第五話 彼女の理由
仮面の男たちによって、八雲は小さな部屋に投げ入れられた。体を縛る縄は解かれたが、部屋には外側から鍵がかけられてしまった。
彼らがいなくなった部屋で、八雲はバカなことをしたと頭を抱えた。穂乃花がいたとしても、もっとやりようがあったと後悔の念が湧き起る。どうして感情のままに動いてしまったのか、そう自分に問うたところで答えなど出はしない。
正直、あんなにも冷静さを欠くとは自分でも思ってもみなかった。それほどまでに、彼女の対する抑え切れない想いが募っていたのかと思うと、自分の女々しさに情けない気持ちにすらなった。
耳を澄ませてみると、外から教祖の歌声が聴こえてくる。ようやくライブを妨害した実感が湧き、自分の処遇に対する不安に募っていく。
何らかの罰を受けるのは間違いないだろうが、それよりも問題なのは目立ってしまったことにある。今回の件で高次元教の関係者に目を付けられ、マークされては抜け出しにくくなるのは必至。改めて、自分がやらかしたことの大きさに呆れ、数分前の自分を殴りたくなった。
コンコンと、誰かがドアをノックする。
「はい……」
条件反射的に返事をすると、再び仮面の男たちが入って来た。そのうち二人は八雲の両サイドに立って腕を抑えた。もう一人は八雲の顎を掴んで睨んできた。
「質問をする。お前の処分は、その答えによって決まる」
八雲はゴクリと唾を飲んだ。
「誰かの名を叫んだな? 何と言った?」
「蘇芳……穂乃花……」
「……」
仮面の男たちは互いの顔を見合わせた。
「ここには、いつ来た?」
「今日……いや、昨日かもしれない。寝ていたから」
男は八雲の顎から手を放すと、軽く息を吐いた。
「今日のようなことは二度としないように。ライブ中は並べられた場所にいること、いいな!」
「わ、わかった……」
「解放する。自室に戻れ」
それだけ言うと、仮面の男たちは部屋から出て行った。鍵をかけられた様子はない。
「何なんだよ、一体……」
自分が許された理由もわからないまま、八雲は部屋を出て自室へと向かった。
自室に戻ってベッドに横になっていると、法被を着た健太郎が戻ってきた。
「おっ、八雲っち! 無事だったんだ」
「うん……」
「いやぁ~、びっくりしたよ。アイツらに連れて行かれた時は、どうなることかと……」
八雲の姿を見て健太郎は安堵した。
「俺も何か罰を受けるのかと思ったけど、質問に答えたら何もされずに解放されたんだ」
「何を訊かれたの?」
「誰の名を叫んだのか、いつ来たのか……その二つ」
「何て答えたんだい?」
「蘇芳穂乃花、今日か昨日……」
それを聴いて健太郎が唸る。
「導き手である蘇芳穂乃花の名前、それから到着日……。彼女が昨日連れてきた男の能力を鑑みて、罰を与えて働けなくなっては損だと判断した。そんなところじゃないかな?」
「そんなもんか……」
「それより、何でまた彼女の名を叫んだのさ」
「彼女が居たと思ったから……」
突っ走ってしまった自分の行動を恥じ、八雲は健太郎に背を向けて寝た。
「彼女があの場に来ることはないハズなんだけど……」
健太郎に言われて、そうだよなと今になって思う。“試練の儀”という設定上、互いに会えないまま時を過ごすことになっている。その設定を破たんさせるようなことをするわけがないのだ。
「……見間違えたのかもしれない」
そう結論付けた。彼女ではなかったと考えれば、設定的な不自然さは解消される。何の不都合もない。
「いきなり変な所に連れて来られたから、疲れたのかもよ。今日はもう、ゆっくり休みなよ」
「……そうする」
八雲はゆっくりと目を閉じた。
翌日、ドアをノックする音で目が覚める。
誰だろうと思って起き上がると、先に起きていた健太郎がドアを開けていた。ガタッガタッという音がして、列車の車内販売で使われているワゴンが入って来る。
「ここは二人ね」
ワゴンを押してきた中年女性が、出迎えた健太郎に菓子パンと牛乳パックを2セット渡した。
「いつも、どうも」
「手紙も来とるから」
健太郎が持つ菓子パンの上に手紙を載せると、中年女性はワゴンを引っ込めてドアを閉めた。
「何? 今の……」
「あっ、起きてたんだ。おはよう。さっきのオバチャンは朝食配達の人。他の物も持ってくるけどね」
「ふぅ~ん」
健太郎は自分の分を寄せると、上のベッドにいる八雲にパンと牛乳、そして手紙を渡した。手紙の差出人は蘇芳穂乃花となっている。
「やっぱり来たね」
「うん……」
