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星の生まれる日。  作者: 卯浪 糸
星詠む娘
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2。

白と金で飾られた星導宮は、真実神が住んでいたとしてもおかしくないほど美しい場所だったが、エトワールの胸にはしわぶきひとつ起こさなかった。


国王夫妻も、大神官とかいう聖職者も、傲慢さを隠した薄気味悪い笑みを張り付けてエトワールを懐柔しようとしているようにしか見えない。


それでも謁見の間で星詠みの巫女と面会した時には虚心ではいられなかった。建物こそ大きいが、最もひとが集まるだろうこの部屋はそこまで広くない。ただここに辿り着くまでずいぶんと距離があった。


巫女は早々に人払いをし、エトワールとふたりきりになると、それまでの無表情から打って変わり、自嘲とも憐憫ともとれない、歪な笑みを浮かべた。20歳そこそこに見える外見とは対照的な、老いの醜さを感じさせる笑み。エトワールは息を呑んだ。


「…ごめんなさいね。あたしの事、恨んでるでしょう?」


うろたえるエトワールに、巫女は喉奥で引き攣れた声で笑った。


「いいのよ、好きに詰ってくれて。それくらいじゃあたし、もうなにも感じないの」


凍りつくエトワールの手をとり、巫女は歩き出した。奥の扉から軽やかに部屋を出る。たしかにそこにいるのに、まるで霞かまぼろしのように彼女の存在はあやうい。手を振り払うには彼女は異様すぎて、エトワールはついて行くしかない。


「あなた、ここが…、巫女になる事がどんなことかわかってるのね。…頭の良い子は可哀想。あたしの先代はね、巫女であることをすごい誇りにしてたわ。みんなに敬われながら、国を支えてるんだって、ここを出ていくまで毎日毎日…。ばかだったんじゃないかしら。みんながみんな、あのひとみたいに巫女になりたくてなったわけじゃないのに」


忌々し気につぶやきながら、巫女は大理石が敷き詰められた回廊を進む。まろやかな白い床と同じ、やはり白に金を象嵌した円柱が等間隔に並ぶ空間は距離感を曖昧にする。


果たしてここは現世なのだろうか。エトワールが恐怖から口を開こうとした時、巫女がようよう足を止めて振り返った。白い頬が紅潮している。


「ここがあたしの部屋。じき、あなたの部屋になるわ」


白に金で星座を施された豪奢な扉を、巫女はそっけなく開いた。


謁見の間など比べものにならぬほど広い室内には円卓や長椅子などの家具から花瓶、茶器まですべて白に金が散らしてある。星詠みの巫女を象徴する色だから、と言われてしまえばそれまでだが、エトワールの目には不気味に映った。聖性よりも、むしろ白い闇を思わせる。


「ね、こっち」


落ち着かず、きょろきょろと室内を見回すエトワールの手を引いて、巫女はさらに奥の間へと導く。そこは寝室だった。一部硝子張りの天井からは惜しげもなく光が降りそそそぎ、どうしてか、エトワールは髪の色が変じた朝、母のこぼしたミルクの湯気が陽光に透かされた場面を思い出した。


その下には絵本の挿絵でしか見たことの無い、幾重にも紗のかかったおおきな天蓋付きの寝台。


巫女は白い蛇のようにエトワールをからめとり、そのままふたりでベッドに倒れ込んだ。


ぎょっとするエトワールを抱きしめ、「すこしこのままでいて」とささやく。


「…こうしてね、誰かに触るの、ひさしぶりなの。世話をしてくれる女官はたくさんいるけど、…」


そこからは言葉にならなかった。長い時間を孤独に震えていた娘は手に届く温もりを求め、幼子のようにエトワールにしがみつく。


どれくらいそうしていただろう、エトワールを解放すると、巫女はのろのろと身体を起こした。そして気付く。真上からエトワールの目を覗きこむ彼女の金の瞳には鳶色が混じり、白銀の髪にも黒がいくらか見える事に。


