2 決意したようです。
さくら、さくら、花盛り。
窓から見える景色を言葉で表したら、国語が平均点な私にはこれくらいが精一杯だ。
学校の敷地を一周するように植えられた桜の木はどれも見事に花を咲かせて、校庭をきれいなピンク色に染めている。
入学式の翌日である今日の予定は、ロングホームルーム。一年間の行事予定や校則についてなど、教壇に立つ担任の先生(三十代男性)が色々と話している。
それを何となく聞きながら、私はちらと隣を見た。
ホームルームが始まってから数分後には微動だにしなくなった隣席の人物に、思わず溜め息が漏れる。
「……悠太、起きなさい」
起きなさい、勇者ゆうた。とかゲームの出だしで良くあるよね。
周りの迷惑にならないように声を掛けて、隣の机で突っ伏している頭を軽く叩いた。
しかし反応が無い。眼鏡もしっかり外してあるし、どれだけ爆睡しているんだ。ここ教室なんだけど。
「悠太ってば」
「ん、あー……」
少し強めに呼んで肩を揺らせば、悠太は漸く目を覚ました。
上げられた顔は如何にも「寝起きです」と言っていて、その間抜けな様子に呆れながら口端を指さした。
「おはよう、まず涎を拭きなさい」
「んー……あー、千紗……」
「……ああ、はいはい」
悠太が皆まで言う前に察した私は、前に街頭で貰ったポケットティッシュを取り出して差し出してやる。
それを受け取った悠太は外していた眼鏡を掛けて、まだ眠そうにしながらもティッシュで口端を拭った。
(ほっといたら、袖で拭きかねないもんなあ……新品の制服だっていうのに……)
この学校の制服は男女共にブレザーである。
上は金ボタンが煌めく紺色の上着、左胸のポケットには校章。下は赤と緑のチェック柄。シャツは白で固定だけど、カーディガンの色に規定が無いというのが個人的には少し嬉しいポイントだ。
「千紗、ほい」
「ん、……ていうか、ティッシュくらい持ってなよ」
「面倒臭いから嫌だ」
真顔できっぱりと言われて、思わず椅子から落ちそうになる。
「ア、アンタねえ……」
幼なじみの面倒臭がり振りに、私は返されたポケットティッシュを受け取りながら顔を引きつらせてしまう。
それでも悠太は気にする様子もなく、大きな欠伸をしてから再び机に上半身を伏せた。片頬を机上にぺたりとくっつけて私の方を見る。
「必要な時は千紗がいるし、いいだろ」
「それ、ハンカチ持ってなかった時も言わなかった? 私がいなかったらどうするのよ?」
すると、悠太はきょとんとした。
普段はやたら目つきが悪い所為で分かり難いけど、こういう表情をされると目が大きい方だったのを思い出す。地味にくっきり二重だし睫毛長いし、羨ましい。
「千紗がいつも俺といてくれれば済む話だろ?」
「いや、悠太が自分で準備すれば済む話なんだけど……」
平然と返されて、もはや呆れを通り越す。
ハンカチとティッシュの為に常に一緒にいるとか、私はお付きの人か何かか。そんなのはごめんである。
「それじゃ、今日はこれで解散だ」
そんなやり取りをしているうちに時間が来ていたらしい。担任の号令が掛かって、今日の唯一の授業であるホームルームが終わった。
解放された生徒達が自由に動き始める中、配られたプリントを鞄にしまっていると悠太に肩を叩かれた。
「何?」
「明日からの予定とか全然分かんねえんだけど」
「ああ、それなら……」
あれだけ爆睡していれば、そりゃ分からないだろう。
メモをした手帳を開こうとして、ふと手を止める。
(駄目だ、こういう所から注意していかないと!)
こんなに面倒臭がりで他人に頼りっきりのままじゃ、きっと攻略対象にはなれない。理想の『菊川悠太』になる為にはこういう小さな所から積み重ねるべきだろう。
そう判断した私は手帳を閉じて、悠太をキッと強く見た。
「あのね、悠太? 私たちはもう高校生なんだから、いい加減に予定管理くらいは自分で……っ、むぐっ!?」
言葉を紡いでいた口に突然何かが押し込まれた。
驚いて目を白黒させていると、舌の上に甘い味が広がっていく。
(こ、これは……っ!)
