第六話 対抗勢力
「連れ戻しに来たって? それじゃ、信者のフリをしているってこと?」
「はい……」
信者のフリをして高次元教に侵入し、入信した妹を連れて帰る。そんな大胆な行動が取れる人には見えないが、逆に意外性があるから易々と侵入できることもあるだろう。むしろ、入信理由の方が気になった。
「そもそも、何で妹さんはここに?」
「きっかけは一本の電話です……。ここを取り仕切ってる相部さんとは……昔からの知り合いで……」
相部とは日野雫を教祖に祀り上げ、高次元教を興した相部絵里のことを指すのだろう。八雲にとっては分岐型台本の生みの親ということで、憎しみさえ抱く相手だった。
「彼女に来てくれと頼まれたそうです……。妹は彼女に負い目を感じていて、だから……」
話はそこで途切れた。その先も気になったが、言いたくないのなら無理に訊くまいと、八雲は続きを想像してみることにした。
穂乃花は相部に誘われて入信している。二人が昔からの知り合いということなら、穂乃花が劇団に所属していたことを相部が知っていてもおかしくない。分岐型台本を思いついた相部が、演者としての人材を求めた際、真っ先に穂乃花の顔が浮かんでも不思議はない。
相部に対して、どんな負い目があるかは知らないが、彼女の誘いを断れずに入信した穂乃花は、導き手として成果を上げていったハズだ。その実力は騙された自分が一番わかっている。
相部に負い目があって、誘われたから入信して、言われたから導き手をしているのだとしたら、穂乃花は相部に利用されているに過ぎない。穂乃花を悪く思いたくない感情が、まだ見ぬ相部を悪の権化へと昇華させる。
「あの……」
想像にふけっていると、茜が顔を覗き込んでいた。
「あっ、ごめん。ちょっと、考えごとを……」
「私も訊いていいですか……?」
「うん」
「妹に騙されたって言ってましたけど……。妹は何を……?」
「それは……」
八雲は分岐型台本のことを含め、今までに見聞きしたこと、体験したことを順に話していった。茜は黙って聴いていたが、途中から唇を噛んでいた。
「ざっと、こんな感じかな。俺が言うのもなんだけど、その相部って人に都合よく利用されてる気がする」
「そう……ですね……。でも、人を騙すのはダメです……すみません……」
代わりに謝られると、何と言っていいものかと苦慮する。君がしたわけではないと言っても、身内のしたことなのでと切り返されたら、これまた返答に困る。かといって、気にしていないから、仕方ないよとも言い難い。
相手が謝ってきたら、何処までも相手を責め続けて、誠意を見せろと金品を要求するクレーマー気質を持っていたら、もっと気楽に生きられたのかもしれないと思いながら、話題を変えてみる。
「ところで、一人で連れ戻しに? 他の家族は……?」
「両親は大事になってるとは思ってません……。妹から電話があるので……」
無事が確認できれば、アクションを起こさないのも納得できる。
「でも、私は嫌な予感がして……。相部さんが絡むと、いつも良くないことに……」
「だから、動いたと」
「はい……。訊いてまわってるうちに……、高次元教とその被害者の会があることを知りました……」
「そんな会があるんだ」
「ここに来る途中に本部があります……」
随分と近くにあることに驚く。何か事情があるのだろうが、あまりの近さに怪しささえ感じる。
「私は、その被害者の会……反高次元教組織AHDRGに行って、妹のことを話したんです……」
「それで、その団体は何て?」
「一緒に連れ戻そうって言ってくれました……」
「じゃ、彼らと行動を起こしたの?」
茜は首を横に振った。
「AHDRGの本部で、お茶を飲んでいたのに……気づけば、この建物の中に居て……」
覚えのあるパターンに八雲はゾッとした。
お茶を飲んでいたのに、気づけば高次元教の建物の中というのは、他でもない自分が体験したのと一緒だ。これはアイツらが使いそうな手だと、おぞましい光景を見た気分になる。
「それで、その後は……」
「妹に会いました……。来てくれて嬉しい、一緒に高次元教を大きくしていこう……って言われたきり、もう会うこともなくて……」
「……」
八雲はかける言葉が見つからなかった。簡単な相槌を打っても軽い気がするし、共感するには縁遠い感情に思えて、黙って突っ立っていった。
自分のように一人だったら抜け出す道を選ぶことも出来ただろうが、彼女の場合は妹を奪回する目的がある。それを果たすまで、そのチャンスを掴むまでは、信者のフリをし続けるつもりなのだろう。
自分以外にも被害者がいる。被害に遭ってなお、逃げる以外の選択肢を選ぶ人もいることに、八雲の気持ちは揺らいでいた。逃げるだけでいいのか、と。
長い沈黙の後、教祖ライブ開始のアナウンスが流れた。
互いに顔を見合わせた後に頷き合い、八雲は正面玄関へ、茜は別の場所へと向かって歩き出した。昨日、高次元教関係者が遅れて現れたことを考えるに、彼らは何処に集まってから来ている感がある。ライブ運営に当たっての会議でもあるのかもしれない。
