【40】強奪
城内は一際慌ただしい、出発に向けてみんなせかせかと動いている。
そんな様子を見ながら、僕を含めて主賓たちは少し高い場所からテラスでそれを見下ろして……いや見下ろしているのは僕くらいだ。
「何、もうすぐその心配もなくなる。 辺境伯ともならばそこらの野犬の声など聞くに足りん」
「その通り。 これで我が家も、我が父も、影で口を利く蒙昧共に悩まされることなくなります」
他の人たちはみんな楽しそうに話をしている。
僕だけがその輪に入れなくて、ベランダの外を眺めながら、ただぼーっと外を眺めていた。
一体何がそんなに楽しいんだろう。話をよく聞いていないからわからないけど、みんな和気あいあいとしている。
話を聞こうとしてもなんだかよくわからない話ばかりだし……父さんが居たらきっと話もあったんだろうけれど。
「コニューさん」
「あ……はい」
隣に座っていた彼の声に呼ばれて、久しぶりに振り返る。
「つまらないですか?」
「……いえ、そんなことは」
いやつまらないんだけど、大人はそんなこと言うものじゃない。
相手に話を合わせて、自分を殺して、静かに、おしとやかに。
貴族の妻というのは、そういうものらしい。
「シーシェ! そろそろだ!」
「はっ、我が君」
もう出発らしい。テーブルを囲んでいた人たちががやがやと立ち上がり、下に用意された馬車へと向かっていく。
あれに乗るんだ。僕も。
あれに乗って、ここを出て、そして……もう二度と戻ってこない。
母さんみたいに、僕も遠くで暮らすことになる。
「それでは我々も行こうか」
「はっ……」
僕が
僕たちが育ってきたこの街を
僕の思い出を、残して。
「コニュー」
差し出された手は僕に向かってまっすぐと伸びている。
「はい」
これを取って、立ち上がって、僕は
「コニュー?」
僕は
僕は、まだ
「どうかしたか?」
まだ、ナオヒサに、お別れ、言えてなくて。
「ご、ごめん……なさい」
慌てて顔を伏せて涙を隠す。
何でだろう、今更、今更なのに。
(ダメだよ、こんな時に)
結婚式の前に泣くなんて、彼も気を悪くしちゃう。
ダメだよ、ダメなんだよ。
私は、もう、新しい生き方をしなきゃ、いけないんだから。
思い出して泣いたりしたら、きっと誰も幸せになれないから。
「コニュー…?」
「……」
ダメなのに。
「わ、私」
わかってるのに。
「……僕、やっぱり」
この手を取らなきゃいけないって、わかってるのに
それが、出来なくて。
勝手に流れ出す涙は止まらなくて、途切れなくて
「好きなんだ」
今更
「大好きなんだ」
今更、そんなことがわかった。
「そうだよね、好きじゃなきゃフラれた時にあんな泣かないよ。 馬鹿だなぁ」
そんな人に会えず、あんな別れ方をしたまま行くなんて、嫌だ。
今ようやくわかった、僕はどうしてもナオヒサにあって一言いいたい。
こんないい女を振って、かっこつけちゃって、五年泣いても知らないぞって。
「ごめん、僕」
彼の記憶に残りたい。
どんな形でもいいから、どんな嫌な女でもいいから、彼に忘れられたくない。
「僕、やっぱり」
こんな形のお別れ何て、絶対に嫌だ。
「ナオヒサが」
嫌なんだ。
何を捨てても
父さんのダグレイス家をなくしてでも
僕は
「……」
彼に
「……ニュー……」
必要とされたいから。
「コニューッ!!!」
その声は、確かに僕の耳に届いた。
「コニュー、どこだ!! コニュー!」
僕たちがいる場所よりずっと下から、僕を探す声。
その声の主の姿を見ようとして、ベランダから乗り出して。
「ナオヒサーーーーーーーーーーッ!!!!!」
彼の名を呼ぶ。
僕を呼ぶその声に。
僕を必要とする、その声に、答えて。
彼がこちらを見上げて、まっすぐと僕の目を見た。
「コニュー!」
「ナオヒサ!!」
涙がこぼれて空に散らばる。
手を伸ばしても届かない距離を、僕の涙だけが流れた。
「行くな!!」
その涙が、彼の伸ばされた手に触れる。
「行くな、コニュー!」
彼は、両手を広げて、それを受け止めるようにして
「来い!!!」
行かなきゃ
呼ばれてる。
僕を必要としてくれてる、だから、行かないと。
「コニュー!」
後ろから誰かが僕を呼ぶ声がした。
誰かが、僕を引き取めようとしていた。
危ないよ、ここから落ちたら骨折だけじゃ済まないかも。
こんなとこをからあそこへ行くなんて
危ないよ、ダメだよ。
でも行かなきゃ。
ナオヒサが僕を呼んでる、行かないと。
ベランダの柵に足を掛けて、思い切り踏ん張る。
社交用のドレスは邪魔くさい、何か裂けるような音がしたけど、そんなの、もうどうだっていい。
踏ん張った足に力を入れて、全身をバネにして
届かない距離を縮めるために
この空へ
彼の元へ。




