24.聖女が知らない家族の話
太陽は西の空に隠れ始め、打ち出祭りの一日目も終わりが近づいていた。
フレアたちは再びグルードの家へ招かれ、囁かな晩餐のもてなしを受けていた。
「悪いな、また飯出してもらって」
フレアの隣に掛けるリンドはそう言うが、右手に匙左手にマグの完全な臨戦態勢では今一謙虚さが感じられない。
「悪いと思ってるなら、取り敢えずそれ置いてから言いなさいよ……」
祈りを済ませてから、フレアは横目で呆れ交じりに彼を見ながら言う。
「何が『報酬はもう貰った』よ。しっかり頂きに来てるじゃない」
「お前もな。さっき腹鳴ってるの聞こえたぞ」
淡々と言葉を返されて、フレアはかあと頬を朱に染めた。
「そっ……れは仕方無いでしょ!?」
「気にしないでくれ」
とそこに向かいのグルードが割って入った。
「君らはルーマスの命の恩人なんだ。いくら感謝してもしきれないさ」
そう言って、彼は隣で階下から持ってきた椅子に座るルーマスの頭を撫でる。
まだ六歳のその少年は、撫でられるとその身をグルードに預けて甘える。恐ろしい目に遭った後だ。離れるのが不安なのかもしれない。
「なら遠慮なく―――」
と食事に手をつけようとするリンドを、フレアはぐいと首巻きを引いて制止する。そして不満げにこちらを見る彼を尻目に、はす向かいのニーナに目を向けた。
彼女は、こちらのやり取りなど気にせずに声を上げる。
「ではでは……、いただきまーす!」
それに合わせて、フレアとリンドもそれぞれに挨拶した。
「いただきます」
「ああ、どんどん食ってくれ」
それにグルードも、笑顔で応えた。
各々食事に手をつけ始めると、エールを呷りながらリンドがグルードに話を向ける。
「ところで、他の子供たちはどうなんだ。親は見つかりそうなのか」
「今、職人仲間を通じて探してるところだ」
とグルードは答える。
「それまでは教会で保護してもらう。……早く見つかると良いんだが」
やや表情を陰らせるグルードに、フレアも共感する。
「そうですね……」
特に、終始硬い表情のままだった一人の少年のことが気にかかっていた。両親が見つかりさえすれば、きっと元通りに子供らしい明るい表情を取り戻せるだろうが―――。
リンドは、さらに話を転じる。
「教団の連中はどうするんだ?」
「『境界送り』だよ」
グルードが答えると、その隣でニーナがはてと小首を傾げた。
「それ何です?」
「『境界の町』で魔法人との戦いに駆り出されるのよ」
とフレアが答える。すると彼女は、その大きな目を瞬く。
「……へえ」
分かったのかどうか、今一怪しい返事だった。
しかしリンドの方は、気に留める様子も無く話を進める。
「東か?」
「いや、恐らく西だろう」
彼の端的な問いに、グルードも端的に回答する。
境界の町は、東西それぞれに存在する。二人の会話はそのどちらに彼らが送られるか、という話らしかった。
「東は今慌ただしいらしいからな。大した戦力にもならない三下を受け入れる余裕は無いと思う」
「あのリーダーはかなりの遣り手だと思うが」
と、リンドが顎に手をやり口にする。
「―――いや、幹部とか言ってたか」
「奴を送るのは後になる」
とグルードはそれに言葉を返す。
「その幹部の話も含めて、純人教団についてまだ訊くべきことがあるからな」
「……そうか」
リンドは納得したように頷き、またエールを呷った。
それで事件に関する話は一段落し、一同は暫し黙々と食事に集中する。主にフレアがそうだったというだけだが。
しかし、それにしても普段騒がしい一人が妙に大人しい。気になってちらとそちらを見やれば、彼女は両手で握ったパンをむぐむぐ頬張りながらじーっと隣を見ていた。
「……どうしたの」
問いかけると、ニーナはこちらを見て喋ろうとして口に物が入っていることに気付き、それを飲み下してから改めて口を開いた。
「いや、何かあんまり似てないなーと思って」
言って、彼女はまたマークス親子の方を見る。
「別にそんなことは―――」
と返しつつ見れば、確かにあまり似ていない。雄々しく角ばった顔の形や目尻の下がった優しげな垂れ目といったグルードの特徴は、丸顔でぱっちりとした目のルーマスには受け継がれていないようである。
「……母親似なんですね」