八雲が外に出ると、昨日と同じキャンピングカーが止められていた。配られている物も昨日と同じだが、菓子パンに比べたらご馳走だ。まずは、焼き鳥の列に並んで順番を待つ。
目の前の車を見ていると、車を奪って逃げる計画のことが頭をよぎる。普段は車庫に止められているらしいので、計画を実行に移すには車のキーが置かれている場所と車庫の鍵が必要になる。茜に訊くという選択肢が増えたが、高次元教内での位が低い彼女が知っているとは思えない。
だったら、ライブ後に車を動かす人を確認し、その後を尾行していくのが手っ取り早い。それには最低条件として、昨日のように途中退場だけは避けなくてはいけない。
「1人5本までだけど、何本?」
「5本で」
順番が来て本数を訊かれ、最大数を答えると後ろで舌打ちされた。顰蹙を買うのはわかっていたが、周りにいい顔をしていては自分が損をする。享受できる権利があるなら遠慮はいらない。焼くのに時間がかかる分、後ろの人が受け取るのが遅くなってもだ。舌打ちする人間にとって“良い人”になったところで、その人からの見返りはないのだから。
ふと、穂乃花が訪ねてきた時のことを思い出す。最初は怪しい人が来たと警戒し、チェーンロックをしたまま接していたのに、彼女の真っ直ぐな瞳に押されて鍵も心も開けてしまった。思えば、相手に冷たい男と見られないようにという、自分をよく見せたい精神から、判断を誤ってしまったのが事の始まりだ。
誰かを陥れようとする者は“良い人であろう”とする心につけ入る。もう誰にでも良い人であろうとするのはやめようと、受け取った5本の焼き鳥を食べながら、ぼんやりと思った。
「八雲っち」
焼きそばパンを手に、健太郎が歩み寄ってくる。
「あの子と何を話してたのさ?」
「まぁ、色々だよ。彼女の妹のこととかね……」
そう切り出して一通りのことを説明する。ここに長くいる健太郎でも、高次元教のメンバー全員を知っているわけではなく、茜も知らないメンバーの一人だった。健太郎は興味深そうに聴き、メモしたいから部屋に戻ったら確認するかもと言ったところで、並ぶように言われて最前列へと向かって行った。
古参ファンが前へ、新しく来た人が後ろへと並べられていく。八雲は今日も最後列だった。またゴンドラで登場だろうとワイヤーを探すものの、それらしい物が張られている様子はなかった。
スポットライトを浴びて、尾瀬のソロが始まる。暗くて重い、沈み込むような旋律が響き渡り、観客席にいる者の視線がステージに集まると、黒いローブを纏った男たちの手で棺が運ばれてきた。
赤や青の光がステージ上を忙しく動き回り、ドラマーが狂ったように叩き始める。ステージ中央に棺が置かれると、ゆっくりと蓋が持ち上げられ、中から黒いドレス姿の日野雫が現れた。
彼女の登場と共に演奏がストップし、一瞬の静寂の後に歌が始まった。
「私の願いは一つだけ 出来ることも一つだけ
なのに 描かれる私の姿は神のよう
止めたくても止められない
加速されていく偽りの自分
変えたくても変えれれない
誰かが回している私の運命の歯車」
昨日とは違った意味で重い歌詞だなと八雲は感じた。前に聴いた歌にもメッセージ性というか、彼女の想いのようなものが込められていたが、今日のは想いというよりは悲痛な叫びに似ている。
まるで、望まない状況に抗えずにいるような……。
彼女自身、教祖となってしまった自分をどう思っているのだろうか。そんなことを考えながら、教祖ライブという時間が過ぎていくのを待った。
何曲か歌い終えると、日野は再び棺の中へと入り、黒いローブの男たちに運ばれ、ステージ上から去っていった。照明が落ちると辺りは一気に暗くなり、静かになった分だけ虫の声が耳に入ってくる。
教祖ライブ終了のアナウンスが流れ、観客席では話し始める人が増えていく。最後列から部屋に戻るようにと、白いローブを纏った信者が誘導を開始する。八雲も後ろの人に押される形で、正面玄関へと向かっていった。
この流れから抜け出したとしても、車のキーの行方を探るのは難しい。おそらく、列から出た瞬間にマークされ、下手をしたら昨日の二の舞だ。八雲は渋々、鍵の持ち主を尾行するのを諦め、大人しく建物の中へと戻っていった。
翌日の朝、朝食配達のオバチャンが配ったのは牛乳とパンだけだった。穂乃花からの手紙は無く、「手紙を書きますか?」という提案もなかった。手紙は彼女が書いていないかもしれないとはいえ、何も連絡が無いよりはマシだなと、手紙の効果の大きさを噛みしめる。単純に女の子と接点がある、と思うだけでも嬉しいのかもしれない。
簡単な朝食を取り、健太郎と一緒に仕事場へと向かう。今日はどんな子を塗るのだろうかと、女の子との接点を二次元に期待して席で待つ。
『今日は、これを頼むよ』
ディレクターの丸田から、パソコン上でメッセージが届く。指定された場所にある画像ファイルを開いてみると、人物が描かれていない背景の線画だった。それも、針葉樹が生い茂る森の背景で、八雲が苦手とする自然物だらけだった。
