118 魔女C
「ホルトゥンは『盾』の回収に向かった。逆鱗の陣とやらはこの砦の全体を覆っているはずだ。だから盾までは相当な距離があるはずだ。それだけ奴は遠くに行ったことになる」
槍を持ったままレイケンはのしのしと歩く。堂々と歩くその様はまるで虎のよう。
「東の国へ戻るなら今だ。ベリオとかいう魔法使いは倒しちまったが、俺がその分暴れて西の軍を引っ掻き回せば十分に挽回できる。さっき協力させた兵どもなら指示次第でどうとでもなる。一時とはいえ俺を信じたからな」
しかし威勢のいい言葉とは裏腹にレイケンの唇は斜め下へと垂れ下がり、白い歯がむき出しになった。自分の言葉が自分で気に入らなかったのだ。
怒っている。
怒りを感じている。
誰に対して?
ホルトゥンへ?
シャインへ?
・・・・・・あるいは自分へ?
ただの子供の言葉に心を動かされてしまった自分がいる。
本来、部下を守り、主君へ誓い、国へ全てを捧げるべき自分が、そうしてきた自分がただの子供の言葉で変わってしまった。自分という人間は今までに積み上げてきたものを子供の言葉で無に帰してしまうほど考えなしの……。
「くだらないな」
ふと口に出る言葉。それは無意識に出た言葉ではあったが、レイケンはそれほど驚かなかった。
もともと俺は物を考えて行動する人間じゃない。自分を相手に問答を繰り返しても無意味だ。最後には自分自身の心に反しないように、思うがままに行動しなければならない。今までに積み上げたものなんて知るか。大して積み上げてなんかいないさ。そう思っていたいだけだ。自分の今までは無駄ではなかった、意義のある人生を歩んでいるんだと自分に言い聞かせるための嘘だ。
……いつの間に俺は自分に嘘をつくほど臆病な人間になったのか?
「くっくっく……、はははははっ! どうせ俺には家族はいない。思う存分暴れてやる!」
突然レイケンは笑い出す。周りの兵が注目したが気にしない。気にならない。虎は笑わないが、笑えばちょうどこんな顔になるのではないだろうか。
そうして嗤うレイケンの目の前をシャインが通った。第五区の医療兵舎へ連行されているところだった。
***
「東の国が攻めてきたな。あの小僧の予想も当てにならんなあ」
ヒゲの将軍(名前はビアード)とグルップリーは第九区の城門の上から東の国の進軍を眺めていた。
二人はチョコ将軍の説得の後、騒ぎを聞きつけて城門にやって来ていた。将軍を呼びに来てシャインと鉢合わせした伝令兵とちょうど入れ違いの形になる。
「ワシはここで指揮を執る。あの小僧なら交渉する、などと言うだろうがそんなことは知らん。攻めてくるなら迎え討つまで。兵を国に帰すのがワシの役目だ」
「・・・・・・」
グルップリーは黙って自分の手のひらを見つめている
「加勢してくれないか、グルップリー」
グルップリーは口元に薄く悲しそうな笑みを浮かべた。
「魔法が使えない」
「なんだと?」
ビアード将軍の眉間にしわが寄る。いざとなれば、グルップリーの魔法を頼りにしていたのだろう。
「東の国の策略だろうな・・・・・・。魔法が全く使えなくなっている。頼りにしてくれてたんだろ? 悪いが、私には何もできない」
「どこへ行くのだ?」
「チョコ将軍を呼んでくる。私よりは、役に立つだろ?」
グルップリーは城門の階段を下りていった。
***
大臣たちがいる東の国の軍の前方の騎兵隊よりやや後方にて。規律正しく正方形になって走る歩兵数百を率いて将校とその側近が駆けている。
「もう一分もすれば砦を攻撃できる位置まで来る。兵にはその後の攻め手を伝えてあるな? あ~あぁ・・・・・・」
将校が側近へ確認し、指示の終わりに眠そうな欠伸をもらした。
「はい。準備が出来次第、火矢と投石を開始するよう伝えてあります」
側近の報告を聞いて将軍は深々とため息をついた。といっても別に側近の報告に不満があるわけではない。不満があるのは上司だ。
「ったく・・・・・・、クソ大臣どもめぇ。今日は休みだっつってたのになァ。たまらねえよ」
「大変ですねえ」
「本当に大変なのはあいつらだよ」
男は親指で後ろを指した。兵たちが走っている。当然鎧を着たままはしっているのでがっしゃがっしゃと騒々しい音を立てていた。いかにも重そうだ。
「あんなに重そうに走ってるあいつらを見てると俺も馬を下りて走った方がいいんじゃあないのかって思うぜ」
「こないだやろうとして私がさんざん止めたじゃないですか。もうやめて下さいよ?」
側近が口を突きだして言う。それにしても随分と口調がいいかげんな側近だが、将軍は気にした風もなく話を続ける。
「わーかってるよ、兵士たちまで止めるもんなぁ。あのときは。参ったぜ」
本当に参ったのは私です、と側近は言いたかったがやめておいた。どうせ言っても意味がない。むしろ面白がって嫌がらせをされそうだ。言わなくてもされるのだが。
「今日は勝てると思うか?」
「わからないですよ、そりゃあ。相手のことなんにもわからないんですから。わかってるのは兵力は向こうが上だってことです」
いやいや、と将軍は首を振った。