と、フレアはそう言い変えた。
ところがグルードは、肩を竦めて見せた。
「さあな。分からん」
「……え?」
思わず目を丸くするフレアを見て、グルードはははと笑った。
「この子と俺に、血の繋がりは無いんだ」
「孤児か」
リンドがはっきりと口にする。それに内心冷やりとしたフレアだったが、幸いにしてルーマスは小首を傾げただけで食事に戻る。その表現はまだ理解していないらしい。
一方グルードも、特に気を遣う様子は無かった。ぽんとルーマスの頭を撫でながら、リンドの問いに「ああ」と答える。
「もう五年くらい前になるかな。この町に通りがかった偽英雄が、立ち寄った小さい商店の夫婦を殺したんだ」
「……!」
息を呑むフレアの横で、リンドが呟く。
「五年前と言えば、現王が即位した年か」
「ああ。それでアルバートの中でも、色々配置換えがあったらしい。その偽英雄は新しい配置が不満だったんだろうな」
グルードは溜息交じりに言う。
つまり、ルーマスの両親は偽英雄の八つ当たりで殺されたということになる。酷い話だ。フレアは知らずその手をぎゅっと固く握り締めた。
「夫婦には、まだ生まれて間もない赤子がいた」
グルードもまた、その大きな手をぐっと強く握り締めていた。
「俺たちは、その夫婦と繋がりがあったわけじゃない。ただ、そういう事件には因縁があってな。残された子を放っておけなかったんだ。それでうちで引き取った。名前も分からなかったから、俺と相方の名をやった。―――それがこの子だよ。もちろん、本人は覚えてないんだけどな」
「……」
フレアは、口を噤む。何と返したら良いのか、分からなかった。内心がどうかは分からないが、リンドもまた同じように口を閉ざしていた。
一方で、常と変わらず口を開く者もいた。
「グルード……グルー……、あ! 『ルーマス』の『ルー』がおじさんの名前なんですね」
ぽんと手を打って、ニーナが声を上げる。その空気を読まない態度を咎めるようにフレアは視線を送るが、しかしグルードの方は寧ろ嬉しそうに反応を返した。
「ああ、そうなんだ。良い名前だろう?」
それは、暗澹とした空気を変えようとしているようにも見えた。それでフレアも、その声に言葉を返す。
「そうですね。両親の名前を送るって、素敵だと思います」
「奥さんの名前は何て言うんですか?」
ニーナが訊くと、グルードは「あぁ……」と何故だか苦笑した。
「相方は―――」
とそこで、不意にルーマスが席を立った。そして、ぱたぱたと階下へ降りて行く。
「マストロ!」
と声を上げながら。どうやら、もう一人の住人の帰宅らしい。
「……マストロ?」
その響きに、フレアは若干の違和感を覚える。名前自体は別に驚くほど変わったものではないのだが、しかしその名はまるで―――。
フレアが考えている間に、その「マストロ」という人物が階段を上がってくる。
「良い子にしてたか? 良い子にしか土産は―――」
言いかけて、その声は途中で途切れる。
彼は、その顔をこちらへ向けて固まっていた。―――そう、彼。
マストロという人物は、間違いなく男だった。鼻の下に薄い髭を生やした、細身の中年の男だった。
「……あー、」
グルードは苦笑しながら、こちらも口をあんぐりと開けたまま固まっているフレアに向かって告げる。
「紹介するよ。相方のマストロだ」
「……え」
やや遅れて、彼女の衝撃は口から漏れた。
「えぇっ!? どっ……どういうことですかっ!?」
「見たまんまだろ」
と隣でリンドが呆れ交じりの声を出す。
「父親二人の家族だ」
「それが分からないって言ってるのよっ!」
ある意味、娼家を知った時よりも動揺しながらフレアは叫ぶ。
一方、ニーナはくりっと小首を傾げながらマストロを見て、それからグルードを見上げた。
「おじさんは男が好きなんですか?」
「ニーナっ!」
慌てふためくフレアを余所にニーナが問うと、グルードは微苦笑を浮かべたまま頭を掻いた。
「お譲ちゃんが男を好きっていう『好き』とは、ちょっと違うかな。―――だけど、一緒にいたいからこうして暮らしてる。俺たちは間違いなく家族だよ」
彼の目は「へぇ……」と興味深げな様子のニーナから、視線を泳がせるフレアへと移る。
