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星の生まれる日。  作者: 卯浪 糸
星詠む娘
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5。

…けっして愚かな男ではなかったはずだ。


謁見の間で下座から怒鳴り散らす男を見下ろして、エトワールはそっと溜息をつく。


この男―――当代の国王になってから、【視る】夢は悪夢ばかり。飢饉に災害。人心は乱れ、国も乱れた。誰かやなにかが悪いわけではない。ただただ悪手が重なった。巫女の予言に頼りきっていた歴代の王たちは不測の事態に備える事をせず、結果、国は脆弱さを露呈する。


目の前の男のように。


良い未来を予言しろ、と言われても、そんなものはすでに神託ではない。巫女は、王に耳触りの良い甘言を弄する宮廷人ではないのだ。


エトワールが口を開かぬと見ると、王は脅迫まじりの悪態を吐き捨て、部屋から出て行った。


今度こそはばからぬ溜息をつき、エトワールは椅子の背もたれに身体を預けた。


絶対の未来を予言すると言われる存在に、惨禍ばかりを告げられまともでいれる者のほうが少ない。しかし、それができなければ王などという重責は担えない。


…これから()()()()()男は悲惨な現実を見る事を止め、麻薬のような夢の世界に浸る事になる―――夢で【視た】ように。


天災は去り、自然はもとの恩恵を与えてくれる存在へと戻ったのに、王とその周囲の者は堕落した夢の世界から帰ってくる事は無かった。何者も顧みる事もせず、王の責務を放り出して逃げ込んだ場所は、彼にとってまさに楽園だったのだ。


心ある者たちの箴言は聞き入れられず、ある者は更迭され、ある者は自ら宮廷を去った。残ったのは王の怒りを怖れ、口を噤んだ者、そして贅を貪る事だけを求めた愚者。


エトワールが未来を視ずとも、これから国がどんな道を辿るか誰の目にもわかること。


それでも、エトワールは星詠みの巫女としての責務を放棄する事は無かった。神託を口にしても、王がそれを聞く事は無い。女官たちはすでに王から―――国から見放された巫女に「もう何を言っても無駄だ」と遠回しに進言してきたが、知った事ではない。


エトワールは最後の最期―――アレクサンドルが現れるまで、100年かけて培われた矜持に懸け、巫女である事を決めたのだ。それが、先代…、いや、これまで星詠みの巫女として生きる事を強いられた数多の娘たちへのけじめというもの。



                  *



夢を見た。


王宮を武装した騎士たちが駆けている。皆、王族を捜しているのだとわかった。すでに汚職に染まった大臣や宮廷人は縄を打たれ、広間に並べられている。勝利を確信した血気にはやる騎士たちの顔にはけれど安堵は無く。彼らは忌々し気に王と星詠みの巫女の名を口にした。


―――あの詐欺師の毒婦も逃がすわけにいかない


―――相応の報いを受けさせなければ



濃い血の匂いすら漂ってきそうな場面は徐々に白く靄がかかり、エトワールは覚醒した。


天井から降り注ぐ、柔らかな朝陽がまぶしい。重たい腕で日差しを遮って、エトワールは呻いた。


「…そう、なるよなぁ…」


有史以来、王は星詠みの巫女の予言のもと、政治まつりごとを行うとされてきた。その政治が乱れているという事は、巫女への不信につながる。まさか巫女の予言がことごとく無視されているなど考えもしないはずだ。


捕らえられれば最後、大逆の罪人として曳かれるのは目に見えている。


アレクサンドルもきっと、そのつもりで星導宮に踏み込んでくるはずだ。エトワールの喉奥で嗤った。先代は不幸は平等、と言っていた。星詠みの巫女として、常人ただびとよりずっと長い時間を生きてきた自分には割り増しの不幸が待っているらしい。


涙を流れるままにしていたエトワールは、ひとつ大きく息をつき、寝台から身体を起こした。


鏡で涙の痕跡が無いことを確認し、女官長を呼ぶ。


星詠みの巫女に仕える事を至上としていた美しい佇まいのひとは、巫女が疎外されている現状に傍目にも憔悴していた。エトワールはうなだれた彼女を側近くに招くと、口の前に人差し指を立てた。


「外部に気づかれないように、数人ずつに分けて、女官たちを外へ逃がしてちょうだい」


女官長はぎょっと目を瞠ったが、エトワールが「わかっているでしょう」と告げると色をなくした唇を震わせた。


もしここに騎士団が―――おおくの男がなだれ込んできた場合、若い娘たちがどさくさにまぎれて暴力・・にさらされかねない。なにがあっても、それだけは避けたい。


「それから、騎士団長につなぎをとって。()()()の不正を告発するの」


「み…、巫女さまは悪事など…」


「わたしがなにをしていたか、なんてここではどうでもいいのよ。大事なのは、星導宮の女官たちの長である()()()が【悪党】を弾劾したという事実」


不正を働いていたのは巫女と王族だけ。絶対の権力を持つ彼らに対しても、星導宮で奉仕することを誇りとする女官たちはおもねる事はなかったと周囲に印象付けなければ、彼女たちに飛び火しかねない。


