もう一人の春
もう一人の春
もう何時間走ってるのだろうか。今は山口県、中国自動車道で丁度、鹿野の近くをこの車は走っているようだ。目的地まであと少し。長旅の疲れからか眠い。もう少し寝ていよう。
「もうすぐで着くぞ。」父さんのその嗄れた声で目が覚めた。顔を外に向けると、窓の外は、木、木、木、木、木、木ばっかりだ。ここは島根県の冠山山地の日本海側に位置する猫兎高校だ。
正確にいうとその道中の山道。車は道路が悪くてとても乗り心地が悪い。
「父さん窓開けていい?」
「ああ」
窓を開けるととても気持ちの良い風が入って来た。すぅーっと深呼吸してみる。と同時に今までの気持ち悪さが体の外へ抜けていく。体が軽くなったみたいだ。木々の枝の葉の間から射す光は、まだ少し肌寒い空気を暖めてくれる。自分の部屋の窓から入る海の潮風も好きだったけど、ここの風も負けないくらい好きになりそうだ。
目的地について車を降りる。地面の起伏が靴の裏を通してでもわかる。両手を精一杯広げて大きな伸びをしてみる。身体中を覆っている骨格筋が全部伸びて気持ちいい。
「荷物ここに置いておくぞ。」そう言って父さんは古そうな、紺色の布製のキャリーケースを、車の後ろから下ろす。
「ありがと。」
「後半の荷物は麓の郵便局に二三日後に届くから、学校の先生にいうこと。」
「はーい。」
「こんな山の中だからな。虫が出てもいちいち騒ぐんじゃねえぞ。虫キラー、しゅーすんねんぞ。」
「…」
「あと、男にてぇだされたらすぐに先生呼べ。おいがすぐに駆けつけるから。」
「え、なんて。」
「だから、男にやられたら先生呼べて」
「んー。やっぱ聞こえないよ」
「わーたもーいい! 楽しめ高校生活を!」
「はーい。」
そう言って父さんを送り返す。急に聞こえなかったのは、父さんの声が嗄れてたからでも、私の耳が悪かったのではない。
pardonの連呼は、父さんから逃げる常套手段だ。
でも、選択を間違えたかなって思う。ここから校舎まで坂道なんだけど、この路面じゃ父さんの化身のキャリーは転がせない。
持って上がるのもこのかよわい乙女には無理な話で。
誰か待とう!そう決めた。
それにしても誰も来ない。ここは全寮制だから寮の入居者、つまり全員は今日か明日には寮の部屋に入っておかなければならない。
ひょっとして日を間違えたのかな。
それは残酷過ぎる。もう30分近く待ってるのに。
あ、人が来た!そう思ったのはそれから10分後くらい後。
来たのは、身長が低くて、華奢でメガネの少年。髪は長めで左目はほとんど隠れてる陰気そうな彼。
「あのー。すみません。」彼がこっちを見る。「この上の高校に行かれる方ですか?」その彼は人の話を聞いているのか聞いていないのかわからない。表情が読めない。「きい…」てますかと言おうとした時彼が私のキャリーケースを持ってくれた。
「あ、いいんです。ごめんなさい。」若干の遠慮を含めて言うが、彼は降ろさない。
「お願いします。」