【40】沈殿
不思議な光景だ。まるでその広がりはどこまでも続いてるかのようで、地平線すら見えない。
イランのウルミアが確かこんな感じだったな。あそこはどこまでも、どこまでも続くような白さがあって
ちょうどこんな感じで俺達の事を迎えてくれて、足元に映る空の色が酷く美しかった。
死に前に見える光景としては随分とシャレている。神とやらは結構いい趣味をしているものだ。
「……眺めてるだけで心が洗われそうだ」
「美しいものはくたびれた精神を癒してくれる」
「その通りだな」
俺たちの目の前に広がる水面は風もないのにゆらゆらと揺れて、どこからか差し込み光を漂わせる。
腰を下ろしてみてもその水に濡れる事はなく、不思議な事に詰めたさすら感じる事はなかった。
まるでおとぎ話の国だと思うが、死んだ人間がぺらぺらと喋っている事以上に不思議な事はないか。
「伊津」
「ん? あぁ……」
ネイサンの方を向けば、俺に向かって突き出されていた黒塗りの長くしなりある、竿。
そこに糸が張られ、機械的な巻き取り装置がついていれば誰だってそいつが何かわかる。
受け取って湖に向けて投げれば、不思議なもので、水らしさはまったくないのに針が水面下に沈んでしまった。
まったく何もかも都合がいい世界だな、ここは。
それからしばらく何を言うでもなく、二人して水面を見つめ続け、じっとその時を待つ。
昔からそうだ、こうしている間は何かを語るでもないのに、互いに互いの気持ちがわかるような気がしてくる。
例えそれがただの妄想であろうとも、相手の事を思って過ごす時間というのは得難いもの。
「なぁネイサン」
「ん?」
お陰で聞きたいことを整理できた俺は、ようやくその疑問を言葉にする準備が出来ていた。
「俺はあんたのお陰でここにいて、これまでやれてこれたのもあんたのお陰だ。 感謝してる」
「そこを感謝されると私としては結構言葉のやりどころに困るんだがね」
「そう言わないでくれよ。 お陰で俺は随分と戦えた……ただ」
一つだけ引っかかっていることがある。俺はそれまでずっと自分で考えることなく、誰かのために戦い続けていた。
だからこの世界で初めて俺は自分のために、自分で選んで戦ってきた。
「そいつがいい事だったのか、それとも、俺は悪い奴だったのか」
だから誰かにそれを教えてほしかった、誰かにお前は間違ってはいないと、言ってほしくて。
俺の労力を誰かに肯定して欲しかった、多分そういうことなんだろう。
死んだ後でそんなことを考えるなんて間抜けな話だが、死んだからこそ改めてそんな間抜けな事を考える余裕が出来たんだともいえる。
「そんなの私に聞くな。 お前はもっと相応しい相手がいるだろう?」
「相応しい……さぁな、誰の事だか。 それにここにはネイサンしかいないだろ」
「お前は意外と甘えん坊だったんだな」
そんなことを言われて少し噴き出してしまう。そうか、そうだな、そう言われてしまえば返す言葉がない。
……他人に何もかも任せてばかりだな俺は。
「だからお前は戻れ。 お前はまだ何もかも途中じゃないか、放り出さず最後までやり切ってから、その時また会おう」
「戻れって……」
そんなこと言われたって、どうすれば……っ!?
「っ!?」
さっきまで完全に地面へ降ろされ設置していた尻がガクンと一段沈む感触がして
何かを掴もうとする間もなく、俺は白い闇の中へと、その全身を沈め始めていた。