チョコとコーヒーという別々のほろ苦さが、濃厚すぎない甘さを引き立てる。小さい頃から何度も食べてきたこの味を間違える筈がない。
「情報提供してくれたら、もう一個やるぜ?」
にやにやと笑う悠太が見せてきたのは、一個十円という値段と様々なフレーバーで昔からお馴染みの某チョコレート。しかも、私的ランキング上位に入るきなこもち味だ。
「ひ、卑怯な……っ!」
大好物を味わわせておきながら更に目の前に見せてくるなんて、正に悪魔の所行としか思えない。にやつく悠太の背後に黒い羽と尻尾が見える。
だけど、ここで折れたら駄目だ。ここで折れてしまっては『菊川悠太』育成プランが早速台無しになってしまう。こんな姑息な手段に負けるわけにはいかない。
「因みにミルク味もあるけど」
「明日は今日と同じで九時に教室集合。持ち物は筆記用具。本格的に授業が始まるのは来週からだから、明日も午前中には終わるって言ってた」
「成る程な、サンキュ」
つらつらと話し終えた私の手に二粒のチョコが握らされた。うん、ミルクときなこもちの同時責めはズルいと思う。勝てるわけがない。
ミルク味の方の包装を剥がして早速頬張る。大好きなその優しい甘さに、誘惑に負けた自己嫌悪も吹っ飛んだ。ああチ○ルチョコ、最高。
「あ、なあ千紗、今日の昼はどうすんだ?」
悠太にそう言われて、そういえばまだお昼前だったことを思い出した。
もごもごとチョコを頬張りながら考える。
「そうだね……ウチで食べる?」
「そうすっか。じゃあトイレ行ってくるから、先に昇降口行っててくれ」
「はいはーい」
教室を出ていく悠太を見送って、筆箱やプリントを鞄に片付ける。まだお弁当が無いから軽いけど、始まったら重くなるんだろうな。それは少し面倒臭いかもしれない。
(……って、これじゃ悠太と同じだ)
長年一緒にいるから似てきてしまったのだろうか。だとしても、あの面倒臭がりの部分は似たくない。
(気を付けなくちゃね、うん)
私までそうなってしまったら『菊川悠太』育成どころの話ではなくなってしまう。
そんな事を考えながら鞄を持ち、教室を出る。何処のクラスも終わったばかりだからか、廊下は結構な人で溢れていた。
(あ、昼ご飯はどうしよう。悠太に荷物持たせればいいし、買い物していこうかな……?)
自宅にある食材を思い出しながら昇降口に向かう。
と、廊下の曲がり角に差し掛かった時、陰から出てきた人とぶつかってしまった。
「わっ! ご、ごめんなさい!」
驚いた私は先生か生徒かも確認せずに慌てて頭を下げる。
そして顔を上げると、目の前にいた人物を見て、思わず声を上げそうになった。
(この人、攻略対象キャラクターだ!)
切れ長の涼やかな眼差しに、すっと通った鼻筋。自然な感じで整えられた髪。他の男子と同じ制服を着ている筈なのに、まるでブランド物を纏ったモデルに見える。
絵に描いたようなこのイケメンこそが『恋愛アルバム』の看板攻略対象(パッケージに一番目立つ位置で書かれている様な奴)キャラクター、百合ヶ崎透也だとすぐに分かった。
「……何だ? 俺の顔に何か付いてるのか?」
「え、あ、す、すみません!」
見た目通りの凛とした声を掛けられて、ハッと我に返る。人間に見惚れるなんて初めてだ。イケメン恐るべし。
再び頭を下げて謝ると、百合ヶ崎は氷のような視線で私を見つめた後、ふんと鼻を鳴らした。
「前くらい見て歩けないのか。見た目通りの間抜けだな」
「……は?」
「今度から気を付けろ」
冷たく言い捨てて、百合ヶ崎は立ち去っていく。
残された私は言われた言葉を脳内で反芻し、こみ上げてきた怒りで顔を熱くさせた。
(なな、何あれ! あんなに嫌な奴なの!?)
確かに記憶でも、百合ヶ崎は所謂『俺様系キャラ』という説明があった。でもそれにしたって、初対面の相手に対してあんな態度を取るほどとは思わなかった。
もしかしたら、私がメインシナリオとは何も関係が無い相手だからかもしれない。だけど今のは酷すぎる。
(あんな奴に悠太を負けさせてたまるかっ!)
看板キャラだか何だか知らないけど、こっちには生きる攻略本の私がいる。今はまだ準備段階だからどうしようもないけど、来年に控えたメインシナリオが始まればこっちのものだ。
(それまでに絶対、悠太を攻略対象に相応しい男にしてみせる!)
私の心に決意の炎が燃え上がる。
こうして私は、高校生活一日目にしてライバルを見つけたのだった。
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