「うげっ……」
思わず声に出てしまうが、慌てて咳をして誤魔化す。
アダルトゲームだからといって、いつも半裸の女性を塗っているわけではない。いわゆるイベントCGと呼ばれる一枚絵だけでなく、キャラの服装や表情単位で用意される立ち絵の他、立ち絵の後ろに表示させる背景を用意する必要がある。
人工物であればテクスチャーと呼ばれる画像パターンを貼ることで、金属っぽさを出したり、服の柄などを表現したりできるが、自然物で使えるケースは人工物より限られていた。例えば、樹のテクスチャーといったら木目くらいのもので、生えている樹に関するものは見たことが無い。
八雲はネットで森の写真を検索し、それを参考にしながら線画に色を塗っていくことにした。
塗り始めてから数十分後、段々それっぽくなってきたものの、イマイチ森っぽさに欠けていた。いかにも、パソコンで塗りましたという雰囲気が否めず、改めて何がダメなのかと写真と見比べてもピンと来なかった。
もう少し違う写真が欲しいと思って再度検索してみるも、求めているものは見つからずに頭を抱える。
「手こずってるようだね」
いつの間にか、丸田が後ろに立っていた。
「はぁ……。なかなか森っぽくならないし、ネットで見つかる写真も、イマイチ参考にならなくて……」
「森の写真が欲しいなら、自分で撮ってきたらいいよ」
「自分で、ですか……」
「外に出れば森だ。気分転換にもなるだろうから、行っておいで」
丸田は近くの棚からデジカメを取って八雲に渡した。
「じゃあ、行ってきます……」
促されるままに八雲は仕事部屋を出て、正面玄関から外に出た。若干曇っているものの、撮影にはちょうどいい天気だ。
いつかは抜け出そうと思っている場所から、あっさりと抜け出せると拍子抜けする。それが一時的なものだと知っていても、このまま高次元教とサヨナラできそうな気がしてならない。
「おい」
束の間の解放感に浸っていると、白装束の男に呼び止められる。仮面を付けた高次元教の関係者だ。
「何処へ行く?」
「撮影に……」
デジカメを見せて目的をアピールすると、仮面の男はデジカメを手にした。その視線の先には“AT丸田”という文字がある。
「用が済んだら、すぐに戻るんだぞ」
デジカメを返すと、仮面の男は立ち去って行った。あちこちに目を向けているところから察するに、見回りをしているのかもしれない。
このくらいの警備なら、簡単に抜け出せそうではあるが、近くの街まで距離があるとなると、やはり移動手段が欲しいところだ。もし、移動手段が望み薄だというのなら、頑張って歩いていけば抜け出すことはできる。それなのに、脱走騒ぎを聴かないのは少し腑に落ちない。
そんなことを考えながらも、八雲は被写体を求めて歩いた。道は山の周囲を回るようにできていて、高次元教の建物から上は舗装されていない山道になっている。八雲は舗装された道を下り、麓へと進む中で森の木々を撮っていった。
山頂に向かうのではなく、下る方を選んだのは、逃げる時のことを想定したからだ。いずれ、この道を通って逃げるつもりで、確認するように下っていく。途中にはラブホ時代のゲートがそのまま残されていて、ホテルアテネという金の文字が打ち付けられていた。近くには、大幅値下げ、フリータイムは朝6時から夜7時までと書かれた看板もある。
さらに十数分ほど歩いていると、“ララ、こちら”という謎の看板が目に入った。看板の矢印が指す方向には、反高次元教組織AHDRGと書かれた旗が立ち並び、その奥には小さな家と車庫のセットが何軒か連なっている。
近づいてみてみると、車庫には料金表らしきものが貼られていたが、スプレーの落書きで読める状態ではなくなっていた。その小さな家の並びの中で唯一、落書きのない家の前には、反高次元教組織AHDRGと書かれた大きな板が立てかけられている。
窓から中を覗くと、チェック柄のワイシャツを着た男と、白いツナギ姿の男がいた。二人はソファに座り、何やら楽しげに話をしている。
「昨日のアイツ、楽勝だったよな。助けてくれ~って入ってきて、まずは茶でも飲んで落ち着いて……でグッスリ。最短記録更新じゃね?」
「だな。反組織ってノボリ見ただけで信じるんだから、どいつもこいつもアホで助かる」
「まったくだ。近くに対抗勢力の拠点があったら、潰されてるっての」
茜から話を聴いていたので薄々勘づいてはいたが、反高次元教組織AHDRGというのは、反組織を偽装した高次元教なのだろう。
高次元教を抜け出した者が、逃げる途中で反組織を見かければ助けを求めるというもの。そこで、例の手で眠らせたら逆戻りというわけだ。それなら厳重な警備なんて必要ない。むしろ、希望を抱かせた後に絶望に変えることで、逃げようという心を折ることができる。希望を抱かなくなった人間の方が御しやすいというものだ。
二人の話に腹が立ったものの、かといって文句を言いにいっても仕方ないと、来た道を戻ろうとしたとき、車庫の中にいた犬が吠え始めた。中の二人にも聴こえるボリュームで。