【S6】闇を行く
目の前に二人、こちらの進行方向をふさぐように立ち、一人はどうやら催しているらしくもぞもぞと動いている。
息を吐いて体の微妙な揺れを止めれば、照準の中にとらえられた男の姿も止まり、その姿が克明に俺の網膜へと映し出された。
彼がもし緊張を保っていたならばそれに気づけただろう。
だが人間の生理的現象として、排泄中にそうして緊張を保つのは非常に困難を伴う。
作動音が二回、二人仲良くその場に倒れこみ、俺たちの進む道の安全は確保された。
「よし、行こう」
「わかった」
彼も口数少ないままよくついてきてくれている。夜中の行軍というのはそれでなくとも恐ろしいものであるはずだが、追われているという緊張感にも左程堪えていないようだ。
このままならば太陽が昇る前に森を抜けることができるだろう。そうすればもし追撃を受けたとしても開けた地形だ、こちらの武装で十分に対処することができる。
(問題は体力だな……若いから大丈夫だとは思うが、食料事情まではわからないからな)
もしこれが中高年であったならこうはいかない。
あの檻から概ね一キロ過ぎたところ、このあたりで体力に限界が来る可能性もあった。
現代的な舗装された地面ではなく道なき道の獣道だ、足腰へとかかる負担はかなりのもの。
もし彼が倒れるようなことがあればこの状況で一夜過ごさなければならない。
ここに来るまでも何度か引き金を引いてしまっているのだから、朝になってしまえば彼らの残燭を辿り、俺たちを見つけることはそう難しくないはずだ。
「大丈夫か?」
「……」
答えはない。
「一つ質問をしてよいか」
「ん」
代わりに返ってきたのはその言葉。正直良いか悪いかで答えるならばあまり良いとは言えない。
この状況で悠長にお喋りしている暇などないし、未だ敵の勢力圏、どこに誰がいるかわかったものではない。できるだけ静かにというのは当然のことだ。
「なんでも聞いてくれ」
だがそれで気がまぎれるならそれでもいい。この闇の中、誰かから追われて逃げる、これは常人ならば相当のストレスを感じるはずだ。
しかもそれで自分を助けているのが知っている誰かならともかく、俺のような初対面の、それも何も明かそうとしない人間ともあれば猶更。
無理強いの結果恐慌されて身動きが取れなくなるようなことは避けたい。ならばいくらか言葉を交わすリスクなど安いものだと思える。
「お前は一体何者だ?」
「言っただろ、あんたの母親から頼まれて来た」
「違う」
「足元、気を付けろ、根が出てるぞ」
何を聞きたいかは概ね理解している。
「お前は一体何者だ、俺をたった一人で救って見せて、こうして闇の中易々と歩く。 魔か、それとも人狼の類か」
「残念だが二つとも外れだ。 ただの人間だよ」
さすがにおとぎ話の存在と一緒くたにされるとは思わなかった、いや確かに彼から見れば俺はおとぎ話の存在なのだろうけれど。
苦笑し交じりの返事に少々困惑したのか、彼の言葉が少しだけ動揺を見せた。
「貴様のような人間がいれば余の耳にも届くはず、なのに知らなかった。 生まれはどこだ、親の名は、何をしている」
「おいおいいきなりお喋りになったな。 最近この国にきたんだ、あんたが知らなくても無理はない」
明らかに態度が変わったように思える。先ほどまで感じたのは警戒心だったが、今の彼、アーニアル二世は俺に純粋な興味を向けているようだ。
「……ならば神の御導きであるか」
神の御使いか、それも悪くない。
信用してもらえるならば何だって構わないだろう。
「止まれ、前に三人」
「うむ」
「迂回は……無理だな」
この奇妙な信頼関係に結ばれた二人。
「貴様に任せる」
「任されて」
森を抜けるまで、保つならそれでいい。