彼女から手紙が来ることは予想していた。分岐型台本で文面のサンプルを見たから、ということもあるが、彼女はそういう人だと思えるところがあった。
封を破り、便箋を読んでみる。
『多宝八雲様へ
試練の儀を受けられていると聴き、非常に嬉しく思っております。
いつの日にか、再び会えることを信じ、私も課題に取り組んでいこうと改めて思いました。
ところで、そちらには幸福を呼ぶ歌い手様がいらっしゃると伺いました。
彼女は大巫女様のお告げで見出された方で、聴く者に安らぎを与える力があります。
あまりの効力に彼女が書いた歌詞を教義と捉え、教祖として崇める方もいらっしゃるという噂も。
多宝様の音楽の趣味と合うかわかりませんが、彼女の歌声を素直な気持ちで受け止め、健やかな日々を過ごされることを願っております。
蘇芳穂乃花』
分岐型台本で読んだ覚えのある内容だった。教祖をお告げで選ばれた歌い手とすることで、大巫女という設定を活かしたまま重要人物にする。よくもまぁ考えたものだと、実際に受け取ってみると妙に感心する。
同時に、サンプル通りの文面だという時点で、自分のことを想って考えた文が無い寂しさを覚えた。サンプルを写せば誰にでも書ける内容だけに、違う人が書いていても不思議はない。むしろ、そうだと考えるべきなんだろう。
誰かを騙すには彼女のような器量と演技力を備えた人物が最適だ。一方で、サンプル文を写すだけなら誰でもいい。やれる人が限られている作業と、誰でも出来る作業があるなら、誰でも出来る作業は一番使えない奴にやらせるべきだ。能力のある人にやらせては勿体ない。合理的に考えればそうなるし、そこから導き出される答えは、彼女はここにはいないということだ。
やはり、似ている誰かと見間違えたのだろうと改めて思う。
蘇芳穂乃花は今も何処かで誰かを騙しているハズだと、彼女がやって来た日のことを思い出しながらパンと牛乳を交互に口に運んだ。
その日も、昨日と同じ場所でアダルトゲームの着色作業を行った。早くも日常となり始めた一日の流れに戸惑いは少なく、今日は昨日よりも背景を上手く塗れたことに満足感さえあった。
作業が終わり、健太郎と二人で自室に向かって歩いていると、部屋の前で白いローブを纏った女性が立っていた。昨日、幾人も見た高次元教関係者の出で立ちだ。フードを被っているが、体つきだけでも女性だと判断できる。
「多宝さん……ですか?」
八雲が来たのに気付き、その女性はフードを取った。肩まで伸びた黒髪、伏し目がちな目、不健康そうな白い肌。その特徴だけ見れば、穂乃花には似ても似つかないが、パッと見の印象だけで言えば、元気のない蘇芳穂乃花と言えた。
「俺が、多宝だけど……」
「あの、私は佐賀茜と言います……」
茜の声は穂乃花よりも低く、ボソボソした喋り方も相まって、暗い印象を与える。穂乃花とは別人なのは明らかだが、八雲は彼女に穂乃花の面影を見ていた。
「ちょっと、お話があるのですが……」
そう言って近くの部屋に視線を向ける。健太郎は八雲と目を合わせると黙って頷き、ポンッと背中を押して彼女の方へと押し出した。
彼女と一緒に近くの部屋に入ると、かび臭い匂いが鼻についた。
そこは改装されていないのか、ラブホテル時代のまま、ホコリを被ったベッドや家具が置かれていた。ところどころ、蜘蛛が巣を張っている。
部屋のドアを閉めると、茜は一枚の写真を八雲に見せた。
茅葺き屋根の日本家屋を前に、着物姿の女性が並んでるものだった。後ろには緑の山々が見える。忘れもしない、それは穂乃花が見せた写真と同じものだった。
「これが、私です……」
茜は着物姿の女性の一人を指さした。確かに、そこに写っているのは茜だった。
「こっちは妹の……」
「蘇芳……穂乃花……」
彼女よりも先に八雲が答えを口にする。茜の隣に写っているのが穂乃花であることは、当の本人が訪ねてきた日に聴いている。傍に写っているのが姉であることも。
八雲は茜がフードを取ったときから、穂乃花の血縁者ではないかという予想はしていた。
「蘇芳って名乗ってるそうですね……」
言われてみれば茜と苗字が違う。茜の方が本名だとすれば、佐賀穂乃花ということになる。
「本当は違うってこと?」
「はい……。苗字は私と同じです。ここで活動するようになって……、母の旧姓を名乗るようになったそうです」
「何か理由でも?」
「さぁ……。昔から、苺の品種名みたいだから……、自分の名前が嫌いだと言ってましたけど……」
