【35】爆炎
何でこんなところに油の樽があったかって?
そいつはシンプルな理由だ。こいつらには多少の糞害についての知識があるということだ。
「なっ、なっ、なっ!!」
人体から出る汚物というのは、実際のところ非常に危険を伴う。
先ほどから鼻先を付くガスがその最もたるもの。メタンか硫化水素か、詳しく臭いだけで判別できるものではないが、腐敗が進めばこういったガスが発生するのだ。
だからこそ油を混ぜてこうした汚物を焼いてしまうというのは現代でも行われている処理の一つで、つまりこの樽はそうしたためのものであるのだろう。
「ぐおっ!!」
全身その油と汚物に塗れてしまえばどうなると思う?
簡単さ、手を付こうにも手が滑り、足をつけようにも地面を掴めない。要するに転び続ける事になる。
「い、いづ! 貴様!!」
獣のように地面を転がりながら奴は俺にその憎悪の視線を向け続けるが、何が出来るわけでもなく奴はひたすらに水面を……いや油面をびちゃびちゃと汚す。
その飛沫がかからないように距離を取りながら、奴が開けてくれた出口に向けて歩き始めた。
「ジェイメリ。 お前は俺の世界について知識があるみたいだが、どこまで知ってる?」
「ふ、ふん、私は……ジェイメリだぞ! ブラッディスメリィだぞ!! 貴様の知りたいことなど……素直に教えてやる、とでも!」
「あぁ」
こいつは勘違いしているな。俺が尋問をするとでも思っているのか。
「違う。 別にお前から情報を聞き出そうとか、そういうんじゃない」
「な、なら! なんのつもりだ!」
「お前は恐らく油に包まれて焼かれたくらいじゃ死なないだろ? 普通の人間だって焼き切れないしな」
「何を言っている?」
俺が聞きたいのは、今こいつが自分の置かれている状況を理解しているかどうかだ。
「メタン、硫化水素、これら有毒気体は吸っても毒だが、もう一つ特徴がある」
「何を言っている、貴様は!」
胸に取り付けられていた手のひらサイズのそいつを地面に置いて、いつもの通りピンにワイヤーをひっかけてやる。
「引火性だ」
「なっ、なっ、なぁッ!!」
これだけじゃ少々心もとない。
「イヅ」
地面に開けられた半分うずめて、尻の方が天井に引っかかる様にしてやる。
「イヅっ!!! やめろ!」
「なんだ、知識があるようだな」
これで外に出てもこいつはここに残って仕事をしてくれるだろう。
「イヅ!!!!」
きつくワイヤーが結ばれたことを確認して、立ち上がる。
「ジェイメリ」
ワイヤーを中指にかけると、俺は奴に微笑む。
引っ張られる指が握りこぶしを作っていた俺の手を自然に開き
それはちょうど奴の方へ甲を向けた状態になる。
「Go fuck yourself.」
久しぶりに新鮮な空気を吸った。
外は快晴、雲一つない青空が迎えてくれている。
俺は進む。
手に握っていたワイヤーが、ピンと緊張して、ちょっとした抵抗を示した。
「あっ」
更に一歩。
「あ、あぁ!」
背後から、甲高い音が一つした。
「あぁ、あぁああ! あぁ!!」
一秒。
「あああぁあぁ、あぁ!! あぁああああ!!!」
二秒。
背中から聞こえてくる声が、段々と遠くなる。
「あああああああああああああああああああっ!!!!」
三秒。
「………………………ッ!!!」
全力でその場から走った俺は既に小屋からかなりの距離を離して、近くにあった木の根元に体を滑り込ませる。
爆発の破片に当たるなどごめんだ。特に今回のは。
五秒。
爆発の衝撃というのはいつもそうだ。
まず閃光。次に音、振動。
先ほどまでその小屋があった場所から吹き上がった灰色の雲は
上空に向けて30mほどの噴煙を噴き出した。




