第4話 たまにはお酒でも飲みながら
弔野にとって、2本目の動画撮影を終えた夜。
「弔野さん、まだ居たのね」
背後から聞こえるヒールの音。
聞き覚えのある音に、PCに向かっていた弔野は振り返る。
「現世諜報部の部長さん……?」
「嬉しいわ、覚えていてくれて。
大分慣れたようね、パソコンの扱いにも」
「はい、カルチャー課の課長さんが色々と教えてくださるので。目下必要なことは覚えられました!」
その節はありがとうございました、と頭を下げる弔野に、いいのよ、とにこやかに応える。
「同じ結社の仲間じゃない、部課は違うとはいえ。結社全体の利益になることだわ、弔野さんがやっていることは」
「ありがとうございます。上手く広報、できれば良いんですけど……」
「大丈夫よ、そんなに怖がらなくても。
言われているんでしょう、社長から。何をやってもいいと。なら、やるだけよ、あなたのやりたいように」
隣の空いた椅子に腰掛ける部長。
「部長さんはもうお帰りですか?」
「そうね。弔野さんは?」
「私は、さっき新しい動画を撮ったので編集をしていて……。あとは字幕を付ければおしまいなので、これだけやって帰ろうかなって思ってます」
時計の針はまもなく頂点を指そうとしている。
「そう。
……今晩は飲みたい気分なの、私。弔野さんも一緒にどうかしら、もちろんよければ、だけれど」
憂いを帯びた顔で、頬杖をつく部長。
弔野は作業の手を止め、向かい合う。
「良いんですか?ぜひ、ご一緒させてください!
……その、部長さん、お疲れではないですか?」
「ええ、まあ……。うちの結社は人員の割に仕事の割り振りがおかしいのよ、あなたも身に染みて知っているとは思うけれど。やってられないわ、たまにはお酒でも飲まないと」
形の良い唇からため息が溢れる。
弔野は大きく頷いて、
「では、字幕も早く終わらせて……、いえ、明日の朝に回します!行きましょう!」
PCの電源を躊躇いなく落としたのであった。
「あれ?ここって」
「知っていたかしら、私の行きつけなのだけれど……」
部長に案内されたのは、弔野も週末に時折訪れる居酒屋だった。
鬼の店主がひとりで切り盛りする、酒の取り揃えが確かだと評判の店だ。
「私もまたに来ますけど……お会いしたこと、なかったですね」
「そうね。それとも気付いてなかっただけかしら、お互いに。隣の席で飲んでいたこともあったかもしれないわね、案外」
「かも……しれないですね」
いかんせんふたりは、同じ結社の所属とはいえ知り合って日が浅い。
現世広報課の待遇には不満しかないものの、結社内、そして結社外の死神や現世の人間たちとの縁が繋がったことには感謝している弔野である。
「入りましょうか」
「いらっしゃーい。……ってあれ、弔野ちゃんも一緒なの!?何ー、ふたりはどんな関係なのー? 」
酒に焼けた、高い声。発したのは、居酒屋の店主を務める体格の良い赤鬼である。フリルの着いたエプロンが、妙に堂に入っている。
「同僚よ、結社の」
「あらなんだそうだったのねー。
あ、空いてる席適当に座ってちょうだい」
入店したふたりは、カウンターに空いた席を見つけて腰掛けた。
平日も始まったばかりだというのに、店内は多くの種族でごった返している。
「はい、これお通しよー。今日は何飲む?ふたりとも日本酒かしら」
てきぱきと冷蔵庫から作りおきのおひたしを取り出し、ラップを外してカウンターへと出す店主。
「日本酒でいいのかしら、弔野さんも」
「あっ、はい!」
「そう。……何か良いの入ってるかしら?」
店主は待ってましたとばかりに手を鳴らす。
「そうそう今日はね、とっておきを仕入れてるのよ!折角だからあけちゃいましょ!」
カウンターの下から、軽々と一升瓶を片手で取り上げ、ふたりの目の前に置いた。
「えっこれ現世のお酒じゃないですか!」
「そうなのよー。なかなか手に入らないんだけど、やっとね!」
慣れた手つきで3人分の升とグラスを取り出す。
「あら……。飲むのね、ご店主も」
「そりゃそうよー!現世のお酒なんて久し振りだもの!ほら四の五の言わずに、飲むわよー!!ほらほら、常連のふたりにはたくさんおまけしちゃうわよ」
注がれた日本酒は、グラスの縁を伝い升へ零れる。
やがて升も一杯になると、店主は瓶の傾きを戻す。
3回繰り返し、全員分の準備が整うと、弔野は長い袖をたくしあげ、口元のスヌードをずらすと、グラスと升に手を添えた。