確かに、スーパーに自分の名前と同じ読みの商品が並べられていたら、嫌になるのも無理はない。それに、品種名のような名前で唐突に婚約を迫るより、蘇芳という響きの方が設定的にも説得力がありそうな気がした。
「昨日、私に向かって、妹の名を叫びましたよね……?」
「えっ?」
昨日のライブでのことを思い出し、あのとき穂乃花だと思ったのは、姉の茜だったことに気づく。
「あ、あぁ……。妹と間違えたんだ」
「妹とは何処で知り合ったんですか? 今、妹は何処にいるんですか?」
さっきまでボソボソ話していたのに、茜の声が徐々に大きくなっていった。
「今、何処にいるのかは、わからないよ。彼女が俺の家に訪ねてきて、お告げがどうのと騙されて、ここに来ただけなんだ……」
「そう……ですか……」
茜は意気消沈して座り込んでしまった。
高次元教の身なりをしている彼女が、同じ信者である穂乃花の場所を知らないのは意外だった。彼女の落胆ぶりからすると、妹の名を知っている男が現れたことで、何らかの手がかりが掴めると思ったことは想像に難くない。
「穂乃花……じゃなくて、妹さんの居場所を知るために、俺のところに?」
「はい……。知っているかと思って……」
「俺なんかより、他の高次元教の人に訊いた方がいいんじゃない?」
「誰も教えてはくれません……。私は位が低いので……」
「そうなんだ……」
この手の団体にはヒエラルキーが付き物だなと、彼らの服装の違いを振り返りながら一人で納得する。
ずっと落ち込んでいても仕方ないだろうと、八雲は座り込む茜に手を差し伸べた。その手に掴まり、茜が立ち上がる。
「すみません……。妹が、ご迷惑をおかけしました……」
ぺこりと頭を下げ、茜は立ち去ろうとした。
「待って!」
八雲は思わず彼女の手を掴んでしまった。
「あっ、いや、その……こっちにも訊きたいことがあるんだ」
「はぁ……」
力のない返事をし、茜は立ち去るのをやめた。
八雲は何から訊くべきか迷っていた……というよりは、とっさの勢いで止めてしまったので、これを訊きたいという具体的なものはなかった。ただ、去っていく彼女が穂乃花に見えて、帰してなるかと呼び止めたに過ぎない。
「さっきの写真、もう一度よく見せて欲しいんだけど……」
「はい……どうぞ……」
再び姉妹が写っている写真を見る。彼女と穂乃花の違いを把握し、二度と間違わないよう脳裏に焼き付ける。
「ちゃんと覚えて、もう間違えないようにするから……」
「そんなに似てないと……」
茜の声は小さすぎて最後まで聞き取れなかったが、本人的には似てないということらしい。勿論、じっくりと見れば細かな点で幾つも違いを発見できる。ただ、双子よりは似ていないが、それ以外の姉妹の中では似ている方なのは間違いない。
この写真は“里で撮ったもの”と言われたが、元ラブホに暮らす今となっては、何処で撮ったんだと疑問になる。それに、姉妹が一緒に写っていることを考えると、茜も導き手として里の写真だと嘘をつき、誰かを騙しているのではないかと疑わずにはいられない。
「これって、いつ撮ったの?」
「一昨年くらい……? 映画のエキストラとして出演した時に、ロケ地で記念に……」
「えっ? 映画?」
高次元教とは無関係な経緯に八雲は口を大きく開けた。
「妹は劇団に所属していて……その関係で話が来て、私も誘われて……」
「じゃ、この写真は高次元教と何の関係もないってこと?」
「そうですけど……?」
一瞬、彼女が演技している可能性を考えたが、ボソボソ喋る茜を見ていると、人が苦手そうなのに演技も何もないよなと疑惑の芽が枯れていった。この写真が高次元教と無関係に撮られたものだとしたら、ちょうどいい小道具として穂乃花が利用していただけになる。
「この写真、いつも持ち歩いてるの?」
「はい、妹を探すのに要ると思って……」
「さっきも、そんな感じのことを言ってたけど、彼女を探し出してどうする気?」
「……」
茜は急に黙ってしまった。かと思うと、廊下に出てキョロキョロと辺りを確認して戻ってきた。
「どうしたの?」
「誰かいないか、確認してました……。あの、騙されて来たんですよね……?」
「そうだけど」
「信者じゃないですよね……?」
「勿論」
茜は自分の胸元をギュッと握りしめ、深呼吸してから少し強めに言った。
「私は入信した妹を連れ戻しに来たんです、ここに……」
それは彼女が高次元教の信者の格好をしながらも、むしろ逆の立ち位置にいることを告げた瞬間でもあった。