「あたしがはじめて【視た】のは謁見の間のあなたのことだったわ。神さまって性格悪いと思わない?これからどれくらいの時間、巫女として生かすのか知らせないくせに、いちばん最初に終わり・・・を…、希望をちらつかせてれさせないようにするのよ?」


喉奥で低く嗤い、巫女はエトワールの横に転がった。


「巫女としての心構え、なんてあたしは持ってないし、あなたに教える事もひとつもないわ。国を想ってる、とかいう連中に【視えた】ものをそのまま言えばいいだけよ」


「…視える?」


「そっか。まだなんにも【視え】てないんだもんね。あのね、星詠みの、なんていうけど、あんなの便宜上のものよ。ふとした瞬間にね、いきなり目の前に視えるの。こう、突然お芝居が目の前ではじまって、突然終わる、みたいに」


巫女は宙に腕を伸ばし、重ねてほどいた。


「あんまり知られてないけどね、あたしたちみたいに【視える】ひとってほんとうはたくさんいるんですって。ただ、あたしたちみたいに頻回に視ないだけでね」


どう反応していいかわからないエトワールの強張った頬を巫女の指がつつく。引き攣った笑みを浮かべたまま。


「髪と瞳がもとに戻ったら、あたしはここをでていくわ。…それまで、よろしくね」


エトワールは言葉も発せず、うなずきもできなかった。


その日の夜から、エトワールは次代の星詠みの巫女として丁重に扱われる事になった。食事から風呂から着替えから、まるで貴族の令嬢のような扱いだが、庶民のエトワールにとっては居心地悪い事このうえない。「自分でできるから」と断っても、女官たちはこれが務めだから、と返すだけ。


着替えの際。俗世と切り離す、という名目で着てきた服はすべて取り上げられ、かわりに準備されたのは白と淡い色を重ねた絹であつらえられた簡素なドレスだった。


「…似合うわ、かわいい」


皆そろいの衣装に、そろいの髪型をした人形じみた女官たちが去ってから、巫女はそれまでの無表情の仮面を取り払い、ほんの少しだけ微笑んだ。


「あなたを最初に【視た】時からね、あたしみたいな時代錯誤の服じゃなくて、ふつうの女の子が着るようなドレスがいいなって思ったの。あたし、ここに来る前はお針子でね、毎日ドレスを縫ってたの。今は針は持たせてもらえなかったけど、…窮屈なところはない?」


エトワールがおずおずと首肯すると、巫女はほんとうに嬉しそうに、昨日よりも鳶色の濃くなった双眸を細めた。


「来て。庭を案内するわ」


自身はまるで物語の女神か、いかにも太古の巫女を連想させる、幾重にも薄布を重ねた動きづらそうな衣装をひるがえし、巫女はエトワールを促した。


星導宮の中庭は、農村育ちのエトワールが見た事も無い花で埋め尽くされていた。さまざまな種が咲き乱れていても、けっしてうるさく感じないのは、随所に人の手が入っている事をうかがわせる。


晩秋の強い芳香を放つ薔薇の垣根をすり抜け、巫女が「ここよ」と告げたのは、ひたすらに緑の濃いこもった場所だった。


「ここはね、人目につきづらいの。女官や聖職者どもがわずらわしい時は、ここに隠れるといいわ」


頬にかかる髪をお針子の名残など見えぬ白い手で押さえ、巫女はエトワールをじっと見つめた。


「…酷な事を言うけれど、どれだけつらくてもここから逃げようなんて考えちゃだめよ。あなたも、もしかしたら、あなたの大切なひとも、…酷い目に遭う事になるわ」


エトワールは目を見開いた。


「…神が巫女を選ぶ、なんていうけど、神さまとやらはあたしたちをべつだん大事にしてるわけじゃないの。珍しい力と色を与えられただけで、ほかの人間と同じ。不幸は平等よ」


