26.使用人と偽英雄
(キャラクターイラスト制作:たたた たた様)
少しばかり、時を遡る。
純人王国の王都。それはアルバート王家の故郷である。
街との間を水路によって隔てたそこには、アルバートの王城とクリストンの邸宅が建っている。
街と城とを繋ぐのは、日中正面に架けられる一本の橋のみ。もっとも、例え常時城が開放されていたとしても、態々アルバートに会いに行こうとする人間は多くないだろうが。現にその一本橋を渡るのも、城を出る者と城へ帰還する者とがほとんどだ。そしてそれも、城には外出を制限されている者ばかりのため多くない。
そんな往来の少ない一本橋を、サーシャ・ルイスは今正に城へ戻るために渡っていた。質素で一繋ぎになった麻の衣装は、その若い女が使用人であることを示していた。
彼女は麻布の袋に入ったやや大きめの荷物を両腕で胸に抱いて、橋を渡る。その先では、二人の城の門衛が立ち塞がっていた。
「入城許可の証を示してくれ」
皮の鎧を身に纏い、片手に槍を携えた門衛の一人が言ってくる。それに対してサーシャは、少々困り気味に笑った。
「……あの、先ほど出る時にご挨拶したばかりかと思いますが」
「別の人間が成り済ましてるかもしれないし、念のために確認しないとな」
としかし門衛は譲らない。
彼女の後ろで束ねられた長い髪の色は金。あまり見られない珍しい色だ。それ故に彼女は殺されずに王城へ連れて来られたという経緯もある。彼女自身が思うに、成り済ますには一番向かない人間だ。
しかし通して貰えないでは、ごねても仕方が無い。
サーシャは少々嵩張る荷物を抱えたまま胸の下まで下ろして、首から下がる飾りを見せる。黒い龍を模したその首飾りは、王城で働く使用人の身分を証明するものだ。「アルバートに傅く存在」という身分は、胸張って示せるようなものではないが。
「―――これで、よろしいですか?」
問うと、門衛は吟味するようにそれを見る。別に吟味しなくても、それがアルバートの印であることは分かるはずなのだが。態々偽造する人間も在るまい。
門衛の無遠慮な視線を嫌って、サーシャはその手の荷物を再び胸に抱え直した。
「それでは、失礼します」
一礼して、門衛の横を抜ける。
しかし、その肩をがっと掴まれる。ちらと視線を向けると、彼もじっと熱い視線をこちらに向けていた。
「どこかに武器を隠し持ってるかもしれない。詰所の方で調べよう」
「いえ、そのようなことは……」
言葉を返してその手を外そうとするが、肩に掛かった手は思いのほか強くて離れない。
逆に、門衛は彼女の耳元に顔を寄せた。
「な、いいだろ。少しだけ。ばれないようにするさ」
「あの、困ります……」
サーシャは思わず、溜息交じりに言う。
十一年前、ここへ連れて来られたばかりの頃には、こんなことは無かった。当然だ。当時はまだ九歳だったのだから。
しかしそんな彼女も、今はもう二十。すっかり大人になって心も身体も成熟し、その金色の髪色もあってか人目を集めるようになった。
この手の誘いも、今回が初めてではない。しかし未だ、彼女が受け入れても良いと思える相手は無かった。
今回も、サーシャは丁重に誘いを断る。
「申し訳ございません。あなたにお応えすることはできません」
しかし、相手は退かない。
「そんなこと言わないで、な? ほら、荷物持つよ」
言って、彼女が抱える荷物を取り上げる。
「あ、結構です! それは―――」
「それは、俺の荷物だ」
不意に、城の方から声がした。
サーシャと門衛とが振り返ると、そこには白を基調とした皮の鎧を纏った黒髪の青年が立っている。
リンド・アルバート。サーシャが仕えているアルバート王家の王位継承順位第二位の王子だ。
「リンド様」
と透かさず頭を下げるサーシャに対し、門衛の男の方は固まっていた。
「それは、俺の荷物なんだ」
とリンドは繰り返す。その顔は無表情。声も淡々としているので、疾しいことをしている人間はどきりとするだろう。
「返してくれ」
リンドが言うと、門衛はばっとすぐそれをサーシャに返す。そしてその場に膝を突いて釈明した。
「お許しくださいっ! わ、私は彼女の荷物が重そうだったので代わりに持ってやったまでで……!」
そんな門衛を前に、リンドも腰を落とす。そして布が巻きつけられた左手で、彼の肩をとんと叩いた。
門衛の肩がびくりと弾む。
「―――サーシャの身は、俺が預かってる」
