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第一話 秒速で婚約する女

「初めまして、私は蘇芳穂乃花と言います。あなたと結ばれるために来ました」

「えっ? 結ばれるって?」

「勿論、結婚するという意味です」

 アパートのドアを開けると同時に、見ず知らずの少女に結婚宣言をされたが、青年は状況を飲み込めないでいた。

 インターホンが鳴って、条件反射的に部屋のドアを開けた。それはいい。

 用心してチェーンロックは外さなかった。そこまではいい。

 開けたドアの隙間から、少女の姿が見えたと思ったら結婚宣言。これが意味不明だ。どうして見知らぬ少女が訪ねてきたのか、どうして自分と結婚すると言ったのか、何をどう考えても理解の範疇を超えていた。

 蘇芳穂乃花と名乗った少女は、夏のお嬢様を演出するような白いワンピース姿で、つばの広い帽子を手に、青年をまっすぐに見つめている。風に揺れる長い黒髪を押さえることなく、大きな瞳に青年の姿を写していた。

「あの……」

 青年は何から訊けばいいのかわからなかった。何かの勧誘でもなければ、押し売りでもない彼女を前に、結婚宣言された青年、多宝八雲は困惑していた。

 彼の妄想力がたくましかったのなら、親同士が勝手に決めた許嫁ではないかと、何処かで聴いたような展開に胸をときめかせたかもしれない。だが彼は、偉大な妄想力も自分にとって都合のよい楽観性も持ち合わせてはいなかった。

 平々凡々な、いや人並み以下のスペックの自分を選ぶ理由がない。贔屓目に見て容姿は中の下、学力は三流大学に何とか入った程度。将来性なんて皆無だし、実家が裕福な訳でもない。人を楽しませるトーク力はないし、運動神経に至っては壊滅的だ。冷静に分析するほどに、結婚相手として自分を選ぶ理由がわからなくなっていった。

「突然、押しかける形になってしまってごめんなさい。いきなり結婚を迫る変な女が来たと思われても仕方ないですよね。でも、私の里のしきたりで……」

 穂乃花は申し訳なさそうに視線を落とした。

「里のしきたり?」

「はい。詳しいことは、できれば中で……」

 潤んだ瞳で見つめられた八雲は、チェーンロックを外すことにした。そうしているのが、相手対して失礼だと感じられたからだ。彼女の曇りのない眼を見ていると、鍵をかけている自分が、人を信じられない冷たい男に思えてならなかった。

 そのまま家の中に入ってもらい、話だけでも聴こうかと思ったところで、さっきまで自分がしていた作業のことを思い出した。

「ちょっと待っててくれるかな」

「はい」

 八雲はドアを閉めて、机の上に置かれたパソコンと向き合った。彼女がインターホンを押すまで、仕事相手とメッセージのやり取りをしていた。その相手をほったらかしにしていた。


『多宝さーん』


 相手の呼びかけが何行か続いていた。


『すみません、急な来客がありまして』

『おっ、戻りましたね。回線が切れたのかと思いました。それで、お客さんの方はもういいんですか?』

『ちょっと待ってもらっています』

『それじゃ、長いやり取りはできませんね。CGのリテイク箇所は後でメールしますので、目を通して修正をお願いします。源泉徴収の絡みで名前と住所を訊きたいのですが、最初にもらったメールの最後に書かれてるのでいいんですよね?』

『はい、それでお願いします』

『了解です。それでは、また』

『――丸田さんはログアウトしました』


 仕事相手が怒っていなかったことに八雲はホッとした。

 彼はパソコン用アダルトゲームの制作に、CGの外注として参加している。こんな仕事をしているが、八雲の職業は大学生だ。とはいえ、一年ほど大学の敷地内に入っていない。まだ就職したくないからと上京して三流大学に入ったものの、大学キャンパスに溢れる頭の悪そうなパーリーピーポーに愕然とし、ちゃんとした大学に入り直そうとアパートにこもって勉強することにしたのが一年前。

 それから一ヶ月も経たないうちに、趣味だったイラストを描くことに夢中になり、画像編集ソフトで着色して投稿サイトにあげる毎日に。半年前に届いた「アダルトゲームの着色に興味ありませんか?」のメールに、「俺の技術が認められた」と大喜びしてOK返事。

