【21】動揺
夜の闇は人の傍にはやってこない。正しく言うならば文明の近くには、か。
「……」
ならばここはその文化の光が全く差し込まない深淵の入り口とでもいうべきか、天幕の内側はべったりと黒で塗りたくられ一寸先も見えない。
最も俺はまさにその叡智の結晶のお陰で暗さも気にならない。おかげでよくこの内部の異常性が手に取るようにわかる。
真っ暗の天幕の中で俯いた二人の男、その奥にはカメラから見えた拘束された少女の姿、一体こいつはどういうことだ。
(こいつらは衛兵なのか? それにしてはこの暗さで一体何をしている)
もし襲撃があったのだとしてもこの暗さの中では何も把握できるものでもないだろうに……というか現に把握できていない。これでは護衛も何もないだろうに。
だがこちらにとっては好都合だ、眠っている二人の男にはこのまま夢の世界へと旅立ってもらう。
せめて幸せな夢の中逝ってくれればいいが、それは俺の知るところではない。
(……俺も彼らから見れば大差ない存在だな)
夜の中を動きこうして命を刈り取る、俺の存在も悪魔だなんだと噂されるものか。
何も知らぬ人間からしてみれば、それは恐怖の対象で、理解を超える存在を恐れるのは人の常である。
ならこれは俺の未来の姿というわけか。
彼女はぐったりとうなだれ、力なく地面に傅き……その四肢を金属製の拘束具に縛られている。
口元には喋れないよう金属の口枷がはめられ、地面に打ち付けられた巨大な釘には鎖が取り付けられ……まるで猛獣でも取り扱っているようだな。
恐怖の象徴だな、人の恐怖の心が形になって今彼女を縛っている。常に恐ろしいのは群衆だ。
手早く彼女の周りに残りの焼夷弾を設置し、いざという時すぐに逃げ出せるような準備を終わらせ、俺はそのあたりにあった藁を掴む。
(……どういうことだ?)
投げられた藁はぽとりと彼女の肌に落ちた。
銃弾がくぐり抜けられなくて適当に投げた藁は到達できる。これは二通りの考えができると思う。
一つは銃弾と藁に何らかの差が存在し、鏡を通り抜ける事が可否が判定されている。
二つは今彼女がその術を使っていないということだ。
確信はない。特に魔術の素養などはまるでないから、何が起こるかも予想がつかない。
俺は慎重に、慎重に……最悪失っても構わない左腕を彼女に近づけていく。
(……)
彼女の前髪が揺れた。
天幕の中風は吹いていない、彼女も身じろぎ一つしていない、俺の指が確かに彼女の前髪に触れたらしい。
べったりと油にまみれた彼女の髪が俺の指から抜けて、元ある場所へと戻っていく。
どうやら俺の考えは間違っていなかったようだ。彼女は今ここにいる、間違いなく、今俺の目の前にその肉体がある。
すぐにホルスターへ格納していたP420を取り出しサイトシステムを合わせ、彼女の姿を銃口越しに覗く。
銃が有効なのであれば死体を確認してから焼夷弾に点火できる。焼夷弾を点火してから死体(この場合逃げ出さないこと)を確認するのとでは逃げ出すのに使える時間が違う。
息を吐く。息を吐く、息を吸う……吐く。
握りこんだ銃把、十指で支えた引き金を静かに絞り込んで、俺は鼓動を止めた。
ひたすらに静かな世界の中、時間が止まったかのように闇は辺りに漂い
「っ」
思わず指が止まる。
慎重にやりすぎたのか、俺の躊躇いが足を引っ張ったのか、それはわからない。
見た目がこれだ、少々良心が咎めていたのは本当のところで。
だからその紅い瞳が俺を見入っていて、俺は二の足を踏んでしまっていた。