「…あなたは、逃げようとしたことがあるの…?」


右の口角と肩を震わせて、卑屈っぽく喉奥で嗤う巫女に、意を決しエトワールは訊いた。巫女の薄い唇が震える。


呼吸すらも躊躇われるような沈黙の後、ぽつりと巫女はつぶやいた。「あたし、ばかだったから」と。


「逃げられるはずもないのに。たとえ逃げたって、こんな姿してたら通報されるか、利用されるかだってわからなかったのね」


胸の前で握りしめたエトワールの両手をちらりとみやり、巫女はわななく唇を吊り上げた。


「なにも考えちゃだめ。家族のことも友達のことも、…恋人のことだって。あたしたちは巫女である間、時間を停めてるの。みんないなくなってから解放されるかもわからないのに、…人間ひとであった頃をよすがにしちゃだめよ…?」


そっと大きな石が落ちてきて、わずかに残っていた希望を打ち砕いた。それはあまりに静かなことだったので、エトワール自身、希望が粉々になってから気付いた。


このひとは希望を持っていたのだろう。もしかしたらと願い、きっと行動に移したのだ。そして、…絶望に落とされたのだろう。


巫女は空をあおぐと大きく息をつき、再びエトワールの手をとって星導宮に足を向けた。



                  *



エトワールがはじめて未来さきを【視た】のは巫女が星導宮を出る朝のことだった。


寝室で、硝子天井の向こうに広がる夜空を見ていると金属音の混じった足音が聞こえた。ああ、来たのだな、とエトワールは思った。胸に押し寄せるのは圧倒的なまでの安堵。


果たして間を置かれず扉は勢いよく開かれ、そこに立っていたのは金の髪を乱した男だった。紅潮した頬や、長身にまとった鎧にも血が飛び散っているが、彼自身に怪我らしいものは見当たらない。


ああ、ようやくだ。ようやく―――





「【視た】のね」


黒髪と鳶色の、どこにでもいる娘の色彩になっても、巫女としての知識が失われるわけではない。見送りに出たエトワールの表情ですぐに感じ取ったのだろう、先代・・の巫女はずばりと言った。仕立ては良いが、地味な青灰色のドレスを着ている彼女のどこにも「星詠みの巫女」だった名残りは見出せない。


「…夢で」


未来さきが視える状況はひとそれぞれよ。そっか、あなたは夢で視るのね」


「あの…」


「言っちゃだめよ」


巫女は人差し指をエトワールの口の前に立てた。


「あたし、言ったわよね。人間ひとであった頃の大切なものをよすがにしちゃだめよって。これからはその未来さきを望みになさい。口にしたら、あなたから遠のいてしまうかもしれないもの。…終わりはかならず来るわ。がんばって、なんて言えないけど…」


言い淀み、巫女はエトワールの冷たく強張った両手を取ると、額に押し当てた。


「あなたがはやく自由になれますように」


はじめて会った時、彼女はエトワールに謝った。かつてお針子だったという目の前のひとは、エトワールと近い考えの持ち主だ。「特別」に憧れる事はあっただろう。けれど日常を愛おしんでいたはずだ。家族も友人も、…恋人もいたのかもしれないのに、すべてを捨てざるを得なかった。


巫女は任を解かれた後は、恩賞として国によって余生を保障されるという。


それが耳触りの良い、新しい監視生活の始まりだと彼女もエトワールも気付いている。強要されたも同然だったとはいえ、国家の中枢に位置し、いくつもの秘密を握っている娘を、そのまま市井におろすわけがない。どんなかたちで利用されるかわかったものではないのだから。


それでもそれをお互い口にしない。星詠みの巫女に一度でもなってしまえば、真に自由になる事はないのだとは、…決して。


巫女の姿が見えなくなるまで星導宮の入り口で見送って、エトワールは女官にうながされるまま踵を返した。


…10年か、20年か。それとももっとだろうか。


エトワールはただ、金の髪の鎧騎士が現れるまで、ひとり、「星詠みの巫女」という道具として未来を視ることだけを繰り返さねばならぬのだ。






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