「それじゃあ、ざっくりしすぎだ。もっと詳しく考え直そう。向こうには魔法使いが少なくとも一人はいる。必ずいるのはホルトゥン。元は我らの味方の宮廷魔法使いだったあいつだ。幻術使いの。だが、今はなんとかって魔法使いに教えてもらった・・・・・・、あの、ほら、ナントカの……」
「逆鱗の陣」
側近は間髪入れず答えた。
「そうそれ。ゲキリンの陣。それを提案されて、大臣は急に元気がよくなった。まあ、ずっとあの目の上のタンコブ……、いや目の前のタンコブかな、……が鬱陶しかったんだろうな。援軍を気長に待つのをやめちまった。まあ、西の軍の狙いがわからんから良手か悪手かもわからんが・・・・・・。それにしたってもっと現場の声をだな・・・・・・」
「将軍、脱線しかかってます」
「お前はたまには俺のグチにつき合えよ」
「何言ってるんですか。週三で飲み屋に付き合ってるじゃないですか。これ以上のグチはどっちかの耳から垂れ流されてしまいますよ」
「お前はいつも垂れ流してるだろ」
「またグチ聞いてあげますから。もういいですから。早く、続きを」
「俺が言いたいのは、魔法が使えなくなっても連中の兵力が減る訳じゃない。だから兵力の劣る我々としては連中をパワーダウンさせる必要があるわけだ。奇襲なり、罠なり・・・・・・なんでもいい。とにかくこのまま正面突破ではいかにもまずい。大臣はいきなり突撃すれば奇襲になる、とか言っていたが・・・・・・。そんなんで奇襲になったら戦はどれほど楽かって!」
最後に将軍は自分の膝を思い切り叩いた。大臣たちの戦を甘く見ている所に腹を立てているらしかった。明らかに何か言いたそうだ。
「我らにも魔法使いが二人、いるではありませんか。それでも不安ですか」
しかし、側近にとってはそんな将軍の怒りは日々の飲み屋で散々聞かされているので、それはスルー。仕方なく将軍も話を続ける。
「……それだ。それがまさに気がかりだ。我々の命運が得体の知れない魔法使いの手に握られているのだ。気味が悪くて仕方ないわ!」
「将軍から見てどうでした?」
「何がだ?」
「魔法使いの印象です」
「小僧の方はダメだな。井の中の蛙というかなんというか・・・・・・。強いのかもしれんがすぐに折れそうな類ではないか?」
「では女の方は?」
「わからん」
「え?」
「あんな不気味な女は初めて見た。大臣たちは勝利の女神だと褒めたたえていたがな」
「勝利の女神、ですか」
「そうだ。あれが何を目的として我々に陣の知識を与えたのか・・・・・・。俺はそれが気になって仕方ないんだよ。この戦いに勝っても負けても……あるいは西の国に負けるなんかよりももっとひどいことが起きるんじゃないかって気がするんだ」
***
シャイン(少年)たちが騙して連れてきた西の国の軍は東の国の城の正面に陣取っている。陣から見て東に城が見える位置。距離は手に持った卵と城の大きさがだいたい同じに見える程度の遠さ。
城の大きさがわからないから距離もわからないって?
だいたい想像通りの大きさですよ。どっかの夢の国のナントカ城くらいの大きさじゃないですか?
さて、陣から見て東と南にはだだっ広い平野があり、北と西にはそれぞれ大きな山と小さな山がある。二つの山の間は狭く、谷になっている。厳密に谷が何かは知らないが・・・・・・、とにかく険しい所だ。これのせいで東の国の援軍がすぐに駆けつけられずピンチに陥った、というのを少し前に誰かが話していたはず。
今、話したいのはこの西の山。北の山はひとまず置いといていい。まあ、もう語られる機会はこの物語の中で無いだろうが・・・・・・。
とにかく西の山は大して高くはないが、幅は広く、かつ険しい山であった。険しいのは大きな岩がごろごろと転がっているからだ。昔、北の山が火を噴いたときに飛んできた岩がそのままになっている。人なら越えられるが馬はムリ。東の援軍はこの山を少数精鋭で越えて奇襲をかける作戦を立てたけれど警備が厳重すぎて失敗したらしい。
脱線してばかりだけれど、ようやく本題。我らが大魔法使いホルトゥン様がぜえぜえと息を切らしながら転がっている巨大な岩の間をふらつきながら登ってきた。見方によっては巨人の拳骨で何度も殴られる男、に見えなくもなくはなくてなくない。
「おかしいなァ・・・・・・。こっちじゃないのか?」
もちろんホルトゥンは登山を楽しんでいるわけではない。『盾』、もとい竜鱗を探しているのだ。
「鱗がどこにあるかなんてわからないもんな。でもあいつがこの結界を張ったなら絶対にこの辺りのハズだ」
ぶつぶつとつぶやきながら岩と岩の間を危なっかしく往復運動している。もやしっこが慣れないことをするから、
「あーっ! くそーっ! 出てこい、いるんだろ! 早く出てこぉいっ!」
叫びだした。山だからまだいいものの、人里なら大迷惑である。村八分にされてしまう。
しかし、聞こえたのは村八分の罵声ではなくて女がくすくすと笑う音だった。妙に大きく聞こえるその音はなぜか周辺一帯から聞こえているようだった。
ふと見上げると女が岩の上にいつの間にか腰かけていた。白と黒の三角模様で全身を覆うドレスを身に着け、おなじく白黒の大きな三角帽子を被っている。そして帽子と胸元には巨大な目玉をモチーフにしたデザインが描かれていた。ハッキリ言って狂気じみた格好であった。
「お久しぶりです、先生」
「ああ久しぶりだな、……シエラ」