「弔野ちゃんのその服不便よねー。手と口元を隠したいってんだから仕方ないんだけどさぁ……。まあいいわ、
今日もいちにち、お疲れさま!」
「お疲れ様。頂くわ、ありがたく」
「お疲れさまでした!」
時計の針が、再び上り始める頃。
「あーもう、向いてないのかしら、私、死神に」
「もー部長ちゃんたら酔ったらそればっかりー。
そりゃ生まれ持ってしまった種族なんだから向き不向きなんてあるに決まってるじゃないのよー。
アタシだって昔地獄でお勤めしてた頃、そりゃー、同僚とウマが合わなくてね。
もーこんなことろでやってらんないわ!って飛び出して今があるんだから……。
死神にだってやりようがあるでしょうに。老舗結社の部長だなんて、あんたすごいことなのよ? 」
「ありがたいと思ってますよ、それは……。感謝してます、こんな死神不適合な死神を雇ってもらっているのも」
空いた一升瓶の山のなかに顔を埋めて愚痴る部長。
「もー。この子、酔うといつもこうなのよ。ほどほどにしなさいって言ってるんだけどね。
ほら、弔野ちゃんも何とかいってやんなさいよ」
店主の言葉に、数秒考え込んでから口を開く。
「私も……、誘魄、やってみたはいいけど向いてなかったんですよね。でも、何だかんだお仕事が尽きることってないですし。むしろ今なんて、多過ぎて困っちゃいますよね。
誘魄士の死神はたくさん居ますけど、事務方はからっきしって人も、意外と多いんですよ。そんな中で事務方で上り詰めて、部長をやっている部長さんは本当にすごいと思いますし、絶対、部長さんみたいな死神が居ないと、死神社会なんて崩れちゃいます」
自分にも言い聞かせるように言い終えて、酒をあおる。
「だって。ほら、元気だしなさい、こんな良い子な後輩にも恵まれて……。
ってちょっと。弔野ちゃんも今日飲み過ぎよ!この子に合わせて飲んでたらぶっ倒れちゃうわよ!」
「良いんです!……ゆめだって、たまにはのみたいんです」
困った死神たちね、と笑いながら、店主は空の一升瓶をカウンターの奥へと下げる。
瓶の隙間から覗いた部長の頬は赤い。
「ああもう。お願いね、酔っているということにしておいて」
泣きそうな笑い声で呟く部長。
「もう……。帰るわ」
首をもたげて、荷物に手を伸ばす部長。中から浅葱色の長財布を取り出して、お札を何枚かカウンターに置く。
「これくらいかしら、弔野さんの分も含めて。次に払うわ、足りなかったら」
「わかった、後で確認しておくわね。気を付けて帰りなさいよー」
「えっそんな」
慌てて財布を取り出そうとする弔野の手を、部長が制止する。
「誘ったのは私だもの、いいのよ」
「ええと……、じゃあ、お仕事で恩返しできるように、頑張ります!ご馳走さまです」
「ありがとう。期待、してるわね」
「ゆめもそろそろ帰りますね!ご馳走さまでした!」
「はーい、気を付けて帰りなさいね」
またきてちょうだい、という店主の声を聞きながら、ふたりは連れ立って店を出る。
「部長さん、そんなに酔って明日のお仕事大丈夫なんですか……?」
「あのね、弔野さん。有給休暇というものを知っているかしら、現世の制度なのだけれど」
初めて聞く単語に首をひねる。
「規定の日数までなら、仕事を休んでも給料は出される制度ね、簡単に言えば。使ってみようと思うの、明日」
「……?うちにそんな制度ありましたっけ」
「ないわよ、もちろん。
でも、存在すら認知されないじゃない、誰かが使ってみないと。駄目だったらその時よ」
概念すら存在していなかったものを、率先して使ってみようとする。
噂通り、現世諜報部の部長は少し変わり者なのかもしれない。
でも。
「良いですね、その制度!ゆめも近いうちに使ってみたいです」
「ふふ。もう勝ったも同然ね、ふたりも実績を作ってしまえば。
……本当に出るのかしら、給料」
「ちょっと弔野ちゃん!!忘れ物よ!!!」
赤ら顔を綻ばせて笑うふたりの背中から、高い声が追ってきた。
「あれ?ご店主さん!」
「まだ遠くまで行ってなくてよかったわ。
もう、落としていくの何回目よ……。そのうちまた無くしちゃうわよ、社員証。
あんたももう課長なんでしょ?しっかりしなさいな」
後日談。
部長による、社長への有給休暇取得交渉はあっけなく失敗に終わり、
弔野は現世の人間からの助言を受けて、社員証を首から掛ける習慣がつき、置き忘れや紛失はなくなったそうな。