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星の生まれる日。  作者: 卯浪 糸
星詠む娘
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1。

エトワール嬢のお話です。

ふと目を覚まし、覚醒の原因がわずかな息苦しさだと知る。


エトワールはのろのろと視線をとなりに向けた。そこにはこの世の苦しみなど遠くに置いてきたような、満たされた男の寝顔がある。彼の腕は、エトワールのむき出しの痩身にまわっていた。


「……」


エトワールはじわり、と彼から離れかけ、やめる。そのかわり、自身の鳩尾あたりにうまれた奇妙な熱―――甘く滲む愛おしさだか、泣きたいような切なさだか―――を逃がす為に大きく息をついた。


もそもそと寝台のうえで身じろぎ、エトワールは男の――アレクサンドルのほうに体を向け、そのまま目を閉じた。


多少きゅうくつでも、この腕のなかがいい。



                *



エトワールはかつて、違う名前で、郊外のありふれた農村に住む、やはりありふれた娘だった。両親と、跡取りの兄と、なにかにつけ実家に帰ってくる、近所に嫁入りした姉。それから弟と妹の、どこにでもいるような量産型の家族。


16歳になったエトワールも他の娘たちと同じように近所の農家に嫁に行き、母と同じように家畜と家族の世話に追われて生きていくのだろうと思っていた。


もちろん、心のどこかでは姉や年嵩の娘達がこっそり回し読みしている恋愛小説のような出会いに憧れないわけではない。自分は実は貴族の娘で?まったく面識のない親戚の膨大な遺産が転がりこんできて?美しい貴族の子息と情熱的な恋におちて?


友人たちと「ありえない」と笑いながら、もしそうだったらと夢想するのは楽しい時間だった。


しかし平凡を絵に描いたような生活は、暴力のような変化によって霧散した。


いつもの朝。


エトワールははんぶん眠った頭のまま、藁を敷き詰めた寝台から体を起こした。直後、まるで計ったように鍋を持ったままの母が顔を出す。早く起きて支度をしろ、といつものように怒鳴られる事を予測していたエトワールの目の前で母が片手鍋を落とした。あたためたミルクの独特のにおいが瞬間、古い木造の部屋にひろがる。柔らかな陽光に透かされた湯気が妙に神々しかった。


「どうしたの」と寝台から飛び降りたエトワールの頭を、母が自分の前掛けで勢いよく隠した。震える声で、ベッドに戻るよう言いながら。


いったいなにが起こったのか。力ずくで頭を押さえられているエトワールの視界に飛び込んできたのは、白銀の色。


事態を飲み込むまで、ずいぶん時間が掛かったように思う。エトワール自慢の艶やかな栗色の髪が、一晩で白銀に変化していたのだ。そして瞳は―――金に染まっているはずだ。


呆然とするエトワールをベッドに押し込め、母は部屋を出た。間をおかずして父と兄が現れた。母と同じ、真っ青な顔で。


父は見たことも無いほど厳しい顔でエトワールに部屋を出ないように告げ、兄は街まで髪の染め粉を買ってくると駆けて行った。弟と妹は寝室に入ってはならぬと母に言われ、幼いながらもなにか悟ったのだろう、いつものはしゃいだ甲高い声どころか、足音までひそめた。


自分の寝台の上、頭から毛布をかぶったエトワールはひたすら呆然としていた。


この国では大昔、それこそ有史以来から預言者が存在する。星詠みの巫女と呼ばれるその存在は身分に関係なく神に選ばれ、しるしとして、白銀の髪と金の瞳を与えられるのだという。


国を支え、未来を見通す力を持った不思議の娘。まるでお伽話の登場人物だと、幼いエトワールの子供心を弾ませたものだ。しかし母と姉がなんともいえない顔で巫女の処遇を口にしているのを聞くにつれ、巫女がけっして幸福なものではないと感じるようになった。


