山道のキャリーケース
腕が辛い。もう限界だ。やっとの事で校舎に着いた時、僕は、茶色いゴツゴツした石で出来た塀に、背中から凭れかかって、伸びていた。
「なんでこんなの持ってきたの?」
僕には理解が出来なかった。この紺色のキャリーケースは、さほど大きくないくせに重い。それにかなり年季が入ってて一度持ち手を伸ばすと戻らなくなっていた。正確にいうと治し方にはコツがいるらしいが、二人とも知らなかったのでそのまま持ってきた。
でも、これが一番のネックだった。持ち手を伸ばしたまま持ち上げると、地面に引きずらないようにするには、かなり持ち上げなくてはならない。また、本体が足に当たったりして歩き難い。両手だと本体が前に来るから片手で持たなければならない。
受験で低下し、殆ど一週間近く外にも出てなかったチビには酷すぎる仕事だった。
もう良心なんかで、女子の荷物の運搬作業は引き受けないと固く決意した。
「別にいいじゃん。これしかなかったんだし。」彼女は、自分のカバンを、ごそごそしてファイルを取り出していた。トランプのキングのゆるキャラが書かれたクリアファイル。こんなキャラクター生まれて初めて見る。どこかのご当地キャラなのだろうか。ここはとにかく寮があるみたいだし他県から来る人も多いのか…。
……待てよ。ここ何県だ?半日以上かけて愛知県から車で来たのは覚えている。でも、どっちの方角に行ったかは覚えてない。それに今が何日かだって曖昧だ。僕が落ちたのが約三週間前ぐらいだったから。
ひょっとしてもう四月近いんじゃ。
「何見てるの?」冷ややかな一言にはっと我に帰る。やってしまった。何かわからないことがあった時の僕の動きは完全に止まる。考えるのに夢中になって、目が開いていて物が見えてるのに見ていないのだ。まだあったばっかの人に見続けられたら絶対に気味悪がっているのに違いない。
「ねぇ、あんた聞いてる?」
おっと、いけない。まただ。
「え、いや。な、何探してるのかなって。」落ち着くんだ、俺!何同様してんだ。
「え、これ知らないの?」知らないから聞いてるんだよ。動揺で完全に焦ってる自分の突っ込みが喉元まで出かかる。
「入学の手続き書だよ。持ってなかったら入学できないんだよ。」と言われて思い出す。つい30分前に父親に押し付けられた、あの書類だ。
「あ、あれね。思い出した思い出した。」僕も中身を確認してみる。
そこには、白い厚紙にボールペンでぎっしりと書かれている文字。それは彼女が持っているハガキサイズのものとは明らかに違っていた。
「ええ、これって事前に提出しておかなければいけないものなんじゃないの。」
「早く行こう。」彼女には僕の微小な疑問と不安は聞こえていなかったみたいだった。僕とキャリーを置いて、そそくさと校舎らしき建物に続く、グラウンドというには小さすぎる広場を歩いて行ってしまう。
また持てって事ですか。僕は書類を折れないように丁寧に元どおりにしまって、若干苛苛立ちながら、右手にキャリーを持ち上げて、20メートル程に離れてしまった彼女の後を追いかける。
俺は召使かよ。まだまだ乳酸の抜けきらない右腕に力を入れながら、そう思う。