 今日も今日とて、メッセージが来るまでは、レイヤー分けされた半脱ぎの美少女に色を塗っていた。

「こっちは、これでよし……と」

 やりとりを済ませた八雲は玄関に戻り、ドアを開けて穂乃花を招き入れた。てっきり、彼女一人が入ってくるものとばかり思っていたが、後ろに控えていた黒服の男も一緒に入って来た。ドアの隙間から見えていたのは穂乃花だけだったので、彼女の数歩後ろに控えていた男は視界に入っていなかった。

 黒服の男はスキンヘッドにサングラスという出で立ちで、内ポケットに銃でも潜ませていそうな危ない雰囲気を醸し出していた。

「そちらは……」

「私のボディーガードですので、気にしないでください」

 気にしないでと言われて気にならなくなるほど、黒服の存在感は薄くはなかったが、目が合えば殺されるような気がして、意識を穂乃花だけに集中させた。

「どうぞ」

 手招きして二人を家の中へと入れる。

「お邪魔します」

 部屋の中央にあるテーブルへと誘導し、フローリングの床に座るよう促す。普段、床にそのまま座っているので座布団すらない。

「えっと、何か飲み物を……」

「いえ、お構いなく」

「あっ、そうですか」

 冷蔵庫に向かおうとしたところでやめ、八雲はテーブル越しに二人と向き合う形で座った。

「では、説明させて頂きますね」

 穂乃花がそう言うと、黒服は持っていた黒い鞄から1枚の写真を撮りだし、テーブルの上に置いた。そこに映っていたのは茅葺き屋根の日本家屋と、その前に並ぶ着物姿の女性たちだった。家の周りには緑の山々があり、牧歌的というよりは、何百年か前の写真を見ているような気分になった。

「これは、私どもが暮らす里の写真です。見てのとおり、時代の流れに取り残されたような所で、地図上では山の名前が書かれているだけになります。ちなみに、ここに映っているのが私で、隣は姉です」

 指差した先には確かに穂乃花がいた。隣には彼女によく似ているものの、少し伏し目がちで地味な印象を受ける女性が立っている。

「さきほど、詳しいことは中でと申したのは、里に関する情報を他の人に聴かれない為です」

「それも、里のしきたりなの?」

「はい、そうなります」

「俺はいいの?」

「はい、お告げの人ですから」

 現代社会では使われることのない単語が次々に出てくるので、現実感というものが徐々に薄れていく。

「順を追って説明しますね。まず、私どもの里には秘密があります。その秘密を守るために人知れず、ひっそりと暮らしてきたのです。その秘密とは安岡正篤という方の言葉を借りるなら、“有名無力、無名有力”といったところでしょうか。多くの人に知られないことで発揮できる霊的な力、端的に申せばそうなります」

「はぁ……」

「その力の担い手が大巫女様です。里の者には大巫女様の力を継承していく使命があり、大巫女様にも自分の後継者を育てる使命があります」

「俺が、お告げの人ってことは、まさか後継者に?」

「いえ、男性では後継者になれません。お告げにあったのは、私と貴方様の間に生まれる子供が、後継者としての資質を持つというものです」

「だから、結婚なんだ……」

 穂乃花は軽く頷いた。

 八雲としては話の流れは掴んだものの、納得しきれない点が幾つかあった。現実離れした話に対する真偽も気になったが、それが事実だとしても彼女の許容具合が異様に思えた。

「里の事情はわかったけど、お告げやしきたりで、結婚相手や人生が決められていいの? 君は……」

「はい」

 間髪入れずに穂乃花が肯定する。彼女の表情に何ら迷いはなかった。

 閉鎖された地域で“それが常識”として教えられ、育てられたのなら、自由に生きてきた自分の心配は“お節介”でしかないのではないか。他の文化圏に行って、自国の流儀を押し付けるようなものだ。そんな風に感じるところもあったが、里の部外者代表で言いたいことがあった。

「君は里で生まれて、里で育っているから、そう思うのかもしれないけど、何て言うかこう……もっと、自由に生きてもいい気がするんだけど。里の外に出た方が、幸せに暮らせるかもしれないし……」