自分を捨て、家族を捨てさせられ。巫女として尊重されても、そこに人格は必要とされない。「巫女」としての役割を押し付けられるだけ。時に、権力の汚泥に翻弄されながら。


我の強い自覚のあるエトワールは、天啓である、という勅旨を耳にするたび、巫女の背後に広がるものに思いを巡らせ、薄ら寒い気持ちになったものである。


その、自分にはけっして降りかからぬはずの悲劇・・が、祝福の名を借りてエトワールを呼吸を奪う。


安息日には教会に詣でていたが、それは義務からで、エトワールはけっして敬虔な性質たちではない。都合の良い時、悪い時に神を思い出すような、そんな娘だ。


それが、なぜ。


たった16年。それでもここまで自分が培ってきたもの、与えられてきたものが根こそぎ―――存在そのものが奪われる事態にエトワールは震えた。


それでもあまりに現実離れした我が身と、窓の外から聴こえてくる牛や近所の農民達の日常そのものの声に、もしかしたら、と考えてしまう。


もしかしたら、…気づかれぬのではないか。染め粉で髪を染め、明るい昼中以外は外に出なければもしかしたら、隠しとおせるのでは。自分がしるしを与えられたのはなにかの手違いで、誰にも気づかれぬまま隠していれば、真の巫女が現れるのでは、と。


……そんなことには、ならなかったのだけれど。



              *



兄が街から戻ってくるのとほとんど同時に、国王と星導宮の使いという仰々しい一団が村に現れた。当代の星詠みの巫女の神託により、村に顕現した次代の巫女を迎えに来た、と。


村は蜂の巣をつついた大騒ぎになり、勅使のひとりは村長と言葉をかわしてすぐ、父と兄が静止するのを振りきり、エトワールが隠れた納屋を暴いた。


その時の、勅使のあの目。驚きから、崇高な―――それこそ奇跡を目の当たりにしたような、あの気色の悪い・・・・・瞳の輝きは、100年たってもおぞましさで胸のむかつきをおぼえるほどだ。


勅使は硬直するエトワールの前に膝をつき、それはそれはきらきらしい美辞麗句を並べた。要約すれば、「逆らえばおまえの家族もこの村も、反逆罪で召し取るぞ」という脅迫だ。


田舎育ちの小娘に他に取る道など思いつくはずもなく、エトワールはただ死者と変わらぬ顔色でうなずくしかなかった。


「一週間後にあらためて迎えに来る」と自身の寛大さに酔ったような使者を見送ったエトワールと家族は、つめかける村人たちを追い返し、ひたすらに「日常」に努めた。


朝起きて、パンと昨夜の残りのスープ、搾りたてのミルク、ほんの少しのバターとチーズで朝食を摂り、牛や畑の世話をする。昼食後の空いた時間には青褪めた顔に、それでも笑みを浮かべる母と姉と裁縫にいそしんだ。いつまでたってもエトワールの腕は上達せず、「これでは売りものにならない」と皆に笑われながら。


夕食の後は皆で暖炉を囲み、今日あった事を話す。ただ違うのは、暖炉の温かさと疲労があっても誰も寝室に向かおうとしなかったことか。ずっと昔、それこそエトワールが産まれた時まで話をさかのぼり、「そんなこともあったね」と笑い過ぎたふりをして泣いた。


6日目の夜まで、家族の誰もが「日常」を演じた。こんな日が続くのだと、祈りよりもずっと強い願いを込めて。そうすれば、「悪い事」は消えて無くなってしまうとでもいうように。


7日目の朝、はじめて母が泣いた。「どうしてあんたが」。そう言って、エトワールを抱きしめて。


母は口うるさい人ではあったが、決して不満を漏らさぬひとだった。我慢強いのもあっただろう。けれどそれ以上に、なにもない、傍から見れば平々凡々な日常こそが幸せだと知っていたからだ。


星詠みの巫女に選ばれた事を羨む者もいる。国の為に、名誉なことだ。これから大勢に傅かれ、なに不自由無い生活を送れる。巫女の任を解かれた後も、国によって生活を保障されるのだ、と。


泣く事も出来ないエトワールはそれがなんなのだ、と言い返したい。


これからエトワールという「人間」を見てくれるひとはいなくなる。名を呼んでもらう事も、些細なことで褒めたり、叱ってもらう事も、こうして抱きしめてもらう事も無いだろう。神から解放されるまで、ひとり、時を止められたまま生きていくしかない。


…ああ、そうだ。「わたし」は、いなくなるのだ。


じれた勅使に強引に腕を引かれ、エトワールは4頭立ての馬車に乗り込んだ。泣き声は、母のものか、姉のものか。それとも幼いながらに永劫の別れを悟った弟と妹のものか。もしかして堅物の父も泣いているのだろうか。


振り返って故郷を見ておこうかという気持ちもよぎったが、唇を噛み締めて耐える。


目にしてしまえば、我も無く泣き叫んで家族の許へと走ってしまうだろうから。


 










































































































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