とリンドは、相変わらずの静かな口調で言葉を継ぐ。とんとんと、門衛の肩を何度も叩きながら。
「サーシャが欲しいなら、俺にも断りを入れてくれ」
「はいっ! ―――い、いえ! もうしません!」
地面に頭を擦り付ける門衛を見てふうと息を吐き出すと、リンドは立ち上がってサーシャの方を向く。
「―――行くぞ」
「はい」
彼女が返事すると、彼はさっさと踵を返して城内に戻っていく。
「……失礼します」
サーシャはもう一度平伏したままの門衛に言ってから、リンドの後を追った。
リンドに続いて城へ入ると、彼はちらとこちらへ目を向ける。その目からは、若干の不満が見て取れた。
「それさっさとどこかに置いて、謁見の間へ来い。もうすぐ儀式が始まる」
「はい」
と頷いてから、サーシャは彼の顔を窺う。
「……何か、怒っていますか?」
「別に」
と、彼はふいと顔を背ける。
それで彼女は、彼に改めて頭を下げた。
「お手数をお掛けして申し訳ございません。ありがとうございます」
「お前は悪くないだろ」
と言ってから、リンドは頭を振る。
「―――いや、お前も悪い。あんなのに長々と丁寧に対応する必要は無い」
言葉を向けられて、サーシャはその目を瞬く。
「……長々? ずっと聞いてらしたのですか?」
問うと、リンドは些かばつが悪そうにがしがし頭を掻く。
「儀式の準備抜けて様子見に来たら、城門の傍で言い合ってるのが聞こえたんだ」
「それで聞き耳を?」
心持ち首を傾げながら彼女がさらに訊くと、彼は視線を逸らす。
「……上手くいってるんなら、邪魔したら悪いだろ」
それを聞いて、サーシャは思わず吹き出してしまった。くすくすと堪え切れずに声を漏らす彼女に、リンドはちろっと恨みがましく視線を向けてくる。
「笑い事じゃない。良い相手がいなくちゃ、また変なのに絡まれるぞ。今回で何回目だと思ってる」
問われて、サーシャははてと首を捻る。
「うーん……、六回くらいでしょうか」
「八回だ」
とリンドは指摘する。
「俺が知ってる限りでも」
そう言われてサーシャは、あははと苦笑する。
「サーシャはいつもリンド様のお傍におりますし、きっとそれで合ってると思います」
他人事のように話すサーシャに、リンドははあと溜息を吐く。
「誰かいないのか。そういう相手は」
「うーん……」
訊かれたサーシャは、天井を仰ぐ。そして記憶を探るように、右に左に視線を彷徨わせる。
そうしてやがて、視線は元の場所へ戻ってきた。
「特に、思い当たりません」
「……」
「あ、でもリンド様に貰って頂けるのでしたら、私は喜んで参りますけど」
思い付きのようにそう言うと、彼は少々驚いた様子で目を瞬かせる。
「それは、考えてみるが……」
ぽしょっと呟くように言うリンドを見て、サーシャはくすっと笑う。
「冗談ですよ」
言ってやると、彼はややむっとした様子でこちらを睨むように見る。
そんなリンドが、サーシャは可愛くて仕方が無かった。二歳年下の彼は、彼女にとって弟に近い存在だったのだ。仕える身としては少々不敬だが、リンドはその距離感を許してくれる。それでつい、サーシャは彼に甘えてしまっていた。
二人が言葉を交わしていると、そこへ厳格そうな皺を顔に刻んだ中年の男がやってきた。
レイド・アルバート。ギルト王の兄で、つまりはリンドの伯父ということになる。
「リンド、いつまでそんなところに突っ立っているつもりだ。儀式が始まるぞ」
風貌通りこうした格式に厳しいレイドは、リンドを叱責する。
それから、冷やかな目でサーシャを見下ろす。サーシャが慇懃に一礼すると、彼はすぐに謁見の間へと戻っていった。
それを見送っていると、リンドが声をかけてくる。
「荷物を置いて、来てくれ」
彼の声にサーシャは「はい」と応じ、荷物を置きに使用人の控室へ向かった。
*
荷物を置いてサーシャが謁見の間にやってくると、そこには既に人が集まっていた。彼らは一定間隔で石柱が立つ広間の両脇に整列している。空の王座に続く中央の赤い絨毯の上に立つのはリンドだけだった。
王座に向かって右側には、王国の権力者たちが並ぶ。王立兵団の王都の指揮官や王都商人組合の長、それに純人王国唯一の魔法人の一族であるクリストン家の当主の姿もある。
一方王座に向かって左側には、王城に暮らすアルバートの面々が並んでいる。先ほどリンドを呼びつけたレイドの他、その次男ゼノと長女ラナの姿がある。