「里の外の方が幸せ、ですか……。多宝様は今、幸せですか? この先の未来も明るいのでしょうか?」

「うっ……」

 そう訊き返されると返答に困る。

 将来性が皆無なのは数分前に再確認しているし、ずっとアダルトゲームのCGを塗って過ごしていけるとは思えない。現にアダルトゲームの売上は年々落ちている。そんな状況を幸せかと訊かれれば、肯定するよりも否定する方が自分に対して嘘が無い。

「幸せじゃないかも……」

「多宝様が幸せになれない環境で、里のことしか知らない私が幸せになれる気はしません。逆に、多宝様が里に来られたのでしたら、幸せに暮らせるよう、妻として最大限の努力をします」

 言われてみれば、たいして幸せを感じていないのに、里の外に出た方がいいよ、こっちがいいよとは、随分とおかしな話である。それに比べ、里に行けば目の前にいる少女が妻となり、自分の幸せに貢献してくれるというのだから、確実な幸せは里にあるような気さえする。

 ここに残って普通に就職できたとしても、彼女のような器量好しと結ばれるとは到底思えないし、何十年も働く人生が待っているのは確実だ。それよりだったら、ひっそりとした山奥生活を送るのも悪くはない。

 そこまで考えを巡らせたところで、穂乃花は八雲の手を取って話し始めた。

「急な話ですので、信じられない点も多いかと思います。なので一度、私どもの里を見に来ては頂けませんでしょうか? 結論は、その後で構いませんので」

「えっ? あっ、うん……」

 顔を覗き込んでくる穂乃花に押されるように、「うん」と言ってしまったことに八雲は少し後悔した。

「では明日、里にご案内しますね。何時ころ、お迎えにあがればいいでしょうか?」

「明日は特に用事がないし、昼過ぎなら起きてるけど……」

「了解しました。正午過ぎにお迎えにあがりますね」

 優しく微笑むと穂乃花はスッと立ち上がり、続いて立ち上がった黒服の男と一緒に頭を下げた。二人は玄関まで行くと振り返り、八雲を見て再び頭を下げた。

「突然の訪問にも関わらず話を聴いて下さり、ありがとうございました。それでは、明日の正午過ぎに」

 「お邪魔しました」という小さな声と共に、二人はアパートから出て行った。二人が居なくなった部屋で、八雲は彼女に握られた手を見つめながら、その感触を思い起こしていた。



 翌日、普段よりも早く目が覚めた八雲は、久しぶりに部屋の掃除と片づけをし、正午過ぎに来る客に備えた。

 彼女たちの里が何処にあるのかわからないので、泊まり込みになっても大丈夫なよう、バッグには替えの下着と洗面道具を入れ、修正依頼があったCGを直して提出した。身だしなみも整えようと鏡を見たところで、自分の冴えない感じに改めて気づく。

 こんな自分が彼女のような存在と結ばれるなんて、それこそオカルト的な力でも働かなきゃないよなと、信じがたい里の事情に別な意味での説得力を感じた。同時に、里に行くことへの不安も募っていった。

 あの強面の黒服がいることもそうだが、里が守り続ける秘密のこと、大巫女が持つ霊的な力のこと、そういった非現実的な要素はフィクションとして聴くのは大好きだが、真顔で話されると、触れてはいけないものに近づいた気がして恐ろしくなる。

 特に、多くの人に知られてはいけない秘密を知ってしまったことで、彼女と結ばれることを拒めば、その時点で何をされるかわからない不安が一番大きかった。もしも、彼女の要求にNOを突きつけるとするなら、その場所は彼らのテリトリー外にすべきだろう。里の中で拒めば、周りが敵だらけになっても不思議はないのだから。

 そんなことを考えているとインターホンが鳴った。

 八雲は覗き穴から来訪者が昨日と同じことを確認し、玄関のドアを開けて二人を出迎えた。

「お迎えにあがりました」

 穂乃花の屈託のない笑顔に、さっきまでの不安が薄れていく。それは彼女の持つ魅力がなせる業なのか、縁遠かった女の子との接触に浮かれているからなのか、八雲には判別できなかった。

「あちらに車を止めております」

 手を向けた駐車場には白いワゴン車が止まっていた。あんな山奥で暮らしていても、車を使える事実に驚きつつ、八雲はバッグを背負うと玄関の鍵を閉め、穂乃花たちの後についていった。