「で、できません」


「できる、できない、じゃないの。やるの。あなたじゃなきゃ、女官たちを将来の災禍から守れない」


エトワールは真っ青な顔で拒む女官長の手を取った。…はじめてだ、こうして女官の手に触れるなど。


「…巫女さま。夢でごらんになったのですか」


「視てないよ。でも、それくらい予測できる。これでも長いこと生きてるからね。…無茶を言ってるのはわかってるよ。でも、…あなたにしか頼めない」


星導宮の奥深くで従事する女官長に、外部の―――それもきわめて接触の困難だろう騎士団長に話をつけて来い、など無理難題もいいところだ。けれど、やってもらうしかない。


女官長はわななく唇をひきむすぶと、しっかりと首肯した。


「巫女さまの赤心、承りましてございます」


…最後の女官長が彼女でよかった。いや、彼女だけではない。今星導宮につめる女官たちの多くがエトワールに良くしてくれる。だからこそ、決して間違った選択をすまいと思えるのだ。




運命の夜を明日にひかえ、寝台に腰掛けたエトワールの目の前では女官長が膝をつき、頭を垂れていた。こみあげるものを堪え、幾重にも薄布を重ねた彼女の肩はこまかく震えている。


「…ありがとう。無理なお願い、きいてくれて」


女官長から言葉はない。彼女はただ、首を振った。エトワールは失笑した。


彼女についての未来はなにも見えなかった。下手を打てば拘束、最悪殺されてもおかしくない状況で、女官長はほんとうによくやってくれた。この星導宮に残っているのは女官長とエトワールだけ。ほかの女官たちは星導宮に保管されていた貴金属を少しずつ渡して、夜陰に紛れて逃がした。


女官たちも、星導宮に仕えていたという過去から誹謗や中傷にさらされるかもしれない。それでも、嘆きだけに身をやつさずにいてくれたら。


現実に絶望し、世のすべてを恨んでいたエトワールが世界に温かな色を見出したように。


「あなたもそろそろ行きなさいな。…これまで大儀でした」


「…巫女さまもご一緒に…!」


涙を散らして顔を上げた女官長に、エトワールはゆるゆると首を振った。


「わたしはここに残るよ。ずっとずっと…、100年も待ってたの。ようやく願いが叶うのよ」


星詠みの巫女は未来を【視る】。それは決して過たぬ確定された現実。10年以上、エトワールの側近く仕え、神託を聞いてきた女官長もよくわかっている。


それ以上に、彼女は気付いていた。巫女はもう、疲れきっている。人間ひととしてはありえぬ時間、孤独のふちに立ち続け、多くの人を見送り続けるだけの生に。


懸命に嗚咽を殺し、最後までしとやかに辞した淑女の気配が完全に消えてから、エトワールは仰向けに倒れた。そのままごろりとうつ伏せになり、目を閉じる。


「…なんか、眠るのもったいないなぁ…」


まる一日。それが残りの寿命だと思うと、あれこれしておかなければという考えに駆られるが、エトワールには遺すものがない。あるとすれば、与り知らぬ汚名だけ。


ひどい人生だと唇の端で嗤うが、すぐにそうでもなかったか、と振り返る。最後の数年は、巫女として疎外されたが、女官たちには親切にしてもらったし、子供のアレクサンドルにも会えた。


もそもそと手を伸ばし、クッションの下をさぐれば、そこには女の手でも扱える短剣が隠してある。ただの娘だった頃、家畜を捌く為の刃物は持ったことはあるが、これは用途がまったく違う。鞘にも柄にも細かな装飾が施され、いかにも貴人の持ち物、といった印象だ。


ひとの―――自分の命を絶つ為の刃。


エトワールは繰り返し白刃を首にあて、そのたび覚悟を新たにした。


…しくじった時こそ、あたらしい地獄を味わう事になる。


アレクサンドルの口がエトワールに呪詛を放つより先に、…幸せの絶頂に立った瞬間、終わりにする。


                 *



結局まんじりともせずエトワールは朝を迎えた。サモワールで熱い茶を淹れ、菓子で空腹を満たす。女官がいれば、栄養がどうのと言われたろうが、星導宮にはもうエトワールひとりだ。


悪童のようにわざわざ寝転がって菓子をつまみ、腹がくちたら裸足のまま庭に出る。初夏はエトワールのいちばん好きな季節だ。陽光に花弁を透かした薔薇の香りを楽しみながら、庭をそぞろ歩く。


