【35】奏請
溜息というものを私は吐いたことが無い、何故ならそうする理由がわからないからだ。
一体に何を気落ちして息吐くことがあるだろうか。
と、昨日まで思っていた。
「はぁ……」
「随分と色っぽいな、人間らしさが出てきたんじゃないか」
「ふざけるな」
だがこいつと話していると彼らがそうする理由もわかってきてしまった。なるほど、どうしようもない状況に置かれればこうもなる。
もうここに連れてこられて随分と時間が立つが、依然として話は何も進んでいない。堂々巡りの言葉は既に何度もこの場を行きかった後。
奴が手元でくるくると回していたわっかなようなもの再び中空へ。
こいつが消えていた一週間ほどは実に平和だったというのに、帰ってきた途端これだ。
「いい加減それをやめろ、目障りだ」
「いいだろ俺の趣味だ。 やってみるか? ジターリング」
「結構だ」
……お前がジターリングとやらに興じるなら一体何故私はここにいるのだ。
あぁ、こうしている間にも川は冷えて、森は暗く獣は用心深くなり…作業が何一つ終わらず今日が終わっていく。
「それで、お前の調書をまとめると」
またこれだ。何回目だというんだ。
まとめたのならもうそれでいいだろう。
「お前はこっちの世界で生まれたがジャハブに拾われJASPに参加し、その恩義を返すために奴の参加に入り、その計画に従事していた。
ジャハブはJASPによってお前のような人間を量産し、お前もまたそのうちの一人。 しかしながらスーツはこれ一つのみで他に類したものをみたことはない。
イデとも見知ったのは外の世界でのことで、ジャハブの家で他人と出会ったことはない、と」
「その通り」
こいつのひたすらしつこく聞きまわる質問の山を乗り越えた結果、私の事を記録した紙が机の上に何枚も重なっておかれていた。
一体何を知りたいかと思えばそんなことばかりを聞いて、一体何が楽しいのか。
「そしてお前はジャハブのところに戻るつもりももうなく、ここに残るつもりだと」
「私は負けた。そのような人間が戻ったところで恥を晒すだけだ」
「なるほど、サムライだな」
今さら戻って何になる、リシェンの奴に物笑いの種を提供してやれとでもいうのか? そのようなことするくらいならば今この場で剣を胸に突き立てる。
それにだ。
「貴様があれを分解してしまって、私の身一つだけで戻ったところで一体何になる」
「寂しい事言うなよ、お前の帰りが遅くて野郎が泣いてるかもしれんぞ」
「明日剣が降るならそうかもな」
正直なところ私自身これからどうしたらいいかわからない。
とりあえずハリエンスとの共同生活が続いてはいるが、それも目的あっての事ではなくただ何もない日常の延長戦上というだけ。
もっとも、ハリエンスは私の監視につけられた男たちのお陰で家事が助かると喜んでいたが。
「なぁ…私はどうすればいい」
「戦う理由がなくなったら何をすればいいかわからなくなったか?」
「…そうだな」
今まで私はジャハブからの命が全ての意義だった。奴の言う事を聞いて、奴のために働き、奴の剣である限り食う事には困らなかった。
それが失われてしまい、今や日々の生活をハリエンスに依存している。
これが本当に私にとって正しい事なのか…。
「ゼーさんよ、ハリエンスは好きか?」
「…どういう趣旨の質問だ、それは」
「いいから。 好きか、嫌いか」
正直に言えば好きという感情もまたわからない。幼少の頃より戦うために必要な者は全て与えられた。
だが必要のないものは何一つ教えられず、多くの感情もまた必用とはされなかった。
だからそう聞かれても、この感情が好きだというものなのかどうかこたえる事ができない。
「わからないか…じゃあ質問を変えよう」
私は…
「ハリエンスを殺したいか?」
「馬鹿な。 ありえない」
「ハリエンスを殴りたいとか、蹴り飛ばしたいとかは?」
一体何の話だ。そんなバカな話があるわけがない。
そんなことはこの男にだって理解できているはず。それなのに、そのような事を聞く。
「お前は私を馬鹿にしているのか」
「じゃあ…ハリエンスが誰かに殴られてたら?」
「そいつを殺す」
当たり前だ、あれは私の同居人だぞ、それが侮辱されるということは私が侮辱されるということだ。
先ほどまではわけのわからぬ質問を投げつけ、今度はそのような当たり前の質問を次々として一体
…何を笑っているこいつは。
「パラダやコニューはどうだ? 少しくらい喋っただろ」
「…そうだな、あいつらも私の目の前で害されれば気分が悪い。 助けられるのならば私がそうしよう」
そういうと奴は手に持っていたジターリングをもう一度投げて、それを人差し指にぐるぐると水平に回し始める。
その顔には随分と愉快そうな表情が浮かぶ。
「ゼーさん」
「なんだ」
ぐるぐると大きく回転させて、最後にもう一度浮かせたリングを右手に収め、左手には机の上に積み上がっていた書類を。
奴は椅子から立ち上がって出口の方へと向かうと、最後にこちらへ振り返り、リングにはめられたホイールをシャンッと鳴らした。
「そいつが好きってことだよ」
それだけいうと扉の向こう側にその姿が消える。
これが、好きという感情。
これが
そうなのか。
(…ならば)
私は、あいつのことも好き、ということになるのか。




