「子供っぽいフリ」をするのには慣れている。その方が事が上手く運ぶこともあるからだ。子供扱いされるのは嫌いだが、使えるうちは「子供の特権」も利用してやる方が利口というものだろう。
「ありがとうございますっ」
ニーナは成る丈あどけない少女の笑みを浮かべて礼を言う。
そして旧都の立派な門を抜け―――
「待て」
「っ!」
服の襟首を掴まれ、一瞬首が絞まる。
「何するんですか!」
振り返って文句を言うと、門衛はニーナを指差す。正確には、ニーナの身体を指し示していた。
「不衛生だ。身体を清めてから入ってくれ」
「えー……」
思わず辟易した息が漏れる。
だが、実際ニーナは不衛生だった。胸の辺りまで伸ばしっぱなしの髪は前髪こそナイフでざっくり切り揃えてあるが、泥汚れが乾いた砂があちこちについている。麻布に頭と腕を通す穴を空けただけの服も、そこから伸びる手足も同様だ。傷らしい傷はほとんど無いが、衛生的とは言い難い。
ニーナもそのことは自覚しているところなので、取り敢えず顔についた泥をくしくし擦ってから反論を試みる。もっとも、汚れは落ちるどころか塗り伸ばされているのだが。
「大丈夫ですよ。私はこの通り元気ですし」
その場でぴょんぴょん跳ねて、自身の健康ぶりをアピールしてみる。しかし髪や服についた砂がぱたぱた埃を立ててしまい、思わず咳き込む。
ちらと門衛の様子を窺ってみれば、彼はニーナから一歩引いて呆れ交じりの視線をこちらに向けている。作戦は失敗だ。ニーナは頬をぽりぽり掻きながら、どうしたものかと首を捻る。
強行突破することはできる。しかしその場合、街にいる限り追われ続けることになる。できれば穏便に済ませたいところだ。
「……それで、どうすれば良いですか?」
言うと、門衛もほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「そこに水桶がある。まずはそれを使って身を清めよう」
門衛は入口傍の石壁際に置かれた桶をとってニーナを手招く。
「こっちに来い」
「はあい」
とてとてニーナが歩み寄って「次は?」とばかりに視線を向けていると、門衛は怪訝な顔をする。
「……何突っ立ってるんだ。早く服を脱げ」
「―――は?」
「手足を清めるだけで良いわけないだろう。さあ早く」
「え、いやムリムリムリ!」
ニーナは手をぶんぶん振って拒否する。
「何故だ。―――まさか、何か隠しているのか?」
「隠してますよ! あなたと同じ人間なんで!」
わっと言い返すと、門衛はようやく合点がいったのかふっと笑む。
「子供のくせに言うじゃないか。心配しなくても、お前みたいな子供を襲う趣味は俺に無いさ」
「だとしても獣みたいに扱われるのは御免ですよ」
尖った声をニーナが向けると、門衛はやれやれとばかりに肩を竦める。
「なら早く自分で身体拭いてくれ。それが終わったら医学者のところに行くからな」
「え、まだ何かあるんですか?」
「それが済んだなら、教会に連れて行ってやる」
「はあ?」
思わずニーナは頬を引き攣らせる。
これでは穏便に街に入れたとしても、自由に動けない。ニーナは断じて、教会に救いを求めてやってきたわけではないのだ。
「ほら、早く済ませろ」
「え。えー……」
門衛から視線を逸らしながら、ニーナは頭を回す。この場を切り抜ける良い方法は―――。
そして、ぴんと閃く。
「……あの、外で裸になるなんてできないです」
しなと身体を捩って、恥じらうように頬に手を当てる。
「大丈夫だ。誰も来ちゃいない―――」
「駄目ですそんなの。できません……」
よよと目元を擦って見せる。
嘘である。野外での水浴びくらい、今のニーナの暮らしでは日常だ。人目は気にするが、そこまで神経質でいたら立ち所に参ってしまう。
だが、今この場において彼女は、淑女に徹する。
やや鬱陶しいくらいのアピールに、門衛ははあと溜息を吐く。
「……分かった分かった。そこの詰所を使わせてやるから、早くしてくれ」
「中に人いませんか?」
「いるよ。けど奥で寝てる。―――そら、連中が起きてくる前に済ませろ」