 運転席には黒服の男が座り、穂乃花と八雲は後部座席に座った。

 黒服が車を駐車場から出したところで、穂乃花は大きなバッグから水筒を取り出し、紙コップにお茶を入れて手渡した。

「どうぞ」

「どうも」

 紙コップを受け取って一口飲む。煎茶だった。

「2時間ほどで里に着くと思います。ところで、お昼ご飯はもう食べられました?」

「10時過ぎに、朝昼兼用のを食べたけど」

「そうでしたか。もし、お腹が空きましたら、言ってくださいね」

 ニコッと微笑んだ彼女は、バッグの中にあるバスケットを見せた。どうやら、そこに弁当か何かがあるらしかった。

 わざわざ彼女が作って来たのだとしたら、腹が空いていなくても食べたいというのが正直なところだが、バスケットをスッと引っ込められたので口に出すこともできない。

「実は私、ホッとしているんです」

 穂乃花が少し、体を寄せてくる。近づかれると、彼女から漂う良い香りが鼻を刺激し、八雲の肩から力が抜けていった。

「お告げの人が怖い方だったら、どうしようかと思っていました。多宝様が優しそうな方でよかったです」

「そ、そう……」

 照れくさい気持ちを誤魔化すように、八雲はお茶を一気に飲み干した。

「喉が渇いているんですね? まだありますよ」

 再び紙コップにお茶が注がれる。別に喉が渇いているわけではないが、何かしていないと間が持たないので、ちびちびと飲みながら話題を考える。

「あ、あのさ……」

「何でしょう?」

「俺、優しくなんかないよ」

「そうは思いません」

 優しいと言われたままだと、自分でそれを認めている気がして否定したが、あっさりと否定し返された上に、じっと見つめられると妙にソワソワして視線が泳ぐ。

「多宝様は優しい方です。だから心配にもなります。不本意な結婚の申し出でも、その優しさから受け入れてしまわないかと……。里の様子を見て、嫌だと感じられたのでしたら、そう仰って下さいね。私は足を運んでもらえるだけで、いえ、こうして同じ時間を過ごせただけで満足ですから」

 どこか憂いのある彼女の笑顔に、八雲は嫌な予感めいたものがした。

「もし、君と結ばれないことを選んだら、どうなるの?」

「それは……」

 穂乃花は八雲から顔を逸らすと、車の窓に手を当てて話し始めた。

「次のお告げを待つことになります」

「……それだけ? 秘密を知った俺の記憶を消すとか、そういうのはないの?」

「多宝様に何かするようなことはございませんので、どうかご安心ください。ただ、里の話はしないで下さいと、皆から頼まれることでしょう……」

「そうなんだ。もっと、ペナルティがあるのかと思ってたよ。それじゃ、次のお告げ次第では、君が他の人のところへ行くこともあるってこと?」

 穂乃花は体をピクッと震わせた。何か言ってはいけないことを言ってしまったのか、車内の空気は急に重々しくなってしまった。

「穂乃花お嬢様に、次はありません」

 沈黙を破って運転席の黒服が話し始める。それを制すように穂乃花が小さな声で「やめて」と言うが、黒服の語りは止まらなかった。

「お告げで指名された者が、その相手を迎え入れられなかった場合、使命を果たせなかったとして罰が下されます。大巫女様の力を継承することが存在意義となっている里において、使命は絶対。果たせなかった罰は何よりも重く、その者に“次”という機会が来ることはありません」

 黒服の低い声には力がこもっていた。その言い方から“断ってくれるな”というニュアンスが感じ取れる。

 大巫女という絶対的な存在が中心となっている場所だけに、そのお告げを守れないとなれば、穂乃花の今後が明るくないのは言われてみれば至極当然。不用意な発言だったと痛感するとともに、八雲は冷遇される穂乃花を想像して身震いした。

「多宝様、どうか今の話はお忘れください。私のことは考えずに、ご自身のお気持ちのままに結論を……」

 穂乃花は両手で八雲の手を包み込むように握りしめると、うっすらと涙を浮かべて懇願した。彼女の顔が目の前にあるというのに、不思議と八雲はドキドキしなかった。

 それどころか、彼女の顔が徐々にぼやけ始め、声も聴き取れなくなっていった。「あれ? おかしいな」と思う頃には、猛烈な睡魔が襲ってきて、瞼を開けているのが辛くなっていった……。

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