ピクセルの塊であるに過ぎない二次元に興奮することはおかしい、は見た目とは裏腹に非常識な結論に達する
常識的見解を展開するがために上記の意見を挙げる人がいるが、この意見は正常な興奮の説明すら放棄するように思える。手っ取り早く言えば、三次元の女性も原子の塊に過ぎないのだから興奮するのはおかしいという意見も結論できるからである。きっとかの意見を述べる人たちは実在性に焦点を当てて、その実在性を有する者に対してだけ興奮と言うものが許可されるものだと考えている。しかし通常興奮と言うものはオルガズムに達することが出来るということが満たされればいいという考えの方が一層常識的であるように思え、実際このような二次元でオルガズムに至っている人たちの存在を否定することは、事実の話ではなく興奮に至るべきではないという道徳の話に過ぎないことたや、単に性的趣向に本人が合わないから意見を支持しているようにしか思えない。実際上記の意見を受け入れたとしても、二次元の絵を見て興奮することを我慢するような状況しか想像しえず、意見を容認したからと言って興奮が立ち消える、ということを想像している人は単に興奮するということの使用を間違えているだけである。
(追記)
注意すべき点はこのような問いは何故と言う否定の形式をとる。それは整合的な説明を与えようとするものではなく、その説明つまり概念操作だけで問題を立ち消えさせようとする態度に問題がある。机上の議論で二次元で興奮することを論破した暁には、その論証によって二次元で興奮することが立ち消えるような形をとることを目的とすることが間違いなのである。既に怒っている事実としての説明の理由の要請は正当である。