1話
迫りくる野獣。
光り輝く世界。
圧倒的な質量と衝撃。
そして頭に響く少女の声。
そこで少年は意識を失った。
少年の名は武宮英志。
どこにでも有る普通の家庭で育ち、両親と兄と妹という家族構成の元、何不自由なく高校生活を送っていた。
ある日少年は普通の高校生のようにアルバイトに興味を持ち、ちょうど高校1年時の夏休みからアルバイトを始めようと考えていた。
そんな折、近所のビルに求人募集のビラが貼ってあるのに気付いた少年は、募集条件が自分にぴったりであると迷わず応募したのだった。
募集条件は「若くて健康な人間」
求職活動を普通にしている人なら違和感を感じそうな文面だが、疑うことを知らない少年はそれを素直にそのままの意味でとらえたのだった。
そして彼はバイトの面接に赴き見事に採用を勝ち取る。
ここから始まるのは純粋無垢な少年がアルバイトを通じて成長していく感動の物語である……
「あの、表のアルバイト募集の貼り紙見たのですが」
ここはアルバイト募集の貼り紙があったビルである。
ビルに入った英志は、いかにも受付のお姉さんといったオーラの漂う、スーツ姿の女性におそるおそる声をかけた。
「ああ、アルバイト希望の方ですね。それではこちらへどうぞ」
完璧な営業スマイルで女性は応え、カウンター横のエレベーターへと英志を案内し、すっと44階のボタンを押した。
ほどなくして目的の階に到着し、少年は女性の後について奥へと進む。
黒塗りのいかにも頑丈そうな扉の前で女性は立ち止まり、壁に備え付けられたインターホンを押した。
「アルバイトを希望の方がいらっしゃいましたのでお連れしました」
女性がインターホンに向かってそう話すとドアが開く。
「どうぞお入りください」
そう告げると女性は一礼してもと来た道を戻っていったのだった。
英志は扉をくぐる。
そして英志が室内に入るや否や恐ろしい速度で扉が閉まる。
まるで捕えた獲物を逃さない罠のように。
扉の中にはごく普通の事務所のような部屋があった。
中にいたのは一人だけであり、長く少しボサボサな黒い髪の眼鏡をかけた白衣の女性で、年齢は20代後半といったところだろうか。
整った顔立ちではあるが、どこか遠いところを見ているような虚ろな目をしており、なんとなく研究者然とした出で立ちである。
女性はものぐさそうに席を立つと入口の英志のところまで歩み寄り
「ようこそ有限会社ブラックへ」
最高の営業スマイルで少年を受け入れたのだった。
面接では「志望動機は?」とか「あなたの長所は?」といった有り体の質問、そして最後に簡単な知能テストや語学のテストが行われた。
語学のテストといっても中学生でも解けるようなものであり、「おはようを英語で書くと?」や「Good byeを日本語で書くと?」といった簡単なペーバーテストである。
英志がテストを行っている間、彼女はひたすらパソコンに向き合い、何か作業を行っているようだった。
「武宮英志さん。あなたを採用させていただきます」
面接を終え、英志が書いた答案を一瞥するなり彼女はそう言った。
(こ、こんなにアルバイトの面接ってあっさりしてるのか)
英志は内心では戸惑いながらも、元々アルバイトがしたくて面接を受けていたのである。
「ありがとうございます」
そう素直に返答したのだった。
「ではここにサインを」
そういって彼女が差し出したのは労働契約書であった。
賃金や労働時間の定め、その他時間外勤務等々細かく書いてあり、彼女は英志にざっくりとその内容を説明した。
「そんなに難しい内容ではありませんので気楽にサインしてください。あと印鑑はお持ちではないでしょうから拇印で結構です」
「わかりました」
(よくわからないけどしっかりした会社っぽいし大丈夫だろう)
そう考え英志は内容について吟味せず、サインをしたのであった。
「ありがとうございます。では初出勤の日ですが明日はご都合いかがですか?」
「あ、はい。明日から夏休みなので学校の終わる午後からだったら問題ありません」
「では明日14時にお待ちしております。特にお持ちいただくものはございません。動きやすい服装でお越しください。ただ明日から数日は研修期間となります。もしかしたらそこで採用取りやめになることもございますのでご両親等周りの方にはアルバイトが決まったことや明日からこちらで働くこと等はお話しいただかないほうが無難かと思われます。採用後すぐにお仕事を放棄する方も多く、そんな方々を見て自分の息子に社会適合力がないのではと嘆かれる親御さんもいらっしゃいますので」
(なるほど、そういうものか)
「わかりました」
多少の違和感を感じながらも、アルバイト初心者の無垢な少年は素直に返事をしたのだった。
「ありがとうございます。あと一点だけ。この封筒を武宮英志さんご本人の部屋、机の中等どこでもいいので入れておいてください。ただ、まだ封は開けないでくださいね。こちらが指示を出すまで封を開けない事も本採用の条件となりますので」
(アルバイトとはそういうものなのか)
そう思いながらも、突然の採用通告からの流れに頭がついていかない英志は流されるままに了承し、封筒を持って帰路に就く。
そして言われた通りアルバイトのことは家族の誰にも話さず封筒を机の引き出しへと入れた英志は、初めてのアルバイトへの期待と興奮を胸に眠りにつくのであった。