【36】常闇
こういう時に見えるのは、いつだって赤だった。
俺の視界を染めるマズルフラッシュに照らされて、空に散り散りになった臭いが、彩度の高い色を広げている。
奴は人間じゃない。少なくとも、人間らしさはまるでない。
それは例えるなら間接の壊れたバネ仕掛けの人形が、勢いよくたたきつけられ部屋の中で跳ね回っているかのよう。
障害物らしい影があればそこに滑りこみ、俺の射線からその姿を隠しては、また一人切り捨てていた。
こちらは力なく倒れかけたダグレイスの体を左腕で支えているから、どうやったってやつの動きに俺の視線は追いつけていない。
(くそっ)
既に天幕の中は、おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎだ。
こちらに対して遠慮なく刃を振るう奴の影に、それに押されるように襲い掛かるバイバレスの近衛。刃と刃が混じりあい状況は混迷している。
このままではまずい。状況は奴に有利な上に、こちらには時間がないんだ。
俺の左腕に触れる体温は、徐々にその熱を失い始めている。
時間が、ないんだ。
胸にかけられた円筒を一つ、ピンを口で引き抜いて俺は投げる。
「伏せろ!」
彼らにはそのこと、俺の魔法について最低限教えてあるから、きっと。
そんな無責任押し付けながら天幕の中は白い光と激しい音が溢れる。視覚と三半規管、聴覚を一瞬にして奪う大爆音と光が中の人間を包み込み、一時的その力を喪失させる。
これで。
俺は地面にうずくまる男たちをかき分けながら、その巨体を運んでいく。一人ならすぐにでも出られたかもしれない。ダグレイスの体をあちこちにひっかけながら、もがくように出口に向かっていく。
それに俺もスタングレネードの影響から完全に抜け出せたわけじゃない、特に耳はかなりやられていた。平衡感覚がかなり失われているから、ともすればダグレイスごと倒れてしまいそうになりながら、靴底をはっきりと地面につけながら、一歩一歩。
止まるな。進め。
出口まであともう少し。
聞こえない耳と、不確かな足元。
濡れた手。
もう少しだ。もう少しなんだ。
だから。
俺の手に握られていた拳銃が、最後に残った三発の弾を吐き出す。
「邪魔をするな」
俺の目の前で、俺に向かって刃を向けた壊れたバネ仕掛けの玩具は肩口を撃たれ吹き飛ぶ。
正気を失った奴は地面に長い手足をからませながら沈み込んでいた。
何がぶつぶつと言っているようだが、生憎聴覚は失われているからそれが何なのかはわからない。
とどめを刺したい気持ちだってあるが、生憎P420の残弾は失われている。マガジンの交換をして改めて、などと悠長なことをしていられるわけのない。
奴を放置して、俺は進む。
天幕の出入り口は一つしかなく……そこには既に人気はなかった。
(……くそっ)
聴覚が失われていたから気が付くことが出来なかったのだろう、俺はそこから外に出て初めて嵐が到着していたことを知る。
海がひっくり返ったような雨が、地面をどこまでも打っていた。