父レイドよりも背が高く大柄なゼノは、リンドと同じ十八歳。大剣を背負った背筋をぴんと伸ばして、その細く開かれた目を王座へ向けている。父に似て生真面目で神経質な男だった。
一方、末子のラナは十七歳。兄ゼノとは正反対で、体格は小柄で腰に差す剣も細身、性格は奔放な人物である。今も待っていることに退屈して、頭の側面で結った自慢の黒髪を手で梳いていた。
しかしそれにも飽きたのか、彼女はサーシャの姿を見つけると列を離れて歩み寄ってくる。
「ね、あんたも儀式出るんでしょ? お父さんが言ってたわよ。『またリンドが勝手を』って。『傷の英雄』のくせに生意気よね」
「はあ……」
返す言葉に迷っていると、ラナはぐいとサーシャの服の袖を引っ張る。そうしてサーシャを引き寄せると、内緒話をするように耳元で囁く。
「あんたリンドのお気に入りよね。―――どこまでいったの?」
「どこまで、と申しますと……?」
「だからァ、もう身体は交えたの?」
唐突に耳に入ってきた言葉に、サーシャは頬を紅潮させた。
「―――そ、そのようなことはございません!」
言うと、彼女は「なァんだ」とつまらなそうに呟く。
「あんた男の誘いを皆断ってるっていうから、もうリンドと関係持ったのかと思ったのに」
「ラナ様、そのようなことをこの場で話されるのはお止め下さい……」
とサーシャは諌めるが、彼女は無視して好き勝手に話をする。
「それだったら誘い断らずに試してみればいいのに」
「試すって……」
「どうせ相手もしたいだけなんだから、遊んでやればいいじゃない。……私はそうだけどなァ」
言って、ラナは何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべてサーシャを見る。もしかすると、サーシャよりも大人であることを誇示したいのかもしれない。
そうして優越感に浸る姿は、子供そのものなのだが。
それにサーシャが知る限り、ラナが家族以外の男といる姿は見たことが無い。アルバートに近づこうという人間は多くないし、彼女の場合遊び人の長男のように城を抜け出すということも無いのだ。
そのことから察するに、彼女の言葉は恐らく嘘だ。サーシャに対する優越感を得るためだけの、ただの虚言。
そんな空々しい言葉を聞いて、サーシャは苦笑するしかなかった。
「はあ……。ですがやはり私は、想いを伝えて下さった方を試すような真似はできません」
言うと、ラナは「つまんないの」と息を吐き出す。
しかしその後に、またにやと怪しげに笑んだ。
「まァいいや。……でも、次からはそんな落ち着いてられないと思うよ?」
「……?」
ラナの思わせぶりな言葉に、サーシャは首を傾げる。その意味を問うとすると、その前に別の方から声が飛んできた。
「ラナ、列に戻れ。もうすぐ儀式だ」
見ればレイドが、機嫌悪そうにこちらに視線を向けていた。
「はァい」
とラナはそれに間延びした返事をする。そして、元の位置へ面倒臭そうに戻っていった。
それを見送りつつ、サーシャも自分の身を置くべき位置へと移動する。向かって右側の列の一番手前側。そこへ膝をついて平伏する。
しかし、それにリンドが文句を付けた。
「何でサーシャだけ床に座ってる」
そのやや尖った声は、レイドに向けられていた。
対してレイドも、鋭い視線をリンドに向ける。
「当然だろう。ここにいる者たちと、そこの使用人とでは格が違う。それをお前がどうしてもと言うから、特別に参列を許しているのだ。それだけでも有難いことと思え」
「リンド様。私は大丈夫です」
納得いかない様子のリンドに、サーシャは透かさず声をかける。すると、彼はやや申し訳なさそうにこちらへ目を向けた。
「……悪い、見ていて欲しかったんだが。嫌だったら外で待っててくれ」
しかしそんな彼に、サーシャは首を横に振って見せる。
「いいえ。特別にお許しを頂いたのですから、是非こちらで拝見させて頂きます」
そう伝えると、リンドは「ありがとう」と礼を言った。
それから、どかとその場に座り込む。
「何してる!」
とレイドが声を荒げるが、リンドは意に介さない。
「サーシャが座るなら、俺も座る」
言って、座り込んだまま動かない。それを見てゼノが呆れ交じりの息を吐き、ラナがあははと笑う。レイドは頭が痛そうに蟀谷に手を当てていた。
そうしている間に、奥から国王ギルト・アルバートが姿を現す。
「出立の儀」が始まる。サーシャはその背をぴんと伸ばして、リンドの後ろ姿を見守った。