「男二人とそのどっちとも血の繋がって無い子供の家族ってのは、確かに普通じゃない。でも、一個の普通だけが、沢山いる人間が幸せになる唯一の道じゃないと俺は思うんだ」
「……」
彼の言葉を聞き、フレアは一呼吸置いてようやく落ち着きを取り戻す。
そして複雑な内心がそのまま出ているような面持ちで、彼に言葉を返す。
「……父二人とか母二人とかいう家族の話は、正直私にはよく分からないです。ただ、普通に囚われてちゃ幸せに辿り着けないって話なら、分かるような気がします」
彼女は、隣に座する彼にちらと視線を向けながら言う。当の本人は首を捻って怪訝な様子だったが。
「そうか。―――うん、それでいいと思うよ」
グルードは一つ頷き、微笑む。
それで一先ず、その場は収まった。……かに思われたのだが。
「待て待て待てっ!」
と不意にマストロが声を上げる。フレアたちを目の当たりにした驚きで自失していたが、ようやく我に返ったようだった。
「何でお前……あんたらが居るんだ!?」
言いながら、彼はルーマスを背に庇う。その額にはじわと汗が滲んでいた。
「何だ君ら、マストロと顔見知りだったのか?」
少々驚いた様子で問いかけてくるグルードに対して、しかしフレアははてと首を傾げた。
フレアが記憶する限りにおいて、目の前の男に会ったことは無いはずだ。それで彼女は、隣に視線を向ける。
「リンドの知り合い?」
「いや、俺は知らない」
としかし彼も首を横に振る。
「ニーナの知り合いじゃないのか」
彼が言葉を向けると、ニーナもふるふる頭を振った。
「え? 知らないですよ。フレアさんの知り合いじゃないんですか?」
「いやお前だお前っ!」
とそこでマストロが声を上げる。しかしニーナは眉根を寄せるだけだ。
「え、私? 人違いじゃないですか?」
「お前みたいな子供間違えるわけないだろ!」
怪訝な顔をする彼女に、マストロはびしと人差し指を突きつける。
「旧都の酒場で会っただろ! まさかラウルも忘れたとか言わないよな!?」
「……あー」
それでようやくニーナは思い至ったようで、ぽんと手を打った。
「ラウルに会えたのか?」
とグルードがマストロに問う。
「元気だったか? 取り敢えず無事に暮らしてるなら、それで良いんだ」
「……まぁ、元気だったよ」
言って、マストロはちろっとニーナを見る。どうやらフレアが会う前に一悶着あったらしい。
「その……ラウルさん? もおじさんの家族なんです?」
ニーナが問うと、グルードはうんと頷きを返す。
「実の弟だ。十年くらい前に喧嘩別れして以来、会ってないんだが」
「ふうん。おじさんも喧嘩するんですね」
彼女が言うと、グルードはふっと笑む。
「昔はもっと剣呑だったんだよ。……余裕が無かったんだ」
やや表情を曇らせるグルードに対して、マストロが透かさず声を上げた。
「それより! 何でこいつらがいるんだよ!?」
するとグルードは、ルーマスの頭を撫でながら答える。
「この子の命を救ってくれたからだよ」
「はぁ!?」
全く状況を把握していないマストロは、素っ頓狂な声を上げる。
そんな彼に、グルードは事の顛末を丁寧に話して聞かせた。
一通りのことをグルードが話し終える頃には、興奮状態にあったマストロもいくらか落ち着きを取り戻したようだった。
「……そうか」
と言って、フレアたちの方へ向き直る。
「ルーマスを救ってくれたことには感謝する。ありがとう」
「いえ……とんでもないです」
とフレアは首を横に振って慇懃に応じる。しかし、彼は真面に聞いていないようだった。
「ルーマス君が無事で本当に―――」
「俺もあんたらに酒場で一杯奢りたい。付き合ってくれるか」
フレアの声を遮って、彼は先ほどまでとは違う低い声で提案した。その声のせいで、提案というより要求に聞こえる。
「別にうちで良いだろ」
とグルードが割って入るが、しかしマストロは譲らない。
「行くだろ?」
とリンドに向かって言った。
するとリンドも、こくりと頷く。
「行こう。折角の誘いだ」
「えー私はここで良いですよ」
と駄々捏ねるニーナも、彼は説得する。
「祭日だ。遅くまで邪魔するのは悪いだろ」
「……そうね。確かに」
とフレアもそれに同意した。
「行きましょう」
ニーナに同調しようとしていたことは、言わなくていいだろう。