1 記憶が蘇ったようです。
記憶というのは急に蘇る事がある。
それは歩いている時、お風呂に入っている時、眠りに就こうとしている時など、時と場合を配慮せずに起こる事が殆どだ。
そして、私の場合は、
「──あっ!?」
「おい、生クリーム垂れたぞ」
幼なじみ(男)とファミレスで苺パフェを食べている時に、それが起きました。
私はテーブルに垂らした生クリームを紙ナプキンで拭きながら、唐突に蘇った記憶に動揺する自分を落ち着かせようとする。落ち着け私、素数を数えるんだ。いや駄目だ、素数自体よく分からない。
(そうだ、乙女ゲーム、そうだった……!)
徐々に馴染み始めてきた記憶に、ゆっくりと深呼吸をする。そして、一つ一つ確認することにした。
一、この世界は『恋愛アルバム』という女性向け恋愛ゲーム(通称乙女ゲー)の舞台である事。
二、『恋愛アルバム』は攻略対象キャラクターと学園生活を過ごしていくうちに様々なイベントを越えて恋に落ちるという、ベッタベタな内容だという事。
三、ゲーム内での私の立ち位置は所謂モブキャラで、シナリオ自体には何も関わりがないという事。
そして、次の四つ目の事項が私にとって最も驚く内容だ。
「……あ、俺も垂らしてたわ、チョコソース」
それは、目の前で呑気にチョコバナナパフェを堪能している幼なじみ──菊川悠太が、その『恋愛アルバム』に登場する攻略対象キャラクターの一人だという事だ。
(……え? でも、あれ?)
いつものように私は手元の紙ナプキンでチョコソースを拭いてやりながら、悠太をまじまじと見つめる。
記憶によれば、彼は『無愛想だけど実は優しくて個別ルートに入るとべったべたに甘くなる』という、これまた良くあるキャラ設定を与えられている。あとは表記するまでもないイケメン補正も。
だけど今、私といる悠太は『恋愛アルバム』の『菊川悠太』とはかなり違う。
まず、この悠太は極度の人見知りである。初対面の相手とは目も合わせられないし、会話もろくに出来ない。酷い時は日本語覚え立ての外国人の様に片言になる。
しかも、特に異性が苦手で、私と母親以外には極力関わろうとしない。飲食店の店員さんが精一杯だ。ブティックなどのフレンドリー過ぎる店員さんは避けるし、会話したくないからと散髪も近所の床屋さんで済ませている。
(……この時点で、恋愛ゲームの攻略対象としてアウトだと思うんだけど)
どうしてこんな奴が選ばれてしまっているのか不思議で仕方ないけど、そこを今更ツッコんでも仕方ないので気にしない事にする。
次に外見。人見知りの延長で人目が苦手な悠太は、伸ばした前髪と太い黒縁眼鏡で目元を隠している上に、常に威嚇している猫のような目付きをしている。
そんな彼だから愛想というのにも無縁だ。それに面倒臭がりでマイペースなので、見かねた私が引っ張らないとなかなか腰を上げなかったりする。
更にはファッションにも無頓着なので、私服は大抵黒を基調とした無難すぎる格好ばかり。休日はジャージ以外を着ている事の方が珍しい。
こう言ったら申し訳ないが、どれもこれも私の新しい記憶にある『菊川悠太』とは天と地ほどの差がある。
(こ、これはどういうことなの……?)
もしかして同姓同名で本当の攻略対象が何処かにいるのだろうか。そう思ったけど、私の記憶はやっぱり目の前にいる悠太で正解だと言っている。
じゃあ一体どうしてこんなにも違うんだと眉を顰めた時、私はある事に気付いた。
(……もしかして、主人公がまだいないから、とか?)
この『恋愛アルバム』のストーリーは、主人公である女の子(デフォルト名は桜庭真奈美というらしいので、真奈美ちゃんと呼ばせてもらおう)が、高校二年生の春に私達が通う高校に転校してくるところから始まるらしい。
しかし、今の私達がいる時間軸は違っていた。
「それにしてもよ、今日の入学式は面倒だったな」
「え? ああ……そうだね」
「ま、明日から暫くは授業も無いから良いけどよ」
積みっぱなしだったゲームがやっと消化出来る、とゲーム好きな悠太は機嫌良さそうに言って、パフェの天辺で溶けかけているソフトクリームを掬って食べた。
そう、私達は本日付けで高校生になったばかりで、今は入学式の帰りなのだ。だから、私達の周囲に真奈美ちゃんはまだいない。
要するに、メインシナリオがまだ始まっていないという事になる。
(いや、だけど……)
それにしたって、今の悠太は攻略対象『菊川悠太』と違いすぎる。
もしかしたら、このままではバグ的な感じでメインシナリオから外されたりするのではないか。
(そ、それは哀れすぎる!)
攻略対象のキャラクターにとって一番の幸せは当然、主人公と結ばれる事だろう。そうすれば、この世界での幸せを約束されたようなものだし。
(……幸せ、かあ)
パフェを食べながら携帯を弄っている悠太を見れば、ふと顔を上げて何かを探し始めた。
その様子で察した私は、テーブル隅に置かれているセルフサービスのおしぼりを取って手渡してやる。
「はい」
「お、サンキュ」
おしぼりを受け取った悠太は手を拭いて、再び携帯を弄り始める。彼女とのメールに勤しんでいるとかなら健全な学生なのだが、恐らくは新作ゲームの情報でも集めているのだろう。
その傍らにある空のコップを取った私は、自分のコップも持ってドリンクバーのコーナーに向かった。
私のコップにはオレンジジュースを、そして悠太のコップにはいつも通りにホワイトソーダを注ぎながらぼんやりと考える。
物心ついた頃から一緒にいる腐れ縁の幼なじみ。
半ば家族みたいな彼の将来が、確実に幸せになる道筋が分かっているのは、きっと世界で私だけだろう。
勿論、見て見ぬふりも出来る。だけど、どうしたって結局は手出ししてしまう自分がいる気がする。
(そうなると、まあ……答えは出ちゃってるわけだ、うん)
メインシナリオの幕が開くまで、まだ一年間の猶予がある。これを有効活用しない手はない。
──女、椿野千紗、幼なじみを立派な攻略対象に変えてみせましょう!
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