未だ渋るニーナを半ば押し込む形で、門衛は詰所の戸を開く。
門の傍の石壁とほとんど一体になった詰所は、高さこそあるがあまり奥行きは無さそうだった。入ってすぐの領域は建物の天辺まで吹き抜けになっていて、奥には梯子と麻布で仕切られた部屋がある。上の部屋から降りてくるのは少々恐怖を伴いそうだ。
それはともかくとして、全ての部屋は布でしか隔てられていないので、却って外より視線が気になる。見られていなければいいが、とニーナは苦笑交じりの顔で思う。裸をではなく、これからすることを、だが。
「俺も暇じゃないんだ。さっさと終わらせてくれ」
桶をニーナの傍に置くと、門衛の男は詰所を出て行った。
扉が閉まると、ニーナはすぐにその傍へ寄って聞き耳を立てる。足音は数歩。扉からそれ以上離れる気配は無い。
当然だが、ここから出るというわけにはいかない。そのことを確認してから、ニーナはふむと顎に手をやり周囲を見回した。ニーナの手の届きそうな範囲に、窓は無さそうだ。……手の届きそうな範囲には。
先ほどまでの淑女ぶりはどこへやら、ニーナはにやりと悪そうな笑みを漏らした。
*
門衛が声をかける。
「おい、もう済んだか」
ニーナが叫ぶ。
「わーっ! 何これ、溶けるーっ!」
「何を馬鹿言ってるんだ。遊んでないで早く済ませろ」
門衛の呆れた声。ここで、沈黙。
「おい、返事しろ。済んだのか?」
沈黙。
「開けるぞ」
中に入る門衛。そして、驚く。
何とそこには、倒れた桶と濡れた麻布しか残っていなかったのだ。
―――と、そんな筋書きでニーナは旧都の街に繰り出していた。
ニーナの身体能力をもってすれば、二階三階の窓から出ていくことなど容易い。そこから近くの家の屋根へ移ることもだ。
してやったりな満足顔で、ニーナは街の大通りを歩む。
ニーナが入ってきた南門から反対側の北門まで真っ直ぐに街を貫く大通りには、そこそこ活気がある。アルバートが純人王国の王となり彼らの生まれた街が王都となる前には、この旧都が国の中枢だったと聞く。北東方向には古そうな石城も見えるので、嘘ではないだろう。現在でも街の規模は純人王国最大という話であるから、通りの賑わいも当然と言えば当然だ。
ニーナはしばらくすれ違う人々の出で立ちや露店に並ぶ品を眺めながら大通りを歩いていたが、早々に切り上げて漆喰塗りの家々の間の小道に入った。
そこはニーナの居場所でないからだ。
見た目通り彼女は大通りの店に並ぶ品々を手に入れるだけの金を持ち合わせていないし、今の姿ではそもそも相手にすらしてくれないと知っている。故に、彼女はその身の丈に合った世界で生きるのだ。
その世界は、こうした大きな街にも存在している。否、大きな街なればこそ、そうした世界は明確に存在する。大きく富を得る者がいるならば、大きくそれを損なう者もいるのだ。
彼らはその時、どうするのか。街を去るか。否、街の外には危険な獣が闊歩している。何も持たない人間が取れる選択肢ではない。放浪するニーナのような例外はほとんど無いだろう。
となれば、街の片隅に居場所を見出す他無い。それは例えばこの旧都であれば、南北に通じる大通りから遠い東西方向の端ということになる。ニーナが目指すのは、そこだ。
大通りからは早々に退散し脇道を西に進んできたので、北東方面の石城は遠い。人々が集いそうなエリアから最も遠い場所。ニーナの短いながらも積み上げてきた経験上、そこがもう一つの賑わいの中心になっているはずだ。宛ら、赤々と燃える火を恐れて逃げてきた獣たちが集う寄り合い所といったところか。
大通りとは様相の違う寂れた街並みの中に、ニーナはそれを見つけた。見つけた、とは正確でないかもしれない。見分けるものではない。聞き分けるものだ。
盛大な、宴の声。宴、などと言うと愉快に聞こえるが、それは実態にそぐわない。もっと野蛮で下品で、騒々しい類のものだ。
しかし、ニーナにとっては朗報で間違いない。自然、頬が緩む。
やや軽やかな足取りで、それでも地に足つけて、ニーナはその看板も無い酒場の戸を開いた。