死があるからこそ生の尊さを実感できるのだというけれど、なるほど、今日はいちだんと緑が―――世界が鮮やかに見える。


間近に迫った【死】に今さら走って逃げたくなるけど、それではアレクサンドルに会えない。エトワールはあきれた。自分は死よりも、男に会うほうが重要なのだ。


「仕方ないじゃないね、100年も待ったんだもん。幸せのまま終わりたいもん、恋愛小説みたいにさー!」


わざと大声を出して自身を鼓舞し、エトワールは結局日暮れまでうろうろと庭を徘徊した。立ち止まってしまえば、恐怖につかまりそうな自分に気付いていたのだ。




夜。


エトワールは星導宮の最奥―――寝室にこもっていた。喧噪はここまでは届かないけれど、今頃、騎士団が宮廷を制圧しているだろう。


寝室の天井。硝子の向こうには素知らぬ顔で夜空が広がっている。もしかしたら、神と呼ばれる誰かも見ているのかもしれない。


見ているのなら、どうか。エトワールは星の光を散らした闇の向こうに目を凝らす。


エトワールが死の恐怖に負けないうちに、アレクサンドルを連れてきて。彼との未来を望まないうちに、どうか。


空よりずっと高い場所にいるそのひとに、果たして祈りが届いたのか。エトワールの耳に慌ただしい足音が届く。ついで、乱暴に扉の開かれる音。静寂をやぶって吹き込む、人の気配。


エトワールはすぐにそちらを向けなかった。もし未来が変わっていたら、エトワールの100年の忍耐は灰燼に帰す。


心臓が耳のすぐ横で鳴っているようだ。ゆっくりと扉の方に顔を向ければ、そこにいたのは簡素な鎧姿の金髪の騎士。彼の緑の目ははじめて会った時と同じ、エトワールだけを見つめている。


―――涙もでなかった。


安堵で滑り落ちそうな短剣を持ち直し、首に沿わせる。エトワールはこみあがる感情を噛み締め、微笑んだ。


…ああ、よかった。これで後悔なく終われる。アレクサンドルは来てくれた。「きっとまた会う事になる」というエトワールの願い通りに。


「…ほらね、言ったとおりだったでしょ」


躊躇いさえ捨てれば、あとは簡単。頸に押し当てた刃を引けば、それで終わりだ。


と、手の甲に衝撃が走り、エトワールは短剣を取り落した。驚きに目をやると、右手の甲が裂かれ、血が流れている。床には、エトワールの自決用のものとは違う、投擲用の短剣が転がっていた。


なにが起こったのかわからず、呆然とするエトワールを駆けてきたアレクサンドルが拘束する。どうして、とエトワールは唇だけでつぶやいた。


これで終われるのではないか。幸せに浸ったまま、泉下に旅立てるのではないか。


まだ神はエトワールに安寧を許さないと、そういうことか。いったい、どこまで。


絶望に目を塞がれたエトワール視界の端で、絹の金髪が光をはじいた。輝きに気を取られ、視線を向けるとアレクサンドルの緑の双眸が激しい感情をたたえてエトワールを見つめていた。


…やっぱり()い男だと場違いな感想を抱く。


むかし王太子だという男から贈られた緑柱石(エムロード)と同じ色の瞳が、濃い金色の睫毛に隠される。落胆は、かたちを成すまえに消えた。


唇に熱く、柔らかな感触。口接けられていると理解したのは、顔を離したアレクサンドルの腕が、わずかなりとも緩んでからだ。


「ぇ、…え…?」


なにが起こったのだ。いや、出来事はわかっているけど、どうしてそうなるのだ。ひたすら混乱するエトワールを、潤んだ目でじっと見つめていたアレクサンドルの顔が伏せられる。赤い色を増した唇を噛みしめていたが、ややあって、彼がなにかつぶやいた。声は小さく、ひどくこもっていて聞き取れない。


ただ、熱い。エトワールから逸らされることの無い眼差しが、触れている肌が。


むかしアレクサンドルが星導宮に迷い込んできた時、触れた手のぬくもりは孤独に震えるエトワールの大切な拠り所であり続けた。大人になった彼の熱はあの頃よりもずっと高い。


大きな手が、そっとエトワールの頬にかかる髪を払う。ふたたびアレクサンドルの唇が近づいたが、エトワールは逃げなかった。


―――触れてほしい。…触れたい。


濡れた唇が首筋に吸い付く。そこはエトワールが自身で掻き切ろうとした場所だ。お気に入りのドレスの裾から忍び込む手も、やっぱり熱い。


触れられた部分の熱がひく様子は無く、じわじわと肌を融かしていく。


そうか、とエトワールは寝台に横たえられる自分を他人事(ひとごと)のように感じながら、ひとり首肯した。


わたしはアレクサンドルの熱で融かされて消えていくのだ。どろどろに融けて、【星詠みの巫女】はこの世からいなくなる。それはとても素敵な最期だと思えた。


むきだしになった肌でアレクサンドルを受けとめながら、エトワールは目を閉じた。





エトワール嬢とアレク。


挿絵(By みてみん)

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