【34】油断
あぁ。あいつの目は何度も見てきた。
あの執着と怒りに狂った色の反転した眼球に浮き出る血管は、黒と赤のコントラストを描いてよく奴という人間を表している。
「イ」
壁を破って随分派手に登場してくれた奴は、ぎょろりとその目を向けて、口を歪にゆがめた。
「づぅ」
その表情を例えるなら……いややめておこう、何を言っても陳腐になる。
額に血管を浮かべて般若によく似て歪んた顔に俺を見下ろすその顔は、喜びに歪んでいくのだから。
「いヅゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
奴の手に握られていた厚みの刃がしなる。これまで何度も見てきた光景だ。
まっすぐと急所に伸びていく奴のそれは、今度も俺の喉元めがけて正確に伸びてくる。
だからそこから一歩引いて、俺は奴の切っ先が届かない場所まで身を引いた。
何故距離がわかるかって?
「貴様は、私をどこまでコケにして!! 私はだな!!!」
奴の握ってるそいつは、俺と長年戦場を共にしてきたものだから。
「……くっ」
肘の伸び切ったところを狙って顔面に銃床を当てる。いくら奴がタフな野郎でも、ノーガードのツラに4kgの一撃を入れられれば怯んだ。
そのまま怯んだ奴の手を引いて、前のめりになった奴の体を地面に倒し、引いた手を軸に背中側にねじりあげる。
無理な方向に曲がった手を叩いて凶器を落とさせることなど、飯を食うより体に染みついたそれは正確に奴の手からグリップを奪い去った。
普通ならこれで終わりだが、奴の膂力は信じられないようなもので、素早くそこから離れて俺は距離を取り、あの両腕から離れる。
「……」
ここは汚れている、それも相当。
当然床なんて綺麗にされちゃいないし、奴の体は汚物の中に半分浸された。
その表情から感じられる憤怒はもはやその頂点を超えて、ぐつぐつと煮沸される鍋を思わせる。
要するに今にも蓋が飛び跳ねて爆発しそうってことだ。
「貴様を殺す」
「同意見だ」
「貴様を殺す!!」
わお、これまでで一番怖い顔だ。
「貴様を殺す!まずその皮を剥ごう!頭蓋を晒して、私の椅子にしてやる!! 貴様の躯は毎日のように槍でなぶられ、その肉が鳥たちによって天に送られるまで、何度も何度も、殺してやる!!」
上気だった奴が一歩一歩こちらへ向かって慎重に踏みしめてくる。
恐らくゆっくりと、慎重に俺の事を仕留めるつもりだろう。実際それは正解だ、迂闊にガードを開けなければ俺に勝ち目など最初からない。
あと二、三歩。こちらへ踏み込めば奴の拳は俺の胸を貫くことが出来る。
「イヅゥ!!!」
その怒り狂った拳が、俺に向かって伸びてくるのが見えた。
だから俺はそっと、その場から身を半分ずらして
「!?」
その、油が詰まった樽への道を、開けてやった。




